第2話 発見
雪は、皿を洗い終えると椅子に座って大きく息を吐いた。
蛇と出会って、一週間ほどが過ぎていた。
あの後、蛇は具体的な話をしないで、自宅と学校を往復するだけの雪についてきては雑談に誘ってくるというようなことをしていた。さすがに人の目があるところで返事ができるはずもなかったのだが、構わず話しかけ続ける蛇の口を縛る方法を考えているうちに時間がたってしまっていたのである。
そんなことをしている間に、いくつか気付いたことがあるのだが。
「あなたを見ることができる人って、意外と少ないんですね」
一つ目の発見だ。
自分が知らないだけで、死者を見ることのできる人というのは案外多いのかもしれない、と蛇の話を聞いて雪は思っていた。何せ死者を見る条件というのは、「願いを持っていること」という簡単なものなのだ。「普通では絶対にかなえられない願い」ではあるが。
しかし、蛇は基本的に雪の肩に乗って過ごしていたのにも関わらず、誰もそのことを指摘しなかったのである。つまり、蛇のことが見えていないらしい。
まあ、明らかに雪の肩に視線を移した者も数名いたわけではあるが。
「そりゃあそうだよ。そんなにたくさんの人が見えていたら、死後の世界の謎はもっと解明されているんじゃないかな」
家にいるときの定位置となってしまったテーブルの上でよくわからないことを言った蛇に、雪は尋ねる。
「でも、願いを持っていればいいんですよね?」
「普通は絶対にかなえられない願いだって言っただろ? そんなもの誰でも持っているわけじゃないからね」
それに、と蛇は続ける。
「運動神経の悪い子供がスポーツ選手を目指すとか、かなえられない願いっていうのはそういう類のものじゃないんだよ」
今の例だと努力次第では可能性はあるしね、と蛇は言う。
「もっと、こう・・・生き物の———ほとんどの場合は人間だね。生死にかかわるような願いなんだ。しかも、そういう願いを持っていても死者が見えない人もいるからね」
「じゃあ、死者が見える人はみんなかなえられない願いを持っているんですか?」
そう聞くと、少し笑ってから蛇は答えた。
「ああ、もちろん例外はあるよ。生まれつき霊感が強い人もいるみたいだし、願いはないのにある日突然見えるようになった、って人もいないわけじゃないからね」
まあ、そういう人は本当に稀だけどね、と蛇は付け加えた。
「でも、そういう人たちは、今は願いがなくても前世とかで何かあったのかもね」
「前世、ですか」
「生まれ変わりとか、信じない?」
楽しそうに聞いてくる蛇を見て、雪は少し考えた。
「死んだら違う体で生まれ変わるのかもしれないですし、もっと別の道があるのかもしれないですね」
「別の道って?」
「そんなの知りませんよ」
まあ、そうだよね、と蛇が言った。
生き物が死んだらどうなるのか、ということについて考えたことがないわけでわなかったが、自分の貧しい想像力では何も思いつくことはないだろうと雪は思っていた。
とりあえず、死者が見える人間についての詳細を聞いた雪は、話題を変えることにした。
「そういえば、あなた、ずっと私の肩にいたんですよね?」
「さすがにずっとではないと思うけど、君が学校にいる間はそうだったね」
だというのに、この一週間で一度も肩こりに悩まされることがなかったのだ。それどころか、最初、雪は自分の肩に蛇が乗っていることにすら気付いていなかった。
「カバンをかけようとしたら、先にあなたがかかっていた時はさすがに驚きましたよ」
「僕はあの時君が驚いてたって聞いて驚いているよ」
肩の蛇に気付いた雪は、無表情のまま反対の肩にカバンをかけると、何も言わずに歩き出したのである。
「別に、声に出していうようなことでもないですし」
「驚いた時って、無意識に声が出ちゃうものだと思うけどね」
二つ目の発見。肩に蛇を乗せて生活していた雪は、死者は質量を持たないらしいが触れることはできるということもわかっていた。
わかったのだが。
