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夢想の形は銃弾で  作者: 衣太
邂逅
12/35

4

「それではこちらで失礼します。合流は……そうですね、あちらの銭湯で、夕方頃ということで、よろしいですか?」


「うん、ほんと何から何まで、ありがとう」



 ナディアとロレンソに手を振り、しばしの別れを迎える。

 昨日銭湯から出た後、ロレンソが見つけておいた宿屋に泊まり朝を迎えると、まずは宝石の換金に連れてかれた。ナディア達と居る時は自分でお金を使うことはなかったが、一人で行動する今日は、ある程度は持っておいた方が良いとの勧めからだ。

 あまり金銭価値を理解していなかった為に全部の宝石を一度に換金しようとしたところ、ナディアに「嵩張るので、少しにした方が良いかと」と念を押された。

 硬貨より紙幣が価値を持っていたあちらの世界とは違い、この国の流通貨幣で最も価値のあるものは硬貨だったから、当然のことだったが。

 小さな宝石をいくつか換金しただけで、あちらの世界では手にしたことがないほどの大金になってしまった。まだまだ宝石は残っているが、これを常に持ち歩かないといけないのは、中々に怖い。どこか銀行のような所があれば預けておきたいと思ったが、そのような施設はこの町には存在しないようだ。


 今は宝石も硬貨も、小さめのショルダーバッグに弾と一緒に入れてある。村を出る時、ステラから貰ったバッグだ。

 これを引ったくられたらとんでもない損失になるなと少し震えるが、銃だけは別にしてある。まあ最悪撃てば良いかなどと考えてるのは、野蛮だろうか。


 ステラが見繕ってくれた服はワンピースに薄手のジャケットといった秋物に近い印象を感じるもので、正直、生地が薄くて銃が隠しづらい。

 正面からは見えないよう、服の下に、腰ではなく肩から通したホルスターを背中に回してあるが、後ろから見たら盛り上がりが見えてしまう。元々隠し持てるサイズではなかったとはいえ、明らかに背中に異物を隠し持ってる女だ。他人に訝しまれてもしょうがない。

 なるべく背中は見せないようにしなければとは思うが、まあそれは、状況次第といえよう。


 薬屋の扉に手をかける。テストが始まる時、もしくはゲームの始まる瞬間のような緊張を感じるが、手の震えはない。

 最悪の事態にはならないよう祈ってはいても、他人がどう考えているか、日本人がこの世界でどのように振舞っているかは知らない。緊張もして当然だ。


 意を決して扉を開けるのに、3分ほどかかってしまった。



「いらっしゃいませー。ご用件は……って、うん?」



 カウンターに座っていた男性と目があった瞬間、彼の浮かべたのは疑問符だ。敵意ではない。ならば、まだ銃を抜く時ではない。

 いつでも銃を抜けるようにと背中に回していた右手を前に出し、口を開く。

 彼の一挙一動を見逃さないよう、視界は絶対に外さずに。



「はじめまして。あなたがアイザワさんでよろしいですか?」


「う、うん。僕がそう。相澤博<あいざわひろし>って言うんだけど、えっと君、もしかして日本人?」


「はい。あなたも、日本人ですよね」



 この国の人間とは明らかに違う顔立ち。そういえば、長く見ることがなかった顔だ。

 濃い黒髪に少しの白髪、薄い目に、凹凸の少ない顔。小さめの眼鏡を合わせれば、あちらの世界ではよく見た、日本人男性だ。

 歳は30程度だろうか。雰囲気の割に、顔はそこまで歳を取っているようには思えない。



「は、はい。はい。日本人です。わあ、久し振りに会ったよ日本の人。君、若いね。女の子もやってたんだね、あのゲーム。僕のチーム、男しか居なかったから、新鮮だよ」



 特に何も聞くことなく、彼はべらべらと話しだす。警戒をしすぎだったのだろうか。

 ただ、スルーしてはいけない言葉があった。それは、言及しなければならない。



「下條理科<しもじょうりか>です。久し振りって、他にも居たんですか? 後、ゲームって?」



 彼の言葉を遮って、口を開く。

 彼の話す前提条件、たった一言だけで、状況を理解してしまうほどに、それは重要な情報だ。



「あれ? 君、“DesoLatioN”のプレイヤー、だよね? えっと、違ったら申し訳ないけど……」



 “DesoLatioN”

