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 イザベラが自身の取り巻きをしている令嬢達と公爵家の令嬢が言い合っているのにも目を向けずセヴェリアーノ王太子の方を眺めていると、ホールに快音が響き一瞬静まる。それは平手打ちの音だ。

 イザベラがそちらに目を向けると、先程までセヴェリアーノ様と仲良さそうに歓談していた貴族令嬢、エリサ・ヴァレンティがドナテラに平手打ちをしたところだった。


(あの子、また調子に乗って……)


 ドナテラは調子に乗ると、言ってはいけないことまで言いすぎることがある。正直近くに居ると面倒な存在だが、家のこともあり彼女が将来的には私の補佐に就くことになるのだろう。


「あなたは、えっと……田舎の三流貴族、ドナテラさんでしたか」

「い、田舎ですって!? 娼婦風情が何をおっしゃいますか!」


 二人の会話を聞いて、イザベラは思わず吹き出してしまいそうになった。

 あんな木っ端令嬢のことをよく知っているものだと感心しながら、床に座り込んだまま吠えるドナテラの様子を見る。

 彼女の伯母が私の父の妾でなければ関わらなかっただろうに、中途半端に血の繋がりがあるものだからどうしても傍らに置くことになってしまった。他の取り巻きも似たようなものである。

 代々妾を一人も取らず金で金を儲けず正当な手段で成り上がったヴァレンティ公爵家とは真逆、派手に女を買い派手に金を使うのが正義だと思い込んでいる商人一族が末裔グランドーリ公爵家には、中途半端に血の繋がる貴族が大勢居る。


「えぇ、確かに私は娼館の生まれです。ですが私のお父様はあなたの家より遥かに上――公爵家の後継ぎです。しがない子爵家の令嬢に過ぎないあなたは、公爵家より偉いのですか?」


 どうしてエリサ・ヴァレンティがドナテラのことを知っているのか、分からない。以前挨拶をした時、ドナテラは同席していなかったはずだ。

 先程エリサに話しかけられた時、浮かんだのは嫌悪でなく困惑であった。セヴェリアーノ様とああも仲良さそうに話していた公爵家令嬢が、どうして私に用があるのか分からなかったのだ。

 自分は痛いほどよく知っている。イザベラという個人には、何の価値もないことを。

 あるのはグランドーリ公爵家当主の実の娘であるという事実だけだ。だから私の周りに集まる者も、グランドーリ公爵家の威を借りたい領地を持たぬ小さな貴族家であったり、薄く血の繋がった貴族家であったりと、どれも打算的な繋がりでしかない。

 それに比べ、セヴェリアーノ様と対等に話せるエリサは何者だろう。

 娼館から身請けされたという噂は聞いたことがある。だが、その噂には尾鰭がいくつも付いており、到底信じられるものではなかった。

 圧倒的才能を持つ娘を娼館から見つけ出し、公爵家の養子にした。その結果苦手であった領地運営を円滑に回せるようになり、養子に入ったその娘は公爵家に多大な貢献をしている――という噂。


「い、家の話をするなら、あなたは養子ではないですか! 娼婦の娘が何を偉そうに!」

「養子なのは事実です。一つ訂正しておきますが、私は娼館の生まれではありますが、娼婦ではありません。売られる前にお父様に見つけてもらえましたから、私はまだバージンですよ」


 ぶふっ、と口に含んでいた果実水を吹き出しかけた。だが、周囲の者は皆エリサとドナテラの口論に注目していたから、こちらに目を向ける者は居なかった。

 それを告白する理由がどこにあるのか。そこはそんなに重要なことなのだろうか? と考えたところで、噂に名高いエリサ・ヴァレンティも女なんだな、ということにようやく思い当たる。

 非処女の貴族令嬢を貰ってくれる男性など貴族にはほとんど居ない。だからこそ処女(バージン)であることを公言する必要があったのだ。いや、言い方ってものがあるでしょうに。


