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第七話:供儀(くぎ)の食卓、黒き影の胎動

〈宿場町 本陣〉


 宿場の町中が半鐘の音で上を下への騒ぎの中、本陣の奥深く、私たちは束の間の夕餉の席についていました。


明朝の大名行列到着に先立ち、先鋒を務める老臣・黒田様の一行が今夜のうちに到着するという知らせ。下女たちが廊下を走り回る音が響く中、お膳に並んだのは、いつもより少し質素な一汁一菜でした。


 私は、汁の実に大根と青菜を、お膳の隅に人参の白和えを見つけて、気持ちの中にぽっと灯りのついたような気がしました。


 (……ゼンさんの野菜)


目を閉じれば、あの野の畑に佇むゼンさんの姿が、瞼の裏に鮮やかに浮かびます。


しかしそれと同時に、ズイシンの鋭い言葉が心に刺さりました。……本陣の娘としての運命。


私は複雑な想いのまま、汁の青菜を口に運び、ちらりと父上の方に気を向けました。


父上はいつも仕事のことを考えてらっしゃいます。膳を前にしてもそれは変わりません。


母上もそれをわかってらっしゃるので、無用の会話はなさらない。それは我が家の日常の風景でした。


この時は特に、大名ご一行をお迎えする前、いつもに増して緊張感のある食事時でした。


 そんな折、父上は、無言で箸の手を止めて、ゆっくりと、何か確かめるように咀嚼しています。


母上がすかさず汁を一口含んで言いました。


 「この忙しさの中では、家の膳まで手が回りませんね」


父上は無言で再び箸を進めながら、低く呟きました。


 「……うん。しかし、普段より滋味深く感じるのは気のせいか」


母上は表情こそ変えませんでしたが、改めて汁を啜り、実の味を確かめておいででした。


 私は父上の一言に、胸の内で驚きを感じていました。


そして、私もその滋味深さを改めて口の中で味わいつつ、確信を得ていたのです。


これは私だけが感じている勝手な妄想ではない。誰もが確かに、この命の力を感じ取れるのだと。


私の中でズイシンの言葉はすっと消え、心の中にあのゼンさんの畑の景色が広がっていました。


 夕餉がひとしきり済んだ頃、その温かな余韻を、鋭い呼び声が引き裂きました。


 


 「黒田様、御到着ーーっ!」


 私は父上母上と共に、表門へと向かいました。


松明の赤黒い光に照らされて現れたのは、大名の先鋒として送り込まれた数名の武士たち。その中心に、威光を放つように老人がおりました。


 黒田様――。かつてその名を轟かせた老臣であり、今は主君の刃として辣腕を振るう男。


 黒田様は馬を下りると、出迎える父の挨拶に応えながら、その鋭い眼光を本陣の隅々へと走らせました。


 「……あれぶりになるか、主人よ。また世話になるが、よしなに頼む」


黒田様の思わせぶりな言葉と、それに深々と頭を落とす父上。


私はなぜか縁側での和尚様とのことを思い出していました。私の知らない過去がある、この黒田様という老臣にも。


 黒田様はふと私に目をやりました。


 「ほー、あの時の娘か。美しく成長されたではないか。いろいろ記憶がよみがえるのう。しかしもう一昔二昔の話、わしも老いたゆえじゃ、滞在の数日をつつなく過ごそうぞ。なあ、主人よ」


 父上は深く傾げた頭をゆっくりと起こし、一団を本陣の内へ案内されました。


 私は覚えていないけれど、幼き頃、私はこの老臣に会っている。


 「母上、なぜあの御仁は私のことをご存じなのですか?」


黒田様の一団が奥の間へと消えていくのを見送った後、私は母のたもとを掴んで問いかけました。


 「……覚えていなくて当然です。あなたがまだ、三つか四つの頃の話ですから」


母上は、黒田様が向かった奥の暗がりに視線を据えたまま、声を潜めました。


 「あの方は昔、武芸で名を馳せた御仁。血気盛んでいらっしゃれば、ここへ以前ご滞在の際に抜刀まがいの事を起こされて、お上から注意をお受けになられたのよ。あなたが幼き頃とはいえ、あの時は……。


まあ、とはいえ、黒田様もおおせの通り、昔のことです」


母上はそれ以上何も語らず、甲斐甲斐しくもどこか無機質な手つきで、黒田様への夜伽の準備を命じに去って行きました。


 慌ただしい先鋒隊の受け入れも一段落し、ようやく遅い寝床に収まろうとする頃。私の脳裏にはうっすらと、激しく降る雨の中で泣きじゃくる、幼き日の自分の姿が浮かんでいました。


 それはいつか見た夢の残滓ざんしのように朧気おぼろげで、前後の記憶は霧に包まれたまま。手繰り寄せようとしても、今日一日の溢れんばかりの見聞に押し流され、体も心も深い休息を求めていました。


 床に就いて間もなく、私は意識の淵を滑り落ちるように眠りに吸い込まれていきました。ただ、その抗いようのない眠気の底で、冷たい雨に打たれながら、じっと前を見据えて立つゼンさんの後ろ姿を、ぼんやりと見つめていた気がいたします。

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