小さな背中
履き忘れた舞夏の靴を手に、進は夜の住宅街を走っていた。
夜の十時を過ぎると、外を歩く人は殆ど見かけない。
行く道は暗く、吹き付ける風は肌を刺すように冷たい。
外灯が少ない道は薄気味悪く、勝手知ったる道でも、足を踏み出すのは躊躇われた。
対照的に、家々には明かりが灯り、楽しげな声が今にも聞こえてきそうだ。
生活の営みの灯が灯った民家とは隔絶された世界に、進は侘しい気持ちになった。
「…………寒っ」
こんな所には一秒たりとも居たくない。
早く帰って暖かい家庭の光を浴びたい。
だが、それと同時に気付く。
きっと舞夏も同じ気持ちに違いない、と。
あの時の舞夏の様子は明らかにおかしかった。
最期に見た泣き顔は、今にも消えてしまいそうだった。
早いとこ彼女を見つけて保護しないと、本当に消えてしまうかもしれない。
「俺の……所為だしな」
進は今すぐにでも帰りたい気持ちを抑え、急ぎ足で住宅街を駆けた。
舞夏は裸足で出て行ったのだから、そう遠くへは行っていない筈だ。
そう考えた進は、近場で舞夏が行きそうな場所を手当たり次第巡った結果、
「居た!」
ここを最初に訪れた時に見えたマンションの一角にある名も無い小さな公園。その隅に設けられた錆び付いたブランコに俯く舞夏の姿があった。
泥だらけの足を庇う様子も無く、呆然と虚空を見つめたままブランコを静かに漕ぐ姿は痛々しく、いつもの彼女の姿からは遠くかけ離れていた。
まるで幽鬼のような姿の舞夏に、思わず声をかけるのも躊躇われたが、進は勇気を振り絞って舞夏の傍まで歩く。
「……あ」
進が声をかけるより先に、舞夏が進に気付いた。
「あ、あの……急に出て行ったから心配になって……」
「そう……」
「それで……靴持ってきた」
「そう……」
進から靴を受け取った舞夏は、のろのろと靴を履く。
「…………」
靴を渡した事で目的を果たした進は、次にかける言葉が見つからなかった。
舞夏は、靴を履いてもその場から動くつもりはないのか、一言も発せずゆらゆらとブランコを揺らし続けた。
そのままお互い無言のまま、時間だけが過ぎて行く。
永遠に続くと思われた時間は、
「……小さいけど、素敵な家だったんだ」
虚空を見つめたままの舞夏によって破られた。
「え?」
「あたしの家、もうなくなっちゃったけど……」
「そう……なんだ」
「幸せに暮らしていたのに、あたしが全て台無しにしたの……全て……」
舞夏は両手で顔を覆うと、懺悔するように静かに自分の過去を語り出した。




