人財ブローカー
「やあ、舞夏ちゃん。目が覚めたんだね」
不意に響いた声に、舞夏は反射的に身を硬くした。
恐る恐る声のした方に目を向けると、先程までのボロボロの服装ではなく、上からすっぽり被る白のマントで体を覆った合田が、嗜虐的な笑顔を浮かべて舞夏を見下ろしていた。
その後ろには、合田と同じ白いマントを羽織った、ジュラルミンケースを持った屈強な男が二人と、服装は他の三人と一緒だが、全身に脂肪という脂肪を貼り付けたという表現が似合いそうな、存在感が尋常ではない壮年の男がいた。
「でゅふふ、合田君。この娘が例の?」
「はい、教祖様。私の娘の舞夏です」
「だ、誰があんたの娘よ!」
合田の言葉に、反射的に舞が口を挟むと、
「――っ!?」
突然、合田は憤怒の表情で舞夏へと走り寄り、彼女の頬を思いっきり張り飛ばした。
「あぐっ!?」
「黙りなさい! 今、教祖様が話しているだろう!!」
「これこれ合田君。女の子の顔を殴るなんて酷いじゃないか。せっかくの美人が台無しだ」
「は、はい。すみません。教祖様」
舞夏との態度は打って変わり、教祖の言葉に合田は平身低頭して詫びていた。
その様子を、舞夏は目に涙を浮かべながら呆然と見ていた。
この一年、舞夏は学校でも、仕事でも、いつも心のどこかで目の前に合田が現れる日が来るのでないかという懸念があり、その影に怯えながら生きてきた。
だが、その恐怖の対象は、何処の馬の骨ともわからない肥太った男を前に、まるで壊れたおもちゃのように何度も何度も頭を下げていた。
自分はこんな情けない男に怯えていたのだろうか?
その事実に、悔しくて涙が出てくる。
合田は仕事を見つけたと言っていたが、これが今の彼の仕事なのだろうか?
それが一体どのような仕事なのかは知りたくも無いし、興味も無い。舞夏は目の前の光景から目を逸らすように顔を伏せた。
すると、舞夏を上から下までジロジロと睨め廻していた教祖が、信じられない言葉を口にする。
「合田君、合格だよ。これだけの上物と、まさか一度逃してしまった極上の供物様を連れてくるとは、君に仕事を依頼して正解だったよ」
「はい、ありがとうございます……教祖様、それでは?」
「ああ、この娘たちを君の言い値で買おう」
「…………え?」
恭しく頭を下げる合田への一言に、舞夏は思わず伏せていた顔を上げた。
この豚のような男は、今、何て言った?
買い取る、とはどういう意味だ。
今の言葉をそのまま鵜呑みにするならば、私は合田に売られたのか?
「まさか……」
驚愕に目を見開く舞夏を見て、合田は口の端を上げて顔を醜く歪める。
「そう、これが僕の新しい仕事さ。人材を発掘して斡旋し、クライアントがその出来について報酬を支払うという人に誇れる立派な仕事さ」
合田は両手を広げて、誇らしげに自分の仕事について語る。
「今回の仕事の依頼主は、宗教団体「クオリアの光」の教祖様から、神へと捧げる為の生贄となる若くて綺麗な女性を所望ということでね。女性の年齢と質に応じて報酬を引き上げてくれるというから、僕の知る限り、最高の適役者である舞夏ちゃんを選んだんだ。光栄に思って欲しいな」
「…………信じられない」
舞夏は怒りで目の前が真っ赤に染まっていくのを自覚する。
「あなたって、本当のクズね!」
「ハハハ、クズで結構。クライアントの依頼に沿った人材を連れてくるだけで何百万というお金が手に入るんだ。この仕事の素晴らしさを知ってしまったら、毎日、汗水垂らして真面目に仕事をするなんて、馬鹿らしいと思わないかい?」
「思わないわよ! 真面目にコツコツと頑張って努力するからこそ、成果が出た時に人は喜びを感じるのよ!」
自分の手で初めて給料を頂いた時の感動は、今でも忘れられない。
大した金額ではなかったが、これで一人前の仲間入りが出来たような気がした。
これまでお小遣いを貰っても、計画的にお金を使うという事を余り気にして来なかった舞夏だったが、苦労して手に入れたお金は、その重みが圧倒的に違った。
誰もがお金を得る為にこんなにも苦労しているのだ。
その事実を知ってしまった舞夏にとって、日々を生きる為に必死に苦労している人の努力を踏みにじる様な真似等、出来るはずもなかった。
