第十二話 バニラアイスクリーム
近所の空き地には、野良猫がいた。モフモフで黒いやつ。元輝は、密かにこの野良猫を「クロスケ」と呼び可愛がっていた。
今日も空き地へ向かう。住宅街にある空き地で、周りは高校、自然派スーパー、カフェなどもある。住民も概ね穏やかなものが多く、犯罪などは聞いた事はない。閑静な住宅地というものだ。一つ欠点を上げるとしたら、老人が多く、子供が少ないという事だろうか。この空き地も誰も子供がいない。野良猫なんていたら、子供が飛びつきそうなものだが、そんな雰囲気は全くない。
「な、クロスケ。俺もそろそろ実家でようか?」
「にゃ?」
クロスケは人の言葉などわかるわけがない。元輝の顔を見ながら、鳴くだけ。尻尾の様子を見る限り、機嫌は良さそうだが。
最近の元輝の悩みは、実家から出るかどうかという事だった。もうすぐアラサーになるし、妹もいて家も広くはない。メディアを騒がす「子供部屋おじさん」という言葉。見るたびに心臓がドキドキする。
そんな元輝は、中小出版社でオカルト雑誌の編集者をしていた。最近はリモートワークも多く、在宅で仕事している事が多い。今日もリモートの日。昼休憩の十二時になると、こうして外に出てクロスケに会いに来ている。時間もきっちり管理して昼休憩も作っていた。運動不足も気になるし、家に閉じこもって仕事をするのは、意外とストレスがたまるし。
そんな仕事の事情もあり、実家から出たいのだ。ただ、編集者といっても給料は高くはなく、悩むところ。リモートのおかげで会社の近くに住むメリットもない。今の悩みもコアワーキングスペースでも借りれば解決しそうではある。
「ああ、クロスケ。子供部屋おじさんってどうだい?」
「みゃあ」
「やっぱり不動産会社がメディアに流している陰謀かい?」
「みゃ……」
心なしかクロスケの表情は微妙だ。
元輝は仕事がら、オカルト系YouTuberに取材に行く事も多い。そこでコロナ陰謀論を聞いてしまい、今やすっかりそっち方面に目覚めてしまっていた。オカルトや都市伝説だけでなく、陰謀論にまでどっぷりと沼に浸かり、今は編集長にも褒められているぐらいだ。
一方、家族からは白い目。ワクチンを打つ打たないでも揉めたし、両親は「こんな息子に育てた覚えはない」と号泣。高校生でもある妹の美帆も明らかに小馬鹿にしている。「馬鹿は風邪ひかないっていうけど、お兄ちゃんは本当にコロナにも何もかかってないね」なんて可愛くない事も言ってくる始末。
「まあ、コロナは茶番さ。そうだよな、クロスケ。実際、俺は風邪なんて引いてないんだからな」
「みゃ……」
やはり、クロスケの声は馬鹿にしている気がするのだが。まあ、気のせいか。
「じゃあな、クロスケ。お前も風邪ひくなよ」
手を振ってクロスケと別れる。
空き地を後にすると、北風が吹きぬけ、元輝の長めの前髪も乱れていた。
「おお、風つよいな。もう年末近いし、寒……」
クロスケにはそんな事をいい、コロナは茶番だと馬鹿にしていた元輝だったが、この強い北風には勝てなかったのか。
翌日、目覚めたら発熱していた。
「お願いだから病院行って検査して受けてよ!」
妹の美帆は、そんな事を言っていたが無視だ。コロナは茶番派として今、検査を受けるわけには行かない。自力で風邪を撃退する事に決めた。ちなみに編集長はこの件を快諾。もし自力で風邪が治ったら、その経緯を記事にしても良いと言ってくれ、有給もとれた。
美帆も親はこんな元輝に失望し、呆れ、親戚の家やホテルに行ってしまった。風邪の時に一人で戦うのは、辛いものがあったが、特製にんじんジュースを作り、にがり、重曹、天然塩なども活用。にんじんジュース以外は断食もし、じっと静かに寝ていたら、熱が下がってきた。(※良い子は決して真似してはいけません)。
今日は近所の自然派スーパーへ行き、マヌカハニーや無農薬国際柚子も買う。買ったものを見ていたら、もう風邪は治るだろうという確信に満ちた。もう勝利者の気分だ。
「ただいま!」
家に帰ると、玄関に両親や美帆の靴がある。もう家族も帰ってきたらしい。
「え、お兄ちゃん。薬も病院も行かずに熱下げたの? 馬鹿じゃないの。だから熱下がったんじゃない?」
特に美帆は呆れていたが、父はバニラアイスクリームを箱買いしてくれた。リビングのテーブルの上は、カップに入ったバニラアイスクリーム。スーパーでは一番高いメーカーのだ。添加物も入ってなく、元輝もお気に入りのバニラアイスクリームだったが。
「さあ、元輝。あんた好きそうなバニラアイスクリームも買ってきたわよ。これ食べたら、治るでしょ?」
母はニコニコ顔でアイスクリームスプーンを渡す。
正確に言えば風邪の時にバニラアイスクリームは、特によくはない。仕事であった健康マニアに聞いた記憶がある。
それでも、もう風邪は治りかけていたから、いいか。目の前に美味しそうなバニラアイスクリームを差し出されても断食できるほどの理性もない。
「うま!」
こうして家族四人でバニラアイスクリームを食べた。風邪の治りかけに食べるバニラアイスクリームは、夢のように美味しく、熱など全部溶けてしまいそう。
「やっぱり馬鹿は風邪ひかないのかな」
相変わらず美帆は、そんな事を言っていたが、今日ぐらいは好きに言わせておこう。
家族と一緒のバニラアイスクリームを食べながら、元輝はこれ以上ない幸せを感じていた。実家から出るかは、もう少しよく考えてからでも良いだろう。
今はとりあえず、この甘くて冷たい夢のようま氷菓を楽しんでいたかった。




