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Fire.1

今にも事切れそうなエレベーターに乗り、周囲を黙って見回す一人の男。一人しか乗っていないというのに、定員オーバーのベルがチリンチリンと鳴っている。

「……大丈夫なのか、これは?」

誰も答えてはくれない。エレベーターの中には不安を煽る要素ばかりだ。男の目的は13階。今は4階。15分経ってようやく4階。果たして13階に着くまでにどれだけの時間がかかるのだろうか。否、どれだけ時間がかかっても、最終的に至るべき場所に至りさえすれば問題はない。だが、この様子だと途中で止まってしまうのではないか。それだけが心配だ。

薄汚いビルには人の気配が全くなく、実際このエレベーターを使おうとする者は15分の間に誰もいなかった。ひたすら、割れた窓から入り込む嫌な風を感じ続けるだけだ。それでも彼は13階を目指す。

このまま13階までは何の変哲もない景色が続くのだろうという男の予想は、容易く打ち砕かれた。5階の様子が見えるようになり、男は後退りする。そこには、無数の死体が転がっていたからだ。どの死体も頑なに背中を抉られて死んでいるので、恐らく同一犯の可能性が高い。

4階までは、本当に何もなかった。なのに5階になった途端これだ。正直景色に見飽きてイライラしはじめていた頃だったのだが、だからといってこんなモノを見たかったワケではない。男は更に後退りして、吐き気と格闘する。

「だ、誰、だ、こんなに散らかして……!」

男が震えていると、死体まみれの廊下に更に死体が2、3体増えた。衝撃の瞬間に、言葉を失う男。

「……んー、これはこれは。」

突如、エレベーターの動きが止まる。ついに止まったか。いいや、そんなことよりこれは誰の声だ?ここの住民か?男は自分がこの山の一部になることを想像しないように努めながら廊下を見渡す。すると、ある一点で目が動かなくなった。動かせなくなった。

「おお、来客ですかな?」

そこには、黒いスーツに身を包んだ面妖な青年が浮いていた。

「あだ、ぁひ……わ、ぁぁ!」

奇妙な存在に話しかけられ、男は露骨にたじろぐ。しかしすぐに冷静になって事を理解する。来客という表現を用いたことは、彼がそうなのだろう、と。

「お、『お掃除屋』というのは、あなたのことですね?」

こちらの反応が面白いのか、青年はアホみたいに笑いながら答えた。

「イヒヒ、如何にも如何にも。ウヒヒ。」

「しかし驚きました、これ全部アナタが殺したんですか……?」

「ええ、そうです。部屋の死体が多くなってきたので、捨ててるんですよ。腐ると非常にくせえですからねえ。私、嗅覚が鋭いんですよ。釘の先端くらい鋭いんですよ。分かります?釘。呪いとかで使うやつ。」

死体。死体。孤独死した叔父のことを思い出す。あれは酷かった。皮膚も肉も腐り落ち、ウジが集り、まるで生前の面影を必死にかき消しているようだった。あんな風にだけは死にたくないと、今でも思う。

「まあ、立ち話もアレですから、事務所へどうぞ。私に捕まってれば一瞬ですよ。」

男は、ぶるんぶるんと首を横に振る。ナイフを持った男に助けを求めるより明確な生命の危機。5階から13階までひとっとび……という魅力的な面だけを見れば首を縦に振りたくもなるが、こんな胡散臭い青年に命を預けるのは些か不安なものである。青年はそのウブな反応が面白いのか、けたけたと笑いながら詰め寄ってきた。5メートルはあろうに、たったの一瞬。

距離が近くなったことにより、顔立ちがはっきりと分かるようになった。男にも女にも見える中性的な外見。肌は牛乳のように真っ白く、瞳は夕焼けのように赤い。髪は長く、もう何年も切っていないようで、とても乱れている。身長はおよそ190センチほどで、少々心配になるほどスリム。スーツはシワだらけ。怪人のような姿をした青年は、体の芯に刺さるような低い声で男に語りかけた。

「それじゃ、この箱ごと移動しましょう。」

「は?」

「そいやっ!」

男の理解も追いつかぬうちに、青年はエレベーターの扉を凄まじい勢いで蹴り上げた。瞬間、襲いかかる凄まじい重力。

「ああああああああ助けてくれえええええええええッ!!」

いい歳こいた男の情けない絶叫と共に、エレベーターは急上昇した。




「あの古いエレベーターを使うなんて、世の中にはとんだ物好きがいたもんですね。ウヒヒ。」

「何を言うんですか、他に移動手段があるわけでもなしに。大体あんなエレベーター、迅速に撤去すべきでしょう。エレベーターとしての役目をなしてないじゃないですか。」

「やーですね、時間に余裕がない人間は出世できませんよ。」

青年は相変わらずけたけた笑い転げている。それに対して、天井に突き刺さったエレベーターから何とか救出された男はとても不機嫌そうな顔だ。

エレベーターは握り締めたティッシュペーパーのようにくしゃくしゃ。生きて脱出出来ただけでも奇跡だろう。でもそうなった原因は100%この青年にあるのではないか。そう考えるとモヤモヤする。

