凶作対策
簪から鈴の音を鳴らし、舞姫は吉宗の隣を歩く。
吉宗を一人で出歩かせるのは不安だということで、城から出るときには、舞姫も一緒にいくことになったのだ。
歩きまわり、手伝いやら事件やらで動きまわるのだから、舞姫はいつもの美しいきものではなかった。
生地や着心地は良いものであるが、見た目は百姓がきているものとなんら変わらないものである。
だから頭に輝く簪は、少し浮いているようにも見えた。
「あれが吉宗様の嫁さんの、舞姫様かい? しっかしまぁ、噂以上の美人さんだなぁ」
「んだなぁ。あんなにきれいな人、おら、見たことねぇ」
「江戸の街に行けば、いつでも舞姫様を見れるんか。おらも江戸へ行きてぇ」
今日、二人は、江戸の街から少し離れた農村まできている。
普段は江戸の活気しか見ないので、人の少ないのどかな地は、二人にとって珍しいものであった。
そして珍しいものを見ているのは、そこに住んでいる村民たちにとっても同じことである。
異彩を放ち村の道を歩く二人のまわりには、いつの間にか見物客が集まって、江戸の街と変わらないくらいの人混みへとなっていた。
そのさまに舞姫は苦笑いだが、吉宗は素直に嬉しそうにしている。
「世界一の美人だぞ。よぉく見ておくんだな」
舞姫を褒める声が聞こえたのが、よほど嬉しかったのだろう。
グイッと舞姫を抱き寄せると、自慢気な表情で、そんなことをいっていた。
「吉宗様、当初の目的をお忘れではありませんか? どうしてここへきたのか、もう一度ちゃんと考えてみてはいかがでしょう」
そんな吉宗に対して、舞姫は威圧を感じさせるような笑顔を向ける。
肩を抱く腕を即座に振り解くと、指先で軽くトンと吉宗の肩を押す。
それはとても弱い力。だけれども、不意打ちだったこともあってか、吉宗はその場に尻餅をついてしまう。
まわりで見ていた人たちには、華奢に見えた舞姫が軽く触れただけで、強そうに見えた吉宗を、倒したように見えたのだろう。驚きと少しの恐怖と感心と、さまざまな感情で輝く瞳を、舞姫へと向けていた。
「大袈裟です。これでは、私が鬼嫁かのようではありませんか」
少し不機嫌そうにしながらも、舞姫は吉宗へと手を差し伸べる。
「珍しいな、お前から嫁なんていうとは。もしかして、俺の嫁となり、俺に抱かれたいという感情が、舞姫を埋め尽くしているんじゃないか? そんなにお前が苦しんでくれていたとは、わかってやれなくてごめんな」
本当は飛び上がって喜びたいくらい、嬉しかった。
だけどせっかく舞姫が優しくしてくれているのだ。彼が手を差し伸べてくれることなんて、そんなことはほとんどない。そして、ここまで自然と体に触れることも、ほとんどないといえるだろう。
だから飛び上がりたい衝動を抑え、吉宗は舞姫の手を握った。
そして元気なくせに、少し甘えてみたくて、痛めた風に足を擦ってみせたのだ。
そこまでするのなら、どうして発言には注意しないのか。不思議になるくらいである。
「吉宗様が何を仰っているのか、私には理解できかねます。くだらない戯言をいう間があれば、仕事をなさってくださいませ」
冷たくいいながらも、手を引いて吉宗を立ち上がらせると、よろけた彼の体を抱きとめて支えた。
わざとではなく素でよろけただけだったので、吉宗は舞姫の腕のなかにいて驚き動揺してしまう。
「ありがとう」
「怪我なんてしたら、嫌ですからね?」
動揺しながらもお礼をいう吉宗。
抱きしめる腕に力を入れて、耳元で優しく囁くと、悪戯っぽい笑顔で吉宗を突き飛ばす舞姫。
「そんで、雨が多かったせいで作物が育たなかった、って話だろ。悪いが、そのことを理由に、年貢を免除してやることはできない。……すまない」
舞姫に笑顔を向けると、すぐに吉宗は将軍としての表情に変わる。
よくとおる低い声で、集まってきていた村民たちにそう告げた。
「ここだけ特別ってわけにはいかないだろ? だけど、来年は豊作になるように、俺が手伝ってやることはできる」
絶望や不満の声が起こる前に、吉宗はそういうと勢い良く袖をまくる。
「吉宗様、何をなさるおつもりですか?」
「何って決まっているだろ。畑を作ってやるんだ」
当然かのようにいう吉宗に、やれやれと舞姫は溜め息をつく。
これだから吉宗様は野蛮人なんです。もう少し頭を使わなければ、また凶作になって終わりです。そんなこともわからないのでしょうかね。
口にはしていなくても、舞姫の表情はそう語っていた。
舞姫はどうするつもりなのか。その場の全員の注目が、舞姫へと集まった。
「畑は十分に足りています。あとは、家を作って差し上げれば良いのですよ。私たちが家に住むように、野菜だって果物だって、家に住みたいと思っているのではないでしょうか。雨風に打たれて、きっと苦しんでいるはずですよ」
注目などものともせず、堂々とした態度で、舞姫はいう。
その言葉は、だれにとっても新しい発想となり舞い降りた。
「そうか。俺たちは、もっと作物の気持ちになって考えるべきだったんだ。舞姫、大切なことを教えてくれて、ありがとう。今から作業を始めるから、お前は応援ということで、そこで舞っていてはもらえないだろうか。そうすれば、みんな全力以上に力を発揮できると思うし」
「仕方がありませんね」
男たちは働いた。愛する野菜の家を作るために。
女たちは男たちを支えた。愛する人が頑張れるようにと。
そして舞姫は舞う。乾いた地に美しい花が舞う。
それはそれは美しく、人だけではなく、土までもが元気をもらえていたことだろう。
「完成だな」
日が沈む頃、汗を拭い息と吐く吉宗の声。
これがビニールハウスの始まりだったといわれるとか、いわれないとか。




