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第7話「新たな依頼」

翌朝。アリエルは意気揚々と、騎士団の料理長特製『グランドボアの極厚カツサンド』が入った手土産のバスケットを抱え、冒険者ギルドを訪れていた。

しかし、ギルドのどこを見渡しても、あの無愛想な黒髪の男の姿はない。

「ソウスケさんですか? いえ、今日はまだいらっしゃっていませんね」

受付嬢に確認するも、返ってきたのは期待外れの答えだった。現在受けている依頼もないため、恐らく近々顔を出すはずだと言われる。

ふと周囲を見渡すと、昨日の裏庭での『決闘騒ぎ(あわやギルド員巻き添え事件)』のせいか、いつもなら熱狂的に押し寄せてくる冒険者やファンたちが、今日は遠巻きにチラチラと見るだけで誰一人近づいてこない。

(……無理もないな)

アリエルは己の未熟さに苦笑いしつつ、「しっかり会って謝罪したいので、また後日来ます」と受付嬢に伝え、その日は大人しく兵舎へと引き返した。

――しかし、翌日も、その次の日も。

ソウスケがギルドに姿を現すことはなかった。

「依頼も受けていないのに、彼がここまで間を空けるのは珍しいですね……」

受付嬢も不思議そうに首を傾げる。

手土産を渡すタイミングを完全に失い、アリエルは途方に暮れていた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

一方その頃、ソウスケは王都から遠く離れた北の街道を、とある人物の護衛をしながら旅をしていた。

厚手のローブを深く被った『依頼人』の背中を見つめながら、ソウスケは二日前の夜、娼館の奥室でカーシャから受けた依頼を思い返していた。

「七年前の戦争で捕虜になっている人物の、引き受けと引き渡しをお願いしたいの」

紫煙をくゆらせながら告げられたその言葉に、ソウスケは眉をひそめた。

「七年前って確か、ハイドライド帝国と三国同盟の戦争だったか?」

「そうよ」

ソウスケは小さく息を吐き、感情の読めない黒い瞳でカーシャを見据えた。

「……詳細は聞かねぇ。要点だけ言ってくれ」

「ふふっ……貴方のそういうところ、好きよ」

カーシャが妖艶に微笑み、依頼の全容を語り始めた。

まずはこの『引受人』を護衛しつつ、国境を越えて帝国へと侵入する。現在、帝国と他三国は完全に国交断絶状態にあるため、正規のルートは使えない。とある団体に紛れ込んで密入国を行うという。

そして帝国側の内通者と接触し、目的の『捕虜』を引き取り、再び護衛しながら入国したルートで脱出してほしい、というものだった。

「……最終的に、帰りは『二名』の護衛になるってことか?」

「ええ、そうなるわ」

「……その侵入と脱出のルート、本当に大丈夫なんだろうな?」

ソウスケの鋭い指摘に、カーシャは少しだけ目を伏せた。

「そこは信用してもらうしかないわね。ただ……これは、うちの派閥の人間でも極僅かしか知らない、私個人からの極秘の依頼と思って頂戴」

「……なる程な」

ここ二年間、ソウスケはカーシャと共に裏の仕事をこなしてきた。そして、彼女の期待を裏切った事は一度もない。

度々起こる闇ギルド内の血生臭い勢力争いでも、ソウスケの力は絶大だった。諜報や窃盗の手際もさることながら、彼がこの二年間で請け負った『暗殺』の数は十名を超える。

当然、ターゲットは裏社会の重要人物や、護衛を連れた貴族。本来、単独で簡単に殺れる相手ではなかった。

故に裏社会では、その手口の不可解さから『顔の無い暗殺者』と恐れられていた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

――半年前。カーシャが贔屓にしている商団を、野盗に扮して襲わせ、甘い汁を吸っていた貴族の暗殺劇。

深夜、ターゲットの豪邸は数十人の凄腕の傭兵と、魔力感知を展開する優秀な魔術師によって厳重に警護されていた。

だがソウスケは、その『完璧な警護網』をいとも簡単にすり抜けた。感知の網に一切引っ掛かることなく寝室へ侵入し、ベッドで眠る貴族の口を塞ぐと、漆黒の小太刀で音もなく頸動脈を掻き切った。

