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家出の理由

 舞夏の父親と弟が火事によって命を落としてから、舞夏の生活は激変した。

 舞夏の両親は、駆け落ち同然で結婚し、両親から絶縁を言い渡されていたので、生活がどれだけ貧窮を極めても母親が実の両親を頼る事は無かった。

 大好きだった家は、今にも崩れそうなボロアパートになり、二人分の布団を敷くと、それだけで余剰スペースすらなかった。

 母親はあんな事件を起こした後でも変わらず舞夏を愛してくれたが、生活費を稼ぐ為に昼夜を問わず働くようになり、家を空ける事が多くなった。

 舞夏は外での活動とは対照的に、家での手伝いは殆どしてこなかった。

 家事全般は、今まで母親が完璧にこなし、舞夏の出る幕が無かったとも言える。


 舞夏は母親に代わり、家事をしなければと思う一方で、罪の意識から来る母親への後ろめたさから、素直に家事を教えて欲しいと言う勇気を持てなかった。

 それに母親は仕事が忙しく、舞夏に家事を教える暇すらなかった。

 必然的に家事をしなくなった舞夏の家は、日に日に汚れていった。

 最初はそれを心の中で酷く嫌った舞夏だったが、そんな生活が一年も続くと、何とも思わなくなった。


 そして、その頃から少しずつある変化が訪れた。

 夜遅くに、舞夏の母親を送り迎えする男が現れたのだ。

 母親の同僚だと言う男、合田大樹は最近の若者といった感じの金髪の男で、酒で酔いつぶれた母親を苦笑しながらも、文句一つ言わず家へと運んでくれた。

 頼りないけど、優しそうなお兄さん。それが舞夏の合田への第一印象だった。

 合田による母親の送り迎えは度々行われ、月に数回だったのが、週に数回に変わり、半年もしないうちに、合田が毎日家に訪れるようになった。

 そうなると、次に合田は家に上がるようになった。

 一緒に卓を囲むようになった。

 休日に一緒に出かけるようになった。

 授業参観に現れるようになった。

 段々と生活に入り込むようになった合田に、舞夏は戸惑いを覚えたが、それを母親に訴える事は出来なかった。

 合田が家に現れるようになってから、母親はよく笑うようになったからだ。

 舞夏の力だけでは、母親を笑顔にする事は出来なかった。ただ、淡々と舞夏の為、日々の生活の為だけに生きる。そんな舞夏の母親を、合田は変えてくれたのだ。

 だから舞夏は我慢し続けた。

 合田が家に住み着き、仕事を辞めて母親に生活の全てを頼るようになっても。

 それで母親が仕事の量を増やし、家にいる時間が更に減ろうとも。

 合田が母親のいない間に、舞夏の体にやたらと触ろうとしても。

 舞夏は我慢し続けた。

 この生活を、母親の笑顔を壊したくなかったから――


 だが舞夏の願いも空しく、そんな生活は突然の終わりを告げる。


「ママが去年の春にね、過労で倒れたのよ」


 報せを聞いて舞夏が病院に駆けつけた時には、母親は既に息を引き取っていた。

 母親の手には携帯電話が握られており、画面には舞夏宛にただ一言「ごめんね」とだけ書かれていた。

 そこまで話した所で流石に限界が来たのか、舞夏は顔を覆って静かに泣き始めた。


 舞夏の横のブランコに座り、大人しく話を聞いていた進は、


「そんなの……そんなの……あんまりじゃないかあああああああああああああああ!!」


 鼻水と唾を辺りに撒き散らしながら、盛大に泣いていた。


「な、何で進がそこまで泣いているのよ」

「そ、ぞんなごと言ったって……ひっぐ、えぐ……うわあああああああん!!」


 それ以上言葉にならないのか、進は嗚咽を堪えようともせず、大声で喚き続ける。


「ああん、もう。汚いわね」


