第三話 梅雨のゾンビ
俳句の世界では、ゾンビはれっきとした夏の季語だ。
理由は単純で、緑桃雲の発生が決まって湿度の高い時期に増えるからだ。
だから梅雨に入ると、その傾向は顕著になる。
空気は水気をたっぷり含み、アスファルトは一日中じっとりと濡れたまま。
洗濯物すら乾かないこの季節は、ゾンビにとってベストシーズンだ。
湿り気を帯びた皮膚は生き生きとして、当然、自然乾燥による消滅なんて望めるはずもない。
結果として、乾燥シェルターは朝から晩までフル稼働になる。
大量のゾンビを誘導して乾燥をかけたら、すぐ別の現場へ。
そちらに向かって誘導している最中に、さっきのシェルターの完了通知が鳴る。
清掃に戻り、記録をつけて、また次へ。終わりのない反復運動だ。
雨粒の落ちる音と、流れ続ける誘導用スピーカーの童謡。
無言のゾンビがふらふらと歩いてくる、湿り気を帯びた街。
──夏が来たな、と思う。
できれば、もっと爽やかなもので実感したいところだけど。
そんなわけで、繁忙期は民間の乾燥シェルター会社と契約しているスーパーやモールの周辺は、申し訳ないと思いつつも後回しにしてしまう。
人手も機材も限られている以上、どうしても優先順位はつけざるを得ない。
とはいえ、完全に放置するわけにもいかない。
通り過ぎる際には、スピードを少し落として目視だけはしておく。
今日もスーパー周辺の管理は行き届いていて、ゾンビの姿はない。
その代わりに目に入ったのは、見知った作業着姿だった。
ドライベース株式会社の戸風さんだ。
店舗裏の搬入口脇で、何やら書き付けている。
ちょうど作業の区切りだったのか、こちらに気づいて顔を上げた。
軽くクラクションを鳴らして窓を下げると、「あ、お疲れ様です」と言いながら、小走りで車へ駆け寄ってくる。
梅雨の湿気に包まれているせいか、彼の髪はいつにも増して自由奔放だった。
ぼわぼわとうねり、まるで小さな雲を頭に乗せているみたいだ。
「今日も朝から大変ですね」
「本当に。自然乾燥しませんからね。よそから流れてくるのも多いです」
そう言いながら、戸風さんはスーパーの入口付近へちらりと視線を向けた。
ゾンビは人の気配を求めて、閑散とした場所から流れてくる。
いつもなら辿り着く前に乾燥して消えるが、この時期はそうはいかない。
だから、まるで街全体がゾンビの集積所みたいになるのだ。
「まあ、民間のうちとしては書き入れ時ですよ」
そう続けて、戸風さんは、嬉しそうにも迷惑そうにも見える複雑な笑みを浮かべた。
「短期バイトも入れて、夜間も回してます。……開店前にゾンビが残ってると、ここの店長、うるさくて」
少し声を潜めて、スーパーの方を指さす。
ただでさえ雨の日は客足が鈍るのに、店先にゾンビが屯していれば尚更だ。
店長だって、神経質にもなるだろう。
それに、ゾンビの処理費も安くはない。
民間企業の価格設定は、会社ごとに大きく異なる。
乾燥回数に関係なく月額固定のところもあれば、ドライベースのように個体数ベースで計算するところもある。
利用する側からすれば、どちらが得かは完全に運任せだ。
晴天が続けば定額制は割高になるし、こうして雨や緑桃雲が続けば、個体課金の方がかさむ。
「まあ、現場はてんてこ舞いでも、会社の売上的には正直助かってますからね。文句は言えないんですけど」
戸風さんはそう言って、腕時計をちらりと確認した。
お互い、いつまでも立ち話をしているわけにはいかない。
「じゃあ、このあたりはお任せします。すみません」
ハンドルに手を戻しながらそう言うと、戸風さんは軽く手を振った。
