二十七話
今日は記念すべき晴れ舞台ですわ。朝から仕立て屋のジェリアータが直々にドレスアップを手伝ってくださいます。
「おはようございマス、アンヌ様! 今日の御髪は巻いてみようと思ってるので、いきなりで申し訳ないんだケド、鏡台の前にいらっしゃってくださるかしらン?」
「おはようございます、ジェリアータ。相変わらずセンスの良いお召し物だこと。スカートの刺繍がとても繊細ね」
「やーん、ジェリーカ・ン・ゲ・キ! 刺繍を褒めてくださるなんてお目が高いわァ、アンヌ様」
今日のジェリアータは腹部に一つボタンがある白のジャケットに、黒のタンクトップインナー。淡いピンクのタイトスカートを合わせていらっしゃいました。センスは申し分ないのよね……ピンヒールを難なく履きこなす姿は勇ましいですわ。
あ、彼は肌を焼いた筋肉隆々の男性です。髪は褪せた金髪で、わざと角刈りにしてらっしゃるとか。完璧な変身をされていることから、魔力操作に長けてらっしゃるのは自ずとわかりますわ。
「さて、髪を巻くとお言いになりましたけれど、どんな髪型になさるのか伺ってもよろしい?」
「もちろんです。本日はアンヌ様が初めて王城の舞踏会に参加なさるので、ギリギリまで考えた特別な髪形に仕上げさせて頂きマスぅ! 全体的に柔らかい印象になるよう、お背中で御髪を五つの束に分けて、毛先を縦に巻きます。これに、専用の装飾品を着けて頂きマスの!」
ジェリーが取り出したのは、金の蔦装飾の鎖……首飾りと完全に同じ意匠で、網状に連なっています。
「まさか……この首飾りも、あなたの手による物なのかしら?」
「ウフフ。実はそうなんですゥ! 服飾士を名乗るからには、彫金、デザイン、縫製、着付けからヘアメイクまで完璧にこなせなくては勤まりませんのよォ」
「そのお気持ちはよくわかりますわ。私にも、今の立場である誇りや自負がありますもの。流石ねジェリアータ」
「ありがとうございマス! そしてこの髪型には“アントワーヌ”と名づけさせて頂きました。アンヌ様以外には許されない髪形、という意味になっておりますノヨ!」
アントワーヌ……自分の名前を付けていただけるなんて、とっても胸が温かくなりますわ……見た目とお心は関係ないと、勇者とジェリーによって証明されましたわね!
「そんなに特別な形に結っていただけるなんて、光栄だわ。今日はあなたに恥ずかしくない振る舞いを心がけますわね」
「んもゥ、アンヌ様の為ですから当然じゃないですかァ! それでお召し頂くこのドレスなんですけれど、アンヌ様と意見を交わすことが叶って、初めて生まれた物なんですノ!」
器用な手つきで、一つずつ丁寧にカーラーを巻いていくジェリー。マスユは勉強のためにと、横に立って観察しています。
ドレスがサッと目の前に浮き上がりました。ジェリーの浮遊ですわね。
「まあ、それはどういう意味ですの?」
ジェリーは不要な持ち上げやお世辞は言わない方ですわ。初対面の私に向かって、シニヨンなんて、その御髪への冒涜だワ! とまで言い切りましたのよ。
「ええ、ずっとアンヌ様の仰る破廉恥とか品のないってお言葉の意味がわからなかったんですけれど、アンヌ様デザインのドレスを見ていて気づいたんデス。気品! そう、アンヌ様の纏う気品に、肌を晒し過ぎるのはダメなんですネ! ディマの言葉には、気品なんてものありません。格が近いですケド、それとは別物!」
「まあジェリー、わかっていただけましたのね! 感動ですわ……!」
何度言っても、布面積を狭めたドレスしかお作りにならなかったのに! あら……でしたら、このドレスの胸元やお腹部分はどういうことですの……?
