境界の陽光と銀の仮面
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光と影の八人の英雄が織りなす、王道ハイファンタジー戦記をお楽しみいただければ幸いです!
男はただ独り、光の届かぬ闇の底に立っていた。
頭上を塞ぐ崩落した巨石と、化石のように硬直した太古の樹根が、複雑怪奇に絡み合って天井を覆っている。風の通わぬ絶対の静寂。漆黒のロングコートは数えきれぬ死線をくぐってぼろぼろに裂け、失った者たちの名を呼びつづけた声は、とうに涸れ果てていた。それでも、煤と血に汚れた双眸の奥に灯る光だけは、何ひとつ消えていなかった。
瓦礫の奥に鎮座する、未知の金属で鋳造された巨大な祭壇。
男の足音に応じるように、幾重にも連なる神代の青銅歯車が、数万年の沈黙を破って重々しく噛み合いはじめた。積もった埃を払い落とし、鈍い鉄錆の火花を散らしながら、環状の魔導コアが低周波の地鳴りを立てて回転を速めていく。
男の唇が微かに動き、声にならぬ何かを紡いだ。だが巨大な歯車が立てる重い轟音に呑まれ、聞き取れたのはただ最後の一節だけだった。
「……――を、炉にくべよ」
迷いはなかった。男は腰の短剣を引き抜き、躊躇いなく自らの右の掌を一文字に切り裂いた。
滴り落ちた真紅の鮮血が、祭壇の中央に埋め込まれた水晶の魔導核を赤く染め上げる。
刹那、核の深部から青白い光の奔流が噴き上がり、凍てつくような暴風となって円形に吹き荒れた。裂けたコートの裾が激しく煽られ、石床に散らばる破片がチリチリと甲高い音を立てて弾け飛ぶ。
男は懐から、旅の途中で瓦礫の中から拾い上げた銀細工の半面仮面を取り出し、両の目を覆うように装着した。そして胸元で揺れる古びた小さな装身具を、血の滲む指先で強く握りしめる。
(あいつらには、指一本触れさせない。運命がそれを阻むというなら、その筋書きごと俺が切り裂く――)
仮面の奥で、血を吐くような決意が双眸に宿る。
次の刹那、光の奔流が男の輪郭を呑み込み、視界のすべてが白く染まった。
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夜明け前の王都ルミナリア、下町の聖光孤児院の中庭に、乾いた木剣の風切り音が響いていた。
「九百九十八、九百九十九……千!」
千回目の素振りを終え、肩で息をしながら汗を拭うアルスの前に、湯気を立てる素朴な木椀が差し出された。
「はい、熱いかぼちゃスープですよ。朝ごはんを食べないで出撃する騎士様がどこにいますか」
「テレサ先生……! ありがとうございます」
穏やかに微笑む院長シスター・テレサは、旅立ちの白い礼装を纏う若者を慈愛に満ちた眼差しで見つめた。
「アルス。英雄にならなくていいのです。ただ、無事に帰って、またこの子たちに木剣を教えてあげてくださいね」
「……はい。約束します」
孤児院を出て大通りへ向かう路地裏、朝靄を切り裂くように鉄鎚の甲高い音が響いていた。
戸口には刃の欠けた鍬が二本、立てかけられている。初老の農夫が恐縮しながら差し出した修理札を受け取ると、赤ら顔の頑固親父ボルドーは奥に積まれた軍用の槍穂を一瞥し、無骨な手つきで炉の脇を空けた。
「そこに置いていけ。戦が長引こうが、種を蒔く手まで止められんからな」
農夫が頭を下げて去っていくのと入れ違いに、アルスは立ち込める炭煙の中へ足を踏み入れた。
「……来たか、アルス」
水樽から立ち上る白い蒸気の向こうで、ボルドーは冷やし終えた長剣を引き上げ、分厚い手拭いで丹念に拭い上げた。
「ほらよ。今日の叙任式でお前に下賜される制式の『太陽長剣』だ。親父さんから預かってた長剣の芯金を、この俺が打ち直して芯に仕込んでおいた。……一度握ってみろ」
差し出された柄をアルスが受け取ると、掌に吸い付くような革巻きの感触と、指先へ伝わる確かで均整のとれた重心があった。父の教えとボルドーの魂が宿った、自分だけの一振りの手応えだ。
「手になじみます、ボルドーの小父さん。父さんの剣の感覚が、確かに残っている」
「そうだろうよ。親父さんの振り癖に合わせて、切っ先をほんのわずかだけ軽くしてある」
ボルドーは満足そうに頷き、アルスから剣を受け戻すと、白銀の鞘へと滑り込ませた。澄んだ金属音が響いてぴたりと収まる。布に包み、式部官への納品札を結びつけると、職人は太い腕を組んでアルスを見据えた。
「これは俺から式部官へ届けておく。式典でしっかり受け取れよ。……新米小隊長さんよ、最初から英雄ぶってレグルスの真似をしようとするな。お前はお前の足で泥を這って、部下全員を連れて帰ってこい」
