File.2
御子神はきょとんとしていた。噂では紳士的だと聞いていたはずの男が、目の前で激怒しているから。それも、稚児が駄々をこねるよりも下らない理由で。
「その髪の乱れは何だと聞いてるのだ。貴様は髪に対して敬意がない。不快だ、許せるワケがないだろう。」
「あのー、できればそろそろ本題に入っていただけませんかね?」
和服姿に、とても整った髪型。人殺しに飢えたような顔は、殺しの権化である御子神を前にしても一恐怖に歪まず、むしろ怒りに満ち溢れている。御子神が必死に宥めようとするが、効果はない。
「私は神聖な話をしている。最近の人間どもはそういったモノをオカルト扱いしやがるがな、そもそも人間ごときが全ての現象を知ろうとすること自体烏滸がましい傲慢なのだ。理解出来ぬものはオカルトのレッテルを貼り、森羅万象を科学で解明しようなどという思い上がった考え……それこそ傲慢だと言っているのだ。貴様も人外であるならばそう思うだろう。ええ?よもや人間に寝返り日和見に徹しようなどと考えてはおらんだろうな?」
巷では紳士的な男性、という声ばかり。なのに実際はこの有り様。御子神を人外と見抜いたのは見事だが、それ以外の面で冷静さを欠いている。御子神は本当に彼が『青柳霊僧』なのか疑わしくなってきて、訊いた。
「青柳さん、ですよね?」
「───はい、そうですが……どうかしましたか?」
どういうわけか、御子神が名前を呼んだ途端、青柳霊僧は落ち着きを取り戻した。そう、この柔和な雰囲気。話に聞いていたのはこれ。オーラが先程とはまるで違う。全ての罪を許す神のようなオーラ。
「いえいえ、何でもありませんよ。それで、その、お話というのは?」
御子神は一瞬で髪型を整えて本題に入ろうとする。もし彼の怒りのトリガーが髪型であるなら、そうしておいた方が良い。この髪型には彼なりにこだわりがあったのだが、しばしの我慢。
「実は最近、私の店の周辺に異界生物が出るようになりましてね。ソイツらが人を食い荒らすのですよ。おかげで周辺は廃墟同然。酷いでしょう、人の商売の邪魔をするなんて、許せないでしょう。
私自身で駆除しようと思ったのですが、どういうわけか全く殺せないんです。
そこで、あなたにお願いしに来たということです。もちろんお代はいくらでも払いますよ。ええ、1ヶ月分の食費くらいなら屁でもありません。」
「やや、私の1ヶ月分の食費が500万くらいかかるなんてどこで知ったのですか?」
「いやいや、そこまで詳細に話していませんが。」
「左様ですか。」
依頼に際しての料金は、実は全て御子神がその場で決めている。それでも良いということで依頼しに来る客が殆どだが、まあ依頼が依頼なので、ある程度高値になるのは仕方がない。金さえ払えば異界の神であろうと上級の存在であろうと関係なく殺してしまう。そんな有能な殺し屋がいたら
「画面の前の貴方はどれくらいの金を用意しますかね。」
「画面の前?」
「あ、いえいえ。此方の話です。お構い無く。
それにしても死なないバケモノですか。ゴキブリみたいで気持ち悪いですなぁ。」
御子神は床に転がる死体を眺めながら唸る。不死者殺しなど、御子神にとって難しいことではない。数々の実績の裏には、努力もなければ葛藤もなく、ただ無難に依頼をこなしてきた過去があるだけ。普段は一般人を殺せる程度のパワーしか解放していないが、必要とあらばその無限の殺意を解放し、どんなものであろうと難なく殺してしまえる。
馬鹿でアホでマヌケ、無計画でだらしなく、信念も皆無に等しい残念な男だが、能力だけは誰にも負けないものを持っている。
正直、青柳には期待していた。にも拘わらず、彼が寄越してきたのはいつも通りのつまらない依頼。御子神は幻滅した。しかし、同時にある思いが彼の頭を過った。
「……是非、あなたを殺してみたい。」
「ん、それはどういうこ───」