血の匂いに護衛が気づいた時には、すでにソウスケの姿はなく、窓枠に僅かな痕跡すら残さず見事に撤退していた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

なぜ、ソウスケにはそんな神業のような潜入と暗殺が可能なのか。

それは、彼の持つ『この世界』に於いての特異体質――『魔力が全く無いこと』に起因する。

この世界に存在する人間や亜人、魔獣、さらには鳥獣や道端の草木に至るまで、およそ『生命』と定義されるものには、すべからく体内に『魔臓腑(まぞうふ)』と呼ばれる器官が宿っている。魔力はそこで生成され、蓄積されるのだ。

この世界の住人は、相手の気配や存在を感知する際、無意識にこの『魔力の残滓』を辿っている。感知魔法などの特殊な技法を用いれば、広範囲にわたって詳細な人数や魔力の大小まで正確に把握できる。

だが、異世界人であるソウスケの体内には、この『魔臓腑』が存在しない。

故に、魔力が完全に「ゼロ」なのだ。

どんなに強力な感知魔法を展開しようが、魔力を持たないソウスケは、彼らの探知レーダーには一切映らない『完全な透明人間』となる。

逆にソウスケは、元の世界で培った科学的な知識と長年の実戦経験により磨き抜かれた、『物理的な気配』の察知能力に特化していた。

心音、微かな息遣い、衣服の擦れる音、匂い、そして筋肉の躍動が生む空気の微細な変化。それらを五感で読み取ることで、魔法使いよりも早く、正確に敵の位置を把握できるのだ。

以前、カーシャは自身の護衛にソウスケを連れて行った際、周辺にいるはずの彼の居場所(気配)が全く掴めず、不気味に思って理由を尋ねたことがあった。

『この世界の人間は、何でもかんでも魔力に頼りすぎるのが欠点だな』

ソウスケはあっさりと自身の秘密を明かした。

その戦慄すべき暗殺者としての適性を理解したカーシャは、背筋に冷たいものを感じながら、

「……その体質の事、絶対に他の人間には言わないで頂戴」

と、逆に口止めをしたほどであった。

『魔力感知が一切通用しない、物理に特化した不可視の暗殺者』

それこそが、ソウスケ・ババの、裏社会における真の姿であった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

カーシャから極秘の依頼を受けた翌日。

王都の裏門付近で待ち合わせていた『依頼人』は、薄緑色の古びたローブを全身にすっぽりと被り、フードで顔を完全に隠した女だった。

簡単な合流の合図だけを交わし、二人は馬に乗って国境へと向けて王都を出発した。

それから二日目。

道中、女はただの一言も発しなかった。故に、ソウスケもただの一言も喋らない。

(……静かで良い女だ)

馬に揺られながら、ソウスケは心の中でひどく偏った称賛を送っていた。

面倒な世間話も、気遣いも必要ない。ただ黙々と進むだけの行程は、ソウスケにとってこの上なく快適だった。

やがて日も落ち始め、周囲が薄暗くなってきた頃。

(今夜はこの辺りで夜営かな)とソウスケが周囲の地形を観察していた所へ、街道の茂みから下品な笑い声と共に五人の男たちが飛び出してきた。

「ひゃっはぁ! ここは通さねぇぜ! 命と女と金目のモンを置いてきな!」

手垢に塗れたセリフを吐く野盗たち。構えからして、見るからに三流のザコである。

ソウスケが面倒臭そうにため息をつき、腰の小太刀に手を掛けようとした――その時だった。

女が、フードの奥で小声で短く呪文を唱えた。

女の口元に『黒い六芒星』が怪しく光ったかと同時に、野盗たちの足元にも同じ紋様がフワリと輝く。

「あ? なんだこり——」

言葉の途中で、野盗五人は全員、糸が切れたマリオネットのように地面へバタバタと倒れ伏した。

ソウスケは馬から降り、野盗たちに近づいて様子を伺う。

(……寝てるな)