「さて、申し遅れました。私は御子神凶慈。お掃除屋をやっております。名刺は追加料金ですが、どーしますか?」

「いや、そんなの聞いたことありませんけど。要りません。私は凍島鉄。日没誌社でライターをやっている者です。」

「凍島さん、これは新しい試みですよ。いつまでも常識に囚われてちゃダメダメってなワケです。オーケイ?」

エレベーターでの出来事で疲れきったところに、意味不明なノリが畳み掛けてくる。様々な負の感情が一気に破裂しそうだ。

「で、依頼というのは?」

「……私の妻が消えました。昨日までは何もなかったんです。なのに、突然いなくなってしまって……。

アイツ、浮気性なんでね、きっと他の男と一緒にいるんでしょう。その男を掃除してしまってください。」

男はスーツの胸ポケットから写真を取り出して御子神に渡す。先程の騒動のせいで写真までくしゃくしゃになってしまっている。だがまあ、幸いにも妻の顔はハッキリ見えているので問題はないだろう。

「なるほど、そりゃ結構高くつきますよ。」

「いくらでも払います。問題ありません。」

そう言って男が取り出したのは、札束、札束、札束。1000万は下らないだろう。

「あはっ、この半分もあれば結構です。1ヶ月分くらいの食費にはなるでしょう。」

1ヶ月の食費だけで500万とはどういうことだ。そんな贅沢をする前に、身辺を何とかした方が良いと思うのだが……。男はあえて突っ込まないことにした。

貧相なようで贅沢。しかし服装はだらしなく、部屋も汚い。先程まで死体だらけだったためなのか、ニオイもキツい。『お掃除屋』なのに自分の身の周りは散らかり放題ではないか。

「そう言えばさっき、死体を捨ててると言ってましたね。このビルは5階がゴミ捨て場なのですか?」

「そうですね。4階にミューゾという異界由来の生物が住んでまして。ミューゾの好物は人間の死体なんですよ。

4階に住んでるのに何で5階なの?って思いました?思いましたよね?ね?」

「ええ……まあ。」

いいえ、なんて答えたら多分殺されてしまうので、とりあえず頷いておく。死体に関する話なのに、御子神の目はキラキラ輝いている。まるで子供みたいな、純粋な輝きだ。

「ミューゾは背が高いので、頭が5階部分まで突き抜けちゃってるんですよ。ま、ど根性ミューゾってヤツですかね。

明日の朝にはあの廊下も綺麗になってることでしょう。いやはや、自分の身のまわりの掃除となるとやる気が出なくなるんですよねえ。お金入りませんからね。」

「……。」

男がしばし絶句していると、御子神は何かを思い出したように手を叩いてみせた。

「そうそう、その奥さんって本当に何の前触れもなくいなくなったんですか?」

「それはどういう……。」

「例えばニオイですよ。些細なことでも何でも、とにかく何もなかったなんてことはないでしょう。

くせえ……とか、逆にクンカクンカしたくなるほど良いニオイだったとか。」

「少なくとも私は何もなかったという認識ですよ。ニオイだって別に。」

「ふうん。あなたが鼻詰まりでないことを祈ります。」

「とにかくお願いですからね、頼みましたよ。」

「ええ、食費のためなら身売り以外何でもやってみせますとも。ウヒヒ。あはは、あはははは!」

御子神は反応に困るセリフを残して消えた。この街に引っ越して来てから異常なものばかりを目にしてきたが、彼はずば抜けて異常だ。男は一抹の不安を抱えながら事務所を去───れない。

何事かと思い、足元を見る。すると、なんということでしょう、足にヒモがくくりつけられているではありませんか。

「……ん、引っ張られ……うわあああああ!?」

男、凍島。この歳にして、初体験ばかりである。




御子神が飛んだり跳ねたり回ったりする度に、通行人達が潰れてゆく。数十人だろうと数百人だろうと、御子神は自分の手にかけた者の顔を瞬時に判別できる。写真の女をうっかり見落とすなんてことは多分ない。

「目指せストライク!」

高層ビル。50トン級の特殊戦術車両。重いものを片っ端から持ち上げて、逃げ惑う人々に投げつける。数人が運良く回避したのを見て露骨にムッとする御子神。

この街の住人はただの人間だけではない。光が1m進む間に国家ひとつを壊滅させるようなバケモノがそこら中をうろついているのだ。そんな状態で街として成立し続けているのは、奇跡と呼ぶほかにない。