御子神の手が弾け、無数の弾丸となって青柳を襲う。青柳は、冷静に溜め息をひとつ。ただそれだけで、全ての弾丸が地に伏せた。
「殺す方の魔術は不完全ですが、死なない魔術だけは誰にも負けない自身がありますよ。千年も二千年もかけて練り上げてきましたからね。」
「素晴らしいですな、この攻撃を防げたのは青柳さんが初めてですよ。やはり殺すに値する人間だ!」
御子神の声が歓喜で震えまくっている。だいぶ変態的な顔で気味が悪い。
「それっ。」
御子神は腕を触手のように変化させ、電撃を浴びせる。青柳はガクガクと痙攣しているかのような動きをしてみせるが、その顔はとても苦痛を感じている者の顔ではない。まるで哀れみすら感じているような、とても静かな表情。肉体にも傷ひとつつかない。
人体には抵抗というものがあるが、彼は少なくとも象が即死するレベルの電流を流した。
「確かに練り上げられてますな、相当。」
「お分かりいただけましたか?」
「ええ。ところでおかわりいただけますか?」
「依頼をこなしていただければ、ね。いやはや、あなたも大概恐ろしい。」
ここから先はお預けか。御子神はションボリしながら頷いた。正直、今の今までこんなに殺し甲斐のある人間はいなかったからだ。
デフォルトで死なない生物を殺すより、あの手この手で死なない方法を身につけた人間を殺す方が楽しい。
人間がどこまで死という理不尽に抗えるか。それを観察することこそ御子神にとっての最大の遊興なのである。
「いやー、異界生物ってのは何度見ても気色悪いですなあ。」
軽口を叩きながら、青柳の店の周辺を彷徨く異界生物達を片っ端から殺す御子神。時に一般人も巻き込みながら、血の海は少しずつ大きくなってゆく。それでも減らぬ異界生物。むしろ増えたくらいだ。ただ、御子神も考えなしに殺し続けているワケじゃない。
「あの女ほどの不死性はないが、ニオイはあの女と同じか。
青柳さんとは違う手法で不死へのアプローチを試みているようですな……。」
殺しながら、分析する。
先程青柳に襲いかかったのだって、飢えていたからというだけではない。『魔術』というもののサンプルを採取するというまあまあ大事な意味があったのである。勿論その過程で青柳が死ぬ可能性もあったが、その時は節約生活を送る覚悟を決めれば良いだけの話。
金欠は困るが、はやい話邪魔者を皆殺しにして略奪しまくれば良いのだ。次の日にはどうせどこからか見知らぬ人間が生えてきているのだから。
「んー、地下が怪しい。」
御子神は自らの肉体を砕けたアスファルトの隙間に溶け込ませ、地上から姿を消した。
かつて異界の扉が開いた時から、この街は現界の法則と異界の法則の狭間で揺らぎ続けている。現界の法則にしがみついていた人々も少しずつ慣れつつあるが、全ての法則が解明されたワケではない。
例えば、これは御子神すら今まで知らなかったことだが───
「地下にこんな景色が広がっていたなんて、いやあ素晴らしいですな。地球サイコー!」
歪な形をした巨大な樹木が無数に生えている。根本は霧のはるか下だろう。全く見えない。太陽の届かぬ世界でありながら、地上よりも明るい。だが、そこに広がっているものは青空ではなく、淡い紫とオレンジの虚空。
地下には、このような巨大な空間が広がっており、入り口も出口も存在しないため地上世界とは隔絶されてしまっている。と言っても御子神は特別だが。
「おやっ、これはこれは。」
樹木の表層をよく見てみると、それはドロドロに溶けた人間だった。ところどころの隙間に、クリスマスツリーの装飾のような感じで目玉が嵌め込まれている。ただ、葉の一枚もない枯れ木であるため見映えは悪い。
「奇妙、奇天烈、……ゴホン!ああ、歌いたくなりますなぁ。」
何を歌おうとしたのかは不明だが、気持ちは分からないこともないのではなかろうか。特に世代の方は。
