第58話 初陣
永禄五年(一五六二)四月五日
鹿角の大湯に到着した南部晴政は、先んじて到着していた石川高信と毛馬内秀範の迎えを受けて、陣を立てた。
晴政は鹿角衆を幾つかに分けて対応した。
まずは鹿角郡北の三戸毛馬内氏、郡南の石鳥谷氏・長牛氏を初めとした鹿角一戸諸勢――つまり南部氏に出自を持つ館主達に即時出兵が命じられ、合わせて秋田安東領に繋がる街道・峠を封鎖するよう指示がなされた。
次に、鹿角四頭のひとつ、阿保氏の本宗家である花輪伯耆守親行に詰問状が送付された。
そこには、安東氏への内通の証拠を突きつけたうえで、申し開きの為に速やかに本陣へ越すよう命じられていた。事実上の降伏勧告と言っていい。
加えて、柴内氏・大里氏・尾去氏・小枝指氏・小平氏・大湯氏など、安東との繋がりが確認された者に対しても一斉に書状が送付された。
書状では謀反頭人として花輪伯耆守の名前が読み上げられたうえで、速やかに大湯陣に参陣することが命ぜられていた。
「御身らは必ず参陣するように」
使者は晴政の言葉としてそう伝えた。さもなくば集結した軍勢をもって踏み潰すとも。
あくまで安東に内通したことは指摘せず、ただ厳しい言葉でもっての参陣を命じたのだ。
また、安東との与同が確認されなかった館主に対しても同様に陣への参陣が命じられた。もしこの中に安東に内通していた者が居たとしても、不問にする、ということだ。
晴政は花輪伯耆守に狙いを絞ることで、なるべく最小限で事を済ますつもりだった。
花輪伯耆守が大湯陣に来て謝罪するならば、伯耆守には隠居を命じたうえで所領を削減すること(場合によっては移封)で済ます。もし花輪伯耆守が対決姿勢を見せたとして、なるべく内応組をこちらに引き寄せることで、花輪伯耆守に味方をする者を減らし、戦いを済ませる気だった。
突然のことに、鹿角衆の対応は分かれた。
わずかな猶予で自分たちの旗幟を決しなければならなくなった鹿角衆は、当然、割れた。
南部晴政の本陣には、鹿角衆が続々と集まってきていた。
真っ先に参陣したのは郡北の小枝指氏、安東に内通していた家のひとつだ。
参陣した当主・小枝指左馬之助は、息子の小枝指小次郎が勝手に安東に内通していたことを明かし、それに気づかなかった罪をすすぐため、先鋒で戦うことを望んだ。晴政はそれを認め、本領を安堵したうえで刀を下賜した。
「それもて敵を討ち取られよ。たとえ一族血縁といえど、戦となれば手心を加えずに戦うよう」
気付いていなかった、という言葉を信じたわけではないし、子の内通の罪は親にもかかる。だが、晴政は寛大さを示すことによって降人を許すことを行動を持って示した。
他にも参陣したのは郡北の領主を中心として、多数に上った。郡南の領主たちは大日堂に本陣を置いた一戸殿の城に続々と集結しているという。
こちらに敵対するわけでもなく、かといって参陣もしなかった者もいる。小枝指氏と同族の小平氏などは城を捨てて逃亡し、その城は小枝指氏が先だって占領し、晴政に進上された。
そして郡北の有力者である大湯氏も、手勢を率いて堂々と参陣してきた。
「御家督様、我ら大湯衆を集めてまいりました。いかようにもお使いくださいませ」
大湯氏は自身のみならず奈良の一党をはじめとする近隣の小領主たちも誘って臣従してきた。晴政はまず彼ひとりを陣に呼んで声をかける。
「大湯殿、貴殿が来てくだされば力強い。此度は安東に通じる者どもが鹿角に蔓延っており、このような仕儀となった。御身も我らに奉公する身の一人として良く戦われよ」
晴政はそう言って彼との謁見を早々に打ち切り、大湯についてきた者たちを個別に呼び寄せて彼らの言葉を聞く。
――高信について晴政の本陣を見舞った俺は、鹿角衆の様子を文字通りの意味で見学することになった。
「御家督様、しっかりと差をつけておられますね」
「どういうこと?」
金浜の感心するような言葉に首を傾げる。
「真っ先に来られた小枝指殿は少身ながら内通していたことを明かしたうえで先鋒を申し出ました。さらには得た城を差し出すことまでやってのけた。晴政様もそれに応じて本領安堵と刀の下賜を行いました。一方で大湯殿は内通していたことを隠し立てしたまま臣従してきました。その為、奈良の惣領の立場をお認めにならず、あくまで大湯の一領主として従うよう指示されておりました。御家督様は、こうやって鹿角内での序列を組み直すつもりなのでしょう」
おお、政治だ。
「鹿角は境目の地。ここの安定は南部にとって必要不可欠です。鹿角の国人どもが二度と敵対せぬよう、御家督様は手当てを行いましょう。これもその一環です」
