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わたしのものがたり

作者: 環 円

 物語を読む、雑誌に載った絵柄や写真を見て楽しむ。それらはとてもありふれた日常のひとこまだ。

 昨今、インターネットが普及しスマホでも閲覧できるようになってから無料で小説が読めるサイトがいくつもできた。素人が書いたもの、とはおもえない質の良い物語も数多く投稿されている。

 千代もそんな小説ウェブサイトの愛好者だ。

 毎日更新されるものにチェックを入れ、電車の中で見ている。

 学校にスマホを持ってくるのは禁止されてはいないが、毎朝、朝礼の時に担任が持ってくる袋の中にいれなければならなかった。誰かがなにかをしたのだろう。学校側が携帯預かりの必要を断じ、執り行なわれている。


 「なんで渡さなきゃならないのだろう」

 「嫌だよねぇ。規則だからってさ」

 「生徒の意志も尊重してほしいよねー」


 この高校に入学してから一年が経ち、進級し新しいクラスになった。昨年もこの桜が咲く季節に聞いたような気がする言葉が飛び交う。一年間毎日繰り返した行動のため携帯を教卓に持っていくのにも慣れた千代にとって、クラスメイトたちが言う不満がいまいちわからないでいた。携帯が無いと落ち着かない、らしい。

 実際、先生に渡さず隠し持っている生徒は多かった。その理由を聞けば、付き合っている相手から送られてくるメール。手持ち無沙汰の時にする可愛い絵柄のパズルゲーム。SNSのメッセージアプリなどなど。どうしても手放せないという。

 

 千代はそんなクラスメイトたちを見てとても忙しそうだとおもう。やることが多過ぎて、時間に追われている。わざとそうしているのか、無意識なのかは人それぞれだろう。けれど、まるでジャンガリアンハムスタのようだとおもってしまった。ゲージの中でせわしなく動き続ける可愛らしいねずみは、からからと回る車が大好きだ。絶えず動き回っていないと落ち着かないのか、あっちでうろうろ、こっちでうろうろとせわしない。

 その点、千代はのんびりとしていた。動物に例えるなら、ナマケモノだろうか。ぼーっとするのが好きで、雲を眺めているだけで時間を忘れる。授業の合間に空を見ているとあっという間に次の授業が始まるのだ。

 千代は現代国語の教科書を机の中におさめ、ハンカチだけを持ってトイレに行き、廊下の踊り場で行き交う人の波を見ていた。


 たった十分しか休憩時間がないのに、群れるのはなぜなのだろう。

 あちこちの教室から集まってくる女の子たちを見て、千代はいつも不思議におもう。


 友達は、居る。

 多くは無いが数人、同じ中学だった子がひとりと、去年クラスが一緒になり仲良くなった子が幾人か。

 漫画や小説のような、親友……、というにはまだ、どうだろうと首をかしげてしまうが、孤立しているつもりはない。たぶん、おそらく。


 けれど、と千代はおもう。ひとりでいることが苦ではないのだ。

 特別な家庭環境があるわけではない。家に帰れば母が、そして会社勤めの父がいる。兄妹はふたりだ。大学に通う兄と年の離れた妹。妹は少女コミックや週間少年誌を読みながら奇声を上げているが、パソコンに向かってマジで、とか、うがーやられた、などと叫んでいる兄も兄なので同類だろう。


 千代が兄や妹のような状態に陥るのは、面白い物語を見つけたときだ。本になっているものならば持ち歩きながらお気に入りの章を何度も読み返し、ネット小説であれば電車の行き帰りや寝る前に更新されていた物語を読み、どきどきしながら次話を待つ。その間、いろんなことを思い描くのだ。

 恋愛がテーマにある物語ならば再会したふたりの会話を。友好的な場合と、つんけんした場合、それとも両者が気まずくて、もしくは恥ずかしくて見つめあったまま顔を真っ赤にさせてしまうのか、と。冒険ものならば、ドラゴンと出会い、戦闘となってしまった後の次話を待っているものがある。崖下に落ちてしまった仲間をどうやって助け出すのか、知恵を絞り勇気を奮い立たせる様を想像してわくわくとする。


 しかし千代は紙の本が一番好きだった。本は千代にとって潤いだ。どんなにつらく悲しいことがあっても、立ち直ることができた。なぜなら物語は登場する人物たちの生き様が描かれているからだ。現実と想像は違う。けれど読んだどれもに小さな光があった。彼や彼女は、こうして困難を乗り切った。ならばもし、千代が同じ状況になったとき、取ることのできる手段や方法は違うかもしれないが、やって出来ないことはないと。出てくる人物に己を投影し疑似体験をすることでくじけそうになっている心に、まだ大丈夫、まだいける、やれると元気や勇気がもらえるのだ。


 ひとつの綴じられた紙の中に壮大な物語が詰まっている。続き物であっても、起承転結がきっちりとまとめられており、読んだ後の満足感はなにものにもかえがたい。

 心躍る場面がある文庫は何度読んでも面白く読み返したくなる。


 昔、テレビで放映されていたアニメのなかに入りたいと願ったことがある。

 空を飛ぶアニメだった。鳥のように大空を羽ばたく。魔法という力によって空中を遊覧していた。

 けれどそれはテレビの中だけの話だ。現実的ではない。もしテレビの中と同じようなことをしようものなら、精神科の受診を遠まわしに勧められるだろう。その前に命が危ない。危険である。

 けれど千代は幼い頃、祖母の家に植わっていた柿の木に登り、口上を叫びながらジャンプしたという笑いぐさを持っていた。長期休暇で家族と田舎に戻った時、おじやおばから柿の木を眺めながらいつも言われる。あの時は飛べるとおもっていたし、なりきっていたのだ。