 それは紛れも無く、私が最後にプレイしていたFPSのタイトルだ。

 銃の存在から、予想はしていた。それでも、まさか――



「この世界に来てるのは、“DesoLatioN”のプレイヤーだけなんですか?」


「う、うん。少なくとも僕が知ってる限りは、そうだと思う。えっと、立ち話もなんだから、お茶出すね。ちょっと、待っててね」



 彼はそう言ってカウンターから出、裏に下がる。

 予想はしていたが、それでも驚きはある。数あるオンラインゲームのタイトルのうち、たった1つのプレイヤーだけが、こちらの世界に来ることなど、ありえるのだろうか。

 そもそも、異なる世界に来るという時点でおかしいが、この際それは関係ない。

 何故あのゲームなのか。確かにFPSの中では人気作品ではあったが、日本人のプレイヤーはそこまで多くなかったはずだ。

 日本国内だけで人気のFPSなら他にもいくつかある。FPSの中では総プレイ人口はかなり多かったが、そのうちほとんどが外国人。日本人の割合は、1割から2割程度と記憶している。


 ゲームとしての特徴は、戦争物FPSにありがちな戦車や航空機といった乗り物のたぐいは存在せず、全てプレイヤーの足だけで移動すること。

 その癖マップが異常に広く、大規模チーム戦ともなると1ゲームに数時間かかるのがザラだ。

 それだけなら似たようなタイトルはいくつもあるが、最たる特徴は、“弾が直線に飛ばないこと”にあると言える。

 元々外国の軍隊が銃器のシミュレーションとして作ったという噂もあるこのゲームは、全ての銃弾が重力の影響を受ける。

 もっとも数十メートルから百メートル程度の至近距離ならば気にならない要素ではあるが、スナイパーライフルを持つ狙撃手は別だ。

 広大なマップを持つFPSタイトルはいくつもあるが、その場合、スナイパーライフルが猛威を振るいやすい。フィールドの端から端まで1キロを超えるマップだと、他のどんな銃器よりスナイパーライフルが強くなって当然なのだ。

 何せ、FPSの銃弾は、重力の影響を受けないから。どれだけ離れても照準ど真ん中に飛ぶのなら、他の銃器の活躍を奪って当たり前。


 それを覆したのが、“DesoLatioN”というゲーム。

 限りなく現実に近い重力が存在し、遠くを撃てば弾丸は照準を大きく外れ、地面に刺さる。銃弾はフィールドを出るか障害物に当たるまで消滅せず、一部のプレイヤーは“射程を超えた狙撃”をも可能にする代わり、超長距離狙撃の場合、それ相応に計算して撃たなければならない。

 私は機関銃手としてプレイしており狙撃銃を使うことはないが、あのゲームにおいて狙撃銃を扱える者は、現実の狙撃銃をも扱えるようになるともっぱらの噂だ。

 それだけ完成度が高いあのゲームではあるが、高すぎるが故に、狙撃銃を扱える者はごく一部に限られる。100人のプレイヤーが居て、一人居るか居ないかとまで言われるほどだ。当たらない狙撃より、当たる射撃を選ぶのは当然のこと。


 相澤の短い言葉、それだけで、あのゲームは現実に銃を撃てる人間を育成していたのではないかと、そんな作為を感じてやまないのだ。



「お待たせしました。えっと、毒とかは入ってないから、ど、どうぞ……」



 両手にカップを持った相澤が戻って来、窓際、小さな机と向かい合わせの椅子があるところに、座る。

 ぶかぶかの白衣を着ているが、恐らく丸腰。彼の動きに意識を張って背を見せないようにしていたが、彼はお茶以外何も持っていないように思える。

 まだ気は抜けない。しかし、こんなところで毒殺されるでも、銃を奪われるでも、そんな展開にはなりにくいなと、若干の安堵を感じた。


 相澤の向かいの椅子に腰掛けると、背中でカチャリと小さな音が鳴る。あまり椅子に座ることを意識していなかった為に忘れていたが、椅子の背もたれに銃が触れ、音が鳴ったのだ。