「いえいえ、こちらこそ。しっかり儲けさせてもらいますよ」
あまりに正直な物言いに、思わず笑ってしまう。
こちらはある意味、月額制みたいなものだ。だから、少しだけ羨ましくも思えた。
軽く会釈をして、ゆっくりと車を発進させる。
タイヤが濡れたアスファルトをなぞり、かすかな水音を引いていく。
バックミラーに目をやると、戸風さんが疲れた様子で肩を回しているのが見えた。
お互い、一日は長い。
そう思いながら、わたしはアクセルを少しだけ踏み込んだ。
共有アプリで二号機の乾燥完了を確認し、そちらへ向かう。
すでに密閉扉は開かれていて、中では鳳くんと恢さんが手際よく回収作業を進めていた。
一回ごとに掃除をしていては時間が足りないため、繁忙期は三回までは掃除なしで稼働しても良いことになっている。
ただ、溜まった粉塵でゾンビたちが足を取られ、もたつく時間を考えると、都度掃除した方が効率がいい気もしているけど。
「仕入れが捗りまくりで、倉庫も潤っちゃって潤っちゃって」
恢さんは嬉々として、舞い上がる粉塵をかき集めていた。防塵マスク越しでも分かるほど、声が弾んでいる。
こちらとしても、次々と回収してもらえればシェルターの回転が良くなるので、非常にありがたい。
──それにしても。
彼女だってこの時期になると、早朝から深夜まで駆けずり回っているのに、疲れた顔を見たことがない。
メイクもネイルも、毎日きちんと整えられている。
目の下の隈をコンシーラーで隠す気力さえないわたしとは正反対の、体力オバケだ。
「鳳くん、臨時さんと三号機、お願いできる?」
「わかりました!」
恢さんがホースで粉塵を吸い上げる負圧音が響く中、わたしは鳳くんに指示を出した。
彼は元気よく頷くと、すぐに端末を取り出し、慣れた手つきでコールをかけた。
うちでも梅雨の時期だけ臨時職員を雇っている。
乾燥シェルターの操作は正規職員に限られるが、誘導や清掃だけでも人手が増えると助かるのだ。
……それでも、まったく追いついていないのが現実だけど。
「──はい、三号機へ回ってください。今から向かいます」
要件だけを簡潔に伝え、鳳くんは通話を切る。
行き先が同じだからと、恢さんが「乗ってく?」と親指でトラックを示すと、鳳くんは「ありがとうございます」と愛想よく応じ、そのまま助手席に乗り込んだ。
「じゃ、また後ほど!」
回収トラックはエンジンを唸らせ、水たまりを盛大に蹴散らしながら三号機の方へ走り去っていった。
濁った飛沫がアスファルトに散って、すぐにまた鈍い色に戻る。
ひとり残ったわたしは、無造作に端末を取り出し、天気予報を開いた。完全に職業病だ。
朝見たばかりの情報だが、いくつか更新されていた。
降水確率は低く、しばらく雨は来ない。
けれど、緑桃雲が夜中に流れ込む確率が上がっていた。
わたしは、ひとつため息をつきかけて——やめた。
吐いたら、湿気が増えそうだ。
代わりに、重たくまとわりつく空気を吸い込む。
鳳くんが設置してくれたジャバラの内側では、収容されたゾンビたちが鈍い動きで揺れていた。
音に反応しているのか、わずかにこちらへ寄ってくる気配がある。
「……はいはい、順番ですよ」
わたしは独り言をこぼして、乾燥シェルターのスピーカーをオンにする。
爆音で流れ出した『お猿のかごや』に向かって、ゾンビの群れをまとめて押し込んだ。
*
昼を過ぎて、ようやく一度、役所に戻れた。
フロアは冷房が効いていて、汗でじっとりした体から、すっと熱が引いていく。
あまり時間はないが、少しだけデスクに腰を落ち着けた。
日辻課長は席を外しており、ホワイトボードには来客対応とある。