 幼い頃の恥ずかしい思い出をそろそろ思い出さないでいてほしいものなのだが、田舎ではそうはいかないらしい。


 千代は窓を隔てて空を見上げる。四角く区切られた青い空はどことなしか澄んでいるようにおもえた。

 こういう空の日には、もこもことした雲の合間を龍が飛んでいるのかもしれない。昔話に語られる龍は、水を司っていることが多いからだ。


 「笹森、丁度いいところに来たな」


 楽しそうだな、何かいいことがあったのか。

 名前を呼ばれ、ふとそちらを向くと担任の先生が丸めた紙を手に持っていた。

 いいこと、といえばもしかしたら龍が見られるかな、と少しばかり心ときめいたことだろうか。あるわけがない、なんておもいたくなかった。現実逃避ではなく、悪魔の証明である。


 「先生、それなんですか」

 「図書室前の掲示板に張るポスターなんだけどな。司書の東先生に持っていってくれるか」


 ちらり、と千代は腕時計を見る。

 携帯電話が普及した昨今、腕時計を付けている生徒は珍しくなっていた。

 昼休みが終わるまで残り十五分ほど。図書室は一階の東校舎だ。千代のクラスがあるのは東の3階、いつもどおりならば非常階段のドアも開いているだろう。

 

 「いいですよ」

 「助かる、じゃあ頼んだ」


 はい、と返事をしたときにはすでに担任は小走りで職員室に向かっていた。

 生徒もいろいろ忙しいが、先生たちもなかなかに忙しいらしい。

 千代は階段を下り図書室に向かう。そして閉める作業をしていた顔見知りの図書委員に声をかけ、ポスターのことを話すと。司書の先生は研修会だとかで今日はいないのだという。


 「またあの先生、ずぼらしてぇ。わたしらには請け負ったならちゃんと役目を果たすようにっていうくせに、大人ってずるいわー」

 

 2枚あるうちのひとつを手伝ってくれながら、その子は言った。

 千代はそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。言葉にはせず、曖昧に笑んで発言を避ける。ひとそれぞれによって感じ方は違うし、口に出して話していることだけが真実ではない、とおもっていたからだ。感情を素直に、言葉にできるのは子供の特権だ。大人になればなるほど、ぽろりとこぼしたつぶやきが大変な物事を呼び寄せてしまうこともある。


 そして黙々とポスターをはった。押しピンに力を込めながら描かれている文字を追う。

 『文学フリマ短編小説賞』


 おもわず千代は首を傾げる。そのとき、チャイムが鳴った。

 もう少しちゃんと見たかったな、というのが本音だ。

 あー、もう鍵、職員室にもっていかなきゃならないのに。その子はじゃあね、と手を上げて走ってゆく。千代も五限目の先生が来る前に教室に飛び込むため非常階段を駆け上がった。


 ***


 数日後、千代は再び図書室の掲示板前にいた。

 ポスターをはった日の放課後に寄ろうとおもっていたのだが、返してもらった携帯をぽちぽちと操作すれば、更新が長らく止まっていたファンタジーものに大量更新が掛かっていたのだ。おおっ、とおもわず携帯を握り締め歓喜の声を上げそうになった。いいところで終わっていたのだ。さっそく読まねば。と、その前に妹から頼まれていたクッキーを買って帰らねばならない。


 ポスターのことは気になったが、明日でもいいか、と家路につく。

 そしてその翌日、母からの頼みで学校帰りに買い物をしなければならなくなった。どうしても仕事が十六時に終われそうにないのだという。帰宅部である千代は頷きお金を受け取った。たまにあるのだ、母の残業が。その時は千代が晩御飯を作るのだ。メニューはほとんどカレーやシチューという、兄に言わせれば手抜きであるが、それならば作ってみろと千代はいつもおもう。が、実際に兄に作ってもらうわけにはいかなかった、なぜなら兄は食べ物に関わるとかなりまずいものを作成してしまうのだ。母からは台所への侵入禁止を言い渡されているし、試しにホットケーキを焼いてもらったことのある妹は真っ黒に炭化した実物を見てからはなにも言わなくなった。だから千代は言うのだ。『食べていただかなくて結構です』と。

 しかし人間、何をせずとも腹は減る。バイトをしている兄であるが最近は彼女に貢いで切迫しているらしく、食べに行ってくる、とは言わなくなった。


 そして土曜日、日曜日の両日は学校自体が休みである。

 明けて月曜日の放課後、図書館で借りていた本を手に千代はようやくポスターの前にたどり着くことが出来たのだ。

 長い道のりだった。おもわず額を拭ってしまう。


 そしてそのポスターにあったのは「文学フリマ」という文学作品の展示即売会の提示だった。

 「既存の文壇や、文芸誌の枠にとらわれず文学を発表できる場の提供、か」


 読み進めるとプロアマ問わぬ出品が可能で、作者自身が出展者となり、これこそがわたしの中の文学だ! という作品を販売することが出来るという。

 妹がよく夏の聖戦! いってきます! と早朝に飛び出していくあれとはまた違うものなのかとおもいつつ、千代は文字を目で追った。


 見に行ってみるのもいいかもしれない。

 『本』はプロの作品だ。売り出されるだけの品質を持っている。そして『ネット小説』はアマチュアの作品である。無料で読めるという手軽さがあるものの、作者によって好みが分かれる。

