第57話 鹿角の佐多六
永禄五年(一五六二)四月二日
その日、南部氏の領内各地で一斉に陣触れがなされた。
南部勢は鹿角へ、主に三方向から踏み込むこととなった。
当主・南部晴政を惣大将として、これに田子信直・南長義などに率いられた三戸南部氏の軍勢が、郡北の大湯に着陣するため来満峠越えの街道を進軍した。三戸の留守居には東政勝・北致愛を配して、他の地域で異変が起きた際の対応を命じられた。
南からは一戸政連に率いる一戸本領および岩手郡の一戸氏諸族を中心とした軍勢に、三戸南部氏配下の岩手郡諸領主が合流して湯瀬口を経由して鹿角郡南の大日堂に着陣する。
それに加えて、津軽からは石川高信を主将として、石川勢を中心に大浦氏・和徳氏・大光寺氏・浅瀬石千徳氏などが参加する軍勢が南下して、高信の弟・毛馬内秀範が依る毛馬内当麻館に着陣する予定だ。
これら三勢はほぼ同時に鹿角郡入りし、鹿角郡の南と北から速やかに安東に内通する鹿角諸領主を包囲することとなった。
俺、石川慶信は高信の側で津軽勢の一員として、この戦に参加することとなった。初陣である。金浜らの郎党と、森宗弘宗など自前の家臣の他は高信から兵を(主に鉄砲衆を)つけられた。
進軍は以前より極秘裏に準備されていた。安東に内通する鹿角勢に気取られぬよう、出陣の根回しは極秘裏に、細心の注意を払って進められた。浪岡から情報が漏れることも懸念されたが、結局、出陣までに鹿角衆が南部側の動向に気付いた様子はなかった。出陣してもしばらくの間、末端の兵士たちには目的はすぐには明かされず、兵たちは首を傾げながらも道を進んでいった。
「我らの向かう先は鹿角だ」
高信率いる津軽勢の諸兵に行き先が明かされたのは、鹿角との郡境にある坂梨峠にさしかかった時だった。
津軽と鹿角の境目である坂梨峠を越えて、鹿角に津軽の軍勢が入った頃には太陽は既に中天を指していた。
長い軍列を、俺は馬上からでずっと見ていた。
二千五百を超える武装した武士、馬の口をとる中間、荷を運ぶ小者などなど、馬や荷駄と共に山がちな街道を進む様子はごちゃごちゃと非常に雑然としている。
これからあと一日もすれば目的地の毛馬内に到着する。そこからどうなるかはまだ分からないが、高い確率で戦が起きる。そうなれば自分も戦に参加することになるだろう。
できれば何事もなく、つつがなく終わってもらいたい。ただただそれだけだ。
しばらくして、隊列が止まり、陣がざわめきだした。
どうも、列の先頭で何事かが起きたようだった。ちょっとした異変に、俺も緊張する。
すぐさま使い番の武士が先頭に向かう。
「何か起きたのでしょうか?」
「さあな」
高信は泰然としている。
敵襲だろうか。だが、それにしてはどうも雰囲気が緩い。それに、敵襲を告げる連絡もない。
物見役の武士はすぐに戻ってきて高信に報告する。
「如何した」
「は、先勢で熊が出まして。出会いがしらに遭遇したため雑兵が怪我をしました。今は居合わせた鹿角のマタギ衆が熊を狩っております」
「熊か。そろそろ冬眠から起きてその辺を歩き回っている頃か」
熊の不意の接触はこの時代でも脅威だ。冬眠明けの熊は餌を求めて山を歩き回るので特に凶暴であり、注意が必要になってくる。
またこの時代では熊だけでなく狼もいる。それら猛獣と会えば〝現代〟と同じように危険だ。
「それにしても、軍勢に襲いかかってくる熊とは威勢が良いな」
「どうも親離れしたばかりの若い熊のようで。気配りが足りなかったのか、物珍しさが勝ったのか、いずれにしろ未熟者だったのでしょう」
「そうだな、怪我をした者は災難だが、よく手当してやれ」
野獣というのは基本的に警戒心が高く、そうそう人に近づこうとしない。軍勢ならなおさらだ。だが、若い熊は往々にして警戒心がおろそかだったり、好奇心が高く、人を恐れずに不用意に近づいてきたりしてしまう。今回はそんな個体に当たってしまったようだ。
ほどなくして、先頭での騒ぎが終わったのか、ざわめきは落ち着いて軍勢が動き出した。
