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MERCY BOX  作者: 饗霞 累
3/5

episode3 海図と長電話 

 雨の中、人通りの少ない道路の脇に、廃れたアパートがひっそりと佇んでいた。


 軋む鉄骨を登る。ふと隣の部屋のドアを見る。何も書かれていない。塗装は剥げかかり、ふと下を見ると金属の文字の破片のようなものが落ちていた。


 そのまま視線を戻し鍵を開け、ドアノブを回す。


「……涼しくて良い」


 ドアの外に傘を適当に立てかけ、彼女は息をついた。


 男物のトレンチコートにワイシャツ、それらを適当に捲りあげた袖から覗く不釣り合いな白く細い腕。そこから伸びる長い指先が髪をかきあげる。


 第一ボタンをあけた、鎖骨がチラリと見える襟元を指先でつまみ、胸元をパタパタと仰ぐ。


 玄関に敷いた妙に安っぽいペラついたマットで底を擦る。紐は薄汚れ、履き潰されてくたびれたキャメル色のブーツの踵をカンカンと鳴らし、そのまま室内へ上がった。


 近くの受話器が置かれてるミニテーブルのランプを無視し、そのまま壁沿いのデスクに向かう。そして、暗闇に佇む分厚い黄ばんだPCの下の電源を指先が沈んで——離す。


 鈍い音を立てて画面が彼女の顔を照らし始めた時、上着を脱いで一歩大きく出るとそのままベッドへ放り投げた。


 そのままブランケットが何重にもかけられてるチェアへ身を預け、その不健康な光に顔を覗かせる。


 カチ、カチと音が鳴る度視線は様々な方向へ移りゆく。その瞳にはモニターの光が幾重にも映り込んではまた消え、現れる。


 少し鈍く軽いキーボードを叩く音が暗い室内へ響いていく。


 ブラウン管のモニターには、四角い小さなメモが画面を邪魔しない程度に何枚も、側面にも貼られていた。

 

 彼女の向かっているデスク、壁、かけられたコルクボード……そこらには、新聞の切り抜き、数多のメモ、書き込まれた地図、ピン、繋げられた紐。煙草の灰皿。


 そして——少年の顔写真、その上にボールペンで書かれたであろう、"MISSING"の文字。



 「違う…ッ、違う…違うんだ…」


 彼女はそのままキーボードに顔を埋めるように俯き、背中を丸めていく。髪の毛が顔をお覆い隠し、無機質なモニターは文字が埋まっていく。


 ただ、ただ、悲痛な声が広がっていく。

 


 ——ガタンッ


 硬く重いものが何か机から落ちていった。


 彼女はうつ伏せのまま起き上がる気配は無かった。


 落ちたものはひび割れた小さめのタブレット。チェアの、彼女の足の付近に転び落ちて行くと、そのままある映像を浮かばせた。人物は揺れ、画質も粗く、若干青みのかかった立体的な映像。それでも律儀に映し出していく。


 幼い少年が手を振る、それに対し何かを言っている女性の声、そして走り回る少年を追うようにしてカメラは動き、そしてある人物に抱きつく。抱きつかれた人物は長めの髪で隠れてはいるものの、そのまま少年の頭を撫で——映像は途切れた。



 ジリリリリリ


 突如電話ベルの音が部屋に響き渡る。一度は顔を上げるものの、眉をひそめ無視をする。そのまま、ガチャンという音ともにテープが巻かれ、ノイズ混じりに声が響いてくる。


『あ、あー。ハロー? おーい、アッシュ、無視は冷たくないか?まだゴーストじゃないだろ? それとも子猫ちゃんみたいにご主人様のお帰りを待ってたり?』


 暗闇に気怠げながら飄々とした声が響きたわる。


 アッシュはさらに眉をひそめる。わざとらしい甘い言葉を留守番電話で投げかけてくるあの顔が浮かぶが、ふいっと顔を背ける。しかし電話口のトムは知ってか知らずか愉快そうに意地悪そうに笑っては、その口は留まることを知らない。


『ハッハ、また俺、図星突いちまったかねぇ?あの劇薬、そんなに効いた?クラックラじゃねぇか。ったく、いつもそんな調子じゃ喩え話の在庫がすぐ尽きるなぁ。アッシュ。』


 受話器の向こうから雨、そして車の走る音が彼の低音とノイズに混じって聞こえる。


『ま、どうせお前のことだ、また影の名前と紙の足跡に埋もれてるんだろ?』


 一瞬の沈黙。


 電話の向こう、カチという金属音と何かを火で炙る音。トムが煙草に火をつけたのかもしれない。


 ふぅ、と遠くで彼の息が吹かれる。


『……どうせこうだろ―A’3号室、灯りはPCだけ、窓は開けるの忘れて上着は雑、コーヒー忘れて煙草は灰ってね。ミニシアターでしか上映されないかねぇ?』


 アッシュは窓に近付き、ブラインドを上げた。雨で水滴が流れては、真っ暗と小さな明かりが夜景を控えめに彩っている。暗い中にポツリと建つビルは、今はもう、闇に溶け込み鉄骨がある部分は剥き出しになっていた。


『たまに思うんだよ、お前があの店のバイト続けてるのって、“人が去ってく姿”を見ていたいだけなんじゃないかってさ。常連なんてほぼ飲みに来てるだけだし。今朝のコーヒーメーカーは珍しかったけど。

 ……アッシュ、お前とあの店って、似てるよな。ボロボロのくせに、潰れもせず、まだ開いてる。

 ……詩的でいいじゃないか。

 そういうのが好きなら。』



 冷たい窓に掌を合わせて、ボーッとアッシュは遠くを見つめる。遠くには数多の天まで届くビル群、上空を何かが飛んでいる景色、眩しい光が、霞む中でも鮮明にその存在を発している。そのまま視線を下ろし、先程落ちてしまったタブレットを拾い上げる。


「……15年」


 画面をスワイプし、先程の動画を開く。その横にある数字。


『ま、そんなわけで――ちょっと電話してみただけさ。少年の部屋の壁が、妄執の重みに耐えきれず崩れ落ちてないか心配になったってところ……かねぇ。

 ……それとさ。

 もし万が一、事件の真相にたどり着いて、ついでに正気を失うなんて結末が来たなら、遺書くらいは残してくれよ?

 お前さんお得意の皮肉交じりで、アッシュ……キミらしいやつを―できれば天国で読めるヤツ。』


 アッシュは電話の前に立っていた。肩をすくめると、スイッチを押し、そのままダイヤルに指を掛け、受話器を取る。その口元は、どこか——


「……気が済んだ?」


 電話の向こうで、トムが満足気に鼻で笑った。


「……まだ始まったばかりだが?」

 


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