 その両者が集う、文字の祭典。なにを文学と定義しているのか、ひとそれぞれ違うだろう。

 千代は単純に素敵だな、いいな、とおもった。


 どうせなら参加する側に回ってみたい。

 けれど。やり方が、わからない。

 でも、やってみたいとおもっている。


 今までずっと受け取る側だった。物語は楽しい。読んでいると時間を忘れてしまう。

 もしそんな物語を自分でも書くことができるならば。一度だけでも、書いてみたい。

 妹に、聞いてみようかな。千代はそんなことをおもいながら図書室へと入っていった。


 そして帰宅後、ソファーの上で寝転がりテレビを見ていた妹に、かくかくしかじかと文学フリマについて聞いてみることにした。すると妹はスマホを操作し、あっという間に企画のブログを見つけ出す。

 おお、すごい。そう千代が感動している間に、優秀な妹は閲覧可能な写真などをみてひとこと、「うん、コミケと一緒だわ」とのたまった。


 コミケなるものに行ったことのない無い千代は、妹が何を言っているのかわからない。

 会場に机が並べられており、幾らかのお金を支払って参加権と机(出品場所)を購入し、そこで本を売るのだという。


 「え、本って?」

 「薄い本、って言ったらわかる? お姉ちゃん」

 「わかるようなわからないような」


 それは同人誌と呼ばれるものだった。参加しようかとおもって、と千代は妹に言うと、かなり難しい顔をされる。

 お姉ちゃん、製本って高いんだよ、と唸るように妹が声に出す。

 愕然と、した。

 本を作るための値段もそうだったが、あれこれと指を器用にタップしありとあらゆる情報を拾ってしまう妹に、千代は年上としての矜持を少なからず削られてしまった気分であった。いや、そもそも他人に誇れるようなプライドなどあってないようなものではあるが、しかし、お姉ちゃんであるからにはやっぱり、妹くらいにはいい顔をしたいという意地もある。


 世の中に何かを発しようとする、知ってもらう努力をするにはお金が必要だった。

 世知辛い、とおもう。が、それが人の世が作り出した社会というものだろう。

 お小遣いの増額を母に頼む、はかなりきつい。つい先日もハードカバーの海外小説を買ってもらったばかりだ。もちろん英語など読めないから、翻訳されたものである。月々のお小遣いが五千円である千代にとって、千円を超える書はかなりの圧迫だった。なのでお手伝いをたくさんして、ようやく買ってもらったのである。


 妹が見せてくれた値段表に、千代は天上を仰ぐ。

 かなりの痛手、ではなく手の届かない値段であったからだ。明日明後日にアルバイトを始めても、給与がもらえるのは来月だ。申し込みには間に合っても、本を作る、というか文字を書くというか、そういう時間が足りない。


 「……お、おねえ、ちゃん?」

 「あー、うん、えーっと。あ、ごめん。ちょっとへやでかんがえてくる……」


 いつもとは全く様子が違う姉の、漫画で言う陰を背負ったようなしょぼんと肩を落とした姉の背中を、妹はただ見送ることしか出来なかった。

 

 ***


 翌日、睡魔に襲われながら千代は電車に揺られていた。

 眠れなかったわけではない。ちょっとした悪夢にうなされただけである。

 大きな本に襲われた。某有名な怪獣の大きさほどもある本に、ばっさばっさと挟まれる夢を見たのだ。

 諦めるのか、それともやるのか、さっさと決めろという悪質な夢である。

 千代は自分のうなされた声に起された。ホラー映画のような怖さではなかった。意味はわからないが、とにかく恐ろしかったのだ。


 そんなこんなで眠れなくなり、机に座ってみた。

 予習をするわけじゃない。したほうが授業をより理解できるだろう。とはいえ現在、授業よりも頭の中を占めているものがある。

 買い置きしていたまっさらなノートを広げてみる。なにもかかれてはいない、当たり前だ。

 

 千代は想像してみる。

 ノートを埋め尽くす文字を。単語が繋がり文になってゆくのを。

 簡単そうでいてむつかしい。何が難しいかわからないから余計だろう。思いのままに文字を並べても意味を成さないし、読んでくれる誰かに意味が伝わらないと象形文字と同じになる。


 わかりやすく完結に。

 もし物語を千代が書くならばどうすべきかと真っ白なノートに視線を落としたまま考えた。

 そもそも文学とは何ぞや、と千代はふと思う。本棚に手を伸ばし指に引っ掛けたのは国語辞典だ。ぺらぺらとページをめくって探す。


 ①言語表現による芸術作品。詩歌、小説、戯曲、随筆、評論など。文芸。


 次いで文芸、と探す。

 そうすると文学とほぼ同じ内容が書かれていた。

 芸、とだけ引くと修練の末に身につけたわざ。学問、とある。


 だんだんと難しい解釈になってきた。千代は目元を揉みながら考える。

 3分クッキングのようにぱぱっと書いて終わりなのではない、とだけは理解した。そもそもあのテレビ番組も入念な下準備をしてから収録しているという。何度も順番を打ち合わせ、時間内に納める。そうした苦労の末に作られているものだ。

 

 さあ大変だ。

 千代は心躍らせた。なんだか楽しくなってきたのだ。

 物理的に本を出版するのは現状ではできそうにないので、後回しにする。けれど物語は書けるとおもうのだ。

 誰かに見てもらう、はとりあえず上手く書けるかどうか不安なので横に置いておくことにする。問題は題材を何にするかだろう。

 父や兄がよく読んでいるのは戦記ものだ。戦争を題材にしたものが多い。妹はごった煮だ。なんでもいける。興味ある題材や萌えが入っていたら構わないと。ならば千代はどうだろうか。読んでいる物語は……確かに千代もさまざま過ぎる。図書室にある本を読みきるという目標を作っているかのごとく、片っ端から題名に惹かれたものを読んでいた。思い返してゆくとファンタジーが多いような気がした。王様やお姫さま、騎士、そして魔法使い、ホビットや竜などが出てくるものだ。だがしかし、この間借りたのは映画化された原作本だった。無実の罪で刑務所に投獄された青年の物語だが、彼の周りを巻き込んでゆく情熱というか、人間の心とはここまで揮い立つものなのだと感動した物語だ。あれはよかった。もう一度借りて読みたいとおもう。それよりビデオを借りたほうがいいだろうか迷うくらいだ。


