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(まぁ、こうなりますよね)
遠巻きに見られている私の周囲には、ぽっかりと誰も居ない空間が生まれていた。
王宮の大広間に集まった貴族家直系の子供たちの数は、500人程度だろうか。公国の貴族の数が100程度居ることを思えば、一つの家から5人来ている計算になる。
確か10歳未満の子供は呼ばれないということなので、この国の貴族家がどこまで子だくさんか分かるというものだ。
500人の子供達が大人の付き添い無しで集まれる機会は、公国広しといえどこの舞踏会しかない。だが、子供だけでも派閥というのがもう出来ているものなのだ。
(旧タリア帝国貴族があちらのグループ、ヴェッキオ公爵派閥の貴族があちらのグループ、で、残ったこのあたりに集まるのは、成り上がりの新興貴族といったところかな)
子供はまだ政治の世界を知らない。だが、10歳にもなると親と共に社交界デビューをとうに済ませているものだ。
そこで誰が味方で誰が敵かを教えられ、親の目の届かない子供達だけの舞踏会においてもその派閥を意識して集まっている。勿体ないものだ。
(……みっけ)
壁の華になりながら視線だけを動かし皆の動向を探っていると、見慣れた人物を発見した。――主人公だ。
(流石に、本編で語られてないこの場であの子がどんな行動をするかは私にも分からないから、現時点の言動から転生者かどうかを図るのは難しいわね)
たゆひつの主人公となるあの子は、旧タリア帝国貴族、バルト子爵家の長女。
帝国時代から武闘派の一門で、男女関係なく、魔法適正が最も高い者が家督を継ぐことで有名な貴族家だ。
死霊魔法使いとして才能を開花させる裏ルートでは、誰を攻略していても主人公がバルト子爵を名乗るようになるが、表ルートは死霊魔法に目覚めないので、次男が子爵を継ぐんだったか。
ゲーム本編開始より前の時間軸である現在、彼女が陰属性の魔法を使えるようになっていたら、間違いなく彼女も転生者だ。だが、現時点での判断材料はそのくらいしかない。ここに敵でも攻めてこない限り、皆が魔法を使うことはないだろう。
(あなたは陰属性魔法を使えるんですか? とか聞きに行くのは流石に変だし、私が転生者ってことを伝えることにもなっちゃうから、どっちにしても不味いのよね……)
幸い、そんな風に思考を進めていても誰も私に話しかけには来ないので集中出来る。遠巻きにこちらを見ている子達が私のことを陰でコソコソ話しているのも聞こえるが、気にしない。
このあたりに集まっている新興貴族でも古くからある貴族家は300年以上続いているわけだし、ヴァレンティ公爵家と交流のある家の子息も居る。
だが、親と同伴して参加するパーティならともかく、このような子供だけの戦場で私のような異分子に声を掛けてくる者は居ないのだ。これじゃあ婚約者探しどころじゃない。
ご友人と歓談中の主人公に視線を向けながらも周囲の様子を伺っていると、ざわめきが聞こえてきた。誰かがこちらに近づいて来たのだ。
少年は私の前で立ち止まると、私の足先から頭のてっぺんまで見定めるようにじっくり見てから口を開く。
「お前が――ヴァレンティ公爵家の養子に入ったとかいう女か」
「えぇ、お初にお目にかかります殿下。私、エリサ・ヴァレンティと申します」
ドレスの裾を指で掴み、貴族令嬢らしい優雅な礼を返す。家庭教師の先生にも喋らなければ満点と褒めて頂けた私の所作は、彼にはどう映っているだろう。
「セヴェリアーノ・ヴェッキオだ」
着飾らないシンプルな礼服を着たその少年は、この国の王太子、通称セブ様だ。
短めの銀髪を後ろに撫でつけるようセットし、指には王家を示す紋章の入った指輪がある。会うのはこれが初めてだが、顔に面影があるからすぐに分かった。
彼が王太子セヴェリアーノ。舞踏会の主催者であり、たゆひつの攻略対象の一人。
まだ本編開始時点より3歳ほど若いからか顔に幼さはあるが、お父様で免疫が付いてなければ令嬢誰しも目で追ってしまうほどの顔面偏差値の高さではある。わがままに育ったからか少々悪ガキ感が抜けないが、乙女ゲームの攻略対象はやっぱりこうでないとね。
王位継承権第一位のセブ様だが、セブルートに入ると彼は王位継承権を放棄する。