杏川と紅子さんはそれぞれ受話器を肩に挟み、手元のパソコンを操作しながら、別々の相手に応じていた。
内勤側も、現場と同じくらいの修羅場だ。
「はい、ご自身で庭先まで出していただけますか。巡回している職員が、順次回収に回りますので──」
この時期は、個人宅や集合住宅の管理人からの問い合わせが一気に増える。
蒸し暑さに耐えかねて窓や戸を開け放していると、気付かないうちにゾンビが庭や家屋に入り込んでしまうのだ。
網戸やカーテン一枚でもあれば防げるのに──ゾンビは開け方を知らない。
情報番組でも何度も注意喚起されているが、なぜか毎年同じことが繰り返される。
人間は忘れる生き物とは、よく言ったものだ。
「──長い棒などで軽く押していただくか、音を立てると、そちらに気を取られますので」
杏川が懇々とアドバイスを重ねる。
声は落ち着いているが、顔はチベットスナギツネみたいだ。
やがて通話が終わると、彼女は受話器を置く勢いのまま、こちらを振り向いた。
「日曜に庭でバーベキューしたんだけど、肉が落ちてたのに気付かなくて、それがゾンビ化したのよ。で、今も庭をうろうろしてるんだって。『外に出すなんて無理!夫は夜まで帰ってこないし、誰か来て!』だと」
一息で言い切ると、死んだ魚の目で付け足す。
「……は? 梅雨にバーベキューすんな」
すさんでいる。けれど、気持ちは痛いほどよくわかった。
さすがにバーベキューをするなとは言わない。好きにすればいい。
ただ、その結果として発生したゾンビを、庭先から外に出すくらいは自分でやってほしい。
この繁忙期に、個人宅一軒ごとへ駆けつけていられるほど、こちらに余裕はないのだ。
わたしが返事をする間もなく、また電話が鳴った。
ブチ切れたままの杏川が、受話器を取る。
それでも声は、いつも通りの業務用トーンなのだから天晴である。
一方で、紅子さんはまだ別件の通話中だった。
「はい、はい……おっしゃっている意味は分かります」
と、柔らかい声で相槌を打ちながらも、額にはうっすら青筋が浮かんでいる。
キーボードに置かれた指先が、苛立ちを紛らわせるようにデリートキーを叩いているのが見えた。
その話しぶりで、相手はすぐに察しがつく。
三丁目のゴミ屋敷、物袋のじいさんだ。
受話器越しでも伝わってくる、あのガサツな圧。
自分の出したゴミが庭に山積みになっている分には一向に気にしないくせに、そこからゾンビが出た途端、「早く処理しろ」と喚き立てる。
梅雨に入ってからは、ほぼ毎日この調子だ。
何かと言えば「税金払ってんだから当然だろ」と、横柄な態度で怒鳴り散らす。
こちらが「せめて生ゴミは密閉してください」と何度頼んでも、まるで聞いちゃいない。
ふと、紅子さんの相槌がほんのわずかに間延びした。
営業用でも愛想笑いでもない。彼女は、ふっと笑みを浮かべる。
「あら? なに? ゾンビに電話線でも齧られたのかしら?」
声はあくまで上品なまま、紅子さんは受話器を耳から遠ざけた。
物袋さんの怒鳴り声が、かすかに漏れ聞こえてくる。
「もしもーし? ……あら、聞こえませんねぇ」
わざとらしく首を傾げてから、
「すみません、一度切らせていただきますねー?」
フックスイッチを押し、通話を切る。
数秒の沈黙。
「……ナイス」
杏川が、サムズアップしながらつぶやいた。
紅子さんは何事もなかったかのように受話器を置くと、
「次はどなたかしらね?」と、すぐに通常営業へ戻った。
ちなみに、あのじじいの番号は電話機に登録済みだ。
かかってきても、しばらくは無視できる。
税金泥棒? 職務怠慢?
