第60話 迎撃
山道を見下ろすように高まったちょっとした丘のような場所に、俺たちは伏せた。
この丘にいるのは弓衆と鉄砲衆だ。山道とは小道で繋がっており、その交差点周辺には長牛殿の徒歩勢が伏せており、いつでも襲撃できるように準備している。
雨上がりの山の空気はキンとして冷たい。吐く息が白くならないか、不安になる。
馬蹄の音がする。佐多六と、共に送り出していた斥候の武士が、戻ってきた。
斥候は馬を下りて端的に報告した。
「安東勢、分かれ道を過ぎてこちらに向かって来ます。数は千五百を超えて二千に達しましょう」
――これで、まず我らが安東と戦うことが決まった。数十分もすれば、ここが戦場になる。
「承知した。後続はありそうか」
「いえ、見た限りではありませんでした。上山の方向に分かれた様子もありません。ただ、分かれ道に一隊を置いて警備させていました。おそらく退路を確保しているものかと」
「佐多六、他の小道から安東勢が迂回してくるような兆しはあったか?」
話を振られた佐多六は首を振った。
「……いえ、小道に分かれて兵を他に向かわる様子はありませんでした。すべての兵が、この尾去にむかっております」
「軍勢の旗印は? 何が見えた?」
「『檜扇に鷲羽』、安東の旗印でした」
金浜が口をはさむ。
「おい、『雁金』や『三階菱』の旗印は見かけたか?」
「いえ、見当たりませんでした」
斥候の言葉を聞いた金浜がハハッと軽く笑った。
「助かりましたな」
「何が?」
「後続が見当たらないというのであれば、この状況で安東がすぐさま出せる兵力は二千程度だったということ。しかも『雁金』や『三階菱』の旗印、つまり浅利氏や由利の小介川氏など旗下の国人どもも来ていない。おそらく周囲の国人衆を動員できないまま、安東の直参のみを動員して慌ててこちらに差し向けたのでしょう。なれば、ここで安東を叩き潰せば、安東はこれ以上の兵をすぐには動員できなくなる可能性が高い」
「しかしそれは、まだ兵を動員できる余地がある、ということではないのか?」
「旗頭が負けた状況で、参陣に素直に応じる国人はおりません」
「じゃあ、僕らが踏ん張って城を守りきれば、勝ちの目はあると」
一日でも二日でも何日でも踏ん張って、その間に来た援軍と共に安東を速やかに破れば、戦は早く終わるかもしれないということだ。
「その意気や良しです。ですが、気張らぬように。若は初陣です。特に守城となれば気が途切れて使い物にならなくなる方が恐ろしいのです」
「分かった、金浜、よろしく頼む」
「承知」
俺は側に控えていた佐多六に声をかける。
「佐多六も。よくやってくれた」
「はっ」
「お前たちは安全な場所に逃れよ、今からここは切所だ」
「はっ……」
佐多六は小さく頷き、小走りに森の中へと消えていった。
城というのは基本的に周囲の木々を切り払い、見通しを良くしている。
尾去館から少し離れたその丘は、さすがに木々は切り終えてはいなかったが、それがちょうど目隠しのような状態になって相手からこちらの兵が見えづらくなっている。
眼下に見える間道は、こちらからはよく見える。襲撃をかけるには絶好の環境だ。
全ての兵が準備と配置を終え、安東勢が来るのをじっと待っている。金浜は諸々様々な準備の為に方々を走り回っていた。
「皆まだ伏せていよ。ぎりぎりまで安東の連中に姿を見られるな」
「木々はまだ濡れている。雨露で火薬を濡らすなよ」
丘に陣取ったのは弓・鉄砲衆だ。それぞれ甲と乙の二つの部隊に分かれ、兵たちは気を張りながらもリラックスした様子で武具の準備に余念がない。その落ち着いた様子が頼もしい。
「良い空気です」
金浜は兵を見ながらそう言った。
「十郎様、この空気をよく覚えておきなされ。良き味方の空気というのは、こういうものです」
「そうなのか?」
「ええ、事に及んで力まず、たるまず。こういう時の兵たちはよく力を出すもの。そして、その空気を作るのも、御大将の役目と心得られよ」
金浜いつもの守役のような振る舞いで、こちらに語りかける。実際、それは教育なのだろう。
「……なら、大将は兵の為にどう振る舞えばいい?」