魔法による強制睡眠。相手を無力化するだけの、穏便な魔法だ。

しかし、ソウスケは基本、己に牙を剥いた野盗や盗賊に一切の容赦はしない。

彼は無表情のまま漆黒の小太刀を抜き放つと、スッ、スッ、と流れ作業のように野盗全員の『こめかみ』を正確に貫き、音もなく絶命させていった。

その血生臭い凶行を見ても、女は身じろぎ一つせず、手綱を引いて馬をゆっくりと歩かせる。

ソウスケは血振るいをして小太刀を納めると、「ここで寝るぞ」と手でジェスチャーを送った。

女はコクリ、とだけ無言で頷いた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

パチパチと薪が爆ぜる音が響く。

焚き火の近くで、ソウスケは携帯食料の硬い干し肉を無心でかじっていた。

女は少し離れた場所で膝を抱え、黙って揺れる火を見つめている。

沈黙が続く中、ソウスケは別に深い意味もなく、ただふっと思い出したように口を開いた。

「お前、ずっと幻術で姿変えてるつもりだろうけど……俺に幻術は効かねえから二人の時は解けよ」

そう一言だけ言い捨てると、ソウスケは女に背中を向け、ゴロンと横になった。

ソウスケは、周囲に危険がないと分かると、どんな場所でも数秒で即座に眠りにつけるという特技を持っている。

それを言われた女は、フードの奥で驚愕に目を見開いていた。

「……ちょっと待て、どういう事だ?」

女が問いかけるが、返事はない。

「……」

「……」

(……寝てる……!?)

「……おい! 起きろ!」

「……あ? なんだ?」

信じられない速度で寝落ちしていたソウスケの肩を、女が激しく揺さぶる。

「私と会った時から、気がついてたって事か?」

「あぁ。濃い褐色の肌と、薄っすら赤い目。ダークエルフだろ?」

「!?」

女が息を呑む。

ソウスケは面倒臭そうに欠伸をしながら背中を掻いた。

「まぁ、俺以外なら気付かんから気にすんな。完璧な幻術だったぜ」

そして再び寝ようとするソウスケの腕を、女がガシッと掴んだ。

「ちょっと待て! 何故効かない!?」

女は頭に被っていたフードを勢いよく脱ぎ捨てた。

焚き火の光に照らされたのは、濃い褐色の滑らかな肌に、黒く長い艶のある髪。薄っすらと朱色に輝く魅惑的な瞳と、長くピンと伸びたエルフ特有の耳。

神秘的で、息を呑むほど美しいダークエルフの素顔だった。

しかし、目を細めてその絶世の美女を見たソウスケの内心はこうだ。

(……煩くなったな。いらん事言わんければよかった)

激しく後悔していた。

「耐性が高いんだよ、全体的に」

「幻術に完全耐性を持つ人間なんて、聞いた事ないぞ!」

「あるんだよ。……じゃ、おやすみ」

ソウスケは強引に話を打ち切り、毛布を被って再び深い眠りへと落ちていった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

その翌日も、ソウスケはいつも通り無口だった。

後ろをついて歩くダークエルフの女は、前を行くその無愛想な背中に強烈な疑問を抱いていた。

ダークエルフ族は、この大陸でも数が異常に少ない。

過去の凄惨な亜人族迫害時代、特にその漆黒の肌という見た目の異様さから、「悪魔の使い」という何の根拠もない理由を付けられ、徹底的に火炙りなどで虐殺された悲しい歴史を持つ。

それ以降も、亜人国家『イヴァルオ』が誕生し新たな法が整備されるまでは、悪魔の使者的な偏見を世界中から受け続けていた。

元々長寿種であり、極端に繁殖力の低い種であったため、現在に至っても非常に数の少ない希少種族である。同じ亜人族であっても出会う事は稀であり、且つ、未だに根強い偏見や差別を受けている種族でもあった。

そんな「呪われた種族」の素顔をまじまじと見ておきながら、完全な無反応を貫く男。

「……一つ、聞いて良いか?」

「なんだ?」

「私を見ても、何も思わないのか?」

女の問いに、ソウスケは振り返りもせずに淡々と答えた。

「良い女だな、と思った」

「い……」

予想外すぎるどストレートな返答に、女の朱色の瞳がパチクリと瞬き、頬がカッと熱くなった。

(なんだ……こいつは……)

女が戸惑いと言葉に詰まった、次の瞬間。

「ッ!!」

馬に跨り前を歩いていたソウスケが弾かれたように振り返り、凄まじい脚力で女に向かって飛び掛かった。

そのまま女の細い身体を強く抱きしめ、馬の背から横手へとダイブする。

ブシュッゥ!! メキバキィッ!!