 物語を読む、のではなく書くという立場になるのはくすぐったい気持ちになるのだと千代はおもう。

 生み出す苦しみがあると見知っていた。けれど千代の頭の中で音符が踊っている。楽しく感じる気持ちの方が強かったのだ。

 ああこれが、読むだけだった人が書いてみたくなったときの気持ちかと、思わず頬を緩めてしまう。


 がたごとと電車は目的地へと進む。

 その揺れに身を任せながら千代は空想の楽しみを味わっていた。



 とはいえ千代の本分は勉強である。何のために勉強するのかと問われたら、学ぶことを学ぶためだと答えるだろう。だって父がそう言っていたからだ。

 赤ちゃんが何度も立ち上がろうと同じ行動を繰り返すように、社会生活もまた同じだという。そのやり方を勉強という形に変えてやっているだけだと。千代にはぴんとこないたとえであるが、社会人になるためには学歴が必要だといわれる。高校を出て働くより、大学を出たほうがより良い職場、条件で働けると大人たちは口を揃えて言った。ならばそうなのだろう。親のすねをかじって生活している千代には社会経験が無く、確たる言葉を繋げることはできない。


 文学とはこういうことか、と千代は数学の問題を解きながらおもった。

 数学的解釈と国語の言い回しは似ているようで違う。たとえばりんごがふたつ入った箱がふたつあるとする。国語であれば二が二個と曖昧でもかまわないが、数学では二×二と確かな整数をたたき出さねばならない。あるか、ないか、が数字の学問だ。そしてあるかもしれない、と仮定にしてもよいのが言葉だ。

 ということは言葉の中に真実を、経験を込めて文字を並べてゆく行為がだんだんと芸に近づいていくのではないか。

 個々によってたったひとつの事柄でも感じ方が違ってくる。同じような経験をして共感を得ても、またそれぞれがきっと違うのだ。だから私の中の文学、と表現されているだろう。


 人は言葉を介してでしかおもいを伝えられない。けれどその言葉を使ったとしても、すべてではなく受け取り方によっては良くも悪くも変わってしまうものだ。


 それを表現した本は、とてもたくさん出ている。

 言い方を変え、語る人物を変え、何度もなんども繰り返すけれど、それでも足りない。

 日常の中でちいさなすれ違いをおこしてゆく。だから簡単なようでいて深い。


 自分に出来るのかと千代は怖気づいた。もし失敗したら? こんなもの文学じゃないと笑われたら?

 頑張ってアルバイトをして。わずかなお金だったとしても、それはたったひとつの目的のために頑張ったお金で。文章もつたないながら懸命に書いて、納得して本を作ったとする。どきどきしながら席に着いて、話しかけてくれるのを待っていて。通り過ぎる人たちに緊張するだろう。けれど無視されたら? こんなもの読み物じゃないと一笑に付されたら? 千代よりも上手い人がいっぱいいるだろう。見向きもされず鼻で笑われたとしたら、立ち直れないのではないかとおもわれた。ちやほやされたいわけじゃない。けれど見向きもされないのではないかと恐れたのだ。

 もしも、が怖くなってくる。誰かの目に触れるということの先を考えると、おっかなかった。

 やっぱりやめておこうかな。うん、そのほうがいい。

 ノートから浮いていたはずのシャーペンの芯がぽきりと折れた。それはまるで千代の心のようだと他人事のようにおもった。



 綴じられた本が風によってめくられる。

 図書室は静かだった。放課後だから、だろうか。人気が高くなかなか借りられなかった本をようやく返却棚から見つけ勇んで読み始めたものの、数ページで気が乗らなくなり空を見上げた。今日の空は薄曇だ。ひんやりした風が気持ちよかった。

 千代は本を閉じ、返却棚に戻す。借りてもよかったが、どことなく鬱々とした気持ちのまま家に持ち帰っても読めない気がしたのだ。それならば読みたいと心待ちにしている他の誰かに譲ったほうがいい。

 ため息がでた。幸せが逃げてゆくらしい。けれど幸せってなんだろう。千代は帰路につきながらおもう。

 生きていること? 学校に通っていること? それともご飯を食べられること?


 全てが当たり前過ぎてわからないでいた。

 けれど何の心配もなく生きていられるのはきっと幸せなことで。学校に通えるのも日本が平和だからで。ご飯もそうだ。満足に食べられない国の人も居るとテレビの宣伝で流れている。


 千代は電車に揺られながらスマホの画面を指でつつく。

 開いたのはいつも読んでいる小説のサイトだ。小説を初めて書きます、と明記しているひとたちはどんな気持ちで投稿しているのだろう。千代はじ、っと画面を見つめる。

 

 どきどきはしているはずだ。それと、どれだけの人が読んでくれるのだろうと期待しているはずだ。あとは批判されないだろうかと心配したり、感想をもらえるだろうかと気にしたり、なんだかんだと心が荒れてしまいそうだとおもう。

 全ては千代の想像だ。

 もし千代が物語を投稿する、したならばどうおもうかを考えたのだ。

 けれど違うかもしれない、ともおもう。十人十色。絶対はない。


 では問題です。できる人とできない人の差はなんでしょう。

 千代は自分自身に問いかけてみる。

 