「ピンが逃げるボーリングなんて前代未聞ですよ!ああ、このイライラをどこにぶつけてやりましょうかねー!」




「なあ、最高だろ?そこらの男と一緒にいても、こんな気分は味わえない。」

屈強な体に似つかわしくない甘いマスクの男が、隣に立つ女に語りかける。女は無言だが、男の発言に概ね同意しているようだ。

男は死体を摘まんで血を啜り、摘まんで血を啜りの繰り返し。余程美味いのか、重装甲の警官に囲まれていてもお構い無し。

とあるヤクザ事務所の一室で繰り広げられているこの戦い。何を期待しているのか、マスコミの小型浮遊カメラが何百台もスタンバイしている。

「おいお前ら、動くな。人外に人権はねえ。人外だからな。動いたらブチ殺すぞ。」

柄の悪いサングラスの男がメガホンを使って二人に呼び掛ける。彼は刑事だ。この街の治安を守る刑事だ。男はそれでも止まる素振りなど見せず、何食わぬ顔で『食事』を続ける。女はただただ棒立ちしているだけ。刑事は上等だと言わんばかりに銃を構え、二人が重なり合った瞬間に発砲する。女も共犯だと踏んでの発砲であり、万が一脅されて傍にいるだけの一般市民だとしても揉み消してしまえば問題はない。そこにいた方が悪いのだ。

弾丸の動きは誰の肉眼でも捉えることが出来ず、しかし次の瞬間、男の手中で粉々になっていた。

「……なあ刑事さん、邪魔は良くねえ。物事には優先順位ってものがあるんだ。

例えばパソコンに保存してあるエロ画像で一発抜いてから昼寝をする、とかな。昼寝を先にしちまうと調子が狂うんだよ。もうエロ画像とかどうでも良いわぁ……ってなるんだよ。分かるか?

もう人間時代のことなんてほとんど忘れちまったけど、優先順位ってのは全生物に共通してッからな。

まあとにかく、俺は今この女と楽しい時間を過ごしてたワケだ。それより優先すべきものなんて、この世には存在しねえよな?」

男はゆっくりとした口調で諭すように語った。だが刑事は恐らく真面目に聴いていない。鼻くそをほじりながら、右から左。

「で、お前はここの元組員だったよな?組を裏切るために人外になったってワケか?この街じゃ随分ありふれた話だな、新聞にも載りゃしない、クソありふれたお話だわ。」

「とんでもねえ。俺ァ気が付けばこうなってただけだ。飛び降りても死なねえ。異界生物どもは瞬殺。そんだけの力がありゃ、イキったおっさんどもの後ろでヒツジよろしく震える必要はねえだろ?つまり俺は『完成した生物』になったんだ。お前らもなりてえよな?」

「ああ、俺だってなりてえさ。けどな、今はマスコミのカメラがあるから仕事サボれねえんだよ。金がねえと飢えも凌げねえ。不老不死になっても飢え続けてるようじゃアホくせえだろ。」

「マスコミ、ねえ。だったらこいつはエンターテイメントに昇華してやらなきゃな。」

男はそのセリフと共に刑事達の視界から消えた。隣にいた女だけが、目で何かを追っている。あの弾丸を掴んでしまうバケモノのことだ。油断していれば全滅確定。刑事は仕方なく、効かないことが判明したばかりの銃を構える。

「遅ェーーーよ。」

男が突然目の前に現れ、銃を粉砕。続けざまに刑事の両腕と右足を切断してみせた。本当は造作もなく心臓を穿って殺すことも可能だが、あえて力の差を弁えさせてやったのだろう。これだけの力があれば、人間ごときはいつでも潰せる。それが嫌ならば、大人しく従うしかない。

「チッ……強すぎンだろ、いまどきエロ画像なんかで抜いてる変態のくせによ。俺は動画派だぞ。」

刑事は愚痴を漏らす。過去にも何度か四肢を欠損したことがあるらしく、その度にくっつけているのだとか。しかし、いくらくっつくと分かっていてもやはり切断の瞬間は激痛が走るものだ。

大体、どれだけ強い武装で身を固めても本体はただの人間なのだから、そこを考慮してほしいものである。

「フィジカルからしてお前らに勝ち目はねえ。分かるよな、人間。お前らが百万回死んでる間に、俺達は一度も死んでねえってことだ。」

「ンなこと、今更聞きたくもねえな。」

「安心しろ、野郎の苦悶の顔で興奮するほど落ちぶれちゃいねえ。すぐに死なせてやるよ。」

刑事にトドメの一撃を食らわそうとする男。だが次の瞬間、男は八つ裂きにされた。更には、刑事を助けようとしていた周囲の警官達まで木っ端微塵。一瞬にして複数の命が消失した。

