第二十七話 終わらない夢②
陸は、びくっと肩を揺らした。
「……ですよね」
「いや、お前の話じゃねぇよ」
イザナは、即座に被せた。
「くだらねぇのは、その部長と、空気読んでるつもりになってた周りの全員」
声に、少し棘が混じっている。
「自分が殴られたくないから、都合よく後輩とタフな一年に全部押し付けて、鍛えてるとか言って正当化してたんだろ、どうせ。……だっせぇな、マジで」
イザナの口が、軽くへの字にゆがむ。
「お前が倒れなかったのは、根性あるからだよ。それを利用して、スパーリングさせてたほうが、よっぽど器ちっせえ」
「……」
「部長倒したぐらいで疎まれるのも、意味わかんねぇ。
強い一年いたらラッキーだろ普通。俺だったら即つかまえてミット持たせるわ」
最後だけ、少し笑いが混ざる。陸は、目を瞬いた。
「……そう、ですかね」
「ああ、勝てないのが悔しくて、誤魔化すのが一番みっともない」
イザナは、陸の隣に腰を下ろし直すと、首元に手を滑り込ませ、自分の方を向かせる。
「何でそんなくだらねぇ連中のために、いまだに夢の中でスパーしてんだよ、お前は」
「それは……」
「終わった話だろ。場所も顔ぶれも違う。今、お前がスパーしてんのどこだよ」
「……大学の体育館です」
「相手、誰?」
イザナは、陸の額に自分の額をコツンと軽く押しつけて、目を覗き込む。非常灯の光が反射して、瞳が獣のように光る。
「……黒瀬先輩です」
「よろしい」
満足そうに言う。
「終わらないスパーさせてた連中はもういねぇし、いても知らねぇ。
これからお前にぶち込んでいいのは、主に俺と試合相手だけ」
「言い方、ひどくないですか」
「事実だろ」
イザナはにやっと笑うと、陸の胸の真ん中を指先でトンと叩いた。
「全員まとめて、俺のところ連れてこいよ」
「……え?」
「部長だの先輩だの、疎まれてた空気だの。そのへんの記憶、まとめてここ持ってこい」
「……黒瀬先輩のところ、って」
「決まってんだろ。リングの中。ムカついてたんだろ。怒れよ。俺にぶつけろ」
あっさり言う。
「苦しいのも、怖いのも、痛いのも、全部俺の管轄」
ぐいっと、陸の額を押し出して、強く自分の額を押し付ける。
「寝てるときまで、昔の奴らにサービスすんな」
「サ、サービス……」
「タダで夢に出してもらって、スパーしてくれて、向こうからしたら、おいしい話だろ。くだらねぇ」
イザナの目が、ほんの少しだけ鋭くなる。
「そんなもんに時間割いてるぐらいなら、明日の俺とのスパーのことでも考えてろ」
陸は、張り詰めていた糸がゆっくりと解けていくのを感じて、ぽつりと呟いた。
「でも、勝手に出てくるんですよね、ああいう夢」
「だったら起きたら即、俺に報告」
イザナは即答した。
「いちいち、こんなん見ましたって言え。笑うかキレるかして、全員まとめて、俺がぶち壊してやるから」
全員という言い方に、過去の部長や先輩だけじゃなく、あの頃の空気や、自分で自分を黙らせていた声も含まれているのが伝わる。
そして、イザナは少し声を和らげた。
「夢ん中で倒れそうになっても、踏ん張れ。お前が倒れていいのは俺の前だけ。他の奴の前では立ってろ」
陸の胸が、どくんと鳴る。
「そんな、都合よく……」
「都合よくやれ。これは命令」
さらっと言ってから、ニヤっと笑う。陸は、じわっと目頭が熱くなるのを感じた。イザナの指が、陸の目の端に滲む水滴を、拭う。
「とりあえず、もう一回寝ろ。次変な夢見たら、起きて俺起こせ」
「……先輩を、ですか」
「当たり前だろ。同室で隣に俺いるのに、一人でスパー続けてんじゃねぇよ」
言い方はぞんざいなのに、その奥にあるものは、どうしようもなくあたたかかった。
「……はい」
陸は、小さく頷く。
「次、怖い夢見たら、ちゃんと先輩を呼びます」
「よろしい。おやすみ、優等生」
イザナは陸の頭をぽん、と軽く叩く。そして、自分のベッドに戻り背を向けた。
陸は、さっきまで早鐘を打っていた心臓が、少しずつ落ち着いていくのを感じていた。終わらないスパーの残像は、まだ完全には消えない。
でも、その横に――
(お前が倒れていいのは俺の前だけ。)
イザナの声が、静かに居座っていた。