ジェリーを横目に見ると、ウインクで返されました。……そう、ぬか喜びなのね、わかりましたわ。
「――とは言っても、芸術品を隠し過ぎても殿方にはウけません。ディマの基準と、アンヌ様のお体のバランスを計算し尽くし、ついにたどり着いたこの“レーシー”!」
ズビシ! と指差したのは透けるレースの垂れた部分です。
「“レーシー”というスタイルなんですの?」
「そう名づけました。これは女性の太ももやふくらはぎに纏わりつくことによって、閨でシーツが絡みつくが如くおみ足を引き立てるンです! 膝に着けて頂くベルトもご用意致しました。魔族の目から見ても、動きを阻害するレースは、見せびらかすよりも魅力的に映ること受け合いデス!」
「なるほど……」
悪戯に露出するよりも恥ずかしいような気がしていたのだけれど、気のせいではないのね。
「あらヤダアンヌ様ったら、気のないお返事だワ。魔王閣下だって一目でメロメロ、お熱い夜になること間違いナシでございますのよォ?」
「私はまだ結婚していませんわ。未婚の淑女に振ってはいけない話題ですことよ。お控えになって」
「エー! まだ魔王閣下がアンヌ様を襲ってないだなんて信じられナ~イ! キスもナシ? どうなってるんですか、アンヌ様ァ!」
全く……。背中で野太い声を出している服飾士に、私が誰か思い知らせる必要があるのかしら。
「お控えになってくださる? ジェリアータ」
手に魔力を集め、浮かび上がらせた魔方陣は雷の最上級魔法。お続けになるのでしたら、もちろん“手加減は”致しますわ。
人間の魔法は陣の発動光が特徴ですから、後ろに居ても何をするかわかりますわよね。狙いを外したりはしませんから、さあお選びになって?
「ま、まあ秘め事は秘めてこそですわよねェ。失礼致しました、アンヌ様!」
ジェリーはサッと立ち上がり深く頭を下げました。そうね……許して差し上げようかしら。陣を消して、集めた魔力を霧散させました。
「もうよろしいわ。それで、あなた渾身の装いの支度はできまして?」
「それはもう! 後はマスユちゃんに教えておいてありますから、ご心配には及びまセン!」
「ありがとう。講義の時間を過ぎていますので、他に用がなければ私は行きますわ」
そう話していると、部屋のドアの部分に転移陣が浮かびました。大きさから見てレプケだわ。
「アンヌ様、入ってよろしいでしょうか?」
先に声だけが転移して来ました。器用なことをなさるのね。魔法通信のように、地上へ向かって使える技術かしら? 後で忘れずに訊かなければ。
「ええ、構わなくてよ」
「それでは……ってジェリアータ様ではないですか!」
「ヤダァ、レプケちゃんと偶然の出会い! これはもう運命しか感じられナ~イ♪」
レプケとジェリーは睨みあって動かなくなりました。レプケの小さな胸に、体格の良いジェリーが今にも飛び込もうとしているように見えますわ……少々レプケが不憫ね。
「ジェリー、下がってくださる? 二度は言わなくてよ」
「アン、命令されちゃった! じゃあ今日は帰りますけど、ジェリーのこと忘れないでネ、レプケちゃん! アンヌ様、舞踏会をお楽しみになられてくださいネ! 失礼しました~!」
「ひええぇ~! ご勘弁を! ブルブル」
ジェリーはすぐ帰りましたのに、レプケはまだ焦点の合わない目で、何事かしゃべっているわ。重症ね……。
「何がありましたの……? マスユ、何か知りませんこと?」
マスユはどこか遠くを見る目になり、急に演技を始めました。
「『レプケちゃんってば、こんなに凄い魔法を編み出したの~?! ジェリー今まで侮ってたワ! よ・け・れ・ばァ、色んな魔法を手取り足取り教えてくださらな~い? オ・ネ・ガ・イっ。ハートマーク』……という事情があったようです」
瞼の裏に、ジェリーが科を作ってレプケに言い寄る姿までがくっっっきりと浮かびましたわ……マスユ、なかなかやりますのね。――恐ろしい子! ではなくて!
恐ろしい方ですわ、ジェリー。まさかあのレプケを、こんなに怯えさせるだなんて――並大抵のことではないでしょう。見直しましたわ。
「レプケ、シャンとなさいな!」
「は、はっ! 取り乱してしまい、申し訳ございません!」
「いいえ、私こそ待たせてしまって申し訳ないわ。すぐに学習室に向かいます。マスユは下がってちょうだい。転移」
レプケを連れて学習室に移動すれば、いつも通りに講義を始めてくださいます。今日は呪文に込められた意味のお勉強でした。あの一言に、ここまで複雑で簡略化させた意味を宛がうだなんて、魔族の先人たちは偉大ですわ。
先ほどレプケの使った転移陣を繋げた先との通信ですけれど、難易度が高すぎてよほど練習しないと使えなさそうでしたわ。いいえ、暇があれば練習していつかは……!