「マタギが熊が討ち取ったようです。この熊を献上したいとその者が申しております」
「そうか、ならばよし。せっかくだ、会おうではないか」
高信はそう言ってマタギを連れてくるよう命じた。
やがて、馬が牽く木製の簡易な橇に乗せられて、熊が運ばれてきた。背丈は成人男子にも匹敵するだろう、立派な雄だった。
「鹿角を縄張りとしております、マタギの佐多六と申します」
熊を運んできたのは、馬と白い犬を引いた男だった。鹿の毛皮を羽織り、焼けた茶色い顔に眼の光が炯炯とした、異様の者だった。
マタギ。山立とも言い、狩猟をなりわいのひとつとする猟人のことである。時に単独で、時に集団を組み、獣を追って山中を駆ける者たちだ。
中でも熊を討ち取ることが出来る熟練者はごくごく限られている。目の前の男は、間違いなく熟達したマタギだった。
「南部様を騒がせた熊にございます。これから戦さに行くとのことで、景気づけとしてこれを献上いたします。後ほど捌かせていただきます」
「うむ、殊勝である。胆は献上し、他は好きにせよ」
高信が側付を介して返事する。
熊の胆のうは薬として重宝される。もっとも貴重な部位だ。
もちろん、それ以外の部分も高く売れる。熊の毛皮は冬の防寒用商品として、肉は食料として取り扱われる。特にこの時代、熊は容易に狩猟できない猛獣だ。ゆえに希少価値も高い。
俺は熊の死体に近づいてまじまじ検分する。狩られた動物の死体は、高信や他の家人が猟に出て獲ってきたものをよく見たし、〝現代〟でも害獣として狩った鹿を解体したこともあるが、熊のそれはほとんど見たことが無かった。
大の字になって倒れた月の輪熊は胸の心臓部分を見事に一刺しされており、さらに首筋にも小刀を指したと思われる傷が見て取れた。
「あの、いかがなさいましたか」
「ああすまぬ、佐多六とやら、この傷は血抜きの穴か?」
佐多六は困ったように首を傾げたが、高信が声をかける。
「そいつは俺の小せがれでな、直答してかまわん、答えてやってくれ」
「はぁ……されば。そうです、その首の穴は血抜き穴です。ここに穴をあけて血を流します」
「ここだけで十分に血は抜けるのか?」
「ええと、はい。逆さにしていればそれなりに抜けます」
「抜いた後、流水につけたりはしないのか」
「流水、ですか。それはしませんね」
「マタギの流儀とは違うかもしれんが、肉をよりよく食うためには流水につけて出来るだけ血抜きした方がお勧めだ。虫を殺せるし何より血抜けが良いほうが日持ちするしな」
血抜きした肉を川など流水の中に放り込む、さらなる血抜きをして肉の臭さを取り除き、皮についたノミダニの類を流すためだ。本当なら冬場の方がいいが、今の季節なら雪解け水で川の水も冷たいからちょうどいいだろう。それをした後は皮を剥いで肉を適当な大きさに分けてさらに水につけて血抜きしたりもする。
「日持ちするのですか?」
何気なく言った言葉に、佐多六が興味深そうにこちらを見る。眼力が異様に強い。
「ああ、特に冬場なら血抜きをした方が間違いなく伸びる」
血抜きは保存や肉の味にも関わってくる重要な工程だ。血抜きをしない肉は文字通り血生臭いし、しっかり抜かないとそこから腐敗する原因になる。武士たちも鹿や兎を狩って食べることがあるが、正直あまり美味くないのは血抜きがしっかりしていないからだと思う。
なので、まれに自分が狩猟に出た時は、血抜きをしっかりするようにしている。〝現代〟に居た時に、農作物を荒らそうとする鹿を狩ってくれた知り合いのハンターに処理の仕方を教えてもらったものだ。
「しっかり乾燥させて塩をまんべんなく塗るとそれだけでも保存は違うぞ。あとはソーセージ、腸詰にするとかかな」
「そーせーじ? 腸詰? とはなんですか?」
佐多六が首をかしげる。
「動物の腸に塩や硝石を混ぜた細切れ肉を詰めて湯がいたり乾燥させた肉だ。腸で外気と遮断されて、塩と硝石が毒を抑えて肉を長く持たせる。あと普段使われていない肉で作れる」
「! 捨て肉でも作れると?」
「あ、ああ、ようは肉を細切れにするから、普段食いづらいような部位とかも使える」
