105話
幾ら代官風情とは言え、アリーは西聖王国直参男爵であるルロン家の総領姫だ。
そんな娘をホイホイと臣下になんか出来るワケが無い。
「あ、ああ、ウン。アリーがその積りなら、ワタシは勿論拒まないよ」
でも何でこんな事を言い出したのか判らないし、頭から拒否する事は出来無いよね。
そう思って、取り敢えずは様子見って感じで答えると、アリーは何かホッとした様子になったものの、今度は疑惑の眼差しになった。
「お姉さま。本当に、本当に宜しいのですね?」
にゅうん。妙に念押しをして来るアリーがちょっとコワいです。
一体全体、何だって言うんだろうなぁ。
不思議な事に野生のカンも「不味い」とは囁くものの、「ヤバい」とは囁いて無いし、一体どう言うコトなんだろう。
念押しが止んだアリーを改めて見れば、今度は切実な表情でジッと見つめ返して来るだけだし。
しかしこう言う雰囲気、何か前にも何度かあった様な気がして、首を捻りながらも学院時代を思い起こしたワタシは、即座にピンと閃いて、その事を口にした。
「あのさ、もしかしてアリーって結婚から逃げたいの?」
するとどうやらソレは正解ド真ん中だったみたいで、頭を小突くと振り子の原理でブンブンと前後に首を振るゴメンナサイ人形の如く、アリーが勢い良く何度も肯く。
ああー、成る程ねっ。
思い出してみれば、学院では良くこんな雰囲気で、下級生の小花さん達にこのテの相談をされたんでしたよ。
大抵は意に染まぬ結婚がどうのこうのって感じのダダ捏ね話なんだけどさ。
いやー、ワタシってば貴族社会から離れたばっかだって言うのに、もうその頃の感覚が抜けちゃってたみたいですわ。
つまりアリーは、貴族の義務である政略結婚から逃げようとしてるってコトみたいだけど、これはまた頭の痛いお話だよなぁ。
そもそも魔法力を持つ人間で、なおかつ身分を持つ身であるならば、子供を作る事は義務だし、更にそれが貴族だって言うんなら、意に沿わぬ縁談に従わなければならないのはある程度仕方の無い事だ。
どうせ向こう(野郎サマの方ね)だって似た様なモンなんだし、貴族同士の結婚なんてお互いが「双方の為にウマくやって行きましょうね」って感じの超絶妥協の産物でしか無いのが普通なのですよ。
『取り敢えずは会ってみて、もうどうし様も無くダメだと思わない限りは、OKしといた方がイイよ。次はきっと更に質が落ちるからね』
学院ではそんな事を言って小花さん達を慰め捲くった記憶があるけど、売れ残れば妥協の度合いが更に上がっちゃうから仕方が無い。
ワタシみたいな「選べる立場」の総領姫だって、引く手数多とは言うモノの、貴族の次男三男なんて殆どはクズばかりだったので、大抵の小花さん達の様な「選ばれる立場」の娘達は大変だったと思う。
小花さん達の誰もが夢見る、ウチの父上と実母サマみたいな恋愛結婚夫婦なんて、貴族社会じゃまず絶対に有り得ないからなー。
そう言う観点からでも、ウチの父上ってば恐ろしいヒト(勿論人では無い)なんだよね。
だってウチの父上ってば、御爺さんがマルシルの王サマだったんだから、今でも王位継承権を持ってる本物の王族だ。
そんな超級のしがらみを持つヒトが、どっかから連れて来た謎の御落胤であるコーネリアさんを周囲の反対を押し切って正妻にしちゃったんだもんな。
ドン引きするくらいの恐ろしい豪腕としか言えないわ。
もっともウチの父上の場合、母上(当時の側室)とも想い想われーって感じだったとご当人(母上)から聞いてるから、実際にコワいのはそっちの方だけどね。
ワタシはイケメンの人が苦手なんだけど、それってそもそもは父上のせいで、母上の「どう考えても幻想としか思えないノロケ話」を聞かされてる内に「イケメン野郎って本当にコワい」と思い始めたのが切っ掛けなのですよ。
もうね、洗脳の域と言ってイイですよ、アレわ。
父上なんて「真性のサディスト」としか思えないヒトなのに、母上は「とってもお優しい」とかって真逆の事を本気で言うんだもん。
まあ母上が幸せならソレでイイとは思うけど、ワタシはあんなヒトと夫婦になるなんて死んでも御免だよ。
「野郎サマとしてどうか」と言うより「人としてどうか」って、考え込んじゃう様な言動を小さい頃から見てるからねえ。
って、父上の事とかで考え込んでる場合じゃ無いか。
首振り状態から落ち着いたアリーが、やや伏し目がちになって話し始めたので聞いて見れば、西聖王国直参貴族のお家柄であるルロン家は、アリーの代では従兄弟の男の子とアリーの二人だけしかいないらしい。
そこで現当主唯一の子であるアリーにさっさと配偶者を宛がって当主にした上で、ドンドン子供を生んで貰おうと言うのが一族の総意なのだそうだ。
女舐めてんのか!って怒っちゃう様な話だけど、貴族の世界では跡継ぎ問題って深刻な問題だし、一概には言えない話なんだよな。
なんたって一族の人らは、ルロン家があってこそご飯が食べられる様なモンなんだから、深刻どころか、切実な話だったりもするんだよ。
「私、このままだと唯の子産み女としての生涯しか無いんです。当主と言うのも名ばかりで、御親戚筋が全て取り仕切る籠の鳥ですし」
再度切実な表情になって訴えるアリーの言葉に肯きながら、ワタシはドヨヨンとした気持ちになった。
