舞夏と歩
その日の夜、歩の退院祝いで優貴から軍資金を貰った進は、腕によりをかけて豪華な夕食を用意した。
ご飯に豆腐の味噌汁、ほうれん草のおひたしに里芋の煮っ転がしという進の得意料理をベースに、メインは歩の大好きなハンバーグを作った。
しかも、これはただのハンバーグではない。
グラム五百円もする国産和牛百パーセントで作ったタネを、赤ワインとトマトペーストを使ったソースで時間をかけてじっくりと煮込んだ特製ハンバーグだった。
それと、お祝いの定番とも言えるケーキも買った。
普段は二人なのでカットされたケーキを買うのだが、今は舞夏もいるので、進は思い切ってホールケーキを買った。
人生初の切られていないケーキに、歩は目を輝かせながら喜ぶ。
「ねえ、兄ちゃん。このケーキでふ~ってやっていい?」
「ふ~?」
「誕生日に丸いケーキにふ~ってするってマコちゃんが言ってたの。歩もやってみたいな」
「ああ、ろうそくに火を点けて吹き消すあれか」
そういえば、誕生日にはそんな定番のイベントもあったなと思い出した進は、
「そうだな。せっかくだし、やってみるか?」
「本当!? やった!」
友達から誕生日の話を幾度となく聞かされてきたのだろう。念願が叶う事となった歩は、喜びを体全体で表すように、狭い室内を所狭しと飛び跳ねていた。
「コラッ、埃が舞うから、おとなしくしてなさい!」
「う~、お腹空いたの。兄ちゃん、早くご飯食べたいよ」
「だ~め、もう少しでお姉ちゃんが帰ってくるから、それまで待ちなさい」
進は料理を運びながら、グズる歩を窘めていると、
「あ~、疲れた」
調度いいタイミングで舞夏が帰って来た。
「あ、おかえり」
「た……だいま……って、何やっているのよ?」
エプロン姿でキッチンに立つ進に、舞夏は訝しげな目を向ける。
「何って見ての通り料理だよ。歩の退院祝いをやろうと思ってさ」
「そ、そう……進って料理出来たんだ?」
「カオルちゃんほどじゃないけどね。これでも、小さい頃から家の台所を仕切ってきた身だから、それなりに自身はあるんだ」
「へ、へ~、ところで料理はもう出来てるの?」
「まあね。後は居間へ料理を運ぶだけだから、早く手を洗ってきなよ」
「うん……」
進に促され、舞夏は恐る恐るといった体で家へ足を踏み入れた。
自分の家に入るのに、何故か躊躇う様子を見せる舞夏に、進は違和感を覚えるが、
「あ、そうか」
その理由に直ぐに思い至った。
「歩、こっちにおいで」
「ん」
歩を呼び寄せた進は、舞夏の前へと連れ出す。
「舞夏さん。こいつが俺の妹の歩です。今日からこいつもお世話になるんでどうかよろしく。ほら、歩。お姉さんに挨拶を」
「は、はじめまして……白川歩……です」
歩は進に促され、おずおずと頭を下げた。
舞夏が挙動不審な理由、それはここに昨日まで居なかった人物、歩がいるから緊張してしまっているのではないか、と考えたからだった。
進はそうでもないが、歩も相当な人見知りで、初めての人がいると急にそわそわして落ち着かなくなったりする。現に舞夏が帰ってきてから進が声をかけるまで、歩はまるで借りてきた猫のように、部屋の隅で伺うように舞夏の事を見ていた。
だから、てっきり舞夏もそうだと思っていたのだが、
「はじめまして歩ちゃん。私は滝川舞夏って言うの」
舞夏は膝をついて目線を歩に合わせると、今まで見た事ないような慈母の笑みを浮かべて歩へと話しかけた。
「ねえ、歩ちゃん……って呼んでも大丈夫?」
舞夏の問いに、歩はおずおずと頷く。
「ふふっ、ありがとう歩ちゃん。私の事は舞夏お姉ちゃん、って呼んでくれると嬉しいな?」
「…………まいか、お姉ちゃん?」
「うん、舞夏お姉ちゃん。私の事は本当のお姉さんと思ってもらっていいからね。これからヨロシクね」
「……うん。よろしく、舞夏お姉ちゃん」
頬を桜色に染めた歩が、照れるように舞夏の名前を呼ぶと、
「あ~、もう可愛いな。えいっ!」
「わぷっ」
辛抱堪らないといった感じで、舞夏は歩を抱きしめると頭を撫でていた。
その態度は、どう見てもベテランの保育士のように手馴れた様子で、進が危惧したような人見知りな様子は微塵も見受けられなかった。
じゃあ、舞夏は何を不安に思ったのだろうか? 進の頭に疑問符が浮かぶが、
「ねえ、兄ちゃん。早くご飯にしようよ」
「あ、ああ、そうだな」
歩からの催促に、そんな些細な疑問はいつの間にか何処かへ行ってしまった。




