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「この娘の名は?」


 私の前に立った男は、目元を隠す仮面を付けていた。

娼館では身元を隠すためそのような格好をする者も多い。まぁ、隠す時点でお貴族様であると公言しているようなものだが。

男の年齢は20代前半だろうか。口元と喋り方だけで、ただものではないと感じる。彼が滲みだす麗しさは、バンビだけでなく現役娼婦までうっとりした目を向けるほどだ。


「そ、その娘はリサと言います」

「誰の娘だ?」

「リサの母は10年前に亡くなっておりますが……」

「誰の娘だと聞いている」

「は、はい! 当館が娼婦、セラフィーナが一子です!」


 見たこともないほど畏まった様子の婆ちゃんは、ぺこぺこと頭を下げながら言った。


(なんだ、やっぱ覚えてたのか)


 婆ちゃんはいつも、「死んだり出ていった奴のことなんて覚えちゃいないよ」と語っていた。私の母親が誰か聞いても、忘れたとはぐらかされていたのだ。

 知っていそうなミレーナも教えてくれなかったし、私は母の顔だけじゃなく名前も知れないものだとばかり思っていた。けれど、やっぱり婆ちゃんは覚えていたのだ。


「……セラフィーナか。それは()()()()セラフィーナで間違いないか?」

「え、えぇ、はい、そのセラフィーナですが……」


 娼婦の名は客が付ける。そうなると当然、他の娼婦と名前が被ることだってある。

基本的に同じ代の娼婦の名は被らないようにされているらしいが、それだけではこのように死んだり出ていった娼婦のことを知っている者が来た時に、誰のことを指しているか分からなくなることがある。

 そのため、神話の女神などを引用されよくある名前を付けられた娼婦は、バンビの時に名乗っていた名前とセットで呼ばれることがある。

 つまり、男の呼んだ「フィネのセラフィーナ」とは、バンビの時にフィネと呼ばれていた娼婦セラフィーナ、ということになる。


(……あ、知ってるな)


 フィネという名には聞き覚えがある。最高齢の娼婦、ミレーナのライバルだった人だ。だからミレーナは私にそれを教えてくれなかったのかと納得しつつ、私がそんな人の子供であったことを今更知って少しだけ驚いた。

 まさか私の母が、高級娼婦のライバルポジションに至れるほどの女傑とは思っていなかったのだ。

 基本的に娼婦同士も娼婦として名付けられた源氏名で呼び合うが、バンビ時代から仲が良かった者は当時の名で呼ぶことがある。母をフィネと呼ぶミレーナもそうだった。ライバルだけど、大事な幼馴染だったという。


「セラフィーナには他に娘が居るのか?」

「いえ、おりません。その娘を産んですぐに亡くなりましたので……」

「…………そうか」


 小さく呟いたその男は、一瞬だけ苦虫でも嚙み潰したような表情になる。

 目の前に立つ私しか気づかなかったほど些細な変化だったが、そんな仕草にまで色気を感じてしまうほどだ。


(なんか聞いたことあるんだよなー、この声)


 お貴族様に話題にされていることは分かっていてもその情報を上手く咀嚼出来ない私は、現実逃避のように思考をどこかへ飛ばしていく。


(あ、そうだ。榎田君の声に似てるんだ)


 彼の声は、前世で好きだったキャラに声を当てていた声優に似ているのだ。

 まぁ、当然気のせいなのだが、10年も大好きなアニメやゲームに触れることが出来ない生活を送ってきたから、このように思考が日本のオタクカルチャーを求めてしまうことがあった。声とか、見た目が誰かに似てる気がするとか、そんな風に。


(榎田君って、たゆひつの声優もしてたのよね。たゆひつはフルボイスゲームじゃないから、ほとんどドラマCDで聞いたけど……)