 そんなとき特急電車が通過する旨のアナウンスが流れる。今日の車掌さんは淡々とした声の人だった。

 たまに居るのだ。楽しそうに案内をしてくれるひとが。その人にあたると、なんだか毎日使う電車であるのに特別な空間、どこか知らない場所に旅に出たような気分になる。


 答えなんてあるのだろうか。

 ふと千代はおもう。答えなんて求めても意味が無いような気がした。

 できる人はどういう過程を経たかはわからないが、出来るという地点に到達したひとのことだ。

 そして出来なかった人、とは諦めてしまったひとではないだろうか。


 千代は視線を床に落とし考える。考えたふりをした。頭が重かったのだ。受験の時もこんなに唸らなかったとおもう。

 どうもお腹が減って考えがまとまらなかった。今日のご飯はなにかな。その前に宿題を終わらせなきゃ。とりとめのない色々を考えているとドアが閉まり電車が動き出した。

 

 流れる車窓にふとおもう。暮れなずむ夕日が風に揺れる暖色をカーテンのように広がっていた。夕焼けの空はどこか切ない気分にさせる。太陽が沈むだけなのに、なぜだろう。光を失ってしまうからだろうか。夜は必ず明ける。朝にならない夜なんてない。


 ああ、だからだろうか。携帯を見続けるのは。何かを探し続けているのは。

 毎日おなじことの繰り返しにみえても、全く同じ一日はない。楠原千代17歳の今日は今しかなかった。未来が今を経て過去になってゆく。

 時間を大切にと大人たちは言うが、聞いたとき千代も意味がまったくわからなかった。きっとこのことを伝えたかったのだろう。時間を経たからこそわかった。自分が成長しているのだとくすぐったく思える。


 だからなにげない日常のひとこまを描けないだろうか、と夕日を見ながらそんなことを考えた。

 出来るならばこの気持ちを文字に置き換えておきたい。大人になったとき、残した文章を読んで千代がどうおもうかも想像してみる。

 ・・・・・・わからなかった。だからこそ未来の自分に向けて書きたいとおもった。

 

 なんの映画か忘れてしまったが、印象的な言葉があった。You can't make omelet without breaking eggs. 訳せばオムレツは卵を割らないと作れないよ、といったところか。何を作るにしても卵という材料を壊さなければ次にはすすめない。


 でも、だって。

 不安はある。初めてだから。

 千代は電車を降りる。やってもないことに不安を持ってしまうなら、書いてみて、玉砕してみようと。


 誰かに見せるのではない。自分のために、書いてみよう、と。

 かの有名なヘミングウェイも記しているではないか。どうすれば小説を書くことが出来るのだろうか、という問いに、『血まみれになってタイプライターを打ち続けるだけだ』と。パソコンが使えない千代は鉛筆を握り締め書くだけだ。

 


 ***


 だからといって千代の日常が劇的に変わったわけではない。

 持ち歩くノートが一冊増えただけだ。あと、読む本、WEB小説の数が減った。物語を考えていると、読んでいる小説の場面に割り込んできてしまうのだ。これは由々しき事態だ、と書こうとおもっているジャンルの小説を断腸の思いでひきはがした。

 図書室で本を広げているのではなく、ノートになにかを書き記す時間の方が長くなったくらいか。


 授業に集中できなくなったのが唯一の悩みかもしれない。

 よい文章が思い浮かんだらどの授業のノートにでも書いてしまい、消す苦労を考えてため息を落とした回数など数えたくなかった。それでも物語を綴りはじめたノートにはああでもない、こうでもないと迷走しながら、とある少女が夏休みにひとりで祖母の家に電車に乗って行く、という話を書いていた。


 家から祖母のところまで、電車で2時間ほどの距離だ。本当なら母と一緒に行くはずだったのだが、急に母の体調が悪くなってしまった。けれど少女はわがままを言う。おばあちゃんとおじいちゃんに会いに行きたい。泣いてごねて少女はひとりで行く、と言い放つ。母は困り、祖父母に電話をかけた。いけなくなったと。その電話口で少女が叫ぶ。ひとりで行くから、待っていて、と。

 

 ここまで書いて千代は、この女の子大丈夫か、自分が書いている物語ながらそうおもった。

 そしてこのまま書き続けてもよいのだろうかと不安がもたげてくる。千代が楽しいとおもって書いていても、他の誰かにとっては興味の無い文章かもしれないからだ。

 だれかに読んでもらうのは怖い。けれど読んでもらいたい気もする。褒められたら嬉しいし、けなされたら落ち込みそうだった。

 

 小説を投稿する、漫画を投稿するサイトには日々様々な人が物語を発信し続けていた。携帯小説などは読みやすさや音や韻を踏むように、まるで歌をうたっているかのような独特な流れがある。

 漫画を投稿するサイトもそうだ。印象深い場面までにいくつもの伏線が張られ最後にドーンと見せ場がくるのだ。

 そして千代が通学時に見ているサイトにはいくら読んでも尽きないほど、小説が投稿されていた。


 時間を潰すのに丁度いい、電車で小説サイトのことをそう言っている同じ学校の誰かがいた。

 千代はそれをただ聞いていた。

 やるべきことがたくさんありすぎて、暇など感じる時間がないのが最近の若者事情である。

 一番時間に窮しているのは小学生ではなかろうか。習い事や塾など、自由に外を走り回る時間がかなり減っていると聞いていた。子供の時しか感じられないにおいや景色もあるのに、行き急ぐような生活になるからだろうか。冒険者の物語を読めば、独り立ちした大人たちが幼い頃になくしてしまった何かを探して彷徨っているかのような感想をもつものもあった。