「今するべきことは、ほかにあると思うんですけどね」
死者に関していくつかの発見をしたところで、自分にとってはどうでもいいことだ、と雪は思っていた。今の雪の目的は、死後の世界について知ることではなく、この蛇の未練とやらをなくしてやることなのだ。
「そんなことはないさ。これから協力していくんだから、お互いにどんな人なのかくらいはちゃんと知っておかないとね」
「私はあなたのことをまったく知りませんけどね。そもそも、あなたがやり残したことって何ですか?」
最も重要なことを聞いていなかった。
というのも、死んだ人間がこの世に留まってまで行おうとしていることなのだ。意外とデリケートな話なのかもしれない、と思った雪は、蛇が自分から話すのを待っていたのだが、このままではいつまでたっても進展がないと思い、やっとその話を振ったのであった。
「あれ? まだ教えてなかったっけ? そういえば、君の願いもまだ聞いてなかったね」
どこまでもマイペースな蛇に、不安を覚えずにはいられない雪だった。
「そうだなぁ、なんて言ったらいいんだろうね・・・」
蛇はそう言って考え込んだ。
しばらくして、その黒い口を開いた。
「心の底から何かを楽しむこと、かな。それが僕のやり残したことだ」
「楽しむこと、ですか。私に言わせれば、四六時中へらへらしているように見えますけどね」
その言葉を聞いて、蛇は苦笑した。
「楽しむこと、っていうよりも、何か夢中になれるようなものを見つけたいんだ、って言ったほうがいいかな?」
それがこの世に留まってまでもやりたいことだとは、と雪は拍子抜けしてしまった。もっとロマンチックな———例えば、「あの人に伝えたいことがあるんだ」みたいなことを言うのかと思っていたのである。
「夢中になれるものって・・・。そんなのいくらでもあるんじゃないですか?」
「君と会う前にいろんなことを試してみたけど、どれも違ったんだよね。ほら、僕のことはもういいから。君の願いは何なの?」
急かすようにそう問われれば、雪も答えるしかない。
軽く息を吐いて、こういった。
「私の願いは、死んだ人を生き返らせることですね」
なるほどね、と蛇が呟いた。
「誰を生き返らせたいのかは教えてくれないの?」
「それは別に知らなくてもいいでしょう」
「そうだけどさ、気になるじゃないか。教えてよ」
しつこく聞いてくる蛇は無視することにして、雪はこう言った。
「それで、お互いの目的がわかったわけですけど、これからどうすればいいんですか?」
「そんなの、僕に聞かれてもわからないよ」
話が違うじゃないか、と雪は思った。協力するという話は蛇が持ち掛けてきたのだから、何か考えがあって言っていると考えていたのである。
もともとかなうはずのない願いなのだ。方法もわからないとなれば、いつまでたっても先に進むことはできないだろう。
「ふざけているなら、怒りますよ」
「ああ、待って、落ち着いてよ」
慌てたように蛇が言った。
「僕は分からないけど、ほかの人なら知っているかもしれないじゃないか」
「誰が知っているんですか、そんなこと」
「もちろん、死んだ人だよ」
そんなことを言った蛇に、雪は怪しいものでも見るような目を向けた。
「どういうことです?」
「そのままの意味だよ。僕みたいにそこら辺をうろちょろしている死者に聞いてみればいいじゃないか。普通の存在じゃないんだから、普通じゃない知識があるかもしれないよ?」
そんなことはないでしょう、とは言えなかった。
雪は、幽霊が実在することすら知らなかったのだ。つまり、この蛇と出会ったことによって、今まで常識だと思っていたものが大きく変わってしまったのである。
そんなことがあったのだから、死んだ人間しか知らない何かがあってもおかしくはないのかもしれない。
「わかりましたよ。次の休みにでも、適当な人に声をかけてみましょう」
この世に留まっている死者というのは、自分の周りに数名いるようなのだ。
三つ目の発見だった。




