十三話
勉強に勤しむある日の昼食をいただいた後、やたらと広い庭園で散歩をしていたところ。その現象は突如起きたのです。
「はうっ…?!」
何なんですの、これは?! 視界が一面斑に赤く染まり、まるで血の雨が降っているような光景……。
とっさに集中で魔力壁を作ったものの、なんとその壁も突き抜けましてよ?
「ひっ、ひなひなを……っ!」
慌てて屋根のある場所に、と自室に転移すると、いつもと変わらない城内――雨は城内には降っていませんでした。良かったわ……それにしても誰も騒いで居ませんし、もしかしてこれは当たり前のことですの? 誰か人を呼んで訊かなければ……そう思っていたら、扉に見覚えのある魔法陣が現れました。
「アンヌ、無事か?」
「ヴァミッ……ヴァーミナス。ええ、これは何事ですの?」
ち、違いますのよ? これは舌がもつれ“かけた”だけであって! 冷静になればなんてことないのですわ!
「最近は少なくなっているのだが……この赤い雨こそが、地上に侵攻を決めた理由であり、和平を結ぼうとする理由なのだ。そなたには、直接見てもらってから説明しようと考えていた」
それは。わかりやすくまた至極当然の理由でもありました。
「確かに見るまでは信じられなかったやもしれませんわ。……人間界で血が流されるほどに、ディモルト界の魔力が増加する……それが直接の原因なのですね?」
「初めは些細な変化で、すぐには気づかなかったが……雨が降り続けることで魔力が肉体の容量を超えて自我を失うものや、突然魔力暴走が起きる事件が増えた。魔物には凶暴化と奇形児が見られた。弱い者は死に……避難させることができたのは僅かだった」
「こんなことって……」
六年前から現在までを比べた各種のデータを並べれば、それは一目瞭然でした。
転移した執務室で書類を見せてもらった私は、呆然として窓の外を見ます。空には雲が広がり、鬱々としたまま変わりません。太陽も月も存在しない魔界では、人が死ぬと赤い魔力の雨が降るのです。原因を知った今では胸が締めつけられるようですわ。
数字の上だけでも失われた命は人間界での戦死者と大差ないほどで、巻き込まれた方はさらに多いのでしょう。いくつもの惨劇があったと想像に難くないですわ。
「古来より赤い雨は降っていた。しかし悪いものどころか純粋な魔力であり恵みの象徴でもあった。過去には度々酷くなることもあったらしいが、原因は突き止められなかったそうだ。その雨が五年前、一週間もの間降り続けたことがあってな」
「まったくお恥ずかしい話ですわ。五年前に三つの国で領土を巡って大きな争いが起きました。その戦争がディモルト界に災いをもたらしていただなんて」
「一週間後に止んだがそれ以降も頻繁に雨が降るようになり、もはや原因不明のままにする訳にはいかなくなった。調査は難航したが……三年前ようやく、赤い雨は人の死と繋がっていたと判明したのだ。しかしわかったところで雨は降る。恵みだったはずの雨は徐々に恐怖の対象となった」
人が亡くなって雨が降り……その雨がさらに命を奪う要因になる。酷い話ですわ――青ざめる心持ちで何も言えないでいる私に、ヴァーミナスは続けます。
「だからこそ、すぐに地上に宣戦布告したのだ。どんな形であれすぐに死者数を減らす必要があったからな」
確かに魔界から攻め込まれるとなっては、戦争どころではないと各国は防御に力を注ぐようになり、戦争は直ちに停戦の運びとなりました。私はずっとこの時の戦争を止められなくて心苦しく思っていましたわ。だからこそ、平和のために今度はと、魔界の入り口を突き止め魔王を討伐しようと決意したのですもの。
「では今の雨は?」
「安心しろ、連日ではない限りすぐに影響は出ない。今は月に二度ほどになったが、長期的に見るとまだ魔力量が多いのだ」
「そうですの。……つまり和平交渉は、雨をなんとかするためなんですのね?」
「ああ、戦で領土と奴隷を増やせるのが一番ではあったが、そうも言っていられなくなった」
「戦争で若者も減り、人口にも影響が出始めていますね。侵攻を続けて、兵が減り続ければ国力は失われるばかりですものね」
国を守るため。王がしなければいけない選択をヴァーミナスはしたに過ぎないのですね。ちらりとヴァーミナスを窺い見ると、薄い笑みが返って参りました。これは酷薄なものかと思っていましたけれど、もしかしていつもこうなのでしょうか?
「そうだ、理解して頂けたか? 現在魔族の支配下にある地上の都市は二つ、街が十に村が二十一あるのだが、都市以外の場所では友好的な関係を築いているものが多い。だったら和平を結んでしまった方が得策ではないかと考えた」
「なるほど……支配した後に取り返された場所が多いので、制圧に兵を大量に投入しても効率が悪い上に他の街の防御も手薄になるのですね」
地図上に書かれた地上の街や都市のいくつかには、私も行った覚えが……更に言うなら、勇者と共に戦った覚えがありました。くっ、今はイラついてる場合じゃありませんわ! わかっていても忌々しい……。
「一番は、戦争が長引くと結局人が多く死ぬということだろうか。流石に五年前ほど多くはないが、争いでやむなく血が流れるので、結局雨が降っている」
「それでは侵攻の意味がないですわね。……わかりましたわ! 人間界とディモルト界の和平のためにこのアントワーヌ、尽力させていただきますわ!」
という訳で、国を守る理由に納得した私は多分に魔族たちに同情してしまい、どうにかしてこの戦争を終結させようと奮起したのですわ。
あら、もちろん勇者は殺しますわよ♪
「では婚約及び、一時的な侵攻の停止を知らしめるとしようか?」
「ええ、ヴァーミナス。これからが本番です。きっと……存在までも侮辱してくれたあの勇者に、復讐を遂げてやりますわ。フフフ」
勇者を思い浮かべるほどに、憎しみが増していきますわ。――赦しませんわよ? 覚悟なさってくださいませ……!
「四日後に停戦を提案する予定でいる。そなたの衣装や演説の原稿などは今用意させているから、後で確認するように」
「心得ましてよ」
私は再び自室に転移すると、マスユを呼んでお茶の時間にすることにしました。復讐のプランをいくつか練っていますけれど、早々に使うことになりそうですわ。