 

 ゆっくり大人になりなさい。そう大人を長くしているひとたちは語る。

 けれど子供にゆっくりとした時間が無いのは、大人が一番知っている。

 子供側にもきっと理由がある。千代のように本を読みたい、兄のようにゲームがしたい。妹のようにのめり込むものに集中していたい。やりたいことばかりだ。


 物質が悪いのではなく、使う人が間違った使い方をするのだ。正しく使えばよりよい充実をもたらしてくれる、と。

 しかし楽しいものに惹かれるのはどうしようもない。別にサボりたいわけじゃないのだ。人間は楽を追い求める生き物だという。それを理性でなんとか抑えているのだとか。


 よし、宿題しよう。

 英語の小テストが次の授業で行なわれるのだ。範囲が広いからと寛大な優しさを発揮してくださった先生の温情に報いるべく……低い点数取ったら宿題、嵩増しするぞとの遠まわしな言い方だった。

 千代は音で覚える。

 先生に頼んで授業で使われる英文のCDを録音させてもらっていた。それを延々、つぶやき続ける。単語は書いて読んで書いて読んでの繰り返しだ。中学の頃にやってきた外国人の先生が聞いて発するのが力だと言っていたのを素直に、へぇそうなのかー、と信じたからだ。


 そして千代はまどろんだ。

 流れていたCDも止まり、机の灯りだけが煌々と付いている。

 時間は午後十時過ぎ。ノックと共に入ってきたのは千代の妹だった。


 「お姉ちゃん、辞書貸して」


 それぞれ部屋を貰ってはいるが鍵はない。

 寝息をたてる姉に気付いた桜はそっと足音を忍ばせて本棚へ向かう。難しい本を読む姉がサンタクロースに広辞苑なる分厚い、人殺し可能な厚さの辞書を強請ったのは小学4年のときだった。読みたいのに読めない、サンタさん助けて、辞書を下さい、お願いします。という自分の姉ながら、今でもおかしかったと桜はおもっている。

 だがしかし、姉がサンタさんにもらった辞書は兄弟間で仲良く共通利用させてもらっていた。


 姉は良く眠っている。起して布団に誘導してほうがいいのか迷うところだ。お互い受験生ではないものの、ショウテストガー、ショウテストガー、と姉が謎の怪獣と戦っているのを邪魔したくは無い。


 ばさり、とノートが落ちる。

 桜はそれを手に取り、なんとはなしに開いてみた。そこに書かれていたのは書いては塗りつぶし、矢印や吹き出しなどが描かれた小説もどきだった。

 読み進めてみると苦い思い出が蘇った。桜ではないが、桜が一部入っている。

 文学フリマの件はあれから、姉に相談されてはいない。諦めたのかなとその次の日くらいに思ったのだが、すっかりと忘れていた。


 とりあえず書くことにはしたらしい。けれど発表する気はあるのだろうか。

 お小遣いの増額を母にお願いしている姿を見ないし、アルバイトを探しているようでもない。兄の方が追加コンテンツの課金額、高ぇよ! くそう、絶対に手に入れてやる、待ってろ! そう言いながらバイトに明け暮れている。千代姉が兄にお金を貸して、など言うはずがない。兄は利息を取るのだ。正当な貸付金だと威張っては母に殴られているが桜にはどうでもいい。


 桜はノートを机の上に置き、ささっと姉の寝床を整えてから広辞苑を手にして姉の肩を叩いた。

 「風邪ひくよ、お姉ちゃん、寝るならベッドに行って、ほら。辞書借りるよ」


 うん、とかあー、とかまるでゾンビのようにふらふらしながらも千代姉はなんとかベッドにたどり着き、あっという間に夢の住人に戻ってゆく。桜は一仕事を終えた後のようにすがすがしくやりきった気持ちで額を拭う。姉は寝相がすこぶる悪いのだ。ベッドで寝るとあっちこっちにぶつかりあざをこしらえ、起きた時に怖い。なので千代姉だけは部屋の真ん中に布団を敷いて寝ている。


 「おやすみお姉ちゃん、いい夢を」


 ぱたりとドアが、閉められた。


 ***


 物語の主人公はひとりの女の子だ。年齢は17歳、千代と同じにした。

 あらすじはこうだ。

 主人公にはいつ手にしたのか、覚えがないお守りがある。神社名も縫われていない小さな袋だ。中身は見ていない。しっかりと縫い付けられていたし、祖母からお守りの中身は見てはならぬものだと教えられたからだ。なんでもご利益がなくなってしまうという。

 そのお守りを持ち続けて9年、かつてと同じことが起こる。

 年の離れた妹が熱を出したのだ。39℃を越す熱。祖父母の家に家族で行く予定だった主人公はがっかりする。来年受験だし、来年行くことはたぶん出来ないだろうし。ご機嫌斜めになっていると、父からひとりで行くかい、との提案が。女の子は頷き、着替えをキャリーケースに詰め替え、駅へと向かう。

 

