ゆるかげびぼーろく⑵ラバーズは誘い受け
前略、ラバーズと会うために影武者♂がジェイルスペースを頻繁に行き来するようになった。
「ラバーズさん!今暇ですか!バックでトゥーザでフューチャーな映画見つけたんで一緒に見るっすよ!あ、ポップコーンも持ってきたっす!」
そうはしゃぎながらやってきて私に微笑みかけてくれる貴方。
それがとても嬉しくて、たまらなくなってつい声が揺れてしまうの。
「しょ、承知…!」
My starと見る“えいが”の時間は新しい発見だらけでとても楽しくて、色んな場面が映る度にコロコロと変わる貴方の表情を、私はずっと見ていた………。
My starにこの身を抱いて欲しい…そんな気持ちばかりが募っていく。
私に触れても死なない不思議な彼。肉体、体液、粘膜……私を構成するすべてはウルトノイドすら死に至らしめる病魔なのに。
それでも………それでも貴方は、私の頭を、いっぱい、いっぱい撫でてくれた。
火照った顔から火が出てしまうかと思うほどに。
私は、力を持ちすぎたもの……秩序を破壊するもの……この世界に不要な存在を刈り取る者です。でも、今日という日を……貴方が私にしてくれた一つ一つを、ただの娘のように喜びたい、と……そう、思うの。
影武者♂とラバーズの間に置かれたキャラメルポップコーン。部屋に漂う甘い匂いに、ラバーズの視線が、じっと注がれていることに影武者♂は気づく。
「ラバーズさんポップコーンをお食べ。」
そう声をかけると、彼女は小さく、しかし嬉しそうにこくりと頷いた。
それは男として、あまりに無防備で不用意な行動。
彼女の全身が、触れた者すべてを蝕かす病魔であることを忘れたわけではない。だが、スラムで備わった絶対的な耐性(あるいは、生前からの懐かしさで映画に夢中になっていた気の緩みからでた無意識の行動)が、その手を動かさせた。
差し出されたキャラメルの甘い粒を前にして、ラバーズの長い睫毛が微かに揺れる。
彼女は愛おしそうに影武者♂に視線を這わせ、そっと両手を伸ばした。
ふわり、と。
羽毛よりも軽い、しかし確かな体温を持った彼女の小さな両手が、キャラメルポップコーンをつまむこちらの大きな手を包み込む。
ひんやりとした彼女の指先が肌に触れた瞬間、彼の心臓が跳ねた。
拒まない。逃げない。それどころか、影武者♂の手を自らの領域へと引き寄せるように。
「? なにして…」
ここで既に影武者♂の中で嫌な予感がしていた、だが時すでに遅し。
ラバーズはゆっくりと顔を近づけ、そして───。
「ん…っ」
ポップコーンだけでなく、それを摘んでいた影武者♂の指先ごと、その小さな口元で優しく咥え込んだ。
「ヒュっ」
影武者♂は一種の防衛本能から息が止まる。
唇の柔らかさ、熱。そして、口内の湿った粘膜が指先に触れる、あまりに扇情的で、密やかな感触。
病魔を恐れる脳の防衛本能よりも、指先から伝わる圧倒的な「他者の存在」に、頭の芯が痺れる。
彼女は逃がさないとばかりに、包み込んだ手にきゅっと微かな力を込めながら、指先に絡みつくようにして、ゆっくりとキャラメルポップコーンを口の中に誘い込んでいった。
じくじくと、甘いキャラメルの風味と、彼女の熱が指先で混ざり合う。
やがて、名残惜しそうに唇が離され、ぬるりと指先が解放された。
濡れた指先を見つめる影武者♂の視線に気づいているのか、いないのか。
ラバーズは、小さく咀嚼音を響かせたあと、 潤んだ瞳でじっとこちらを見上げてきた。
その頬は、夕焼けのような深い赤に染まっている。
「………美味しい?」
「……はい。とても、美味しいです。My star」
鈴を転がすような静かな声。
けれどその声音には、甘いキャラメルポップコーンへの感想だけでなく、影武者♂の「体温」をその身に宿したことに対する、仄暗いほどの悦びがたっぷりと含まれていた。
指先に残る熱と、彼女の吐息。
すると影武者♂は、
「そう、なら良かった。」
とだけ言って再び映画を見始めた。
そして何食わぬ顔でその指でキャラメルポップコーンを一粒口にする。
───あ、あれ?何も起こらない…
「やっぱり一緒に食べる方が美味しいね。」
「あっ、はい………」
ラバーズはポカンとなって二、三度瞬きして不思議そうに影武者♂を見つめてしばらく待ってみるが結局、彼は最後まで彼女に何もしてこなかった。
私がただ、そこにいるだけで男性は見惚れてしまうの、でも貴方は違うのかな?
