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第12話 夢

 気が付くと、真っ暗な場所にいた。気を抜くと自分が上を向いているのか前を向いているのかすらもわからなくなりそうだった。

 とりあえず腰を上げようと思った雪だったが、そもそも自分が座っているのか立っているのか判断することができない。

 そこが現実の世界ではないと雪が気付くのに、そう時間はかからなかっただろう。それに気付いてしまえば、二階から落ちた時に頭でも打って気を失ったのだろうと推測するのも難しくはなかった。

 明晰(めいせき)()というやつだろうか、と雪は考える。夢を見ること自体が少ない雪としては人生で初めての経験だったが、もちろんそれを喜ぶようなことはない。真っ暗な空間に放り込まれて、何をすればいいのかもわからないのだ。嫌がらせとしか思えなかった。

 しばらくして、自分が立っているということが分かった雪は移動することにしたらしい。きょろきょろと辺りを見回しながら歩いてみるものの、映るものに変化がないため本当に視線を動かすことができているのか、前に進めているのかわからなかった。


「やあ、目が覚めたみたいだね。目が覚めたのに夢の中にいるっていうのも、おかしな話だけどね」


 声が聞こえた。

 振り向くと、そこには蛇の姿があった。相変わらず、これほどの暗闇の中でもその姿ははっきりと確認することができる。

 雪は首を傾げた。今自分がいるのが夢の中だとしたら、この蛇は自分の想像が生み出したものということだろうか。

 そんな雪の考えを見透かしたように、蛇がこう言った。


「僕の存在が君の想像によるものなのか、それとも独立したものなのか、気になっていると思うけど。残念なことに僕には答えられないんだ」


「・・・どうしてです?」


「簡単なことだよ。僕もどっちなのかわからないんだ」


 いつものようなふざけた調子で、蛇が言った。


「でも、まあ。この際そんなことは気にしなくてもいい。君の夢の中に僕がいるんだ。そのことが確認できれば大丈夫だよね」


 いつものようなふざけた調子で、蛇が言った。


「ここは君の意識の中だ。いくら君がポーカーフェイスでも、ここでなら君の本音を聞くことができるはずだと、僕は思うんだ」


「何が言いたいんですか?」



「どうして君はまだ生きてるのって訊きたいんだよ」



 やっと、蛇の様子がいつもと違うことに気付いた。

 最初に声を聞いた時になぜ気付かなかったのかと思うほどに、蛇からは真っ黒な感情が漏れ出していた。

 足の力が抜けそうになるのを抑えながら、雪は蛇に言う。


「・・・どういうことですか?」


「まだそんなことを言うの?」


 蛇は失笑しながら言った。「夢の中でくらい自分に正直になりなよ」


「私は言ったはずです。あなたが私を殺そうと思っているなら、それを受け入れると」


「僕も言ったはずだよ。僕は君を殺そうだなんて思っていないってね」


「でもさっきの質問は―――」


 雪が言い切るよりも先に、蛇が口を開いた。


「僕はね。君が自分のしたことを後悔して、苦しみながら死んでくれればそれでいいんだよ」


 もしかしたら雪は、誰かに殴られたと思ったかもしれない。彼女の全身を、耐え難い苦痛が走った。


「それなのに、君は人形みたいに何も考えずに生きているじゃないか。いや、実際はいろんなことを考えているんだろうけど、外から見る分には何も考えていないように見えるよ。そんなんじゃあ僕は満足できないね」


 カチカチと音が聞こえた。それが、自分の歯がぶつかり合う音だと気付くのに、かなりの時間を要した。全身が小刻みに震えているが、間違いなく寒さのせいではないだろう。


「それに、君の願いが誰かを生き返らせることだって聞いた時には失望しちゃったね。さしずめ僕を生き返らせようとでも考えているんだろうけど、この世界のものが死から生に戻ることはないんだ。何があってもね。普通ではかなえられない願いっていっても、限度はあるよね」