「泰然としておられよ」
金浜は言う。
「不安や緊張を面に出さず、強がらず、背筋を伸ばし、胸を張りなさい。彼らが命を預けるに足る将であると信頼させなさい。そうすれば兵は自ずと頼りにします」
「……それはなんとも、難しいな」
たったそれだけのことが、戦場ではとても難しい。
「すぐになれるものではありません。ですが、大丈夫ですよ」
「何が大丈夫なんだよ」
「今回は兵が十郎様を助けてくれます。十郎様が覚悟をもってここにいる事、そして万が一には殿になるとまでおっしゃった事、兵たちも知っています」
「げっ」
思わず声を出してしまった。
「その心意気に兵は応えたいと思っておるのです。その覚悟を心に持ち、研鑽を積めばやがて自然と振る舞いも身につきましょう」
恥ずすぎる……。そんな話が広まっているのかよ……。
「此度は我ら先達にお任せあれ。何、私が教えてきた事を戦にて発揮するのみです」
耳が痛い。どちらかといえば農事にかまけて武事をおろそかにしていた自分は金浜にとって出来の悪い弟子だ。
だが、それでも学んだ事はある。それを実践するしかない。
――はたして、安東の軍勢が進んできた。
多い。多い。
煌びやかな甲冑を着込み、いかつい馬に乗りこんで進む武者。それらを守るように進む徒歩武者、郎党。それが森の奥から延々と隊列を伸ばしてこちらに進んできている。
二千といえば今回動員された津軽衆よりも少ないくらいのはずだが、俺にはもっと数が多いように感じてしまった。ここから見えるのはまだ先手だけのはずだというのに。
彼らを討ち取らなければ、ここで死ぬ。俺も、金浜も、兵たちも。仕損じれば、もう後はない。あの尾去の城主のように首だけになる。
息を吸う。やるべき事は頭に入っている。俺は鉄砲を手に持ち、こぼさないよう慎重に玉薬を銃口に流し込み、それから丸い銃弾を入れ、朔杖を抜いて銃口に差し込み、突き固める。
「……先頭の者はやり過ごして和徳衆に任せます。列の半ばを我らの弓鉄砲衆で叩き、あわよくば崩れを起こしましょう」
崩れ――前の部隊が部隊を維持できずに後退し、前進する後続の部隊とかち合って身動きを取れなくすることだ。上手くいけばその動揺は軍勢の全てに波及し、戦いもままならなくなる。
あらかじめ火をつけていた火縄をあげ、火蓋を開いて火薬をこめ、構える。武者奉行――金浜の指示をじっと待つ。
安東がこちらに気付いた様子は、無い。
そして。
「甲組鉄砲方、放てぇ!」
兵たちが素早く立ち上がり、眼下の敵兵を銃撃した。
静かだった森の中が、一斉に轟音と噴煙に包まれる。
「甲組弓方、放てぇ!」
弦が風を弾く音とともに、弓が一斉に放たれる。射程内に収まっていた安東勢に矢衾が降り注ぎ、次々に兵たちが倒れていく。
「乙組弓・鉄砲方、かかれぇ!」
残る半数の弓鉄砲衆がさらに攻撃を加え、安東勢の混乱はさらに増していく。
安東勢とて油断していたわけではなかろうが、四十挺に及ぶ鉄砲衆と同数の弓衆の集中攻撃は、安東武者たちの壁を打ち崩すには十分すぎるほどの威力を発揮した。
弓鉄砲衆は半分が目についた指揮官と弓衆を集中的に攻撃し、半分が先頭から少し下がった隊列を分断するように攻撃する。
さらに下の道でわっと声が上がる。伏せていた和徳隊が一斉に襲撃を仕掛けたのだろう。
正面、そして側面を強襲された安東勢の動揺が悲鳴となって聞こえてくる。
「先頭は和徳衆に任せて、弓鉄砲はその後方に集中!」
安東方は攻撃の圧力に打ち負けて、一斉に後退する。間の悪い事に、壊乱した部隊が、前に出ようとする部隊と細い道でかち合って、安東勢は有効な反撃も出来ずに混乱したまま身動きが取れない。
崩れた。
前衛が一気に崩れ、逃げだした人波が狭い道で後ろの勢力を巻き込み、安東勢の混乱は最高潮に達する。
しばらくの間、弓と鉄砲を使って間断なく射撃を繰り返す。この辺でようやく安東側から弓の放たれる風切り音と、鉄砲の放つ音がする。だが、こちらに比べれば散発的だ。
やがて太鼓が打ち鳴らされる。鳴らされる調子は引き太鼓。和徳隊だろう。