いままで私が言い寄って何もしようとしなかった男性はいままで一人もいなかったのに………。
でも、諦めたくないのです…!今度こそ私を…!
My starが神妙な面持ちで息をついている。
私は自然な足取りで身を近寄くに寄せる。
「なになにどしたの?」
My starがそう声をかけてくださると、待っていましたとばかりに、私は彼に自分の身体をぐっと押し付けた。
「くっつくので失礼します。」
頬から胸、そして脚にかけて、自分の匂いを擦り付けるように何度もスリスリと体を寄せた。
ストレートな「大好き」のサインに、張り詰めていたMy starの表情が、一瞬で柔らかく解きほぐされていく。
「はいはい、可愛いやつだな」
その愛おしさに耐えかねて、影武者♂はそのまま手のひらを頭へと移動させ、後頭部から額にかけて、髪の毛並みに沿って優しく撫で上げた。
「えへへっ…」
影武者♂の手のひらに合わせて、ラバーズから頭をぐいぐいと押し付けていく。
その絶妙な押し返しの強さが、たまらなく愛おしい。
「よしよしよしよし」
すっかり目を閉じて、恍惚の表情を浮かべるラバーズ。完全に本来の目的を見失っている。
影武者♂が頭頂部のあたりを指の腹で優しくさすってあげると、ラバーズの小さな鼻から、「ぷすー」と満足そうな寝息のような音が漏れた。
ひとしきり撫で終え、満足したMy starが手を休めてしまって、思わず名残惜しそうな瞳で「もう終わり?」や「もっと」という抗議を込めて視線を向けるとMy starは微笑みながら私が満足するまで撫で続けてくれた。
───あ、…………
…本来の目的を思い出したのはMy starが既に帰ってしまってからだった。
数日の間、My starの手を握ってみたり膝の上で横になってみたりしてみたけれど同じ結果に終わってしまう。
ラバーズはとうとう唇を尖らせて不貞腐れてしまう。
しかしふと、自分は男性を誘うことはあっても強く攻めたことがあまりないのでは?と気付く。
いままでの経験が役に立たず熟考するラバーズ、しかし考えても考えてもあれもダメこれもダメ、結局方法はたった一つしか思い浮かばなかった。
───もう脱いで迫るしか………でも、もしそれで拒まれたら、私…っ
そんな矢先ジェイルスペースにMy starの気配を察知。
えっ、あ、あ、また遊びにきたきたのかな…?ど、どうしたらいいんでしょう………でも、後悔は、したく無い。その決意を胸にMy starの元へ向かい…血の気が、引く。
「……ッ」
まぶたがむくんで腫れ、目は真っ赤に充血していて目元にはクマまでできているし顔色はくすみまるで死体のように生気を失った影武者♂、その姿はラバーズによって病魔の苗床となった屍たちを喚起させた。
「ラバーズさん?どうかした?」
「ダメ!触れないで…ッ!!」
影武者♂が伸ばした手を後ろへ避けたラバーズの悲痛な叫び。
身体は小刻みに震え、その顔は恐れで歪んでいる。
「え?」
「あ、嗚呼…ああああああああああ、My starッ…My starごめ、ごめん…なさ__」
「ああコレ寝不足」
「………へ?」
きょとんとした顔でバッサリと言う影武者♂に恐れに支配されていたラバーズの頭を真っ白にした。
「今自分のせいだと思ったでしょ?ラバーズさんは優しいっすね〜、まぁそれはそうと…」
影武者♂は茫然自失しているラバーズの乱れた髪をチョイチョイと指で少し梳かして整えると、なにやら持ち込んで来た大きな紙袋に手を入れて取り出したのは、病魔の塊であるラバーズの全身を頭からつま先まで覆うための防護服だった。