 確かにそれを聞いたはずだが、相澤は表情1つ変えない。ふーふーと、お茶を冷ましているだけだ。



「緊張してるみたいだったから、えっと、ハーブティ淹れてみました。ローズヒップって言うんだけど……知ってるかな?」


「……ありがとうございます。頂きます」



 お茶と言われて想像していたのが日本茶だったから、少しだけ驚いてしまった。そのお茶は、鮮やかな赤色をしていた。

 少し息で冷まし、口に含む。香り高いそのハーブティはほんのり甘く、確かに、ほっとする味ではあった。

 特に言葉を発することなく、ゆっくりと半分ほど飲んだところで、ようやく口を開く。



「あのゲームのプレイヤーしか来てないというのは、本当ですか?」


「う、うん。会ってないだけで他にも居る可能性はあるけど、君もそうなら、僕を入れて6人中6人がそうだね」


「6人、ですか」



 相澤を入れて6人。それが多いのか少ないのかは、分からない。

 プレイヤー数は何百万人も居たし、少ないと言っても、日本人だけで何十万と居るはずだ。この世界で生活基盤を築けてる彼のような人間が5人としか会えてないのなら、それは相当少ないのかもしれない。



「うん、会ったのは4年で5人。皆あのゲームのプレイヤーで、銃を持ったままこっちに来てたよ。君も、持ってるんだよね?」



 彼の目が、意識が、私の背中に向いたのを確かに感じる。気付いているのだ、背中の銃を。

 それでも、彼は丸腰で、何か行動を起こそうとはしてこない。最悪のパターンを想像していた私が拍子抜けするほどに、彼は落ち着いている。



「はい。装備一式、持ってきました。もっとも、今手元にあるのは一部ですが」



 嘘ではない。彼を信用していないというより、この場で銃を見せることのリスクを考えると、このまま話を進めたほうが良いと感じたから。



「うん、うん。つまり君は、撃てる状態の銃を持ってるってわけだね」



 緊張を、銃の所持を見透かされている、それは彼の観察眼の賜物なのか、ただの人生経験の成す技なのかは分からない。



「はい。相澤さんも、持ってるんですよね?」


「あー、うん、持ってたけど、全部売っちゃった」


「……え?」


「いやね、この町に来る前、弾使いきっちゃったし、もう必要ないかなと思って、ね。売っちゃったんだ。弾、大事にした方がいいよ?」



 この町の薬師として活動している彼には、確かに必要ないかもしれない。

 それでも、そんな気軽に、売ったと、言っていいものなのか。

 感覚の違い、それとも、目的の違いか。彼の目的に、銃は必要なかったというだけのこと。ならば、何故彼はこの町、いや、この世界にやってきたのか。

 銃が使えない人間で良いならば、あのゲームで固定する必要はないはずなのに。



「忠告として受け取っておきます。ちなみに、何を使ってたんですか?」


「ウージーとジェリコだけど……まあ、君のは聞かないでおくね。たぶん、聞かないほうが良いと思うし」


「ありがとうございます。その、相澤さんは、どのくらい前からこの世界に来てるんですか?」



 彼の使用していた銃、ウージーは、どんなFPSにも存在すると言っても過言ではないほどメジャーな銃。

 拳銃弾を高速でばらまく典型的なサブマシンガンであり、これといった特徴はないがこれといった欠点もなく、初心者から上級者まで愛用者は多い。

 確かに、銃弾の補給がままならないこの世界においては、不向きと言わざるを得ないだろう。弾を切らし、売ってしまうのもやむなしといえる。



「えっと、4年くらい前ね、ゲームして、寝て起きたらこっちに居た。君は、来てすぐみたいだけどね」


「ええ。一月も経ってません。ただ……4年前、ですか? 勘違いではなく?」



 “DesoLatioN”がサービスを開始して、まだ3年も経っていないはずだ。海外と同時に日本でもサービスが開始されているから、そこの齟齬はありえない。