長男だが妾の子である彼は、敬愛していた母を謀殺され自暴自棄になっていたところを主人公の明るさで救われる――というのがセブルートの大まかな流れである。
彼は王位継承権を放棄した時点で母の生家である伯爵家の養子に入り、セヴェリアーノ・アマート伯爵と名を変える。攻略対象として比べれば、ルート途中で公爵その人となるお父様、ジュリオ・ヴァレンティの方が爵位が上になるのだ。
「確認しておくが、噂は真実なのか?」
「えぇ、直接聞いたわけではありませんが、その疑惑を私は否定しません」
「……ふぅん」
一瞬、悪戯を思いついたような表情になったのを私は見逃さなかった。王族であることをやめてからのセブ様は、他キャラのルートを通った時に見る立派な、だけど少しだけ横暴なところもある王太子とは違った側面が見えてくる。
王太子として生まれ育った彼の行動を宥める者などそれまで居なかったからやりたい放題だったのに、ルートに入ると主人公が駄目なものは駄目と毎回注意するようになるのだ。その反応が楽しくて新たな悪戯を計画する――そんな姿を、私は何度も見てきた。だからすぐに気付いた。これはまずいことになった、と。
(このまま興味持たれて主人公に成り代わるのはまずい!? 興味を持たれないように――えぇと、何すれば良いんだろ!?)
冷や汗が垂れそうになるのを気合で耐えながら、どうやって興味を向けられないか考える。下手なことを言って避けてしまうとお父様の名誉を傷つけることにもなるし、なんで私に声掛けに来たんだろう。興味本位とか?
「あの、私と話していると変な噂が広まってしまうかもしれませんよ」
「だろうな。俺には関係ない」
「……失礼しました」
私はセブ様のことを嫌いではない。むしろ、好きな方だったはずだ。
だけど、今こうして目の前で話していてもほとんど感情が揺らがないことに、私自身驚いている。転生してからお父様一筋になってしまったからだろうか。
やんちゃな年下の男の子を前にしているような、そんな気持ちになっているのだ。
まぁ実際、私の体感年齢はもう40過ぎ、私より落ち着いたお父様はともかく、セブ様のような性格の子はどうしても子供に見えてしまう。ゲームをプレイしてるときはそんなこと思わないんだけど、どうしてもね。
「お前が養子に入ってから、ヴァレンティ公爵家は随分と不正領主の摘発が増えているらしいな。父上が褒めていたぞ」
「それはそれは……恐悦至極に存じます。ただ、元はといえば当家の監督不行き届きが原因ですので、国王様にお褒め頂けるようなことではないかと思いますが」
「ん? 何を言っている。普通の貴族は自領内で不正があったら揉み消すものだろう。それをヴァレンティ公爵家はあえて隠さず王家に報告しているのだ。その時点で、誠実な貴族だとお父様が考えるのも当然だ」
褒めて貰えているはずなのに、どうしてかむず痒い。
ヴァレンティ公爵家は、広すぎた。たった一家が北海道全域ほどに広がる領地を管理しきれるはずがない。それ故、公爵家自らが領地を管理することを放棄し、親戚関係のある他家に領主を任せるが習わしだった。
それは広大な土地を持つ貴族ならどこもしていることだが、規模が違う。ヴァレンティ公爵家ほど広く、ヴァレンティ公爵家ほど多くの領主を抱えている貴族家は他にない。結果的に、その施策が不正の温床となってしまっていたのだ。
私が最初に見つけたテトア地区の横領は、まだ軽い方だった。
細かく調査した結局、少額の横領も含めれば3割ほどの領主に不正が見つかってしまい、流石にそれら全ての領主を解任または死罪にすることは難しいと判断したお父様は、罪が軽いと判断された一部の領主にそのまま土地を任せることとした。
当然公爵家から監視のための文官を派遣するが、信用出来る文官はそこまで多くない。屋敷から半数ほどの文官を派遣することになったので、すぐに事務作業すら回せなくなり、普段は私が文官補佐として働いているほどだ。
「突然の体制変更に関与している者が居ると踏んだが、お前か?」
「私は、噂通りの娘にございますので、あまり過大評価しないで頂ければ助かります」
「ふん、噂通りか」
セブ様の表情を見ると――『言質を取った』とでも言いたげな顔で微笑んでいた。
「俺の聞いた噂は、『どこぞの館から買われてきた娘が、優れた頭脳で公爵家を陰で支えている』、というものだが」
「え」
「『見目麗しきその娘は、華だけでなく毒も持つ』などと王宮では噂されているが――ふむ、この噂をお前は否定しないのだな」