 そんなことを考えていたら、男が目の前で仮面を外した。

 ――綺麗なコバルトブルーの瞳だ。その瞳に、私は目を奪われた。


「え」


 娼婦達の黄色い声が、どこか遠くに感じる。

 とうに閉経した婆ちゃんまで顔を赤らめてしまうほどの美貌に真正面から照らされた私は、他の娼婦やバンビのような目を彼に向けることは出来なかった。

 だって、そこに居たのは――


「ジュリオ様…………」


 思わず、声が漏れた。

心の中で留めておくはずだった言葉は、私の口からするりと零れる。

 ジュリオ様。――ジュリオ・ヴァレンティは、たゆひつの攻略対象の一人なのだ。そして、私の一番好きなキャラクターでもある。


「え、嘘」

「何だ、私を知っているのか?」


 もう背後に後光でも差してるんじゃないかという美貌で私の顔を覗き込むジュリオ様は、どこか不安そうな顔で私を見ている。


「リサ! あんたどこでそれを知った!?」


 婆ちゃんが私の口を抑えようと手を伸ばしたが、婆ちゃんの手を掴んだ彼は強い口調で言う。


「この娘は私が身請けする。傷物にされては困るな」

「で、ですが――」

「売るからここに並べてるんだろう? いくらだ?」


 私と婆ちゃんとミレーナ以外、彼が誰か分かっていないようだ。

 それもそのはず。もし本当にジュリオ・ヴァレンティならば、娼館になど来るはずもないからだ。

 娼館から出ないはずの私が、そんな高貴なお方の名を知っていたことに驚いて取り乱した婆ちゃんだったが、身請けすると言われて正気を取り戻したのか、息を整えると懐からそろばんを取り出し勘定を始める。


「娘――リサは母に似て器量よし、手先は器用で料理や掃除の腕もあります。これから20年分、娼婦としての稼ぎから生活費を差っ引いた額は、大体このくらいでしょうか」


 こんな時ばかり突然私のことを評価する婆ちゃん、流石だよ。

 私が台所でこっそり料理してるの見つけるたび、無駄な時間を使うな芸事を習えとか、食材を無駄にするなとか怒ってたじゃない。それに母に似て器量よしって、私婆ちゃんに顔褒められたことないんだけど。

 そもそも、高級娼館モンテッラの娼婦はみな顔が整ってる。その娘であるバンビ達も、稀に父親側の遺伝子が強く出ることもあるが、皆平均以上の顔面偏差値をお持ちだ。

 だから私は、自分の顔が整っているという自覚はなかった。現代日本にあったような鏡もないから、自分の顔をまじまじと見れないというのもあるが。


「ふむ、170万エウロか」

「はぁ!? 170万!?」


 思わず声を上げ婆ちゃんの顔を睨むと、さっと目を逸らされた。

 こいつ、相手が金持ちだからって足元見てんな。普通のバンビの身請けなんて、精々30万が良いとこだろうに。

 ちなみに、この店で最もランクの高い最高級娼婦と一晩過ごすのに必要なのが5万エウロくらいだ。日本円に換算すると、大体500万くらいだろうか。

 高級娼婦を相手にしようとするのはお金持ちばかりなので、問題になるのは金額でなく予約が取れないというところにあるが、いくらなんでもバンビに170万はボりすぎだ。日本円換算で1億7000万。そんな大金を、ただの子供に払う馬鹿が居るはずない。