 4年前にこちらに来た彼が、3年前に始まったゲームをプレイできている理由。考えられることは、1つだけ。

 こちらの世界とあちらの世界で、時間のズレがある、ということ。



「ああ、うん。えっとね、僕はサービス開始から2年くらいプレイしてたんだけど……君、えっと、下條さん。下條さんが来たのは、それより後ってことだね」


「はい。3年はプレイしてます。開始日からやってるわけではないので、多少ズレはあると思いますが……」


「そっか。まあそこは、信じるも信じないも君次第なんだけど、そもそも異世界に来る時点でおかしなことだからね。来た時間が違うことくらい、大したことじゃないと、僕は思うんだけどね」


「まあ……」



 それは、そうだ。

 2年間ゲームをし、4年前に来た相澤。

 3年間ゲームをし、先月来た私。

 どれだけの時間がズレているか計算しようとも思ったが、それは無意味なことと知る。恐らく、時間に規則性などないのだ。



「質問しても良いかな。下條さん、君はどうしてここに来たんだい?」



 相澤は、カップを置いてそう質問する。

 先程までの、どこか気の抜けた表情とは違う。真剣な眼差しで、こちらを見ている。

 どうしてか。

 どうしてなのだろう。

 そうしないといけないと思ったから。たったそれだけのことなのに、彼に理解できるよう、言葉にすることができない。



「どちらの、ことですか?」



 やっと出たのは、質問に質問で返す、酷い言葉だった。

 どちらか。彼がこの問いを“どちらの”意味で聞いてきたか。その確認に、果たして意味は無い。

 「どうして自分に会いに来たのか」「どうしてこの世界に来たのか」彼がそれを言わなかったのは、その問いが、どちらでもあるからなのだ。



「うーん、わかってるとは思うけど……じゃあまず、僕に会いに来た理由から教えてね。君、最初から知ってたよね? 僕のこと。どこかで会ってたりは、してないと思うけど」


「ええ。会ったことはないですし、先程顔を見るまで確信してもいませんでした。ただ――」


「名前を知っていた、かな?」


「……はい」



 名前が、明らかに日本人のものだった。発音は違っていても、聞き間違えるはずなどない。

 彼があちらの世界から来た日本人だと思った理由はそれだけだ。顔を見て初めて確信できたとはいえ、やきとり屋台の件もある。名字を子孫が継いでいくシステムが同じなら、この国の住人がその名字を名乗っている理由もあった。



「どこで僕の名前を聞いたかはまあ置いとくとして、まあ現地のガイドが居れば僕のところまで辿り着けるのは当然かな。じゃあ次、君は、どうしてこの世界に来たのか、教えてもらっても良いかな?」


「それは……」



 言葉が詰まる。自分がどうしてこの世界に来たのか。そんなもの、私が一番知りたいことだ。

 それでも相澤はそれを聞く。彼には答えが分かっているのだろうか。世界の移動というシステム、ゲーム内の銃器を持ってこれた理由、あのゲームのプレイヤーだけがこの世界に来ている理由。

 神様のイタズラ?それとも私が夢を見ているだけなのか?その答えは、今はまだない。

 夢でも現実でも同じことだ。一人でベッドから降りることすらできなかった私が、今立って歩いている。余命幾ばくもなかった私が、何の異常もなく生きていられること。

 これが夢ではなく、何というのだろう。長い長い夢を見ているだけで、現実の私は、今まさに死んでいるかもしれないのに。


 けれど。

 けれど、それが、何だというのだ。

 あちらの世界の人生に、後悔などない。以前の私ならあったかもしれないが、今の私にはない。

 よく生きたと、致命的に歯車が噛み合わない人生でも、およそ20年も生きていられたのだ。勉強は嫌いではなかったし、最期に気の合う仲間もできた。彼らと別れるのは寂しくても、彼らは私が居なくても生きていける。

