(29) 旅立ちの日に
朝の光が木々の隙間から降り注ぐ中、エレとリタは簡単な荷物を持ち、
サイラスとの約束の場所に時間通りに到着した。
二人の服装は軽装で目立たない。
まるでどこにでもいる旅人のように、周囲の景色に自然と溶け込んでいた。
しかし、エレの心は決して油断していなかった。
自分の正体を知られてはいけない。
どんな些細なことでも気を抜けば、すぐに正体が露見し、
余計な厄介事に巻き込まれるかもしれない。
彼女は一歩一歩慎重に踏みしめながら、辺りを警戒していた。
そんなエレとは対照的に、サイラスの一行はあまりにも場違いだった。
思わず足を止め、エレは目を見開いた。
まさか、こんな大所帯になるなんて。
彼女が想像していたのは、もっと気軽な旅だった。
だが、サイラスが連れてきたのは……なんと、一隊の騎士団。
重厚な鎧に身を包んだ騎士たちが並び立つ姿は、圧倒的な威圧感を放ち、周囲の空気を一変させていた。
エレの胸に疑問が湧き上がる。
――なぜ、カインはこんなに多くの人を連れてきたの?
彼女には分かっていた。
この旅は、決して単なる「帝都への道中」ではない。
「エレ、こっちだ。」
サイラスの声が響き、エレは思考を遮られる。
声のした方を向くと、彼は馬車のそばに立っていた。
服装は質素で、周囲の騎士たちとは対照的だったが、その佇まいは自然と人の目を惹きつけた。
まるで、彼にとってこの状況が当たり前であるかのように、
騎士団の存在を気にも留めていない様子だった。
エレが近づくと、サイラスは手を差し出し、
彼女を軽く支えるようにして馬車へと促した。
「この小さな馬車、乗り心地は悪くないか?」
彼の口元には、どこか楽しげな笑みが浮かんでいた。
エレが視線を向けると、その馬車は確かに予想よりも小さかった。
それでも二人が乗るには十分な広さがある。
サイラスは隣に立つ二人の騎士を指し示しながら、さらりと紹介した。
「彼女たちは、帝都までの道中で同行する舞姫とその友人だ。」
わざとエレノアの本当の素性には触れずに説明する。
青髪のノイッシュと緑髪のアレックは、その言葉を聞くと、特に詮索することなく頷いた。
サイラスの部下である彼らは、自ら進んで事実を暴くような愚を犯すことはしない。
知らぬふりをすることこそ、最も賢明な選択だと理解していた。
エレが馬車に乗り込むと、サイラスは続いて乗ることなく、その場にとどまった。
まるで、彼女の反応を待っているかのように。
エレは不思議に思い、問いかける。
「あなたは乗らないの?」
サイラスは片眉を上げ、口元にわずかな挑発的な笑みを浮かべた。
「まさか……俺と一緒に乗りたいのか?」
エレは一瞬眉をひそめたが、すぐに微笑んで答えを濁した。
サイラスはそんな彼女を見て、軽く肩をすくめると、今度はリタに視線を向けた。
「リタ、お前は一緒に乗れ。」
リタは少し緊張しながらも、エレの隣に座り、荷物を整える。
そんな二人を見届けたサイラスは、小さく呟いた。
「思ったよりも、この旅に耐えられそうだな……」
その言葉は、まるで試すような響きを持っていた。
エレはその意図を感じ取りながらも、静かに微笑んだ。
この旅が、どんな結末を迎えるのか――
それを知るのは、まだ先のことだった。
◆ ◆ ◆
馬車は静かに出発し、合流地点を後にした。
その背後には、サイラスの率いる騎士団がぴたりと続く。
鋭い眼光を持つ騎士たちは、まるで群れを成す狼のように警戒を怠らず、
彼らの主を守護していた。
一定の間隔を保ちながら進むその姿は、秩序と威圧感を兼ね備え、
道行く者に畏怖の念を抱かせるに十分だった。
一方、馬車の中はどこか張り詰めた空気が漂っていた。
エレとリタは並んで座り、静かに揺れる車内で微妙な距離を保っていた。
見た目こそ普通の旅人のようだが、二人の心には既に警戒心の芽が根を張り始めている。
リタはそっと外の騎士たちを一瞥し、小声でエレに囁く。
「……姫様、どうやら今回の旅は、
私たちが考えていたよりもずっと厄介なものになりそうです。」
その声は沈着で落ち着いていたが、その瞳には鋭い知性の光が宿っていた。
エレは微かに頷き、同じように低い声で応じる。
「ええ、私もそう感じているわ。」
サイラスと共に向かうこの旅路が、
ただの移動では終わらないことを――
彼女は既に、悟り始めていた。