まーねぇ。アリーの貴族的手腕なんか未知数なんだから、一族の人達で周りを固めるのは普通だし、中には「あわよくば」って考える様な阿呆も居るだろうしなぁ。
頭の痛い話だけど、貴族の世界なんてそんなもんだ。
ワタシだって、脳筋姫なんてあだ名が付いてるくらいだから、御親戚筋(ぶっちゃけ、殆ど王族の人らだ)が色々と煩かったもんなー。
由緒正しいお生まれの母上が全面的に庇ってくれたから助かってたけど、アリーみたいに両親が揃って理解が無いとツラいよね。
しかしこの話、どうやって収めようかな。
学院時代の小花さん達の様に「判っちゃ居るけど愚痴を聞いて欲しい」ってな感じでも無いし、アリーってばマジでルロン家と一戦交えようとしてるのかねぇ。
「でも結婚して子供を産むのって貴族の義務だし、ある程度妥協する覚悟は必要だと思うよ?」
何時の間にか腕組みまでして考え込んでるポーズになってたワタシが、取り敢えず「模範解答乙!」って感じの事を言って牽制を試みると、アリーはふるふると震えながら両手を握り締めた。
「やはりお姉さまも他の方々と同じ様な事を言われるのですね」
にゅうん、マズい。どうやら今のワタシのセリフって、アリーの地雷を踏んだっぽい。
「お姉さまには良くある話と笑われるかも知れませんが、正確に言えば私、結婚から逃げたいのでは無く、貴族である事を辞めたいのです!」
怒りを堪える様に両手を握り締めたアリーが急に頭を上げて、高らかに宣言する様に大きな声を上げたので驚く。
更に睨み付ける様にこっちの目を覗き込まれて、ワタシは思わず後ずさった。
「お姉さまにお聞きしますっ。貴族とは何者ですか!?」
へえ!? イ、イヤ、いきなりそんな事を訊かれてもぉ。
もうアリーの剣幕にタジタジって感じになっちゃって、ウマい受け答えなんて出来ないよ。
「貴族とは大きな魔法力を持ち、醜悪なる魔物共から、魔法力を持たない民人を護る為に存在する者達では無いのですか!?」
ああ、イヤ、まー、おためごかしとしてはそうなってるけどさぁ。
ポリポリと頭を掻きながら、ワタシは全く言葉が出ない。
世の現実って理想論からかけ離れてるのが真実だし、エラい人達にはエラい人達の理屈があるもんだ。
フェリクスおっさんだの、エルンストさん(ギャロワ卿)だの、デラージュ閣下だのってヒト達は例外中の例外で、大抵はコワい事から逃げちゃうのが貴族だもんなぁ。
でも世の中を全く知らない幼児ならともかく、アリーはそんな事は判った上で言ってるんだろうし、困りましたよ。
「ウ、ウン。まー、アリーの言う通りだと思う、よ?」
ワタシが何とか返事を搾り出すと、アリーは「そうですよね」と肯いて、更に続けて来た。
「では今回の事だっておかしいとは思いませんか? ランスの街を一番に逃げ出したのは、大きな魔法力を持ち、王から様々な権限を譲られている筈の貴族達なのです。そして実際に魔物ドラゴンを退治したのは『貴族として認められていない』お姉さまで、他の魔物共を倒したのだって、ほとんどは討伐士達を筆頭とする士族の方々では無いですか!」
アツく語り始めたアリーに「おっさんやエルンストさんや閣下だって、頑張ってましたよー」と、心の中だけで反論する。
勿論口には出さないよ。無粋なだけだしさ。
ここはアリーに心中を吐露して貰って、こっちが色々と口を出すのは後に回さないとマズい。
「父はお姉さまより上位である7位の魔法位を持っております。単独では魔物ドラゴンと戦えないかも知れませんが、本来であるならば大きな戦力になる筈でしょう。それなのに、何故ですか? 何故に父は母を連れて一目散にリプロンへ逃げたのですか!?」
黙って聞いていると、更に握り拳を振り上げて自説開陳にノッて来たアリーの姿に少し辟易としながらも、ワタシは漸くアリーの言わんとする事に気が付き始めた。
ああこの娘、要はワタシと同じ「不器用サン」なんだろうな。
おためごかしで塗り固めた貴族の世界に、巧く馴染めないタイプだ。
アリーの父親である男爵閣下が持ってる7位の魔法位なんて、ワタシの8位と違ってタダの飾りでしかないし、実際の戦力になんて成る筈が無い。
爵位を持つ貴族の肩書きなんてそんなもんだけど、この娘はソレを判り切った上で「それだけの魔法力があるなら、何故努力して実力を付けないのか!?」って怒ってるんだから始末に負えないよ。
大抵の直参貴族に必要なのは舌先三寸の話術や交渉力と小利口な悪知恵で、後は二の次になっちゃう事が許せないって事なんだからねぇ。
「私は、そんな人非人の子供を産む位なら死を選びます!」
可愛い顔からは想像も出来ない様な激しい物言いを最後に、アリーの演説めいた話が終わった。
うわぁ、そりゃまった凄い決意ですなーと思いつつ、それがかつての自分と全く同じ言いである事に眩暈がする。
なんかねぇ、昔のワタシを見てるみたいで「イタタタッ」って感じだ。
実母サマの走り書きを読んだ直後の自分って、多分こうだったんだろうなぁと思うと、恥ずかしさで顔から火が出そうだよ。
しかし、これはもうしょうが無いかも知れんね。
こんな娘は、もう絶望的なまでに貴族に向いてないのが丸判りだし、才能溢れる可愛い義妹の為なんだから、出来る限りの支援や工作は考えてみる事にしますか。
今宵もこの辺で終わりにさせて頂きとう御座います。
読んで頂いた方、ありがとう御座いました。