しかし、そのデザインは通常の防護服とは似ても似つかずむしろかけ離れたデザインで、頭全体を覆うのはベールチュールのように。身体全体に纏うのは白いシースルーワンピースのよう。
一見スカスカに感じるがその隙間は数十ナノメートル(繊維が幾重にも折り重なっている)もないため菌やウイルスを絶対逃がさないかつ、通気性も高いためムレない。
今日は世間でいう特別な記念日でも、彼女の誕生日でもない。
ただ、影武者♂が「迂闊に外に出すと危険とはいえずっとあの場所(牢獄空間)に居させるのは流石にあんまりじゃあないのか? 」と、なんでもないことのように微笑んで贈ってくれたものだった。
目を輝かせながらそれを手に取ったラバーズは壊れ物を扱うように両手で包み込んだ。
「あの、これ…!」
生前の記憶でも、ウルトノイドとして生まれてからも、彼女に近づく者はみな、彼女を兵器として利用するか、あるいは恐怖して遠ざかるかのどちらかだった。
だが、目の前の影武者♂は違う。
ウルトノイドとしての固有能力、あるいは影武者♂自身の後天的な特異体質によって、彼女の病魔を完全に無効化し、こうして当たり前のように隣にいてくれる。
それだけでも奇跡のような日々の中に、さらに「贈り物」という、ただ純粋な好意だけが詰まったものが差し出されたのだ。
ジリジリと胸の奥が焦がれるように熱くなり、視界が滲んでいく。
連日の疲労がたたってテンションをおかしくしてしまった影武者♂だったが、この服を完成させたのがよほど嬉しかったのか若干上ずった声でラバーズに早口で語り始めた。
「ほら、ラバーズさんジェイルスペースから出れないでしょう?だからなんとか出来ないかと思って銅イオンを含ませた繊維と有機分子を結合させて保護膜を形成した布を使って作り始めたはいいものの、いや〜コレがなかなかデザイン部分が難しくって〜ファッション誌読みふけってようやく形になったんすよ〜でですよ!それインナーにもなるんで外でショッピングする時とか上から好きなお洋服好きなだけ着れるっ___」まるでそれが当たり前かのように接してくれる影武者♂を見た瞬間、彼女の胸にあったはずの思惑はあっけなく崩壊した。
「───っ、My star……っ!」
我慢できず、ラバーズは手の中の防護服を丁寧に置くと、そのままの勢いで影武者♂の胸に飛び込んだ。
細い腕が、影武者♂の背中にきつく回される。
「ぐぇっ!」
彼は少し息苦しそうだけど病魔を気にしなくていい相手だからこそ、その体温を、鼓動を、一秒でも長く、一枚の布の隙間もないほどに感じていたかった。
「あの、ラバーズ、さん……?」
驚いたMy starの手が、おろおろと私の背中に添えられる。
「嬉しい、です……胸が、こんなに焦がれて、熱くて、痛いのは初めてです……。ありがとうございます、My star私、この服を、大切にいたします!生涯……いえ、例えこの身が消えようとも永久に……っ!」
彼女の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ、影武者♂の肩口を濡らしていく。
「大げさっすねぇ…、まぁ喜んでるならそれで良いかな?(まだあと九着あることは今だけ黙っておこう……)。」
心配になるくらいあまりに一途で、あまりに愛おしい断罪者のぬくもりを抱きとめながら、影武者♂は少しただ優しく、彼女の背中を何度も撫で続けるのだった。