 女の子はふと思い出す。幼い頃にも一度、家を飛び出たことがあったなぁと。



 千代は雀のさえずりとカラスの絶叫にがばりと身を起こす。

 いつもの啼きかたではなかった。ぎゃぎゃくわくあーあー! という必死さが加わっていたのだ。鷹にでも襲われたのだろうか。千代が住む地域には猛禽類が住める森などないはずだ。どこまでもひろがる住宅地だけがある。車窓もそうだ。緑なんてほとんどない。たまに大きな木があるくらいだ。そう考えると高校にはまだ、緑がたくさん植えられているのだろう。手入れは用務員さんがしてくれており、色とりどりの季節の花とまではいかないが、4月は桜、5月にサツキ、つつじと間違いやすいらしいが、違うらしい。あと千代の通っている高校にはなぜかキューイフルーツが植わっている。6月にアジサイ、7月はなんだろう。そうそう、ナンテンだ。お正月に良く見る赤い玉の植物の花がこの月に咲く。立派な低木が表玄関の方にある。8月は学校に行かないためわからない。9月はフヨウとかむくげとか。大きなピンク色の花が咲いている。10月はきんもくせい。香りが強くて泣きそうになるときもある。11月は柊とか山茶花。きんもくせいのような花の形で白かったら柊だ。ヤツデもひっそりと咲いている。大きな手のひらのような葉っぱの木だ。12月は……11月とそうかわらない。


 学校には思いのほか、いろいろな木がある。今年の自由研究はこれにしようか、と千代は小さく笑った。

 物語を書くようになって、景色をただ見るだけではなく、ちゃんとそこに何があるのかを意識するようになった。人間がどれだけ日々の生活の中で、様々を見ているようで見ていないかがわかった。これは勉強する時にも役立ち、なあなあにわからないからと聞き流すのではなく、先生におずおずと聞きに行くようになった。わからないと気になって仕方がなくなってしまったのだ。


 けれども成績には結果がついてこなかったのだけは残念無念である。

 主人公が格好いい英雄や聖女、あとはなんだろう。実力を隠した才女とか、実はやんごとなき血筋の人で、とかなら成績がどーんと上がり、あの子今まで目立ってなかったのになに? などと注目される展開になるのだろうが、現実はどうにも世知辛い。だから物語の中だけでも何でもできるスーパーマンになれる投影をしたいのだ。


 「それだけ、現状に不満を持ってる人が多い、ってことだよね」

 

 打破しようとしたものの、千代も埋もれてしまっているひとりだ。テストの点数は長い紙で配られる。

 悪くは無い。が、飛びぬけてもいなかった。平均点は超えているが、いつものとおりである。

 ならば次の期末テストだ。テストが終わると夏休みに入る。ここで赤点をとってしまうと、補講においで、と呼ばれてしまう。それだけはなんとか阻止したかった。去年の期末テストが特に悪かったわけではない。読みたい小説が発売する月なのだ。二年ほど待った、そしてようやく続刊が出る。発売日に買いに行き、読むのだと鼻息を荒くしているのに補講へ行かねばならないとか、なにそれおいしいの、であろう。


 千代が書いている物語も佳境に入る。

 幼い頃にひとり、わがままを言いだだをこねてひとりで祖父母の家に向かった女の子は。

 母親の、勝手にしなさい、という声に弾かれるようにして外へ出た。母親が作ってくれたかわいいポシェットを肩にかけたまま向かったのは駅だ。女の子は涙をこらえながら切符を買い、改札を通る。以前、母親と通った道をおぼえていたのだ。駅にはたくさんのひとが行き交っていた。子供ひとりでホームに居ても、誰もなにもいわない。椅子に座って見覚えのある電車を待つ。


 ひとりは寂しかった。けれど、ごめんなさい、とあやまりたくなかった。

 約束をして、指折り待った。明日が来るのが遅くて、早く太陽が沈めばいいのにとなんど思ったのか数え切れない。


 綺麗な写真を見たのだ。祖父母の家の近くにある神社で行なわれる祭りがあった。

 かがり火を灯し、白い服を着た男のひとたちが緑の葉に火をつける。そしてその火の子をたくさんのひとに振りまくのだ。それを映した写真がとても綺麗だった。連れて行ってと強請り、両親は確かに頷いてくれたのだ。

 けれど母の体調が良くなくて、また来年もあるから、来年にしようと言われた。

 女の子は素直にうん、と言えなかった。たくさん待ったのに、また待たねばならないのかと愕然としたのだ。お母さんのうそつき! 女の子はそう言って出てきてしまった。


 「ねえ、君。八代木のお祭りに行くのでしょう?」

 「え?」


 女の子は声をかけられた方を見る。男の子が居た。狐のお面を頭に被った男の子が。それはそうと八代木のお祭りってなんだろう。

 火がぼうっと燃えて、とてもキラキラしているお祭りならばそうだと答えれば連れて行ってくれるという。

 知らない人にはついていっちゃだめなんだと言えば、手を繋がれ、今から友だちだから知らないひとじゃないよと引かれる。男の子は女の子と同じくらいの年に見えた。母親と乗ったあの電車がホームに入り、そちらへ向かうのを見て女の子は連れて行ってもらうことにした。



 いや、駅で止められるだろ。それに突然現れた男の子だからって着いていくか。

 千代は自分でつっこみを入れながら、それでも文字を書き連ねてゆく。気晴らしには妹から借りた、今、女子高生から滅茶苦茶人気があるらしい漫画を読んでいた。ありえない設定だから安心して読めるともいう。小説のノートは二冊目に入った。消しては書き、書いては二重線をひいて、を繰り返しているとあっという間に一冊目がなくなってしまったのである。


 例年ならばこの中間テスト前後は風邪を引いてしまう千代であったが、なんとか今年は元気でいられた。風邪の原因は寝落ちである。本を読んでいてうとうととしてしまうのだ。あ、もうちょっとでよさそうなところまでいくし、この章だけでも……と読み進めているうちに寝てしまうのである。

 だがここ最近は妹がよく辞書や本を借りに来、千代を布団に転がしてくれるため、朝起きて頭が痛い、気だるくて気持ち悪い、とならないでいる。まったくもって妹さまさまであった。