二人が地面を転がった直後、背後で乗っていた馬が『上空からの見えない質量』によって、文字通りひしゃげて踏み潰される凄惨な破裂音が響いた。

「おい!! 林に逃げ込め!! 早く!!」

直ぐに体勢を立て直したソウスケは、女の背中を力強く押し、少し先に見える林へ逃げるように促した。

「お前は!?」

「俺は後から行く!! 早く行け!!」

ソウスケは女を逃がすと同時に、肩袋から炸裂弾を二つ取り出し、馬を踏み潰した土煙の中の相手へ向けて全力で投げつけた。

ドガァァァァァン!!

凄まじい爆発音と閃光。

しかし。

「……ちぃ!! 効きゃしねぇ!」

爆煙を巨大な翼が強引に吹き飛ばし、その中から規格外の巨体が天高く飛び上がった。

爬虫類を思わせる凶悪な面構え、全身を覆う緑褐色の強靭な鱗、そして鞭のようにしなる長い尻尾。

空の暴君――ワイバーンである。

「ギャァァァァァァッ!!」

鼓膜を突き破るような咆哮と共に、ワイバーンが空中で身を翻し、ソウスケに向けて急降下を開始した。

大地を抉り取るようなスピードと質量の突撃。ソウスケはギリギリまで引きつけると、地面を蹴って側転しながらその巨大な顎(あご)の刺突を紙一重で回避する。

ズドォォン!!

ワイバーンの突撃が地面に激突し、クレーターを作り出す。

ソウスケはその砂塵を利用して死角に回り込み、両手に漆黒の小太刀を抜き放った。

(前にファブールで片付けた個体より、一回り以上デカいな……!!)

体勢を立て直したワイバーンが、鋭い鉤爪のついた太い脚でソウスケを薙ぎ払いにくる。

ソウスケはそれを小太刀の腹で受け流し、火花を散らしながら衝撃を逃がして後方へ跳躍した。休む間もなく、今度は巨大な尻尾が横薙ぎに襲い掛かる。

「っと!」

ソウスケは身を低く沈めてそれを躱し、尻尾の上を駆け上がるようにしてワイバーンの背後へと肉薄した。

黄金の龍が蠢く漆黒の刃が、ワイバーンの翼の関節部分、鱗の薄い隙間を正確に捉えて深く突き刺さる。

「ギィィィッ!!」

痛みに狂乱したワイバーンが暴れ狂い、凄まじい暴風を巻き起こす。

大地を揺らす巨獣と、その猛攻を神業の如き体術と足捌きで回避し、致命の隙を狙い続ける黒衣の男。

それを走りながら見ていたダークエルフの女は、

(何て男なの……ワイバーン相手に……)

とソウスケの戦い振りに驚嘆していた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「早くこっちへ!!」

鬱蒼と茂る林の入り口に辿り着いた女が、ソウスケに向かって声を張り上げた。

(……良し)