そして新しい魔法の練習、薬草の基本的な調合――夜会の支度を始める時間まで、あっと言う間でしたわ。
「では、これにて本日の講義を終わらせて頂きます。今宵は無礼講になるかと思いますので、魔王様のおそばを離れられた後には、油断なさらないでくださいませ。常に攻撃に備えられてください」
無礼講の意味もまるで別物なんですのね……、ええ、新郎新婦が結婚式で戦うのですから今更ですわね。
「参考までに、どう気をつければ良いのか教えていただける?」
「いつもの夜会と違って、身分の低い者から高い者への先制が許されます。くれぐれもお気をつけください!」
「ご忠告ありがとう、決して油断しないように致しますわ」
確かに身分に関わらず楽しもうとなったら、ディマならそういう意味になりますわね……段々と傾向が理解できましてよ。ディマ国では実力=地位、権力。戦闘=社交、頭脳=富ですわ。
地上と比べると、頭脳しか通じる部分がありませんわ。人間には理解し難い行動原理かと思ってましたけど、こちらの社会の方がよっぽどわかりやすいですわね。
「それでは楽しまれてくださいませ」
「ご機嫌よう」
レプケは技術、頭脳はあっても実力が伴わないため、夜会には出られません。けれどそれだけで国が動いている訳もないので、ちゃんと魔王の右腕として認知されていますわ。
考えてご覧になって? あの人間姿のジェリアータと睨みあうだけで精一杯の彼に、ルビー様の棍棒を受け止めろだなんて……誰も無理は言わないのです。
その者に相応しい物が、ちゃんと与えられる社会なのですわ。気に食わないならぶっ飛ばす。もっと気に食わなければ、殺して奪う。
ルールに則ってさえいれば、それを法律が認めているのです。だから私の復讐もディマ国民にならバレたって武勇にしかなりません。
地上では女神に選ばれた者を殺すのは少々問題がありますから、私に罪のないように準備する必要はありますけれど。
「完了しました、アンヌ様」
「ありがとう、マスユ」
立ち上がって姿見を引き寄せます。このくらいは、無詠唱でできるようになりましたわ。
「ため息が出てしまいます……建国の魔王妃様のようにお美しいお姿でございます」
「素直に嬉しいですわ。ええ、今の私は美しい」
緩やかにカールした前髪は眉の上で、お化粧を施した顔立ちがはっきりと見えます。鏡の中の私は、自信に満ち溢れていました。
肩をさらけ出し、深紅の首飾りを見せつけている胸元。ドレスはシルク光沢を放ち、布ではなく……ジェリーの言葉を借りて、シーツを纏っているようにも見えます。
ちらりと覗いたお臍は嫌でもヌードを彷彿とさせ、ウエストから腰、透けるレースが螺旋を描いて……白い太ももに巻きつけ、膝の黒いベルトを通ってふくらはぎに流れたそれに、殿方の視線は間違いなく集まることでしょう。
「アンヌ様の御髪とドレスに、とても映える髪型ですね。神秘というのでしょうか? 女の私でさえ、ひれ伏して愛を乞いたくなってしまうくらい……」
「フフ、そうしてみます? 与えて差し上げてもよろしくてよ?」
「――命が惜しいので、ご辞退させてくださいませ」
一歩体が揺れる度、下ろした紫紺の滝に光が代わる代わる艶を出し、金の鎖が煌きを返して更に輝く髪の様……毛先に行くほど入念に巻いてあることが、不可侵の高貴さを醸し出す――。
足元は、飾らない黒のエナメルのミディアムヒール。人の多い舞踏会では転びやすいので、ヒールを低めにしました。全体を引き締めて、優雅さのみが印象に残りますわね。
「私より美しいものなど存在しない。今日の私は完璧だわ」
「当然で在らせられます。こちらをどうぞ。ジェリー様よりの贈り物でございます」
箱を開けると、それは鳥の羽が二枚付いた真っ白な扇でした。扇は武器であり防具でもあるため、こちらではまだ一度も持ったことがありませんわ。
同じ理由で、毛皮、ショールなどの羽織る物は身に着けません。手袋はヒールと同じ黒。白い扇との対比も計算済みなのでしょうね。
「気の利くこと。今日くらいは必要になりそうですわね」
パッと広げると、百合の花が縫い取ってあります。あのスカートといい、これもジェリーの手刺繍ですのね……見事ですわ。これは赤いビーズのイブニングバッグの中に仕舞います。
「お時間です。魔王閣下がいらっしゃいます」
扉に体を向けて、ヴァーミナスの到着を待ちます。どんな反応をなさるかしら……?
「準備は……」
転移陣から現れたヴァーミナスはごくり、と喉を鳴らしました。
「まあ、はしたないわヴァンス。紳士ならば見蕩れる以上に褒めてくださらなければ」
ヴァーミナスの本能に従った反応に、私の自信は更に高められましてよ。全能感と言いますかしら、無敵のような、そんな錯覚まで心地良いですわ。
「アンヌのあまりの美しさ故だ。許して欲しい……こんなにも美しいと、他の誰にも見せたくなくなるではないか」
「今度は合格ですわ。さ、参りましょう」
膝を折ってお世辞を言ってくださる様子に、マナー不足の面影はありませんわね。差し出す腕に手を乗せれば、大広間へ瞬時に転移しました。
縦巻きロールが夢でした!
ジェリアータが今まで出て来なかった理由は、濃いからです。