「……魔術の痕跡……ああ、かわいそうに。この状態でまだ生きてるなんて。」
御子神は、悪趣味な人間ツリーから生命を感じ取り、嘆いた。そして同情の念を込めて腕を振るった。
その風圧は、蜘蛛の子を蹴散らすような勢いでツリーを分解する。皮、臓器、肉片、様々な物体を撒き散らしながら。
「キャー、スカートが捲れちゃう、風さんったら変態!」
ちなみに彼はスカートなど穿いていない。
ツリーの崩落を追うように急降下していく御子神。地面が見えてきた。コードのような、血管のような……得体の知れない管が張り巡らされていて、非常に気味が悪い。
そこで御子神の頭に浮かんできたのは『工場』という単語だった。これは恐らく、何かを作っている工場だ。そしてその『何か』の原料となっているのは人間。ツリーのように積み上げられているのは恐らく失敗作だろうか。
「まさか不死生物製造工場……とかいうワケじゃないでしょうな。」
「御名答だなぁ、御子神さん。」
「おや、私の名前を御存知とは。」
どこからともなく現れた白衣姿の男。御子神は特に吃驚するでもなく、フレンドリーに接する。
「君のことを知らぬ人間はこの街にいないだろう。いたとすれば万死に値する無礼者だ。ところで、こんな場所に君ほどの者が何の用だね?」
「工場見学中でしてねー、はしゃいでたらオブジェクトがぶっ壊れちゃったんですよ。」
「おやおや、何ということを。弁償してもらおうか。」
「生憎私、貧乏でして。」
御子神は懐が空っぽであると言わんばかりに、スーツのポケットを引っ張る。計画性のない大胆すぎる散財は彼の専売特許のようなものである。とは言え、他に娯楽がないのだから仕方ないのだが。
「証拠を隠滅します。」
「させな───ッ!?」
白衣の男は何かしようとしたのだろうが、次の瞬間には既に敗北していた。瞬く間もなく、反応する暇もなく。
「───ど、どういうことだ、これは!なぜ、正しき道を歩む私が負けている……なぜ、侵入者である貴様が笑っている……!?こんな不条理が許されてなるものか……世界は正しき者の味方であるべきなのだ!」
「上で暴れまわってるのは失敗作ですな?」
「フン、それも御名答だ!先日創劉会系暴力団の事務所に現れた二体の不死生物は完成体だった!一体は薬物による不死化!もう一体はその個体からの感染!市販の飲み物に一滴クスリを混入するだけで複数の不死生物が完成するというわけだ!
そうして感染を続けていけば、いずれこの不良品量産工場は役目を終える!私は晴れて激務から解放されるのさ!」
「その完成体とやらは呆気なく私の餌になりましたけど、今どんな気持ちですか?」
「何……っ!?」
「今ここで『激務』から解放させてあげますよ。」
御子神は優しく微笑みながら、白衣の男の肉体をバラバラに引き裂いた。それとほぼ同時に、大きな揺れ。地震とかではなく、何かの力によって無理矢理揺らされているような感じだ。
「ヌシが死んだら工場もろとも木っ端微塵ですか、金持ちのやることは大胆で羨ましいですな。」
御子神の腕が翼のように変化し、光をはるか越える速度で飛翔。
無様を晒した主人もろとも消えゆく工場。そんな感動的な場面に上っ面の涙を流しながら、御子神は工場から脱出するのだ。彼の心境は筆舌に尽くし難いものだろう。
「……という経緯でしてね。一応、依頼は解決したということでよろしいですかな?」
「むう、多少気になる点はありますが……それはまた私の手に負えなくなった時に。」
「では報酬を。」
「ええ、ええ、今払いますよ。」
「それっ。」
御子神の髪が巨大な狼のように変化し、青柳の上半身を一瞬にして呑み込んでしまった。
「あなた、ケチだという噂ですからね。有り金は全部いただきますよ。たまには贅沢したいですし。」
気分次第で依頼人を殺して財布を奪う。御子神はそういう男なのである。