「和徳隊が十分に追い散らしてくれました、手はず通り引きます」
「承知した、甲組はこのまま攻撃を続行、乙組は手はず通りこのまま道を下って三叉路で和徳隊の援護」
指示を受けた乙組が手早く準備を終え、下の道に下りていく。その間、残る甲組が攻撃を繰り返していく。
「乙組、全員降りました」
「よし、甲組下がるぞ!」
俺は甲組と共に一気に坂を下り、尾去館に続く道へと合流する。
そこでは和徳隊が、金浜の弓鉄砲衆の援護の元、整然と後退を始めていた。統制が取れず散発的に追撃しようとしてくる安東勢に対して、甲組乙組の全力による弓鉄砲の攻撃が吹き荒れる。
和徳隊が後退したのを確認して、弓鉄砲衆も順番に撤収に入る。安東勢は――まだ混乱が収まっていない。
「よし、ばら撒け!」
金浜の命令一下、籠を持った兵達が数名、山道の全面に出し惜しみすることなくそれをぶちまける。
それは撒き菱だ。
鉄の細金を捻じって尖らせ、道に撒くことで敵の移動を邪魔する、立派な移動阻害武器だ。街道を封鎖するにあたってこれも使うかもしれない、と金浜が持ち込んだ品の一つだったりする。
こちらの兵が後退するのを確認して、また金浜が指示する。
「よし、木を切り倒せ!」
同時に、斧を持った兵が数名、間道横の木に取り付き、斧を振るった。
バキバキと耳障りな音を立てて、山道の脇に生えていた木が二・三本、音を立てて倒れる。
あらかじめ切り込みを入れておいた木を、撤収時に道に倒し、撤収する時間を稼いだのだ。
待ち伏せ場所に移動してこういう手立てを用意するまでに時間もなかっただろうに、金浜はそれを敵が来る前までにやってのけたのだ。周到だ。
「本当はさらに油を垂らした藁でも放り入れて火攻めにしたいところですが、火攻めはしくじれば山が燃えかねませんからな、今はこれが精いっぱいです」
戻ってきた金浜はしれっと言ってのける。武士怖い。
「これで安東の先手衆は相当減らせたでしょう」
撒き菱をまいた道の向こうには、安東側の死体が無残にもごろごろと転がっている。俺は一瞬だけ手を合わせてから、金浜に頷く。
「充分だ、さすがだよ金浜。――ここからは走れ! 城まで戻れたらひとまず緒戦は勝ちだ!」
安東方の動きは、やはり鈍い。先頭集団が撒き菱と倒れた木々に邪魔されて動きあぐねているようだ。こちらに散発的な射撃をしながら、必死にそれらの除去をしている。
俺達は細い山道を駆ける、駆ける、駆ける。事前に道は確認していたから、迷わず逃げる。
兵たちにも事前に作戦は伝えている。撤収にも動揺はなくまとまって整然とした引き際だ。
鉄砲衆と弓衆たちが要所要所で銃を構えて待機し、安東の追撃に備えながら順繰りに後退していく。俺も馬を走らせながら後退する。俺がいるのは部隊の半ばから少し後ろ位。そばには弘宗がぴたりとくっついている。
「安東の馬が来ます!」
鉄砲衆の大声が響く。
走りながら後ろを振り向けば、騎馬の侍が細く曲がりくねった山道を見事な手綱捌きでこちらへ駆け込んでくる。
「くそ、どうやってあの道を乗り越えてきたんだ!」
悪態をつく。
縦長に隊列を組んで、七騎、その後ろには十数人ほどのお供が遅れてついてくる。まだ豆粒よりも小さい大きさ、だが、すぐにでも追いつくだろう。
待ち構えていた鉄砲衆と弓衆が撃つ。
一斉に打ち込まれた矢玉に、先頭を走る二騎が転げる。だがまだ後ろの騎馬が残り、体勢を整えて距離を縮める。
弓・鉄砲衆が手はず通り引く。だが、このままだと、撤退する最後列に追いつかれる。
「鉄砲衆、来い!」
とっさに周りの鉄砲衆に命じ、馬を下りて後ろへ向かう。弘宗と十名ほどの鉄砲衆がついてくる。
「十郎様!」
金浜の声が聞こえた気がしたが、無視して後ろへ。
もとより追いつかれる可能性も考慮している。まずは阻止だ。
道がちょうどわずかに開けて広くなる場所に陣取り、そこに待機していた弓・鉄砲衆に合流する。これで鉄砲衆が十数名と、弓衆も数人。鑓を持った者が三人。
後退する味方を後ろに送りながら玉を込め、迎撃の準備をする。
「三段になって待つ! 先頭が撃ったら二段目、次に三段目が順に撃つ。弓衆はその後ろで適時射て」