「ち、ちが・・・ま・・・」


 声を出そうとしても、うまくしゃべれなかった。

 次第に呼吸も荒くなってきている。何とか落ち着こうと大きく息を吸おうとしても、短い息が吐かれるだけだった。


「何が違うのさ。いい加減、現実と向き合うべきだよ」


 蛇が前に進んだ。距離を保つように雪は後ずさる。二、三歩下がったところでしりもちをついてしまった。


「さあ、君はどうするべきだと思う?」


 荒い呼吸を繰り返しながら、何とか声を発した。


「わ、わた・・・しは、どう・・・すれば」


「そんなの、決まっているじゃないか」


 蛇の後ろに光が見えた。とても小さかったが、この暗闇の中ではまぶしいくらいの光だった。

 蛇も気付いたらしく、後ろを振り向いた。


「なんだ、もう来たのか」


 雪が何かを言うよりも早く、何かに引っ張られるように蛇の姿が消えた。

 それを確認するのとほぼ同時に、雪は目を閉じて倒れてしまった。






 目を開けると、最初に映ったのは心配そうにのぞき込む水香の顔だった。

 雪の意識が戻ったのを確認すると、安堵したように息を吐いた。


「よかった・・・。なかなか起きないから心配したわよ」


 ぼんやりとした意識がはっきりしていくにつれて、先ほどまで見ていた夢を思い出した雪は、勢いよく体を起こした。


「光希は・・・光希はどこですか・・・?」


 周囲を見回すと、何者かと対峙する蛇の姿があった。


「君は何かするだろうなあとは思ったけど、さすがにあれはやりすぎじゃないかな?」


 そう言った蛇と向かい合っているのは、雪たちに探し物の依頼をしたキツネだった。


「・・・悪かったな。ただ、あれが俺のやり残したことだったんだ」


「それじゃあ、『赤く光る物』なんて最初からなかったんだね?」


「その通りだ」


 蛇とキツネでやり取りが進められていたが、恐慌状態が続いていた雪は状況がつかめていなかった。


「どういう・・・ことですか?」


 そう尋ねると、蛇が困ったように言った。


「何から話そうか・・・。とりあえず、雪は今夢を見ていたと思うけど、そこで僕と何か話したんじゃないかな?」


「え、ええ・・・」


「それは僕じゃなくて、彼だよ」


 そう言って、蛇はキツネを見た。


「彼が雪の意識の中に入って、未練を解消したかったみたいなんだ」


「どういうこと? あんたは何か探していたんでしょ? 未練ってそれじゃないの?」


 水香がそう訊くと、キツネは首を振ってこう答えた。


「悪いな。俺は探しているものなんてない」


「それじゃあ、何がしたかったのよ」


「人を追い詰める人間の気持ちが知りたかったんだ」


「・・・どういうこと?」


「この世には、他人を精神的に追い詰めることで快感を得る人間がいるんだ。被害者が死ぬまで攻撃を続ける人間が何を考えているのか、気にならないか? まあ、さほど面白くはなかったな」


 淡々とそう言ったキツネに水香が何も言えなくなっていると、蛇が尋ねた。


「生前の君は被害者だったんだね?」


「ああ。当時は気が弱かったからな。一人で抱え込んで、結局自殺したな」


「わざわざこの廃墟を指定したのはどうして?」


「ここが俺の家だからだ」


 少しだけ懐かしそうに、キツネが言った。


「おそらく未練を解消できたら、そう時間が経たないうちにこの世にはいられなくなるだろうからな。最期はここで過ごしたかったんだ。・・・もちろん、わがままが過ぎるのは分かっている。申し訳ないことをしたな」


 キツネは視線を上に向けて続けた。


「二階に何もない部屋があっただろ。あれは俺が使っていた部屋だ。俺が死んだあと、両親が何もかも処分したんだろう。二人ともとっくに死んだけどな」


 そう説明した後、キツネは雪のほうを向いてこう言った。


「あんたなら、俺が何か言っても動じないと思ったんだが・・・。悪かったな。俺が思っていた以上に追い詰められていたらしい」


 キツネは頭を下げた後、こう続けた。


「お詫びに、というわけではないんだが、いくつか忠告をしておこう。まず、嘘の願いは言わないことだな。死んだ人間が戻ってこられないことくらい、あんたならわかるはずだ」


 俯く雪に、キツネはさらにこう言った。


「あと、何事も一人で抱え込まないことだ。いずれ俺みたいになるぞ。答えを教えてくれるやつが近くにいるうちに訊いておくのも、一つの手だ」


 そう言うと、キツネは消えてしまった。

 雪はしばらくの間キツネのいた場所を呆然と見ていたが、水香の声が聞こえて我に返った。


「まったく、どういうことよ。迷惑かけるだけかけておいて、成仏しちゃったわけ?」


 苛立つ水香をなだめるように、蛇が口を開いた。


「まあまあ、未練が解消できたんだからいいじゃないか」


「あいつにとってはよかったかもしれないけど、雪はただ怖い思いをしただけじゃない」


「その通りだよ。このままじゃあ不平等だ」


 そう言うと、蛇は雪に向かってこう言った。


「だから、次は雪の願いをかなえる番だね。ああ、人を生き返らせるってのはだめだからね。どうやら嘘だったらしいし」


 雪は、ある日の出来事を思い出していた。すべての原因となった出来事である。

 今後一生忘れることはないであろう、光希が死んだ日のことだった。

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