それを目の前の男は、平然とやってのけ、あろうことかそれを自分の仕事だと言ってのける。
絶対にこんな最低な男に屈しない。
舞夏は血が滲むほど唇を噛み締めると、合田を射抜くように睨んだ。
その視線を受けて、合田はくつくつと笑い出す。
「ハハッ、いい顔だ。誰もが最初はそうやって強がるんだけどね……」
そう言うと、合田は懐からある物を取り出す。
それは、黒の革で出来た犬用の首輪だった。
「これをつけてご主人様に調教されると、どんな強情な人間でも、たった数日で忠実なペットになって、ご主人様に感謝の言葉を述べるようになるんだ」
黄ばんだ歯を見せ、ニタニタと笑いながら首輪手に持った合田は、怒りと悔しさで顔を伏せている舞夏の前に跪くと、舞夏のおとがいを掴んで顔を上げさせる。
「怖いかい? でも、大丈夫だよ。そんな人間らしい感情なんてすぐになくなるからさ」
「…………」
「フン、だんまりか……」
合田は捨てるように舞夏のおとがいから手を離すと、首輪をつける為に舞夏の首元へと手を伸ばす。
その途中、
「ぎゃああああああああああああ!!」
突然、合田が大声で悲鳴を上げた。
「ど、どうした合田君」
それまで、事の成り行きを静観していた教祖が、突然の悲鳴に怯えた声を出す。
「あ、ああああああああああああああああああ!!」
合田は教祖の言葉には応えず、喚き散らしながら舞夏を足で突き飛ばした。
「ぐっ……」
両手両足を拘束されている舞夏は、碌に体を庇う事も出来ず、吹っ飛ばされた勢いそのままに地面を転がる。
「ご、合田君。一体何があったんだ!?」
「指が……僕の指がああああああああああああ!!」
「指? 指がどうかしたのか?」
教祖は、取り巻きの後ろに隠れながら合田に恐る恐る声をかける。
「ん?」
すると、教祖の目の前に何かが転がって来た。
「ヒィィィッ!?」
思わず目に飛び込んできた物を見て、教祖は小さく悲鳴を上げた。
それは人間の指だった。
自分の手を押さえながらのた打ち回る合田と、口から一筋の赤い血を流しながら、今にも襲い掛かってきそうなほど犬歯をむき出しにしてこちらを睨む舞夏を見て、教祖は理解した。
この指は合田の物で、舞夏がその指を噛み千切ったということを……。
「な、何て女だ。まるで野犬のようじゃないか……お、おい、合田君。いくら見た目がよくても、こんな化け物のような女に金は出せんぞ」
「そ、それは困ります!」
合田は慌てて飛び起きると、痛む手を押さえながら教祖に詰めよる。
「申し訳ありませんが、商品の納品後の返品はお受け兼ねます」
「そうは言っても、こちらの指定した商品とは違う場合はその限りではない。今回の依頼は、教団の教徒を癒す従順なる生贄を注文したんだ。こんな檻に入れて鎖で繋いでおかないといけないような猛獣を頼んだ記憶はないぞ」
「だ、大丈夫です。その点なら心配無用です」
顔中脂汗まみれの合田は「おい」と教祖を庇うように立つ屈強な男に声をかける。
合田の言葉に、男は無言で懐から小さなケースを取り出した。
「な、何だね。それは……」
「教祖様も言葉ぐらいは聞いた事があるでしょう。これは危険ドラッグと呼ばれるものの一種です」
「一種……ということは?」
「流石教祖様、お目が高い。そうです、これはそこら辺で手に入れられる物とは格が違います。ドラッグの調合中に偶然発見された特注品で、使用者を快楽の海に溺れさせ、更に人格すら壊す程の一品です」
「人格まで……そ、そんなもの使って大丈夫なのかね?」
「ええ、これは人格を破壊しても、人間らしさまでは失わない一品です。これで、彼女を思い通りの……ご主人様の命令には、絶対遵守を誓う奴隷に変えられます。」
「……にわかには信じられんな」
「わかります。ですので、今から実戦してご覧に入れましょう」
「し、しかし……それで万が一のことがあれば……」
「それこそ心配いりませんよ」
合田は嗜虐的な笑みを浮かべて声高々に言い放つ。
「あの娘みたいに、家族のいない人間が一人消えたところで、誰も捜す人間なんていませんよ」
「そ、そうだな」
「そうです。だからご安心下さい。万が一の時の処理は、こちらで請け負いますから」
「うむ。その時は頼むぞ」
そう言うと、合田と教祖は互いの顔を見合わせて笑い合った。