交互射撃は弓術でも行うし、石川の鉄砲衆は訓練もしている。俺の指示にすぐ反応して並び直すのはさすがの技量だ。
(ここで殺させられない)
貴重な技量を持つ鉄砲衆をここで失わせられない。彼らは俺につけられた家臣なのだ。だが。
(まずい、鎗衆がちょうどいない)
騎馬に対しては二間半ほどの長柄鑓で接近を邪魔するのが常道だが、長柄鑓を持った者は周りに三人ほどしかいない。元より鑓衆は和徳殿に預けていた上、撤収する際に鉄砲衆が最後尾になった関係で、折悪く周りにいない。これでは騎馬に踏み込まれたらなすすべがない。
隣の鉄砲衆のひきつった顔と、銃の先についた銃剣が見える。
「――長柄鑓を持っている者、それから銃剣を渡した奴、前列に集まれ!」
俺が銃剣を渡した兵が数人、ここにいる。彼らは一瞬目を丸くし、それから弾かれたように前列にまとまる。
狭い山道は兵五・六人で一杯になる程度の幅しかない。前列の鉄砲衆とわずかな鑓衆はしゃがみ、後列が立って待ち構える。
騎馬が、山道の曲がり角から姿を現し、まっしぐらにこちらへ近づいてくる。
追手の騎馬が全て視界に収まるまで待つ。先頭の騎馬が馬蹄の音をさらに高めてこちらに急進する。まだ待つ。
俺は前列で銃を構える。
「一段目、撃て!」
引き金を引く。轟音が響く。煙がもうもうと吹き出す。
安東の騎馬が倒れる。一騎が倒れ、一騎が轟音で棹立ちになり、武士が転げ落ちる。
煙がわずかに晴れ、敵の後続を見やって二段目がすぐさま撃つ。続けざまに三段目が撃つ。
安東の騎馬が一騎倒れる。後ろについてきた騎馬の郎党たちにも銃弾が当たり、算を乱す。
が、二騎残った。
道の木陰にとっさに隠れて攻撃をしのぎきった二騎が飛び出したのだ。
震えが走る。
倒れた馬や同輩を巧みに避けて、勢いそのままにこちらへ駆け入る。
このままでは馬が飛び込み、粉砕される。馬蹄に踏まれ、潰される。
距離が詰まる。弓衆が矢次早に射る、が、安東の武士はものともせず馬上太刀を構える。
「鑓・銃剣衆、構え!」
出来るだけ長く鉄砲の後ろを持ち、銃剣を構える。その横で弘宗も槍を構える。それを見て鉄砲衆が同じように銃剣を構えて穂先を並べた。
騎馬侍が馬上太刀を大きく掲げる。
まずわずか三人の鑓衆が喚声と共に長柄鑓を突きだす。
一騎はそれを避けられず、そのまま鑓衾に飛び込み、もう一騎の騎馬侍は狭い山道で巧みにそれを避ける。下掬いに太刀を振るって長柄鑓を弾き飛ばし、こちらの隊列に突撃する。
こちらに到達する瞬間、こちらは一斉に銃剣を突きだした。
突き出された槍衾に刺された馬が悲痛な悲鳴と共に膝を折り、倒れる。
騎馬侍が、体勢を崩しながら下掬いに刀を薙ぎ払う。
こちらの隊列が、倒れ込む馬によって崩れる。
俺の兜と大袖に太刀が掠る。ガリ、ともゴリ、ともつかない音が甲冑越しに聞こえる。
突きだした銃剣が、布と肉に刺さる感触。
そのまま、勢いに巻き込まれて後ろに跳ね飛ばされる。
ごろごろと地面を転げる。木にぶつかって止まる。息が止まる。痛い。
何とか這いつくばり、立ち上がる。
「十郎様!」
弘宗の声がする。
周りを見回して状況を確認する。
安東の侍は――地面に転げ落ち、腹から銃剣を生やして悶絶していた。
そこに兵が蟻のように群がり、あっという間に侍の首をかき斬る。侍は動かなくなる。
長柄鑓に討たれたもう一騎の侍も、首を取られていた。
歓声が上がる。
俺は動かなくなった侍に近づき、刺さったままの銃剣を引き抜いた。
銃剣は見事に曲がり、よく見れば銃身も少し反ってるように見える。
(ああ、もったいない……)
後続は、居ない。敵の郎党たちは引いたようだ。
「――退くぞ! 走れ走れ!」
俺が怒鳴ると兵たちが再び動き出す。俺も走り出す。
甲冑がガチャガチャなるうっとおしい音を聞きながら懸命に走る。
「無茶しないでください!」
隣に追いついた弘宗が息を切らしながら怒鳴る。
「説教は後だ、安東の後続がまた来る前に城に着くぞ!」
途中で降りた馬に再びまたがり、走り出す。前では金浜がえらい形相でこっちを睨んでいた。