 私とは違うのだ。放っておいても死んでしまう私と違って、ゲームの中、ディスプレイを挟んだ向かいに居る彼ら、彼女らは、今もきっとどこかで生きている。

 ならば、後悔などしない。後悔をしたら、一緒に生きてくれた仲間たちに申し訳がないというものだ。


 問いに対する答え。

 その答えは、きっと最初から分かっていたこと。そう、この世界に来た、その瞬間。いやむしろ、あちらの世界で生きていた時点で、だ。



「理由は――」



 分かっている。こんなこと、考えるまでもなかったのだ。

 私は神様に会ってなどいない。特別な力を貰ったので、転生したのでもない。

 あちらの世界で、何の取り柄もなかった私。勉強ができ、ゲームができる。それだけの人間は腐るほど居るのに、私が選ばれた理由。

 その答えは1つしかない。



「ないんですよね、それ」



 そう、これが答え。

 理由などないのだ。だから私が選ばれた。



「そっか。君は、“だから”選ばれたんだね」


「そうなんだと思います。相澤さんには、あったんですか?」


「うん。今のこの状況。これがまさに、僕に求められてる全てだと、僕は思ってるんだ」



 この状況。それは、私と話しているこの瞬間のことではない。

 あちらの世界の人間が、この町で薬師として活動している。その、状況のことだ。

 きっと、彼でないといけない理由があったのだろう。条件を満たす該当者が彼しか居なかった、それか、複数居たが彼が選ばれた。どちらにせよその結果、相澤博がここに居る。


 私の理由は、彼とは違う。

 選ばれる理由のない人間が選ばれた。特別な知識もなく、技術もなく、頭脳もない。そんな私だから、該当したのだ。

 相澤博の存在を求めたのはこの町この国この世界。それでもまだ、下條理科の存在が誰に求められているのかは分からない。

 彼が4年かけて見つけたように、私もいつか見つかるはずだ。私を求めたのが誰なのか、何なのか。


 ならば、私の行動は決まっている。

 誰にも決められない私の行動を、誰にも決められない目標を考え、行動し、成し遂げる。それが私の行動原理。

 誰に聞くでもない。自分で決めるのだ。私の選択は、私だけの、かけがえのないものなのだから。



「今薬を売ってるってことは、あちらの世界でも、そうだったんですか?」


「だね。大学出て、10年くらいかな? 会社に入って研究したり、着いて行けずに最後はドラッグストアのアルバイトになったり……って、そんな話はどうでもいいか。僕はね、僕を求める世界を見つけたんだ。あちらの世界ではなく、こちらの世界でね。それがこの町なんだから、僕が立ち去るわけには、いかないんだよね」


「……この町、病気が流行って子供が沢山死んでいるって聞きました。もう、大丈夫なんですか?」


「大体はね。まだ入院してる子供も居るけど、ちゃんと薬を飲んでれば死ぬことはないと思うよ。一度治っちゃえば、再発はまずないからね。まだワクチンを作らないといけないから、大変なのはこれからだよ。もう、足りないものだらけで大変大変」



 彼は、この町の流行病による犠牲を食い止めることができた。そして、これからの犠牲をも無くそうとしている。

 立派なことだ。私にはできない、彼にしかできないこと。


 彼がもう少し早ければ、ステラの娘が死ぬことはなかったのだろうか、と考えてしまう。

 ただそんなことは考えるまでもない。違うからだ。彼はステラの娘を救うためにこの世界に来たのではないのだから、彼が成し遂げる前の犠牲は、彼の責任ではない。

 彼が止めたのは、未来の犠牲だ。過去でも、今でもなく、これから先、未来に生まれるであろう犠牲。


 私が止めるべきも、彼と同じで、未来の犠牲なのだろうか。戦争が続いていたら止められない犠牲を、止められるのだろうか。

 分からない。それは、成し遂げてから考えれば良い。今はそう思える。



「僕の質問はこれでおしまい。君からは、何かあるかな? そんなに答えられることもないと思うけどね」



 彼の問いに、少し悩む。

 質問はいくらでもある。彼が答えれそうなことも、彼では決して分からないであろうことも。

 ナディア達と合流するまではまだ数時間ある。1つずつ、疑問を解消していくとしよう。

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