ソーセージ、元々は保存食で肉をまんべんなく使えるように発達したものなので、そういう利点もある。その辺がどうも佐多六の琴線に触れたようだ。
「……興味あるか?」
「はい」
佐多六は上目遣いの鋭い視線をこちらに向けてくる。
「肉はすぐあめるもの。日持ちせず、すぐに食わねばなりません。それなりにあめた肉を食うことも我らは慣れておりますが、日持ちを少しでも伸ばし、今まで使えぬ捨て肉でも使えるなら、冬を越せるか越せないかがが大きく変わります」
佐多六の事情は切実だった。
「若君の保存食は、どれほど保存出来るのですか」
「夏場はさすがに腐れやすいが、秋から冬ならば作り方次第で三か月は持つはずだぞ」
通常のソーセージだけでなく、燻製にすればそれなりの期間は持つだろう。もちろん、しっかり作らないとボツリヌス菌に代表されるようなヤバイものも発生するので気を付けなければいけないのは言うまでもない。
「三か月……十分ですね」
「手間はあるけどな。それに、独特の味があってお勧めだぞ。もちろん、保存食を作るには色々と必要なものはあるし、留保もある。最初は按配が難しくて失敗する場合もあるがな。……やってみたいか、佐多六殿」
「是非に」
ふと、脳裏にある思い付きが湧いた。
「分かった。もし頼みごとを聞いてくれるなら、鹿角から戻る時に伝授しよう。場合によってはうちの領内に来てもらう必要はあるかもしれないけど」
「頼み事、ですか?」
「ああ。佐多六殿は鹿角の道には詳しいか?」
「……鹿角は我が庭にて候。大道はもちろん、山の間道も一通り頭に入っております」
「なら、安東が通りそうな道を教えてほしい。そして手勢でその幾つかを監視し、安東が通れば伝えてほしいのだ」
「道を、ですか?」
「ああ、安東勢が通りそうな道を、御身なら知っておられるだろう?」
鹿角の反南部勢を救援するため、安東氏が援軍を送ってくる可能性は高い。安東の計略で鹿角衆の内応進められた以上、これを救援しなければ安東の信用が落ちる可能性がある。
それ自体は高信ら南部氏の首脳も分かっている。なので鹿角と安東領比内に繋がる主要街道に兵を置き、また津軽と秋田を繋ぐ峠も固めて攻撃を阻止するつもりだ。
だが、それ以外の細い間道は把握し切れていない。そこから安東氏が侵入して奇襲を受けては目も当てられない。
だが、山を走り回るマタギ衆なら、それらの道を知悉しているはずだ。
「我が南部勢も秋田と鹿角を繋ぐ道はある程度把握しているが、それらすべてを知っているわけではない。知っているか知らないかでは大きく違う。間道を教えてくれるだけでも十分だ。今は戦ゆえすぐさまとはいかないが、戦が終わり次第、褒美もやろう」
「褒美とは……?」
「塩三駄(約二・四石)。もし安東の軍勢を見つけたらさらに三駄、先ほどの保存食の作り方も教える。どうだ?」
「是非」
と、佐多六は即答した。
「……そんなにも塩があれば、飢えて死ぬ者も少なくなります。ありがたいことです」
佐多六の言葉はひとつひとつが重い。
塩が無くて人が死ぬ――〝現代〟の日本では到底起こりえないことがこの時代は平気で起こる。そしてこの南部領に限らず北奥羽は、恒常的な塩不足の地域でもある。
全国的な航路が拓かれ、瀬戸内の塩が輸入されるようになった江戸時代でさえ、南部領では非効率な塩釜に補助を出してまで地元塩を作り続けたのはそれに由来する。
この時代、塩は領主たちが米雑穀と同じくらい確保に意を砕かなければならないくらい必須の物資だ、特に内陸部の塩不足は本当に深刻で、海沿いの地域の三倍もの値段で取引されることすらある。
「よし、なればすぐに準備する。地図を準備するから少し待ってて。親父殿も、よろしいですか?」
事後報告の形で高信に振りかえり許可を乞うと、高信は苦笑して頷いた。
「まあよかろう。確かに間道を知れるのはありがたい。褒美はお前の手から出せよ」
「承知しました」
「……その腸詰とやら、俺にも作ったら食わせろよ」
高信はちょっと声を潜めて言った。