「婆ちゃん、昔ミレーナさんの身請け先が決まりそうだった時も120万だったんでしょ!? なんで私がそんな額になるの!? おかしいでしょ!」

「黙りな! アンタだってフィネと同じくらい稼ぐ予定だったんだよ!」

「ハァ!? 私がそんな稼げるはずないでしょ! 馬鹿にしてんの!?」

「馬鹿にしてんのはどっちだい!? アンタはフィネのことを知らないからそう言えるんだよ! あの子はねぇ――」


 白熱する舌戦に、おろおろした様子のジュリオ様が視界に映ったが、今はそれどころではないからその超絶美貌で困惑を表現しないで気が散るから。


「はいはい、そこまでー」


 私の婆ちゃんの間に割って入ったのは、ミレーナだった。


「アーヴェ。あなた、この機会にジュリオ様に取り入ろうって話じゃなかったの?」

「……そのつもりだったよ。だけど、身請けされるのがリサなら話は別だ」


 アーヴェとは、()()()()()()()()()()()()だ。知識としては知っていたが、そう呼ばれているのを見たのは初めてだった。


「170万エウロなんて、フィネでもおかしい額よ。本当に適正だと思ってる?」

「思ってるさ。リサは、そこまで育つはずだった。育てるつもりだったんだよ」

「…………そう」


 ほんの少しだけ嬉しそうな顔で俯いたミレーナは、ジュリオ様の方に向き直ると、いつもの笑顔で謝罪を述べる。


「ごめんなさいね、彼女がこう言っている以上、リサの身請けは170万エウロ。1エウロもまけられないわ」

「あぁ、分かった」


 ミレーナにそう言われたジュリオ様は、しかし悔しがる様子もなく付き人からトランクケースを受け取って開いた。

 ――金貨が、棒金のように綺麗に並べられていた。

 目算で300万エウロ程度だろうか。日本円に直すと3億円、そんな大金を持ち歩いていたジュリオ様は、やはりただのお貴族様などではない。この国で王族に次ぐ地位を持つ、ヴァレンティ公爵家の長男なのだ。

 流石の婆ちゃんもここまでの大金を一度に見ることはないのか、言葉を失って立ち尽くす。ミレーナだけは見慣れているのか、「あらあら」といった仕草をしている。


「ここに300万エウロある。リサと――そうだな、もう一人か二人、身請けしようか」

「は?」


 私が思わず声を漏らすとほぼ同時に、私を押しのけた娼婦やバンビがジュリオ様に詰めかけるように近づいた。

 ジュリオ様の正体を知らない娼婦も大金を前に、彼がただのお貴族様ではないと理解したのか、手を伸ばせば触れられる程度の距離まで近づき我先にと身体を前に押し出していくその姿は、ひどく醜い女の争いだ。


「リサ、君が選んで良い」

「え、ならミレーナさん」


 即答すると、娼婦とバンビ達の落胆の声が聞こえた。


「私? もうお婆ちゃんよ?」

「い、良い! 構わないからミレーナ、貰われていきな!! どうせ引退前にどっかに嫁がせるつもりだったんだ! ちょうどいい機会じゃないか!」

「ふむ、この子――リサといったか、彼女はうちの養子にするが、他は誰であっても使用人にしかなれないぞ。妾にするつもりはないから生きている限り働いてもらうことになるが、それでも構わないか?」


 ミレーナはそう問われ、婆ちゃんの方を振り返る。

 しっしと手を払われる仕草を見て、少しだけ寂しそうな表情になったが、もう一度ジュリオの方に顔を向けた時には、いつものミレーナに戻っていた。自信があってどこか貴賓も感じさせる、落ち着いた表情だ。


「はい、構いません。宜しくお願いします」

「あぁ。……ふむ、貴方の身請けに必要なのは120万らしいので、まだ10万余るな」


 ジュリオが言うと、婆ちゃんが私のことをギっと睨む。ここでもふんだくるつもりだったのだろうが、私が先ほどバラしてしまったのだ。これ以上釣りあげるのは無理だと踏んだか、婆ちゃんはハァと溜息交じりに言う。


「なら、そこらのバンビ一人、適当に連れてきな」

「いや婆ちゃん値段おかしいでしょ。私170万って言われたんだけど」

「うるさいねぇ! まけてやってんだろうが!」

「えー、じゃあミミ、一緒に来る?」

「え!? 行く!!」


 そんなわけで、今回の身請けは私、ミミ、そしてミレーナの3人に決まった。


 とんでもないお金持ちのお貴族様に、客を取ったこともないバンビ達が貰われるというシンデレラストーリーは、私の居なくなったこの町で数十年語り継がれるのだった。

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