最終話「リターンコード:ホーム」
第三層外縁。
未記録入口は、もう隠れていなかった。
街の中に開いた、色のない空白。
光を吸い込むみたいに揺れている。
「……今日が最後」
ひなが言う。
声は静かだった。
「入口の先、父さんの座標まで行く」
そらが頷く。
「帰らせる」
その言葉は、もう迷っていなかった。
*
入口の前。
ゆいが二人を見ている。
「……ガイドは、途中で切れると思う」
「分かってる」
ひなが答える。
「でも道はある」
ゆいは少しだけ笑った。
「……あなた、本当に調査員になったのね」
ひなが照れた顔をする。
「今さら?」
そらが横で笑う。
でもゆいの目は、少しだけ揺れていた。
「……帰ってきなさい」
小さな声。
二人は頷いた。
*
未記録入口。
一歩踏み込む。
音が消える。
街の色が薄くなる。
ガイド線は、途中で消えた。
「……ここから先、見えない」
ひなが言う。
でも足は止まらない。
そらが前を見る。
胸の奥が静かに熱い。
遠くに、人影。
ぼやけた輪郭。
「……父さん」
ひなが小さく呟く。
影がゆっくり振り返った。
顔は見えない。
ただ、光だけが揺れている。
その瞬間。
空間が崩れた。
未記録域が閉じようとする。
足元が透明になる。
「……ガイド届かない」
ひなの声が震える。
初めて、自分から一歩下がった。
そらが前に出る。
「ねーちゃん、後ろ」
「……え」
「俺、帰らせる方だから」
静かな声。
手を伸ばす。
父の影に触れる。
冷たい。
でも確かに“誰か”だった。
空間が強く引き戻そうとする。
視界が白くなる。
(……帰る)
胸の奥が爆ぜる。
「……リターン」
叫ばない。
でも力は、今までで一番強かった。
光が広がる。
未記録域の色が戻る。
ガイドの残骸が、一瞬だけ繋がる。
ひなが目を見開く。
「……そら……!」
影が、形を取り戻す。
父・たいちの姿が、一瞬だけはっきりした。
笑っている。
でも声は届かない。
次の瞬間。
世界が反転した。
*
夕焼けのリビング。
光が弾ける。
三つの影が、床に落ちた。
ゆいの呼吸が止まる。
「……たいち」
小さな声。
でも父の姿は、すぐに光に溶けた。
完全な帰還じゃない。
座標だけが、戻った。
静寂。
そらがその場に座り込む。
「……今の……」
ひながそっと肩に手を置く。
「……帰れたよ」
ゆいが目を閉じる。
涙は落ちない。
ただ、少しだけ息が軽くなった。
*
夜。
ベランダ。
「……完全には戻れなかったね」
そらが言う。
ひなが空を見る。
「……でも、座標は帰ってきた」
「座標?」
「ログに“終わり”ができたってこと」
少しだけ笑う。
そらが小さく息を吐く。
「ねーちゃん」
「ん?」
「俺さ、帰るの好きかも」
「……変なやつ」
「だってさ」
少し間。
「帰れる場所、あるじゃん」
ひなが黙る。
空を見上げる。
未記録入口の方向は、もう揺れていなかった。
*
リビング。
ゆいが静かにログを閉じる。
赤い線が、ひとつ消えた。
「……おかえり」
誰に向けたのか分からない言葉。
でも部屋の空気が、少しだけ柔らかくなった。
そらがソファに寝転ぶ。
「……次の調査、いつ?」
「もう?」
ひなが笑う。
「休ませてよガイド様」
「その呼び方やめて!」
いつもの言い合い。
でも、少しだけ違う。
前に立つのは、もう一人だけじゃない。
帰らせる力が、そこにあった。