── ゾンビ対応係は、ゾンビより厄介な相手は管轄外なので。
*
鳳くんには先に退勤してもらった。
わたしは本日最後のシェルターの乾燥完了を待ってから、ひとりで役所に戻った。
音を切っても、ラジオを聞いても、『お猿のかごや』が頭の中を延々と流れて離れてくれない。
スーパーで働く友達が鮮魚売り場で流れる音楽を心底嫌っていたけど、多分こういう気持ちだ。
こうも毎日繰り返し聞いていたら、ウンザリもする。
庁舎に入ると、昼間の喧騒が嘘みたいに静まり返っていた。
照明もいくつか落とされていて、職員のほとんどはすでに退勤していた。
うちのフロアだけが白色蛍光灯に照らされ、浮き上がるように明るい。
その中で、日辻課長は書類の山に埋もれ、番さんはパソコンの画面を睨んでいた。
「ただいま戻りました」と、わたしは控え目に声をかける。
どちらも顔を上げ、「おかえり」と、くたびれた笑みを浮かべた。
ふたりは今日も終電コースだろう。
自分のデスクに戻ると、メモが一枚と、小さなチョコレートが置かれていた。
杏川と紅子さんからだ。
丸い字と達筆な字で、「お疲れ様~」「お先に失礼しますね」とある。
その気遣いに感謝して、チョコをひとつ口に放り込む。
甘さがじわりと広がって、胃の奥がきしむような空腹が少しだけ和らいだ。
それからしばらく、わたしは残っていた事務処理を片付けた。
誰も口を開かず、キーボードを叩く音だけがフロアに落ちる。
時間の輪郭が、ゆっくりと曖昧になっていって──
「薄荷さん。もう遅いですし、キリがいいところで上がってくださいね」
課長に声を掛けられて、ふと顔を上げる。
気付かないうちに、時計は二十二時を回っていた。
未処理の項目はまだいくつか残っているけれど、どれも今すぐ対応が必要って訳じゃない。
天気次第で明日の予定は変わってしまうが、集中力もこれ以上はもちそうにない。
「はい、ここまでにします」
わたしは手早くデータを保存して、パソコンの電源を落とした。
課長の判子が必要な書類が何枚かあったが、この時間に仕事を増やすのも気が引ける。
これも明日に回してしまおう。
「お疲れ様でした」
まだ帰る気配のない二人に軽く頭を下げて、わたしはようやくタイムカードを切った。
外に出ると、夜は少しだけましな顔をしていた。
空に雲はなく、ちらほらとだが星が見えた。
それでも空気は生温く湿っていて、空調で冷えた肌がまたすぐにベタつきを取り戻す。
さっきまで快適だったはずのシャツの内側に、じわじわと汗が戻ってくるのがわかった。
わたしは駅までの道を、ゾンビと同じくらいの速度でトボトボと歩いた。
いや、梅雨時期に至っては、ゾンビの方が足取りは軽いかもしれない。
こっちは靴底に重りでも仕込まれているみたいに、足が上がらないくらい疲れている。
電車に乗り込むと、車内はほどよく空いていて、運よく端の席が空いていた。
わたしは迷わず腰を下ろす。
隣には、同じように疲れ切った顔のスーツ姿の女性が座った。
よれたファンデーションと滲んだアイラインに、その日の苦労が窺える。
謎の仲間意識みたいなものが、ほんの一秒だけ通り過ぎた。
ドアが閉まって、電車が走り出す。
車窓の外を、夜の街が流れていく。
ネオンも、信号も、居酒屋の灯りも、窓に残った水滴でぼやけて見える。
色と光がにじんで、まるで溶けているみたいだった。
それをぼんやり眺めながら、いまこの時間も、あちこちでゾンビは歩いているんだろうな、と考えた。
あの遠くに見える山からも、またずるずると降りてきているのかもしれない。
─── 今年の梅雨、長くない?