ソウスケは走りながら、すかさずマントの下から『閃光弾(フラッシュグレネード)』を数個取り出し、自身の周囲とワイバーンの視界に入る空域へ向けて無造作にばら撒いた。

「目と耳を塞げ!!」

ソウスケが林へ向かって走り出した直後。

カッ!!と網膜を焼き切るような強烈な閃光と、鼓膜を破壊する轟音が連続して炸裂した。

「ギャァァァッ!?」

流石の空の暴君も、物理的な光と音の暴力には耐えきれず、地面に落下し苦悶の咆哮を上げてのたうち回る。

しかし、そこは生命力の塊である竜種。ワイバーンは数秒で体勢を立て直すと、怒り狂った赤い瞳で林へ逃げ込むソウスケの背中を捉え、弾丸のような速度で追撃してきた。

背後に迫る凄まじい風切り音とプレッシャーを感知し、ソウスケは(……チィ!! 化け物め!)と心の中で盛大に舌打ちをする。

振り向いて迎撃姿勢を取ろうとした、その瞬間。

「――『顕現せよ、猛る炎の息吹。灰燼に帰す三連の牙!』」

林の奥から、女の紡ぐ凛とした詠唱が響き渡った。

直後、ソウスケの頭上を掠めるようにして、直径一メートルを超える巨大な火球が三つ、螺旋を描きながら飛翔する。

種族固有魔法『爆炎の三連牙』。それは突撃してきたワイバーンの顔面と胴体に吸い込まれるように直撃し、ド派手な爆炎を咲かせた。

「ギガァァァァァッ!!」

流石にその衝撃には耐えきれず、ワイバーンはバランスを崩して地面へと墜落し、ズザザザッと激しい土煙を上げて転がっていった。

「すまん! 助かった!」

「林の中へ!」

二人はワイバーンが起き上がる前に、深い林の奥へと急いで退避した。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

それから、一時間後。

林の奥深く、大樹の根元に腰を下ろしたソウスケは、木々の隙間から夜空を見上げてボヤいた。

「……まいったな。こんな所で足止め食うとは」

上空では、獲物を見失って激怒しているワイバーンが、未だにバサバサと巨大な翼を広げて旋回し続けている。

大型ワイバーンは攻撃力もさることながら、その鱗の防御力は極めて高い。先程のソウスケの刺突や、女の魔法の直撃を受けても、ピンピンして飛び回っていた。

そんなソウスケを見ながら、ダークエルフの女がふっと微笑み、手を差し出した。

「有り難う。さっきは助かった。私はシャリル・アウルウェル。よろしく」

亜人族に苗字は無い。

「あぁ、こっちも助かった。ソウスケ・ババだ。ソウスケでいい」

スッと差し出された手を握り返し、ソウスケは彼女の名前を脳内で反芻した。

「……長いから『シャリー』で良いか? なんか寿司みたいだが」

「す……すし?」

「いや、いい。こっちの話だ。気にするな」

「シャリー……ああ。悪くない。喜んで受け入れよう」

シャリーは自身の新しい呼び名に、嬉しそうに微笑んだ。

しかし、状況は芳しくない。ソウスケは真面目な顔に戻り、本題を切り出した。

「その、待ち合わせの団体って……遅れたらどうなるんだ?」

「……一日ほどならば待ってくれると思うが……それ以上は保証出来ないな」

「置いて行かれたら?」

「自力で国境を抜けて、ハイドライド帝国へ潜入することになる」

シャリーが俯きながら答える。

正規の国交がない現在、単独での国境越えと帝国潜入は自殺行為に近い。

「……それは相当骨だな」

ソウスケは腕を組み、思考を巡らせた。

「教えてくれ。俺はこの大陸の出身じゃないから確認なんだが……こっちのワイバーンも『夜目』が弱いで間違いないか?」

「ああ。夜に移動する気か? しかし、夜になると別の夜行性の魔獣が動き始めるぞ?」

(……俺一人なら、気配を殺して夜の森を抜けるなんて楽勝なんだが……)

ソウスケはシャリーの全身を、上から下までジッと観察した。

「な、なんだ?」

その露骨な視線に、シャリーが思わずソウスケを睨みつける。

「すげぇ原始的な『強行突破』なんだが……一つ案がある」

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「……ほ、本気でやるのか?」

「じゃねぇと間に合わないだろ」

ソウスケが提案した作戦。

それは、夜、ワイバーンが飛ばないであろう時間帯にソウスケがシャリーをおんぶし、彼が『瞬発力と持久力を限界突破させる薬』を飲み続けて夜通し走り続けるという、阿呆のような力技であった。