 図書室で点数表を親に見せる腹をくくり、千代は立ち上がる。

 テスト後だからだろうか。どことなしか学校内には開放感が漂っていた。クラブに勤しむ多くも、どこかしらくつろいでいるような気がした。


 歩きながら空を見上げる。

 遠くの方に入道雲がわいていた。どこまでも高く伸びていきそうな白が一面の青のなかで主張している。

 ほんの少しだけ勇気を出してみた。

 きっかけは些細なことだ。なんであったのか、今はしっかりと覚えていてもいつかきっと忘れてしまうだろう。

 ほんのちょっとだけ、手を伸ばしてみた。


 できるか出来ないかは別として、やってみようと思った。

 全部はしんどい。無理をして倒れてしまうなんて、違うとおもった。

 だからできる範囲内で、それよりもほんの少し手を伸ばしてみた。


 物語が、終わる。

 ずっとずっと書いていたいとおもってしまった物語が終わる。


 始まりがあれば終わりもある。寂しい、と思えるのはきっと、やりきれるからだろう。

 最初はだれかに読んでもらえる立派な物語を書こうとした。投稿サイトには初めて書きます、そうコメントしている人も多かったからだ。それに誰にとってもはじめてがある。転生ものの物語のように生まれ変わりというものを体験しなければ、ありとあらゆるものが初めてになる。


 けれど怖くなった。批判されたらどうしよう、もし誰も来てくれなかったらどうしよう。

 千代が抱いた思いは、きっと誰の心の中にもある。知らないことが怖いのはあたりまえだ。知らないからこそ我武者羅にもなれるが、大抵のひとは二の足を踏むだろう。失敗した経験を数多くもつひとほど。

 失敗した、挫折したことのない人はほとんどいないだろう。中には順風満帆に人生を謳歌しているひともいるだろうし、千代にはまだまだ触れたことの無い感情や状況がたくさんある。それらはきっと、高校を出て、大学に……、大学に無事、合格したとして、社会人となってからも死ぬまで日々訪れる。


 「ちょっとだけ、残念なのは」


 千代は通学路を歩きながら駅へと向かう。

 サークル参加の締め切りが終わっていたのだ。両親に土下座して、お金を借りたらよかったと後悔しても後の祭りだ。来年、来年もきっとあるから。そう思い、少女のお母さんと同じ言訳をしている自分に笑ってしまった。どんどん先延ばしにされてゆく予定。けれど今は今しかない。今はすぐに過去となる。繰り返しの毎日なんて、ないのだ。もし同じだというならば、変えればいい。文句を言わず、やってみればいい。いつだってやろうと決めたそのときからはじめられる。


 千代は口ずさんだ。

 それは母が聞いていたラジオから流れてきた、そのラジオでしか聞けない期間限定の曲を小さく歌う。

 声と曲の透明感に、一気に引き込まれてしまった歌だ。


 物語の題名はなかなか決まらなかった。そして、悩んだ末に千代はノートの表にマジックで記す。

 千代の中から生まれた自分の物語。だから-----。


 『わたしの物語』と。

 「桜、お前なにしてんの?」

 「んー、ちょっと打ち込みを」


 名を呼ばれ、リビングに置かれているノートパソコンに向いていた目と首がそちらを向く。振り向いた先には兄の信哉しんやがコーラを入れたグラスを片手に立っていた。

 信哉がざっと画面に目を落とし、読めば。


 「それ、千代の?」

 「うん、そう。お姉ちゃんさ、きっとこの物語お蔵入りにしようとするはずなんだよね。ほら処女作だしさ。書き上げたっていう満足感で今は満たされてちゃってて、ちょっと悔しい」


 この兄妹の中でパソコン関係に疎いのは千代だけだ。キーボードを叩く桜の手は早い。信哉のほうがパソコン歴は長いが、ここまで正確に打ち込めるのはわが妹ながら凄いと言わざるを得ない。


 姉が物語を書くきっかけとなった文学フリマというイベントは、コミックマーケットと良く似ている。朝早くから列を成さねば人気サークルさんの冊子を手に入れられない混沌とした戦場ではないものの、それぞれの主張を強く持つ個性的な『作家』たちが集まる場所だ。プロ、アマなど関係ない。人のことを簡単に信じてしまう単純な姉が参加すれば、ひとふきで吹き飛んでしまうだろう。


 だがしかし。

 姉が寝た後、こっそりと桜が読み続けた物語は初々しくて、どこか懐かしい、けれどいろんな場所につっこみどころが満載で面白かった。姉に出してみたら、と言ったとしてもきっと、しなくていいよ、というはずだ。間違いなく言うと桜は断言してもいい。だから罪悪感も怒りも不特定多数からの攻撃もすべて丸めてひとつにし、受け取る覚悟をして打ち込んでいた。


 やってはいけないだろうことをしている自覚はある。

 けれど、だって、といい訳を用意している。子供だからと言って、許される範囲を超えているかもしれない。


 たったひとりでかまわない。

 桜以外にこの物語を好きだと言ってくれる誰かが居てほしい。

 アイドルになった女の子たちがテレビで言っていたではないか。自分が応募したのではない。親がやってみれば、と言ったあと勝手に応募していたのだと。桜がやっているのはそれだ、と自分に言い聞かせる。大好きなおねえちゃんが泣くのは本位ではないのだ。


 いつの間にか兄は姿を消していた。部屋に戻りゲームの続きでもはじめたのだろう。

 桜は姉が寝ている隙を狙い、キーボードを荒々しく打ち鳴らした。




引用 三省堂大辞林


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― 新着の感想 ―
[一言] なんだろう。 ピュア、綺麗なこころをうけとったきがします。 ありがとう
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