「え、いえ、あの」
「まさか貴様、俺に向かって嘘を吐いているわけではなかろうな?」
強い口調で睨まれ、返す言葉が出てこない。
噂通りと答え、更に嘘を吐けない状況になってしまった。なぁなぁで流すのは限界だ。こういうとこあるから油断出来ないのよねセブ様。
「…………あの、公爵家からの不正報告が増えたのは私が調べたからで、そこは間違いありません。ですが隠蔽せず報告しようと提案したのは
私でなくお父様――ジュリオ・ヴァレンティですし、私は領地運営には一切口を出しておりません。領主の作成した書類を見、予測をするまでが私の役割で、情報を精査するのも、国に報告するのも、全てお父様が行っております」
焦りで口調が崩れ早口になってしまったが、セブ様は「ん?」と首を傾げる。分かりづらかっただろうか。
「待て、書類を見ただけ、だと? 現地に行って調べたわけではないのか?」
「えぇ、はい。見ただけです」
「金庫や私財を調べて、横領をしていると判断したわけではないのか?」
「違います。私は屋敷からほとんど出ない生活をしていますので、直接領地を見に行ったことは一度としてありません」
「…………ふむ」
小難しい顔をしたセブ様は顔を背けると、手を上げて人を呼ぶ。ちなみに、この会場内に居るのは給仕を除けば全員未成年だ。なので今呼ばれたセブ様の補佐官も未成年、ほぼ同年代の子供である。王太子付き補佐官見習いだろうか?
セブ様は何かを話すと、補佐官はすぐにホールを出ていった。3分ほど無言の空気に耐えていると、紙を数枚手にした先の補佐官が戻ってきた。
「これを見ろ。何か分かるか?」
「……拝見します」
渡されたのは30ページほどの書類の束。ピン留めされており折れ線がついているので、今回のために作ったのではなく元から見られていたのであろう。
ぺらぺらとめくってみたところ、財務調査報告書だろうか。地名は塗りつぶされているのでどこの土地の話かは分からないが、ここ数年分の年次売上に純利益、売掛金や経費などが細かく書かれている。
書式はヴァレンティ公爵家のものと多少違うが、書いてあることは前世とそこまで変わりないので簡単に読み解くことが出来た。
「んー……」
「どうした?」
「いえ、今年の売掛金――去年と比べると随分増えてるみたいですが、今年のものにも詳細が書かれていませんね。それに、3年前のここ、前受金のうち30万エウロほどが使途翌年不明のまま消えてますし、貸付金190万エウロってこんな高額なのに使途が『工事』って、これ馬鹿にされてるんですかね。なのに翌年のものと見比べて資産が微増程度でほとんど変わってません。台風で新築の屋敷が飛ばされでもしたんですか? でも消失したのなら相応の除却処理が必要なはずですが、それもされてません。それと――」
ぺらぺらと口が回る。最近はこのような書類仕事をずっとしていたから、すぐに問題点をいくつも見つけることが出来た。
説明の途中で若干引かれているような気配は察したが、ぱっと見て分かった違和感をある程度報告したところで、ふぅと息を吐く。
ちなみに公爵家では、財務に関わる書類は各領主が各々好きなように書いておりそれを公爵家付きの文官が転記するという作業があったので、こちらで原紙を作成し、今後はこの書式で書くよう領主の元に送らせた。
これまで書かれていた無駄な情報を省き、必要な情報だけを見やすく配置することで、時間短縮や不正の発覚にも繋がるのだ。
魔導具によって紙の複製を行えたので、印刷機がなくとも大量印刷は容易であった。
「……お前は分かったか」
「半分、……いえ、3割くらいはなんとか」
「そうか……」
セブ様と補佐官は二人でコソコソと話しているが、真正面なので丸聞こえだ。
いつもお父様や屋敷の文官に話すノリで話してしまった。この年齢の二人が財務に関わっているとは思えないし、流石にこの言い方では伝わらなかったか。
ただ、言い換えるの面倒なんだよね。どこまで分かるかも分かんないわけだし。
「この書類を作ったものを、どう思う」
「これでバレないと思ってんならよっぽどの馬鹿ですね。これを通した文官や領主も同じです。ぽっと出の小娘が数分で分かることが分からないってことですから」
そう返すと、セブ様は補佐官の脇腹に軽く拳を入れた。
あれ、えっと、私流石に調子乗ってました?