「ところでドナテラさん、人を娼婦呼ばわりしてますが、あなた……屋敷の離れに男娼を匿っておいでですね。あなたの婚約者であるライモンド様はそれをご存知なのですか? あぁ、言えるわけありませんよね、異国の男娼なんて――」

「だ、黙りなさい!」


 慌てた様子のドナテラは立ち上がると、テーブルの上に置かれていた水瓶をエリサに放り投げようとする。――が、エリサがドナテラの手首を掴み上げるほうが速かった。

 そのまま流れるように押し倒されるドナテラは、自分が何故床に突っ伏しているかも分からない表情でこちらに助けを求めてきた。


(何よ、あんなの自業自得じゃない)


 それにしても手際が良い。普通の貴族令嬢が、いきなり暴れる相手を取り押さえることなど出来るだろうか?

 相当慣れているのか、護身術の心得があるのか。

 正直、この歳の令嬢は素手では蚊も殺せないような子の方が圧倒的に多いのだ。騎士志望の令息ならそのくらい出来る者も居るかもしれないが、咄嗟に身体を動かすのに必要なのは、技術だけではない。一切躊躇しないという覚悟が必要なのだ。


「ちなみにこれ、何かご存知でしょうか?」


 エリサが片手で器用に取り出したのは虹色に輝く発光水晶――音結晶だ。それも、起動中のもの。一体いつから魔力を流していたのだろう? 口論が始まってからはそんな素振りもなかったから、ひょっとしたらもっと前からだろうか。


(……もしかして、セヴェリアーノ様と話していた時から?)


 もしこの予想が当たっていたら、とんでもない女だ。彼女はセヴェリアーノ様から無理難題を押し付けられた時のため、保険を掛けていたということになる。

 王族との会話に音結晶を持ち出すなんて、不敬と言われてもおかしくはない。だが彼女は堂々と見せることで、ドナテラとの会話に音結晶を使っていることを周囲の者に証明してしまった。これでは、仮にセヴェリアーノ様が勘付いたところで疑いの目を向けることは出来ないだろう。なんて女だ。


「この場に味方しか居ないからといって、油断されてました? ふふ、これをライモンド様に送ったら、なんて反応をするでしょう。楽しみですね」

「私をお、脅すというのですか!?」

「えぇ、そうですよ? だって私のことはともかく、お父様まで悪く言うあなたに味方する必要はありませんから」


 その笑みは、あぁ、見たことがある。お父様の妾の一人――娼婦の女が、まだ子を成せていない他の妾に向ける目線にそっくりだった。

 相手を的確に煽る角度、目つき、そして口角。嫌らしい悪女の表情。もし普段からこの表情をされたら、それを向けられた相手は怒るだろう。だが、圧倒的優位な状況を作って初めてこの表情をされたのなら、()()()


「ど、どうか、それだけはやめてください。非礼は詫びます。その、賠償金だってお支払いします。ですから、どうかそれだけは――」


 ――ほぅら、落ちた。

 年甲斐もなく大泣きするドナテラを見る周囲の者の目は、先程までとは違っていた。最初は「もっと言ってやれ」とか、「面白そうだ」みたいな目を向けられていた二人だったのに、いつの間にかドナテラに向く目は同情を、エリサに向く目は恐怖を映している。

エリサは自分の味方を増やすためではなく、敵対者を減らすためにドナテラを利用したのだ。

 意図してこの状況を作り上げたのだとしたら――恐ろしい。


(これ、敵に回すと想像以上に厄介そうね……)


 エリサがこちらに近づいてきた時、あちらは明らかに挨拶以上の会話を求めていた。嫉妬でツンとした態度を取ってしまったが、失敗だったろうか。

 だが、私だって二言くらいしか話したことのないセヴェリアーノ様とあぁも親し気に話せるなんてと、憤りを感じたのは事実である。


「サバ、テクラ。ドナテラを外に連れて行って落ち着かせなさい」


 エリサが怖いからか、床で突っ伏したままわんわん泣くドナテラに近づくことも出来なかった取り巻きの二人に命じ、視線を遮るようにエリサの正面に立つ。――先程までの薄気味悪い笑みは、彼女からは消えていた。


