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クワセモノ ― 漂白される理想郷と、胎動する泥濘 ―  作者: くろーばー
第三章『M30:泥沼の膨張、灰桜の脈拍』
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第十話『M31:乙女の秘密と、夕陽色の鉄拳』

「変なこと言ったお仕置きだ。徹底的に鍛えてあげるよ」


そう告げた彼女の瞳には、狂い咲く桜のような爛漫たる光が宿っていた。

誘うように人差し指をクイ、と動かすリセ。その仕草一つが、死への招待状のようにも見えた。


「舐められっぱなしじゃいられない。……全力でいくぞ!」

胸中で唱えるは、己が内なる小宇宙。

境央ホライゾン——『星雲遠点アポジー・コロナ』第一層『砂雲対流トロポス


念じた刹那、スバルの肢体から灰のような砂雲が溢れ出し、彼を包み込む。

格上たちに幾度となく破られてきた、勝率0%の防御術。だが、今の自分がどこまで届くのか、その境界線を刻んでおきたかった。

ここで初勝利を捥ぎ取る。そう固く誓った決意は、しかし、瞬き一つの間に後悔へと塗り替えられる。


「準備はいいみたいだね。——それじゃあ、行くよ」


「バシュッ」


鼓膜を叩く快音。地面を蹴る衝撃。リセの姿は、舞い上がる砂埃を置き去りにして視界から霧散した。

ドクン、ドクンと心臓が刻む拍動。それに合わせるように、全方位から破裂音のような足音が迫る。


「……速すぎるだろ、これ……!」

周囲の木々には、抉り取られたような足跡が既に六つ。目で追うことすら叶わぬ、次元の違う立体機動。スバルの首筋を冷や汗が這い、蛇に睨まれた蛙のごとく、指先一つ動かせぬ硬直が彼を支配した。


「遅すぎるよ、スバル」

背後。吐息すら感じる至近距離。

振り向くよりも早く、リセの人差し指が愛撫するように防壁へ触れた。刹那、無敵を誇るはずの『砂雲対流』は、暴力的な衝撃波によって無残にも四散する。


「ま、z——」

ガードを試みる間もなかった。胸を打つ衝撃は、肺から空気を強引に引きずり出す。

スバルの体は木の葉のように舞い、二メートルほど後方へ吹き飛んだ。土に塗れ、あばら骨を庇いながら悶絶する。


「ゲホッ……はあ、はあ……一応、病み上がりなんだけどな……」


「これでも手加減してるんだよ? 本気だったら今頃、あんたはこの世から消失してる」

リセの言葉に嘘はない。狼の首を容易くへし折る彼女が本気を出せば、スバルの肉体など、夜空に散る火花のように爆発四散して終わるだろう。


「……っ、次だ! 第二層『泥岩装武ストラトス』!」

散った砂雲が超高密度に圧縮され、胸を締め付けるほどの重圧を伴って「泥岩の鎧」へと形を変える。だが、リセはただ可笑しそうに目を細めた。


「あはは、バカだねぇスバルは。私の能力、忘れちゃったのかい?」

そっと、雪のような白い手が鎧に触れる。その瞬間、絶対の硬度を誇るはずの鎧は、陽炎のようにかき消えた。


「……なんで、そんなに強いんだよ!」


「経験、かな。スバルもいつか、こっち側に立てるさ」

理不尽なまでの実力差に叫ぶスバル。対してリセは、風に髪をなびかせ、自信に満ちた笑みを向ける。

その立ち姿は、春の(ほとり)で咲く桜の花弁を思わせる程残酷なまでに美しかった。


「経験って……お前、一体何歳なんだよ」


「レディーに年齢を聞くとは、いい度胸じゃないか。……と言いたいところだけど、能力の関係でね。体は十四の時から止まってるんだ」

見た目は十四歳の少女。そんな彼女は虚空を眺め懐かしんだようにくすり、と笑った


「それって、いわゆるロリば——」

反射的に口を突き出た言葉。それが最後まで紡がれることはなかった。

スバルの意識は、そこでぷつりと途絶えた。



◆◆◆


次に目を開けた時、視界を占拠していたのは、不機嫌という名の嵐を孕んだリセの顔だった。


「悪かった、もう二度と言わないから。……勘弁してくれ」

これ以上機嫌を損ねれば、次は腹に風穴が開くだろう。生命の危機を感じたスバルは、必死に手を合わせる。


「……二十八」

蚊の鳴くような、消え入りそうな声。


「え? 今なんて?」


「だから、二十八歳! 文句あるかい!?」

呆気に取られたスバルだったが、あまりに人間臭いその反応に、つい毒気が抜けてしまった。


「なんだ、思ったよりババアじゃな——」

スバルが最後に見た景色は、夕陽に照らされた色白の拳だった。



◆◆◆


再び覚醒した時、頬に触れたのは硬い地面ではなく、羽毛のような柔らかさと仄かな体温、そして彼女の規則正しくない心音だった。

恐る恐る視線を上げると、そこには不貞腐れたような、けれどどこか慈愛に満ちたリセの顔がある。


「おや、起きたのかい。このまま永眠するかと思ったよ」


「あの……これは、一体……」


「聞くんじゃないよ、まったく。……さっきは悪かったね。少し、やりすぎた」

彼女の瞳から険しさが消え、出会った頃の凪いだ優しさが戻る。

しかし、現状を把握したスバルの顔は、みるみるうちに耳まで赤く染まった。


「だからって、膝枕は無いだろ……!」


「仕方ないだろう、他に介抱の仕方を知らなかったんだから! ……あと、上を向くのは禁止。そのまま大人しくしてなよ…まったく」


威勢よく言い返したリセだったが、語尾に向かうにつれ、声は消え入るように小さくなっていく。

確かに彼女の言う通りこの安らぎに身を委ねるのも悪くないが、流石に面はゆい

「あの……もういいから立っていいか? そろそろ、腹も減ったし」


「……乙女の膝枕を味わっておいて、感想の一つも寄越さないのかい」

少しだけ唇を尖らせる彼女の腕をすり抜け、脱出に成功したスバルは、気恥ずかしさを隠すように朝の獲物へと向かう。


背後で少し不満げに、けれど満足そうに髪を弄るリセの気配を感じながら、彼は夕食の準備に取り掛かるのだった。

すっごいラブコメにしてる、ラブコメっていいよね

さて、本日はM31が最も高く昇る時間と言ってもめっちゃ昼なんですけど昇ってます。ハイ

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