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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
第二章:帝都へ

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(35) 癒しの力

 戦闘は終わっていた。


 周囲を見渡せば、すでに敵は殲滅され、騎士たちが戦場を整理し始めていた。


 そして――


「アレック……」

 エレは、その名を呟くように口にする。


 彼女は躊躇うことなく、再びアレックへと駆け寄る。

 騎士たちが彼の周りに集まり、傷を確認していた。


 だが、その顔は重く、厳しい。


「……もう、遅い。」

 誰かが、そう呟いた。


 その言葉が、静かにエレの心を切り裂いた。

 彼女の胸に、痛みが広がる。


「そんなの……」

 その言葉を否定したくて、震える手をアレックの傷口へと伸ばす。


「……そんなの、認めない……!」

 熱い雫が、彼女の青い瞳から零れ落ちる。


 エレの指先が、血に染まる。


「――何をしている! やめろ!」


 鋭い声が響いた。

 サイラスが駆け寄る。

 その琥珀色の瞳が、焦燥に揺れていた。

 彼の声には、明確な拒絶の色があった。


 しかし――

 エレは彼を見上げ、ゆっくりと首を振った。


「……私のせいよ。」

 その青い瞳には、迷いがなかった。


「私が……助けないと。」

 ――決意の言葉。


 彼女の指先が、傷ついたアレックの傷口に触れた。


 その瞬間――

 淡い青光が彼女の手から溢れ出し、月の輝きのように静かに戦場を包み込んだ。

 それは幻想ではなく、紛れもない彼女自身の力だった。


 騎士たちは息を呑む。


 青白い光が波紋のように広がり、アレックだけでなく周囲の者たちへと行き渡っていく。

 傷口が光に触れるたび、血が止まり、裂けた皮膚が静かに塞がっていった。

 アレックの血まみれの胸元も、赤黒い染みが薄れ、鎧の下で穏やかな呼吸が戻りつつあった。


 ――彼は助かった。


 だが、

 その奇跡の瞬間に――

 サイラスの表情だけが異なっていた。


 彼は、誰よりも冷静に――

 いや、誰よりも苦しげに――エレを見つめていた。


「……やっぱり、そうなるか。」


 彼の唇が、かすかに動いた。

 低い囁きは誰にも届かず、風に溶けるようだった。

 その琥珀色の瞳には深い葛藤が滲み、

 まるでこの光を見てはいけないと知っていたかのようだった。


 リタが、彼の微細な変化を見逃さなかった。

 普段の余裕や軽薄さが消え、代わりにどこか痛みを帯びた眼差し――

 エレの力が解き放たれるのを、恐れているようにすら見えた。


「――はぁ……」


 光が、ゆっくりと消えていく。

 奇跡は終わりを迎え、戦場には再び静寂が訪れた。


 アレックの胸がゆっくりと上下し、安定した呼吸を取り戻している。


 エレは、深く息を吐いた。

「……よかった。」


 その瞬間――

 彼女の身体が、ゆらりと傾いた。


「エレ――!」

 リタの叫びと同時に――


 エレの身体がゆらりと傾き、意識を失ってその場に崩れ落ちた。

 ただし、落ちるよりも速く、サイラスの腕が彼女を受け止めた。


 柔らかい体が彼の胸に収まり、彼女の頭が肩に凭れかかる。

 浅い呼吸が彼の衣服を微かに揺らし、その琥珀色の瞳に一瞬だけ不安が過ぎった。


 だが、それはすぐに、いつもの冷淡な仮面の下へと消えた。

 彼は顔を上げ、騎士たちを見渡し、低く告げた。


「――言わなくても分かるな。」

「この件は、外に漏らすな。」


 その言葉に、場が一瞬にして凍りつく。

 誰も異論を挟まず、緊迫した空気が支配した。


「リタ。」

 短く呼ぶと、リタは即座に頷き、彼の意図を察する。


 サイラスはエレを抱えたまま、迷いなく馬車へ向かう。

 その歩調は乱れず、しかし、どこか焦燥を滲ませていた。

 馬車の扉を開け、エレを静かに横たえる。

 彼は、そっと彼女の衣服を整えた。

 その動作は異様に慎重で、まるで彼女を必死に守ろうとしているように見えた。


 リタが馬車に乗り込む。

 サイラスは短く彼女を見つめ、無言のまま扉を閉める。


 これで、エレは完全に外界から遮断された。

 その存在が目立つことはなくなった。


 彼は深く息を吐き、一瞬の静寂に身を委ねた。

 しかし、その静寂は長くは続かなかった。


「……蒼月の聖女?」


 ぽつりと呟かれた言葉が沈黙を打ち砕き、空気が凍りつく。

 騎士たちは驚愕に目を見開き、視線が発言の主へと集中した。


「……っ!」

 サイラスの目が鋭く細められる。


 その名を、ここで口にするのか――。


 騎士たちの視線が、一斉にその発言の主へと向けられる。

 その場は、異様な静寂に包まれた。

 まるで、空気そのものが張り詰めたようだった。


 サイラスはゆっくりと目を閉じ、深く息を吐く。


 そして――


「……その話は、必要ない。」

 低く、静かに告げた。


 その声には確固たる威圧感があり、誰も反論できなかった。


 サイラスの命令に逆らえば、どうなるか分かっている。


 しかし――

 沈黙の中で騎士たちの心に同じ疑問が膨らむ――


 ――彼女は本当にエスティリアの蒼月の聖女なのか?


 そして、もしそうならば――

 ――なぜ今、ここに?


 互いに目を見合わせるも、誰もその答えを口にはしなかった。

 そして、サイラスの中にも――彼女の真実を隠し続ける決意が、静かに固まっていた。

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