「随分と寛大な処置のようだが、内通していた館主を除かなくても良いものなのか? 滅ぼさぬまでも余所に移してしまうとかはやらないんだろうか」
晴政の方針はかなり穏当だ。穏当すぎて弱腰とすら見られるかもしれないほどだ。
「館主たちが以後安東に内通しなければそれでいい、という判断なのでしょう。武威を示し、二度と安東に内通せぬようにすれば、館主の移転は必ずしも必要ではありません。除いたとしてその後の在地の支配が大変ですしね。例外は花輪伯耆守殿ですが、花輪殿にしても大人しく従えばそう酷いことにはならないでしょうね。武功を上げて領地を切り取りたい連中にとっては嬉しくないことでありましょうが」
金浜は苦笑した後、憂うように目を細める。
「ですが、これで鹿角衆が大人しくするとも限りません。それに、これだけ兵を出した以上、なにがしか目に見える手柄は上げねばなりません。荒れるにしても短く済めばよいのですが」
それは本当にそうだ。戦などさっさと終わって田植えに間に合わせたい。
そして、一揆の頭人とされた花輪伯耆守は、ついに陣所を来ることはなかった。
参陣しなかった館主は、郡中央部の花輪氏・柴内氏・大里氏・尾去氏・松館氏。いずれも阿保の一族であり、彼らは各城館に籠城し、南部氏との対決姿勢を鮮明にした。
永禄五年四月七日
わずか二日の猶予を挟み、南部晴政は軍勢を一斉に動かした。
参陣しなかった阿保諸氏の領域は、大きく分けて米代川の左岸と右岸に分かれる。
右岸には北から順に柴内館―花輪館―大里館が並び、その周辺に小城が配されている形だ。ここが阿保氏にとっての中核領地であった。
左岸には上山館―尾去館―松館と並んでいる。そのうち上山館はこの戦より前に既に廃城となっており、実質的に敵は尾去館と松館だ。松館から西側に進み、米代川を渡ると大里館に行くことが出来、この辺には川渡し場が作られていた。
南部晴政は、直卒の本軍を率いて柴内館へ発出した。その数四千。
同時に、松館のすぐ近くにある石鳥谷館に鹿角一戸勢が集まり、一戸政連率いる一戸勢と岩手勢は、右岸の分宿地である大日堂に集結した後、南の大里館へと進軍した。郡の北と南から阿保氏の領域を挟み打つ形だ。こちらは三千ほどの軍勢が参加した。
そして津軽衆は、米代川の左岸にある尾去館と松館に対する攻撃を担当した。その数二千五百。
軍勢は放棄されている上山館を占領し、そこを拠点として一気に南下することになった。
俺はその軍勢の一員として、尾去館攻めに参加することとなった。
初めて参加する戦さは、圧倒的で、あっという間だった。
先手に参加するのは、瀧本播磨守率いる大光寺勢と、和徳讃岐守の和徳勢だ。
尾去館は六つの曲輪が二列並行に三つずつ並んだ城館だ。敵方は大手正面の二つの曲輪に兵を集中させていたようだが、その大手の坂にこちらの兵が殺到する。さらにここからは見えないが搦手側からは大浦勢が向かう。基本的に数に任せての力押しだ。だが、巧い。
瀧本勢が置楯と竹束を前に押し出してゆっくりと前進し、館側の抵抗を受け止めながら、和徳勢がさらに違う方向より城を襲撃する。元々城兵も少ないのだろう、館側も必死に防戦しているようだが、数の差はいかんともしがたく、さらに搦手側の大浦勢からの攻撃にも力を割かねばならず、自然抵抗も崩れてくる。数の多少は打つ手の数の多少になり、本来攻城戦において有利な守勢側を追い込んでいく。
さらに石川の弓鉄砲衆が先手衆のすぐ後ろに立って、敵の射手に対してその圧倒的な数で一斉に弓鉄砲の集中砲火を浴びせる役目で、そこに俺は参加することになった。
竹束と置楯を前に立てて前進する徒歩衆の後ろについて坂道を上る。
目の前は高くそびえる切岸だ。
そこからは風切り音と共に弓矢が飛んできては容赦なく竹束に刺さってバチバチと弾ける音がする。対抗してこちらの弓衆も盛んに弓を放つ。
はっきり言って恐ろしい。既に自分も相手の射程内に入っていると思うと、体が震える。
でも、緊張しても体はきちんと動いてくれる。生まれてからこのかた受けてきた調練が、こんな状況でもきちんと体を動かしてくれる。
「高所に陣取る分、相手が有利。まだ近づきますぞ」
俺の横にいる金浜が前を見たまま言う。前に近づけば近づくほど的になるというのに、その恐れも感じさせない。
俺は一応一手の指揮官とはいえ、今回は金浜にほぼほぼ指揮を任せている状態だ。初陣なのでそこは割り切って頼んでいる。
「甲組鉄砲方、あの射点に狙いを定めい」
金浜の指示に、鉄砲衆があらかじめ装填していた鉄砲を構え、俺もまた鉄砲を構える。
