第31話「骨で踊れ、筋肉を活かせ」
三日目のワークショップに、もう一人加わった。
ポッピン・ピートだった。
ブガルー・サムとエレクトリックブガルーズを共にした伝説の人物でマイケル・ジャクソンの元バックダンサー。英二の憧れのダンサーだ。ピートが会場に入ってきた瞬間、空気が変わった。
驚いたのは、その体だった。
六十代後半のはずだった。でも上半身は分厚く、腕には筋が浮いていた。四十代のアメリカンフットボール選手のような体つきだった。それでいて、動きが軽かった。若かった。歩くだけで、床を滑るような滑らかさがあった。
英二は自分の体を、思わず見下ろした。
四十五歳。彼らより若いつもりでいた。でも目の前の二人と比べると、自分のほうがよほど硬く見えた。
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レッスンが始まった。
ブガルー・サムが英二の動きを見て、途中で止めた。
「もっとエナジーを出せ」
「はい」
英二はもう一度やった。でも自分の中では、これが限界だと思っていた。四十代半ばの体を、いたわりながら動かしているつもりだった。
サムが首を振った。
「まだだ」
英二は少し戸惑った。ここ半年、年齢に合った踊り方を研究してきた。速さより深さ、大きさより精度——その方向は間違っていないはずだった。
でも今、求められているのは、それとは別の何かだった。
ピートが近づいてきた。
「英二、ちょっといいか」
「はい」
ピートが英二の腕を軽く触った。
「日本にワークショップに行ったとき、気づいたことがある」ピートは言った。「日本人は二択思考が強い」
「二択思考、ですか」
「骨で踊れ、と教えると、筋肉は使わなくていいと思ってしまう」ピートは言った。「でも身体を動かすには、筋肉が必要だ」
英二は黙って聞いた。
「止めるのも、滑るのも、捻るのも、反るのも、強いヒットも——全部、筋肉だ」ピートは自分の腕を軽く叩いた。「骨で踊るというのは、筋肉を使わないという意味じゃない。筋肉が断裂すると骨は動かない。骨は筋肉で動かしている。だけど筋肉で踊らずに骨で踊らるんだ」
「筋肉ではなく骨で踊るけれど、しっかり鍛えた筋肉を十分に活かす、ということですか」
「まあ、そういうことだ」ピートは頷いた。「お前はここ半年、精度と深さを研究してきたんだろう」
「なぜそれを」
「サムから聞いた」ピートは言った。「悪くない方向だ。でもそれは、力を抜くことと勘違いされやすい。深さは、力を抜いた先にあるものじゃない。鍛えた筋肉を、正確に、効率よく使った先にあるものだ」
英二はピートを見た。
「アメリカにいる間に、それを自分のものにしろ」ピートは言った。「日本に帰る前に」
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休憩中、英二はサムに聞いた。
「なぜお二人は、その年齢でその筋肉なんですか」
サムが笑った。
「毎日トレーニングしてる。ダンスのためだけじゃない、体そのもののために」
「毎日、ですか」
「毎日だ」サムは言った。「踊りをやめない限り、体を作るのもやめない」
英二は黙って聞いた。
サムが続けた。
「ブルース・リーを知ってるか」
「知っています」
「大山倍達は」
「空手の、ですか」
「そうだ」サムは頷いた。「あの二人や、太極拳の師匠たちは、ポッピングをやらせたら一流になると俺は思ってる」
「なぜですか」
「力を抜いていて、一瞬で弾くからだ」サムは言った。手で何かを弾く動作をした。「瓦を、何枚も重ねて割るのを見たことがあるか」
「映像でなら」
「あれと同じだ」サムは言った。「力を溜めて、一瞬で解放する。その一瞬のために、普段は力を抜いている。でもその『抜く』は、脱力とは違う。鍛えた筋肉があるからこそ、抜くことができる。何もない体では、抜くことすらできない」
英二はゆっくり頷いた。
「私は、力を抜くことばかり考えていたかもしれません」
「それも大事だ」サムは言った。「でも土台がなければ、抜くものがない」
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その日の午後、英二はもう一度フロアに立った。
ピートの言葉を思い出した。骨の構造に沿って、筋肉を効率よく使う。
サムの言葉を思い出した。力を溜めて、一瞬で解放する。
英二は今までの半年間、力を抜くことと、深さを出すことを、同じものだと考えていた。でも違った。深さは、鍛えた筋肉の上に成り立つものだった。
音楽がかかった。
英二は今までよりも、腹に力を入れた。体幹を締めた。その上で、波を通した。
ヒットの瞬間、今までとは違う弾け方がした。
瓦が割れるような、一瞬の解放。
サムが見ていた。
「それだ」とサムは言った。
ピートも頷いた。
「エナジーが出てきた」
英二は息が上がっていた。今までの練習とは、違う種類の疲労だった。でも悪くなかった。
むしろ、何かが繋がった感触があった。
半年間積み上げてきた「精度」「深さ」「骨の使い方」——それが、今日教わった「筋肉の土台」と重なって、初めて一つのものになった気がした。
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夜、マーカスのアパートに戻って、英二はストレッチをしながら考えた。
筋肉を鍛えることを、この半年、あまり意識してこなかった。ポッピングの技術ばかり追いかけていた。
でもピートとサムの体を見て、わかった。あの軽やかさは、筋肉の裏付けがあってこそのものだった。骨で踊るという言葉の奥に、鍛え抜かれた土台があった。
英二はスマートフォンを開いて、メモを打った。
*骨で踊る=筋肉不要、ではない。骨で踊る時に骨を動かすのは筋肉。滑る、捻る、反る、ヒット——全部筋肉。力を抜くのではなく、力を溜めて一瞬で解放する。瓦割りと同じ。土台がなければ、抜くものもない。*
書き終えて、インスタにも投稿した。
*ロサンゼルス三日目。ポッピン・ピートさんに言われた言葉が、今日一番刺さりました。「骨で踊れというと、筋肉は使わないんだと思ってしまう。でも身体を動かすには筋肉が必要だ」。深さと脱力を、同じものだと勘違いしていました。土台があってこそ、抜くことができる。四十五歳、まだまだ考え方の根本から学び直しています。*
投稿すると、すぐにコメントがついた。
*これ、めちゃくちゃ深い話。*
*ブルース・リーと大山倍達の例え、わかりやすい。*
*瓦割りの話、まさにそれ。*
英二はコメントを読みながら、麻衣子にもメッセージを送った。
*今日、憧れのダンサーさんから筋肉トレーニングの大事さを教わった。骨で踊るというのは、筋肉を使わないことじゃなくて、筋肉は使うことだって。*
*難しいことやってるんだね。頑張って。*
*ありがとう。頑張るよ。*
英二はスマートフォンを置いて、腹筋を始めた。
サムとピートの体を思い出しながら。
六十代後半で、あの筋肉。
自分にはまだ、二十年以上あった。
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