「……これは、カルリージ大公家に関する財務資料だ」
「へぇ、大公…………え?」
うん? 大公家ってこの国に一つしかないよね?
確か、三代前の国王が崩御する前に王位を譲ったことで生まれた貴族だ。
王族に関連する家柄のため、大公家に関わる資料は少ない。公爵家より上にある唯一の爵位だが、実際は王家の相談役のような立ち位置だったはず。
「……申し訳ございませんが、先程のは全部聞かなかったことにして頂けると」
「断る。父上がこれをお前に見せれば何か分かるやもしれんと言っていたが……なるほど、そういうことだったのか」
「あの、偶然、偶然ですよ。ちょっと不正っぽく見えるだけで別に確証があるわけでもないですし、その、隠蔽が下手くそで分かりやすかったのでそう思っちゃっただけで……これひっかけ問題ですよね?」
「そんなわけないだろうが。大公家のものということで確認が甘くなっていた可能性はあるが、少なくともここ5年ほどで横領は確認されていない」
「…………」
「…………」
「手柄はお渡ししますので、打ち首だけはご勘弁を……」
「するわけないだろうが」
溜息交じりにそう返されたが、いやでも私、セブルートじゃないところでセブ様が犯罪者に斬首を命じるシーン覚えてるんだよね。
あれは裏ルートの話だから厳密には正史ではないんだろうけど、わがまま王太子は状況が変われば暴君にだってなるという印象的なシーンであった。
「我が国には優秀な文官が少ない。――いや、違うな。優秀なものほど上手く不正をするし、優秀なものほど上手く手を抜くものだ。この書類を見て大公家の横領を疑ったとしても、それを上甲することで面倒ごとに巻き込まれるのを避けるため、見て見ぬふりをするとかな」
セブ様が言うのはまぁ、一般的な責任逃れだ。そんなもの、高度な文明を築き上げた人間社会では必ず起こることである。
ミスを見つけると激高する上司が居たら、誰も自らミスを報告をしなくなる。報連相が成り立たない職場とはその実、報告を受ける側の姿勢の問題が大きい。ミスがあった時に見つけたものが直さないといけない環境なら、誰もミスを見つけようとはしなくなる。透明性のない環境は、そうやって生まれるのだ。
「俺にはお前の言う『分かりやすい不正』というのがさっぱり分からん。先の報告を受けた上で同じものを見ても、俺にはその不正を見つけることが出来ん。だがお前には、違うものが見えてるようだな」
「……慣れ、ですかね」
「慣れ? それなら常に金勘定をしている財務室の者が気付かないはずないだろう」
「いえ、気付いてたかもしれませんよ。言えないだけで」
「……まぁ、その可能性もある。大公家に上から言えるのは王家くらいだからな」
まさにその王家の第一王子の反応を見るに、大公家に上から言えなそうな表情である。何せ先程は、驚きよりも嫌悪感が上回っていた表情をしていたのだから。
「私はどこの家の不正だったのか、聞かなかったことにします。ただ周りで聞こえていた人も居たかもしれませんが……」
一応周囲に目を向けてみたが、明らかにセブ様が近づく前より距離が離れてしまっている。不穏な気配を感じ取ったからだろうか。
皆はこちらを見てはいたようだが私が目を向けると一様に顔を逸らしてくる。普段なら女子の注目を浴びるはずのセブ様が居るのにだ。
皆の反応からして、仮に話が聞こえていた者が居ても、意味が分かった者が居た様子はない。この歳で文官の仕事を理解している貴族家の子息など居ないのだ。皆、貴族の作法なり魔法なりを覚え社交界で同世代の者や派閥の者と交流を深めるのに夢中な年頃だろう。私はそのあたりほとんどスルーしてるから覚えられてるだけだからね……。
「なぁお前……財務室で働く気はあるか?」
「嬉しいお誘いではありますが、今はまだその予定はありません」
「何故だ? それほどの見識があれば、公爵家からの独立も夢じゃないと思うが」
「したくないんですよ」
少しだけ苛立ち紛れに返してしまった。私をお父様から引き離そうとする輩に会うと、どうしても態度が悪くなってしまう。
――好きで一緒に居るのに、離れるなんて考えたくない。