視線の先には、相手の弓衆が盛んに矢を放っている城柵が見える。
「十郎様、下知を」
金浜が促す。俺は頷く。声がかすれないよう咳払いし、大声で、命令が通るように。
「――放て!」
下命と同時に、数十挺の鉄砲が一斉に轟音と噴煙を上げて放たれた。
城柵の敵射手は、突然吹き荒れた鉄砲の攻撃により沈黙する。
「乙組鉄砲方、放て!」
少し間を置いて再び別の組に命じ、間断なく射撃を繰り返す。
相手は頭を上げることもおぼつかない矢玉の雨に有効な手立てを打てない。
俺は鉄砲衆と共に鉄砲に弾を込め、弓鉄砲衆の実質指揮官である金浜の指示の元、目標に狙いをつけ、城の一角に向かって撃つ。火縄銃の煙がもうもうと立ち込める中でも、金浜が敵方の弓兵がいる場所を正確に見つけ、そこに向かって射撃を行うよう指示して相手の飛び道具を封殺していき、その後には敵の鑓衆の固守する場所をひとつひとつ攻撃していく。数の優位に任せてひたすらこれを繰り返した。
相手側の抵抗は当初こそ激しかったが、射手のいる地点に向けて集中的に攻撃してひとつひとつを潰していくと、その抵抗もすぐに止んでいき、その攻撃が弱まった時を見逃さず、瀧本勢と和徳勢が一気呵成に突撃する。
しばらくして、大手門が突破される。
あとはそのままなし崩し、というやつだ。
攻城が始まってわずかに一刻。主力である石川勢の主力が参加するより前に、南部勢は城内に突入した。時をほぼ同じくして、搦手の大浦勢も城門を突破して尾去館内に入ったようだ。
城主である尾去越中守が自刃したとの報告が届けられ、残る敵勢は降参し、開城した。
俺はと言えば、大手門が突破された段階で城には入らず、鉄砲衆をまとめてその様子をただ見るような形になった。
そして、あっという間に城が陥落し、戦いが終わっていた。
初陣は、そうしてあっけなく終わった。
後ろに控えていた高信は悠々と城に入り、さっそく城内の確認と修築を命じた。
城を掌握した後は、すみやかに武功を上げた者を賞し、また首級の見分を行った。
「やはり、相手は準備不足であったようですな。矢玉の備えもまだ少なく、城の普請もまだまだでした」
と、城内の検分に参加した金浜はそう結論した。
俺はと言えば、首検分に立ち会うことになった。
首だけになった尾去越中守は、どこにでも居そうな中年だった。眠るように目をつぶり、穏やかな表情ではあったが、首だけだ。
「…………」
(戦さに負けたらああなる)
首検分が進む中、俺はそっと手を合わせて拝んでおいた。
他の場所の戦況も、おおむね順調に推移した。
尾去館のすぐ近くの松館は、石鳥谷館から出た鹿角一戸勢がこれを攻撃した。城主の松館越前は多勢に無勢を悟り、城を焼いて自落、安東領へ逃亡した。
これによって、米代川の左岸はその日のうちに全て南部勢の支配下となった。
占領した城のうち、尾去館には石川・大光寺・和徳勢が、大浦勢は上山館に戻り、松館は一戸勢が入った。
尾去館や上山館の西に広がる山脈は山道を介して秋田の比内領に通じている。その山道を佐多六に改めて教えてもらい、秋田勢の攻撃に備えることになった。山道はかなり多く、尾去館や上山館に通じる間道もあった。
「この辺の山道は水晶山から伸び、途中で枝分かれしているそうです。分かれた先はそれぞれ上山と、この尾去・松館に繋がっていると」
「その水晶山という所に兵はおけるか?」
「検分したところ、道は険しく、ろくな防備も置けなさそうです」
「ならば警備の兵だけでもよい、安東が来たらすぐに狼煙を上げられるようにせよ」
高信の指示の下、峠道を抑えて秋田からの襲撃が察知できるようにしておく。
「教えられた峠や通路を封鎖しろ。既に敵方の〝草〟が侵入していよう。こちらも兵を出して掃討するぞ」
「ろくに兵が置けんなら、比内に繋がる山道を所々で封鎖してしまえ。街道の回りに生えている木を切って道を遮り、要所に見張りを立てよ」
「尾去館も改修するぞ。壊れた所を直して堀を増やし、柵を立てよ。安東が来ると思って準備せよ」
こうして各々が占領した城普請を進めていくうち、他地域の戦況も届いてきた。
「柴内館が陥落したとのこと」
「毛馬内殿が先に立って奮戦したそうだ」
「御家督様は柴内館を改めた後、明日には花輪館に攻め込むとのこと」
「大里館は頑強に抵抗していて、一戸殿や岩手衆もなかなか苦戦しているそうだ」
「だが大里に籠る兵は少ないとのこと、遠からず落ちるだろう」
南部氏は、おおむね鹿角攻めに勝利している。少なくとも今この時はそうだった。




