街の違和感
街を歩く舞姫は、確かな違和感を感じていた。
珍しく隣に吉宗がなく、一人で歩いているのだから、いつもと違うといえばそうだが、違和感を感じるのはそのことではない。
周囲からの目が、ひどく鋭いものに感じられた。
「何かあったのだろうか……」
目に見えた変化は見受けられないけれど、江戸の街に起こったその小さな変化を、舞姫は決して見逃さない。
だれかに訊ねようかとも考えるが、なんと訊ねて良いものかわからず、舞姫は困り果てていた。
そうして、とりあえず吉宗に相談しようと考える。
「ただいま帰りました」
舞姫のその声を聞き、すぐに抱きつこうとしていた吉宗だが、暗い表情に彼の目前で止まった。
「どうかしたのか? 俺に教えてくれ。だれが悪い? 話してくれ。一緒に行ってあげられなくて、ごめんな。不安だったろう?」
部屋の奥へと舞姫を連れていき、座らせてあげると、ものすごい勢いで質問を重ねた。
答える間もなくいくつも質問をするものだから、舞姫はどうしたら良いものか困ったようで、上目遣いな微笑みを浮かべる。
微笑みは彼の癖のようなものであり、狙ってやったものではない。
しかしそれが不安そうな表情と組み合わさり、とてつもない威力で吉宗に攻撃をした。
狙わずとも可憐で、無自覚ゆえの愛らしさが、儚さまでを演出した。
その美しさに声を奪われていただけなのだが、それがやがて、吉宗の落ち着きに変わる。
落ち着いてから、やっと吉宗は、舞姫が答え方を迷っていたのだと気が付いた。
そして今度はゆっくりと、彼に質問をした。
「その表情、何か良くないことがあったのだろう? どうしたんだ。俺に教えてくれ」
将軍らしい威厳を持つ、低い声だ。
真面目にいてくれる吉宗に感謝し、舞姫も同居人ではなく将軍に仕える身として、真面目な表情に切り替えた。
対する吉宗の方が、邪な想いを溢れんばかりに抱えていたわけだけれどね。
鼻の下を伸ばしていると、どうしても軽蔑の眼差しを向けられてしまう。
一方この将軍らしい姿でいれば、尊敬にも近いような、輝く眼差しを向けてもらうことができるのだ。
だからいつもの変態発言を封印し、吉宗は優しさと威厳だけを舞姫に見せた。
別に、騙しているわけではない。断じてそういうわけではない。勘違いしないでほしい。
「明確に、何があったということができないのです。私にも何が起こっていたのか、わからないのです」
俯いて泣きださんばかりの舞姫の頭を、吉宗は優しく撫でてやる。
その動きはあまりに自然で、優しさに溢れていた。
大きな手で舞姫を包み込むようで、下心なんて欠片ほども感じさせない。
「そうか。俺も一緒にいれば、お前がどんな思いをしていたか、わかってやることができただろうに。すまない」
近距離で舞姫のことを見つめながらも、謝るときだけは、謝罪という心だけで謝る。
他の言葉はともかくとして、挨拶やお礼、謝罪などはきちんとしているのが、吉宗の良いところだろう。
ちなみに一緒に行けなかったことは、もちろん吉宗が望んだことではない。
舞姫にぞっこんで、度を越えた過保護な吉宗が、望んで一人で行かせるはずがない。
仕事が忙しく、吉宗は街をふらつくことを禁止されていたのだ。
しかし街の見回りという名で行っているので、だれも行かないわけにもいかず、代わりに行くと舞姫が名乗りを上げたのであった。
通常であれば、舞姫を一人で行かせるなど、吉宗を含めだれも許したくはなかった。
周りは危険だと説いたのだが、どうやら舞姫の方が口が上手く、彼は一人街へ出ることになったのだ。
「一応確認するが、お前のその表情は、不安さゆえとかではないよな?」
「不安だったのは吉宗様の方でしょう? 私は吉宗様が一緒にいないくらいで、不安になったりは致しませんよ」
微妙な毒舌を発揮する舞姫。
いつものことなので気にも留めず、吉宗はそのまま続ける。
「頭ではそう思っていても、本当は不安で、それが街に恐怖を見せていたとか、そういうことはないか?」
「ございません。どうして私が、吉宗様を望まなければならないのですか。一人の護衛もないことに不安は感じましたが、私とて男です。女と思って襲いきている相手に、負けはしませんよ」
あまりにきっぱりと、吉宗の言葉を舞姫は否定する。
一言でも”吉宗様がいなくて不安でした”といわせたい吉宗が、めげてしまったくらいだ。
「そうか。では」
「吉宗様? 良い加減になさって下さい」
最後の力を振り絞って、またもう一案告げようとする吉宗に、舞姫は少しも容赦がなかった。
「まだ何もいっていないよ……」
そういって、吉宗は力尽きた。
「それで、どういうことなのだ? 俺は、どうしたら良い?」
しばらくして吉宗が生き返ると、また吉宗は舞姫に問った。
「どうしたらといわれましても……。仕事の様子はどうなのですか? 明日は、外出を許されそうですか?」
困ったように眉を下げ、吉宗の問いに答える舞姫。
彼の不安そうな表情に、親指を立てて、吉宗はグッジョブの合図で応えた。それを見て、舞姫も嬉しそうな微笑みを零す。
江戸時代にグッジョブ合図がなかったというのは、不要なツッコミだ。
「それでは、明日、一緒に街を見て参りましょう? そうすれば、吉宗様も異変に気が付くことと思われます。あの街は、何が起こるかわからず、不安でございます。ですから、今日は明日に備え、早く床に就くと致しましょうか」
江戸の街へ行くのは、いつものことである。
いつもと変わらないことをするというのに、そう警戒し緊張し、備えなどという舞姫が、吉宗はおかしく思えた。
しかし彼は、翌日街に出たときに、彼がそれほど恐れていたわけを知ることになる。……かもしれない。
次回へ続く