私を救ってくれたお父様に恩を返し終わる日なんて、きっと一生訪れない。だって、私の一生を買ってくれたのだ。その恩を返すのには、こちらの一生分報いなければならない。嫁入りするのが恩返しになるなら嫁入りするし、婿取りするのが恩返しになるなら婿取りもする。
けれど現状はその必要がない。家を出てお国の為に働くなんて真っ平御免だ。
「ただ、もしも専門で働く人達がこの書類から不正を見分けられないとしたら……」
「……したら?」
「当家へ研修に連れて来て頂ければ、見分け方のコツなどを教えることは出来ます。ですが、私に財務室を手伝わせるような気配を感じたら、すぐに追い返します。資料は全てこちらで用意しますので、手ぶらで来ていただいて構いませんよ。客間がいくつか空いてますので、しばらく滞在して頂くことも出来ます」
別に私が財務室に行かなくとも、公爵家の文官に教えてることと同じことを教えれば良いのだ。
既に財務に関わっている文官に必要なのは、技能ではなくあくまで着眼点である。何年も、場合によっては何十年も数字を追ってきている者ならば、不正を見抜く技能自体は持っていることが多い。相手がこちらの癖を読み取って、上手く隠しているだけなのだ。
私のような外様の人間ならばすぐに気付くことでも、何十年も慣習でやってきた者では気付けないことだってある。
しかしそれは、相手も一緒である。これでバレないなら次はもっと、もっとと横領の額を上げていくことが多いので、代が変わるであろう30から50年分ほど遡るだけで特徴を掴むことが出来る。まぁ、それは几帳面に過去百年分以上の記録を残しているヴァレンティ公爵家だから出来た見分け方かもしれないが。
「ふむ、お前が財務室に入るのではなく、財務室全員がお前ほど聡明になれば良いということか」
「はい、なれると思いますよ? 皆さん私と違ってエリートでしょうから」
さっきからずっと「お前」呼びなの気になるけど、これゲームだとセブルートに入るとそのうち名前で呼んでくれるようになるから、好感度が上がったのが目に見えてちょっと嬉しい演出だったんだよね。実際対面でやられると割とムカつくんだけど。
「研修に行かせるのは、誰でも良いのか?」
「えぇ、構いません。あ、でも地位とか爵位とか私が養子だからとか、生い立ちから私を馬鹿にするつもりの人を連れて来られたら流石に帰って頂きますので、ご容赦ください」
「あぁ、分かった。俺の一存で決められることではないのでな、後日使いの者を向かわせる。有意義な時間だった。ではまたな」
セブ様はそう言うと、背を向けて歩き出した。
次に向かうのは――主人公のところか。きっと、あの子も私のように色々なことをしているのだろう。転生者じゃなくとも、彼女は主人公なのだ。
本編で描かれるより前から巷では聖女と呼ばれていたように、優れた人間であることは間違いない。
(何とか乗り切った、かな)
どこか満足そうなセブ様の後ろ姿を見るに、少なくともお父様の名誉を汚すことはなかったはずだ。嫌われた様子もないし、特段好かれた様子もない。異性としてでなく文官として対応したのが良かったのだろう。
まぁこのままだと屋敷に帰ったら、王太子様とお話したら色々興味持たれましたよとお父様の胃が痛くなる報告だけをすることになってしまうので、一人くらいお友達を作っておきたいところではあるが――
セブ様が主人公グループに割り込んで話しだし、皆の目がそちらに向いたのを確認してから壁の華に戻って再び周囲に視線を向ける。
うーん、なんとなくだが先程までより意識的な距離を感じる。これじゃ、婚約者どころか友達の一人も作れない。こちらから動こうにも、顔見知りも過去に挨拶を交わした程度の者だけで名前だってうろ覚えである。
文字とか数字でなら覚えられるんだけど、どうしても顔と名前を一致させるのは難しい。社交界にほとんど出ていないのがここに来て響く。
最初と比べると皆と距離が離れてしまったが、お陰で少し動いても意識されることはなさそうだ。給仕から飲み物を受け取ったり軽食を摘まみながら移動を繰り返し、目的の人物の元までゆっくりと近づいていく。
「こんにちは。以前挨拶させて頂きましたが、覚えてらっしゃいますか?」