たぶん、毎年思ってることだけど、それでもやっぱり、思わずにはいられない。
電車は次の駅に滑り込み、ドアが開く。
湿った空気が少しだけ入り込んできて、車内の冷気と混ざり合った。
わたしはまぶたを閉じて、もう何も考えまいとシートに身を任せる。
だけど、三駅なんてあっという間だ。
寝る間もなく最寄り駅に電車は止まって、わたしは疲れた体を引きずるように改札を抜け、そのままコンビニに寄った。
値引きシールの貼られた弁当と、無糖の缶チューハイを一本。
小さい袋をぶら下げて、ひとり暮らしのアパートへ帰った。
「……ただいま」
残業続きで、ろくに掃除も洗濯もできていない。
床には脱ぎっぱなしの服が点々と散っていて、テーブルの上には空になったペットボトルと、いつのものか思い出せないレシートが積み重なっている。
わたしは靴も揃えず、カバンも何もかもその場に脱ぎ捨てた。
だから散らかるんだって心の声は無視して、そのまま一直線に風呂場へ向かう。
何より先に、べとつく肌や髪に付着したゾンビの粉塵を洗い流したい。
シャワーを浴びて、ぬるめの湯に少しだけ浸かる。
泡が排水口に流れていくのを見て、ようやく一日分の汚れと仕事を切り離せた気がした。
風呂から上がり、濡れた髪をタオルで適当に押さえながら、コンビニ飯をレンジに放り込む。
温まるのを待つあいだに缶チューハイを開けて、一口。
空きっ腹に流れ込んだアルコールが、熱を持って胃を焼いた。
ちゃんとした食事じゃないのはわかっている。
でも、もともと料理は好きじゃない。
休日に作り置きするくらいなら、そのぶん寝ていたいタイプだ。
ふと視線を横にやると、シンクに溜まった洗い物が目に入った。
皿もコップも、なぜか鍋まである。
即席ラーメンでも作ったんだろうけど、いつだか思い出せない。
——とにかく、今日は無理だ。
見なかったことにして、わたしは空になった缶をシンクに追加した。
「……てか、明日、燃えるゴミの日じゃん」
冷蔵庫に貼ってある収集日カレンダーを見て、気付く。
燃えるゴミは週の頭に一度、出し損ねていた。
明日は、捨てたい。というか、捨てないとまずい。
わたしは弁当を流し込むように食べ終えると、昨日の夕飯の食べ残しと一緒に、生ゴミ処理機へ放り込んだ。
ゾンビの次は生ゴミの乾燥待ちか、と思う。
でも、これも立派なゾンビ化対策の一環だ。
一家に一台、生ゴミ処理機。ゴミも減るし、一石二鳥。
乾燥を待つ間、部屋のあちこちに散らばったゴミを拾い集める。
丸めたティッシュ。お菓子の袋。穴のあいた靴下。
袋がそこそこの重さになったところで、生ゴミ処理機の中身を加えて、口を結んだ。
「はー、面倒くさ……」
サンダルを引っかけて、ゴミ袋を両手にぶら下げ、外に出る。
街灯の明かりが、白く頼りない光を落としていた。
少し小走りでアパートのゴミ置き場に着くと、ストッカーの蓋が中途半端に開いているのが目に入った。
ほんの数センチの隙間。
それでも、ゾンビ雨が入り込めば、蓋付きの意味がなくなる。
「……ちゃんと閉めろよな」
誰に言うでもなく、舌打ちが漏れる。
手を伸ばして蓋を押し上げた。
蓋が閉まらないほど、中身が詰まってるわけじゃない。
わたしはゴミ袋を放り込み、隙間のないようにピッタリ閉めた。
たったそれだけのことだ。
ほんの少し気を付ければ、余計なゾンビは生まれない。
わたしは、ちらりと周囲のストッカーにも目をやった。
隣の住宅、そのまた隣のアパート。
あちらも閉まっているか確かめたくなるが、すんでのところで踏みとどまる。
こんな時間に他人のゴミ置き場を見て回っていたら、それこそ不審者だ。
それに、うちの周辺だけを見回ったところで焼け石に水に過ぎない。
収集日の翌日は、決まってゾンビの数が跳ね上がる。
口の閉じきれていない袋や、管理の甘い場所はいくらでもあるのだ。
明日の家庭ゴミのゾンビとの戦いに備えるなら、さっさと部屋に戻って寝た方がいい。
わたしは部屋に戻るなり、くしゃくしゃのベッドに倒れ込んだ。
シーツはわずかに湿っていて、柔軟剤の匂いもほとんど残っていない。
天井をぼんやり見上げながら、明日のことを考えた。
乾燥シェルターの回転率。残った事務処理。新しい依頼。
——考えても、埒は明かない。
スマホを充電器に差し込み、まぶたを閉じる。
明日は少し早めに出勤して、そのぶん夜は早く切り上げよう。
それで、コンビニじゃなくてスーパーで、今日よりましなものを買おう。野菜とか、魚を使ったお惣菜が良い。
そんなことを考えながら、眠りに沈んでいく。
降り出した雨が窓を叩く音と、ずちゃずちゃとした濡れた足音だけが、沈む意識の底に残った。
2026.05.05