「下の者が失礼したわね」

「いえいえ、ようやくお話しできそうですね」


 あっさりドナテラから離れたエリサは、ついさっき令嬢一人をガチ泣きさせたとは思えないくらい朗らかな笑顔をこちらに向ける。

 ――背筋に、冷たいものが流れたような錯覚を感じた。

 こうも自然に性格を切り替えられるということは、エリサはよほどの環境で育ったのだろう。こうしないと生きていけないような、非常な世界であったに違いない。


「どうされました?」

「……なんでもないわ」


 緊張に表情が強張ったのを感じたので、一度俯き息を吐き、大きく吸った。

 そうだ、取引先の偉い人との商談に臨むとでも考えれば良い。先程までの態度から想像するに、エリサは敵には厳しいが味方には甘いタイプ。彼女をこちら側に引き込むことが出来れば――


「その音結晶、こちらで買い取らせて貰えるかしら?」

「え? どうしてですか? グランドーリ公爵家には使い古しの音結晶を再利用出来る技術でもあるのでしょうか?」

「……ないわ。ただ、あなたがそれを持ってると、あの子がこれから夜も寝れない日を過ごすことになると思うの」

「はぁ。……じゃ、もう要りませんね」


 そう言うと、エリサは床に置いたままだった音結晶をヒールの踵で踏み潰した。


「……え?」


 音結晶は衝撃を与えると記録した音を再生する。だが、原型を留めないほど大きく破損させれば別だ。音を再生する前に消失し、ただの水晶の欠片に戻ってしまう。


(こ、こんな、10万エウロ以上するものを躊躇なく……!?)


 イザベラは貴族令嬢ではあるが、本質的には商人だ。故に、彼女の行動が理解出来なかった。脅迫もとい交渉すれば数十万、いやひょっとしたら100万エウロ以上の額で売れるかもしれなかったものを、躊躇なく踏み潰して壊したのだ。

 グランドーリ公爵とは、爵位を持っているだけの商人である。それは爵位を持たねば貴族相手に信用されないという打算によって得た爵位であり、何らかの功績を認められたわけではない。ただひたすらに、叙爵されるまで王家に金を積み続けただけなのだ。

 だからこそ、エリサの行動が理解出来ない。商人としての常識とも、この場の最善ともかけ離れた行動を取ったからだ。


「これで、先程までのお話はなかったことになりますね」

(ならないでしょ!? 何考えてるの!?)


 困惑を顔に出さないよう必死に表情筋に力を込めながら、返す言葉を考える。


「……そう、そちらがそれで良いのなら、(わたくし)としては構いませんわ」

「では、邪魔者は居なくなったのでお話をしましょう」

「……何の?」

「え? 数少ない顔見知りとお話したかっただけですが……。いけませんでしたか?」


 私より矮躯の彼女が上目遣いでこちらを見る。その瞳からは、先程感じた嫌らしさなど微塵も感じられない。

 先程の騒動と彼女の生い立ちを何も知らない令息がこの瞳を向けられたら、まぁ大体惚れるであろう。たぶん婚約者が居ても揺らぐと思う。それほどまでに整った顔を持つ彼女に上目遣いで見られると、私だって照れてしまうほどだ。


 それから私達は、しばらく()()をした。

 グランドーリ公爵家が今扱っている品物や、最近の売れ筋、流行をどうやって作っているのかとか、人脈はどう広げるのか。令嬢が話すには少々華のない話ではあったが、そちらの方が私としても話しやすかったので助かった。成金貴族みたいな思想で私を取り巻く令嬢より、彼女のような完全実利主義の人の方が私に性質が近いのだ。


 私は自分に価値がないと思っていた。だからこそ、価値を生み出す存在になれればと、価値を作る存在になれればと、家業を手伝ってまで見分を広めていたのである。


 ――彼女は、エリサ・ヴァレンティは、私に似た存在なのだ。


 行動でしか自分の価値を示せない、不器用な人。噂だけを聞いて感じていた彼女への嫌悪感は、話し込んでいるうちにすっかりなくなってしまっていた。

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