同世代の貴族令嬢を数人侍らせた、私より2つ上の令嬢に声を掛ける。
彼女はグランドーリ公爵家の長女、イザベラだ。
家の格ではヴァレンティ公爵家にも劣らない、ヴェッキオ公国成立以後に叙爵された数少ない新興の公爵家の一つ。元はタリア帝国全土を回っていた商人の一族であり、同じ公爵家でもヴァレンティ公爵家とは全く違う性質を持つ貴族だ。
叙爵されて300年経つ今でも領地を一切持たず、首都に大きな屋敷を持つだけだが、グランドーリ公爵家の資産は公国でも5本の指に入ると言われている。
国内外問わず貴族を相手に高額商品を売り捌く手練手管は、豪農として成り上がったヴァレンティ公爵家にはないものだ。
「……ヴァレンティの」
「はい。エリサです」
「何の用?」
「いえ、お時間がありそうなので雑談でも、と」
そう伝えてもイザベラには興味なさそうに視線を外されたが、ここまでは予想通り。
彼女はたゆひつの登場人物だ。今風に言えば、悪役令嬢――だろうか。
金の力で主人公に嫌がらせをする立場だが、2つ上なので放っておいても主人公の2年次には卒業するキャラだ。
とはいえ、あまり関係を悪化させていると卒業後も地味な嫌がらせをしてくるお邪魔キャラとして配置されており、彼女の扱いは表裏ルート問わずそれなりに気を遣う。
イザベラの態度を見て、取り巻きが私の前に立ちふさがった。彼女の名前は――あ。
「あの、私はイザベラ様とお話があるのですが、退いて頂けませんか?」
「イザベラ様があなたのような者と何を話すと言うのですか! 下がりなさい無礼者!」
「……無礼者はどちらですか」
彼女の顔には覚えがある。たしか前世でだ。名前がある程度のモブキャラだったかな。
拒絶を無視し一歩前に出、おでこが当たるほどの距離まで近づいてじっと目を見る。私の行動が予想外だったのか、取り巻きの少女は一歩後ろに下がる。
「あ、あなた、何をしているんですか!?」
「何をって、私はあなたでなくイザベラ様に用があるんです。退いて頂けないかと、先程もお伝えしましたが」
「い、イザベラ様の反応を見ればあなたと話す気がないということくらい分かるでしょう!? 早く離れなさい!」
「いえ、あなたが離れてください」
イザベラの元へ行こうとする私と、それを阻もうとする取り巻きの攻防がしばらく続くと、他の取り巻きも私の前に立ち塞がろうとするので一旦下がった。
ここからどうするべきか少し悩んでいると、取り巻きの一人が口を開く。
「娼婦風情がイザベラ様に近づこうなんて、千年早いですわ!」
まぁ、そのくらい言われても別に何とも思わないから無視を決め込んでいると、暴言に釣られたか他の取り巻きも口々に私を罵倒し始めた。
無視してイザベラの方に視線を向けると、この場に居るのも億劫になったのか溜息を吐き離れていく。取り巻きをガン無視して追いかけても良いけど、また立ち塞がられると面倒だなと思っていると――
「身内を暗殺するだけでは飽き足らず娼婦を身請けするだなんて、もうヴァレンティ公爵家は終わりですわね」
「……はい?」
私が突然返事をしたことに驚いたのか、先の取り巻きが一瞬怯む。
「あ、あなたを身請けしたジュリオ・ヴァレンティが、母親と兄弟全てを暗殺し後継ぎになろうとしていると貴族内で噂されてることもご存知ないのかしら? あぁ、あなたは最近買われたばかりだから――」
勝ち誇った顔で自慢げに語る令嬢の顔を見て、思わず手が出てしまった。
パチンと綺麗な音が響く。初めて人を本気で平手打ちしたが、案外自分の手も痛いんだななんて感想を覚える。
「な、な――」
「あなたは、えっと……田舎の三流貴族の六女、ドナテラさんでしたか」
奇跡的にゲーム内で登場した彼女の名前を思い出せたので、へなへなと床に座り込むドナテラの前に立つ。
説明が面倒なのと言っても聞かないだろうなと思ったのとあと単純に腹が立ったので手が出たが、これ絶対後でお父様に怒られるやつだよなぁ。どうしようなぁ。でもさっきのはちょっと我慢出来ないかな。
私のお父様を汚す人間は、たとえ誰であっても許さない。それが善良な市民であろうと、性悪な貴族であろうとも。
絶対に潰すと決意し、令嬢でなく標的へと意識を切り替える。