「死にたくないヤツは離れろー!なんて、言うのが遅すぎますかね。」

「……ああ、まーた変なのが出てきやがった。畜生、だるいわ。」

四肢を失ったにもかかわらず軽口を叩く刑事。やって来たのは御子神凶慈、そう、我々のヒーローだ。御子神は刑事との面識はないが、友達のような感覚で語りかける。

「えっと……欠損フェチのお方?」

「ンなワケあるか、殺人フェチ野郎。何してくれちゃってんのお前。俺の部下まで殺しやがって。」

「じゃあ、あそこに立ってる女性の仕業ですかな?」

「さっきお前が八つ裂きにした男の仕業だ。どうやら絶賛再生中らしいがな。ああくそ、痛え。救急車呼んでくれ。女にやられた傷なら一生残すけどなあ、男にやられたんじゃ思い出にもならねえよ。」

御子神は細切れ状態から再生中の男と棒立ち女を何度か見比べて、ハッとする。

「ややや、見落とさなくて良かった。」

「見落とすって何の話だよ、はやく救急車呼んでくれ。携帯に手が届かねえんだよ。おい。」

「凍島さんからの依頼であなたをお掃除しに来ました。私は御子神凶慈。死ぬまで覚えておいてください。」

「おい無視すんな。これ死ぬって。マジで。あー死ぬなーって感じの痛みが……なあ、聞いてんのかお前。」

御子神はもう刑事の言うことなど聞いていない。というか、彼の生死には興味がない。何度も何度も死にかけて、死への恐怖が極端に薄れているように感じられるからだ。

「ぜーんぜん喋りませんけど、お耳とお口はついてますよね?ハリボテじゃねえですよね?」

やれやれと肩をすくめる御子神。その肩から無数の腕が伸びて、女を叩き潰そうとする。女は咄嗟に回避し、御子神めがけて高圧のレーザーのようなものを射出。一本だけではなく無数に分岐したそれは、まるで生きているように自由自在に地を這った。

「あらま、奥さん人間やめちゃったんですか?それは実に勿体無い。」

女を仕留められなかった無数の腕が収束し、理不尽なパワーで建物をまるごと押し潰す。コンクリートやら鉄骨やらが砕け散り、瓦礫が舞う。刑事はきっと死んでるだろうが、どうでも良い。女の隣にいた男の肉片が魚群のように踊る。

超光速で瓦礫やアスファルトの欠片に飛び移りながら御子神へと接近してくる女。御子神はその勢いを殺ぐように、一際大きな瓦礫を蹴り飛ばす。瓦礫は女の視認速度をはるかに凌駕するスピードで飛来し、女に激突した。

御子神は、殺しを実感するために武器を使わないという信条を掲げている。その掟を破ったのは今回が初めてだ。つい、と言うか、昨日サッカーを観たせいだろう。彼にとって信条とはその程度のものだ。

「人間卒業おめでとうございます。ソイツは卒業証書ってことで。」

瓦礫はそのまま交差点に墜落し、女は道路と瓦礫に挟まれて沈黙した。そして、ああ、何と愚かなことだろう。通行人達がその様子を見にやって来た。

「あーあ、揃いも揃って何やってんでしょうかね。」

次の瞬間には、通行人達はバラバラ。その血を吸い上げ、妖艶に笑う女。しかし相変わらず言葉は発しない。

「一体何ですか?まさか伝承に登場する吸血鬼の類いとか。」

この極端な不死性。吸血行動。そして病的なまでに白い肌。深紅の瞳。そのどれも、伝説上の存在である吸血鬼の特徴と酷似している。これまで殺してきた不死生物とは比べ物にならない程のタフネスだ。

「序盤からこれですか。」

序盤という言葉が何を表しているのか、それはイマイチ分からない。まあまあ、それは、どうでも良いことである。

「こんなもん量産してたら地球が崩壊しますな。しかし、私にとっては赤子同然。」

御子神は苦笑しながら腕を獣のように変形させ、女を食らう。生きとし生ける者全てに破滅をもたらす死神の如き力。

女を食らった獣はそのまま御子神の腕に溶け込み、その場に静寂をもたらす。あれ、そう言えば依頼主はどうなったのだろう。確実に報酬を払わせるため、ヒモにくくりつけて連れて来た筈なのだが。

「……あ、死んでる。」

残念、依頼主の凍島は壁のシミになってしまっていた。つまり報酬は貰えない。

御子神は今後しばらく空腹に悶えなければならない現実と向き合いながら、フラフラとその場を去っていった。

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