「しかし…私の装備は捨てていくのか?」

「いや、かさ張る物は袋に入れるから貸せ」

「……その、小さな肩袋に?」

「あぁ」

ソウスケがシャリーの長剣を手に取り、肩掛け袋に近づけた瞬間。

ビクビクッ!!と、まるで袋自体が生き物のように身震いをした。

「な、なんだ? その袋……生きてるのか?」

「分からん。だが便利だぞ」

ソウスケが長剣を袋の口に押し込むと、ズルリ……と、明らかに袋のサイズより長い剣が、丸ごと異次元に呑み込まれるように収まってしまった。

「……それって、高位の『空間魔術』が掛かってるんじゃないのか?」

「何だろうな。くれた魔女の婆さんが『召喚獣がどうの』って言ってたが、良く話聞いてなかったから分からん」

適当に答えながら、ソウスケとシャリーはローブや装備もドンドン袋に呑み込ませていく。ソウスケはあっという間に上着とズボンのみとなった。

「良し、乗れ」

「わ……分かった」

ソウスケがしゃがみ、その背中にシャリーが恐る恐るしがみつく。

(……よい感触だ)

背中に押し付けられる柔らかく豊かな双丘の感触に、ソウスケは内心でこっそり役得を噛み締めながら、シャリーの身体と自分を紐でしっかりと縛り付けて固定した。

上空に耳を澄ませるが、既にワイバーンの羽音は聞こえない。

「行くぞ」

「ああ」

ほぼ肌着に近い男女がおんぶ紐でお互いを縛り夜の森を爆走するという、客観的に見れば完全に変態の逃避行だが、本人達は大真面目である。

ソウスケは肩袋から、怪しい緑色の液体が入った小瓶を取り出し、一気に飲み干した。

「……ぐぉ……クソまずい……」

「……」

次の瞬間。ソウスケの黒い瞳が、ギラリと赤く発光した。

ドーピングによる肉体のリミッター解除である。

「行くぞ」

「ああ」

地面が爆発したかのような踏み込みと共に、ソウスケが走り出す。

それはまさに、闇夜を駆ける黒い疾風だった。ソウスケの神業的な足捌きは枯れ葉を踏む音すら立てない。凄まじい速度でありながら、完全なる無音。

道中、何度か夜行性の魔獣に出くわす事もあったが、

「――『誘え、深淵の微睡みよ。静寂の帳』」

シャリーの強力な睡眠魔法で魔獣を瞬時に眠らせながら走り抜く。

(……猛烈な腹痛(副作用)を考えると、今から鬱になるぜ……!)

途中で再度、劇薬を胃に流し込みながら、ソウスケはひたすらに脚を回し続けた。

――そして、大凡三時間をノンストップで走り続けた頃。

森を抜け、国境付近の『次の街』の明かりが遠くに見えてきた所で、ついにドーピングの限界と反動が押し寄せた。

「……着い、た……ぜ……」

「ソウスケ!? おい、ソウスケ!!」

ガクンッ、と。

ソウスケの膝から力が抜け、そのまま地面へと崩れ落ちる。

「後は……頼む……」

薄れ行く意識の中で、袋からシャリーの装備を何とか引きずり出したソウスケは、そのまま白目を剥き完全に気絶した。

シャリーは直ぐに紐を解き、装備を身につけると

(……さて、どうするかな)

と思案し、魔術によりソウスケの身体をふわりと浮かせ、足早に街へと向かった。

街の入り口で、門番がギョッとして槍を構える。

「ど、どうしたんだ? その宙に浮いてる男は?」

「疲れて眠ってしまってな。少し休める場所を探してるんだが」

シャリーは門番二人に、それぞれ一万ギニーの金貨を握らせた。

「あぁ、それならここを西に進んだ所に、上等とは言えねぇが泊まれる宿があるぜ!」

金貨の重みに、門番は満面の笑みを浮かべて道を教えてくれた。

「感謝する」

短く告げ、シャリーは宿屋へと向かった。

宿を一部屋借り、ベッドへとソウスケを寝かせる。

静かな部屋の中、泥のように眠るその無防備な寝顔を見つめながら、

(……おかしな男だな)

シャリーは朱色の瞳を細め、くすりと微笑んだ。

国境までの道のりは、まだ長い。

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