 進の余りの醜さに、舞夏は自分が泣いていたのも忘れて持っていたハンカチを取り出すと、涙と鼻水でグシャグシャになった進の顔を拭き、ティッシュを差し出した。


「ほら、これを使って鼻をかみなさい」

「……ばい」


 渡されたティッシュを受け取った進は、派手な音を立てて鼻をかんだ。

 そんな姿に苦笑しながらも、舞夏は進が泣き止むまで進の背中を優しく擦り続けた。



「落ち着いた?」

「うん……みっともない所を見せてゴメン」


 鼻が痛くなるくらい鼻をかんだ進の鼻は、少し赤くなっていた。


「全くよ。進があんまり泣くもんだから、驚いて泣く事すら忘れたわよ」

「うん、それも合わせてゴメン」


 進は項垂れたまま、顔を上げることなく謝罪の言葉を口にする。

 顔中の穴という穴から汚い汁を垂らしながら園児のように喚き、あげく彼女に顔を拭いてもらい、子供をあやすように泣き止むまで背中を擦ってもらったのだ。

 思わぬ失態を晒してしまったという恥ずかしさから、進は舞夏の顔を直視出来なくなっていた。

 そんな進の気持ちを知ってか、舞夏が突然「クスクス」と笑い出した。


「フフフ。あ~、よかった」

「……何が?」


 弱みを握れた事が? と青い顔をしている進に、舞夏は優しげな微笑を浮かべる。


「進があたしの変わりに泣いてくれるような優しい人で」

「な、なっ!?」


 舞夏の言葉に、進の顔が今度は真っ赤に変わる。


「もうわかると思うけど、あたしの家出の理由って、残った合田って男が原因なんだ」

「……そう」

「あの人、ママが死んでも家に居座って、あたしの面倒を見ると言ったの」


 舞夏の両親は駆け落ち同然の身だったので、舞夏は二人の祖父母の顔すら知らない。

 経済力も無ければ、身寄りの無い女子高生一人では、生きて行く事すら侭ならない。

 舞夏は、合田の提案を受け入れるしかなかった。


「最初は、あの人も頑張っていたんだけどね……」


 合田は舞夏を養う為、心を入れ替えて仕事を見つけようとした。

 しかし、身勝手な理由で仕事を辞めた合田に、世間は優しくなかった。

 合田は毎日のように仕事を探して街を歩いたが、その全てが空振りに終わった。

 それでもめげずに就職活動に励む合田だったが、元々飽き性なのか、それとも舞夏の母親に養われる日々ですっかり怠け癖がついてしまったのか、成果の出ない日々が続くと、合田の心は簡単に折れてしまった。

 合田は仕事を見つけるのを諦め、日々の生活に、母親が残した僅かなお金と保険金に手をつけるようになった。


 しかし、合田の暴挙はそれだけで治まらなかった。

 自分が就職できないのは、舞夏と舞夏の母親の所為だと決め付け、舞夏に暴力を振るうようになったのだ。

 その暴力に、最初は舞夏も耐えていた。

 家の財布から預金通帳まで全てを合田が抑えていたので、逃げるという考えすら起きなかった、というのもあった。

 しかしある日、真夜中に酔って帰った合田が、就寝中の舞夏の布団の中に潜り込んで来たのが、彼女の我慢の限界だった。


「そこから先はよく覚えていないの。ただ、わかっているのはボロボロのパジャマの姿だった私を、優貴さんが助けてくれたという事だけ……」


 舞夏は自分の身を守るように抱くと、恐怖に耐えるようにギュッと目を瞑る。

 余りにも辛そうに喋る舞夏の姿に、進は思わず立ち上がると、


「わかった。わかったから、それ以上は思い出す必要はないから」


 もう喋る必要ない。と舞夏の頭を自分の胸に力強く抱き込んだ。

 進の突然の行動に、舞夏は驚きで体を硬直させていたが、


「……うん」


 力なく頷くと、進に体を預けて静かに泣き始めた。

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