「……はい。必ず、全員で生きて帰ってきます」
力強く頷いて頭を下げると、アルスは朝鐘の鳴り始めた大通りへと駆け出した。
王都ルミナリアの大聖堂に、聖鐘の音が幾重にも重なって鳴り渡っていた。
ステンドグラスから冷たい朝の光が差し込む回廊で、見習い神官エレアの前へ、司教ヴァルガスが厳格な足音を響かせて歩み寄った。
「見習い神官エレア。戦場は祈りだけで人が救える生易しい場所ではない。神の光とは、泥にまみれて倒れ伏す兵の血を止める覚悟の中にこそ宿るのだ」
「はい、ヴァルガス司教。十五年前に先生が私を見出してくださった御恩、決して忘れません」
凛とした少女の答えに、司教は細い目をわずかに伏せた。
「……身を捧げてはならん。お前自身も生きて戻れ。行きなさい」
大聖堂に隣接する王城騎士団の東詰所。薄暗い武具整備場で、重斧騎士ガウェインが丸太のような腕を動かし、第7小隊全員分の予備革ベルトの縫い目を丹念に補強していた。足元には、数え切れぬ傷が刻まれた愛用の鉄壁の大盾が立てかけられていた。
「おいおい、ガウェイン先輩。出陣の朝っぱらから、また全員の防具を夜なべで繕ってたのか?」
通りかかった同僚の騎士が苦笑混じりに声をかけると、ガウェインは野太い喉を鳴らして笑った。
「戦場でちぎれた革紐ひとつが生死を分けるんだよ。第7小隊の連中は、全員生きて帰す。……特に、あの坊主はな」
大盾の裏金に太い親指を滑らせる。そこには十五年前、先代聖騎士長レグルスから授かった時の、古びた打撃痕が刻まれていた。
(レグルス隊長。あんたの息子が、今日から小隊長としての初陣だ。……俺がくたばるまでは、あいつの一歩前を歩いて盾になってみせますよ)
身の丈ほどもある大戦斧を軽々と肩へ担ぎ上げると、巨漢は朝靄の立ち込める式典広場へと歩み出した。
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叙任式の刻限となった大聖堂では、高い天窓から差し込む朝の光が、磨き上げられた石床の星樹紋を淡く照らしている。祭壇の前には、この日叙任を受ける若い騎士が十数名、白い礼装で一列に片膝をついていた。その端で、アルスは自分の番を待っていた。
式部官が、名を一つずつ読み上げていく。やがて、その声がアルスを呼んだ。
「聖騎士アルス。前へ」
アルスは立ち上がり、祭壇の前へ進み出て、再び膝をついた。ボルドーの手で父の芯金が打ち込まれた、白銀の鞘に収まる一振りの長剣が、式部官の両手でうやうやしく捧げ持たれる。
「汝を第7小隊長に任じ、この太陽長剣を預ける。光の民の盾となり、部下の命を己の命として扱え」
アルスはその柄を両手で受け取った。ずしりと重い。刃そのものの重さだけでなく、父から受け継ぎ、これから背負う者たちの命の重さなのだと、指先が頭より先に理解していた。
十五歳で兵卒として軍に入り、泥と油にまみれた革鎧ばかり着ていたアルスにとって、式典用の白い礼装はどこか借り物めいていて、背筋を伸ばすたびに肩が強張る。前線警備での成果を認められて士官学校へ進み、首席で卒業したという評価も、小隊長として人の命を背負う今この瞬間は何の支えにもならなかった。
胸元で、古びた金属が小さく揺れた。日輪の紋章が刻まれた【日輪のペンダント】。十五年前、「必ず戻る」と言い残して戦場から忽然と姿を消した父・レグルス聖騎士長が残していった、ただ一つの品だ。服の上からそっと押さえると、冷たい感触が指を通して伝わり、強張っていた肩が、わずかにほどけた。
(父さん。僕は今日から、誰かの背中を守る側になります。……あなたが、そうしてくれたように)
叙任を受けた騎士たちが、一人、また一人と祭壇を離れていく。誰もが誇らしげに胸を張っていた。アルスだけが、剣の重さに手首がわずかに震えるのを、隣の誰にも気取られないよう祈っていた。
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式を終えて大聖堂の外へ出ると、石畳の広場で、見知った顔が二つ、アルスを待っていた。
「隊長さま。おめでとうございます」
白魔導士のエレアが、星樹の聖木杖を胸に抱いて歩み寄ってきた。風に揺れる亜麻色の長い髪。
「……エレア」
「じっとしてください。ほら、白い礼装の肩帯が斜めに歪んでいますよ。せっかくの晴れ姿なのですから」
エレアは立ち止まると、冷たい指先で銀の留め金を外し、慣れた手つきで掛け直した。幼い頃から、孤児院の裏庭で木剣を振っては泥だらけになって戻るたび、こうして乱れた襟元を正してくれた幼馴染の手つきそのものだった。
「あ、ありがとう」
「懐のそれ、子どもたちから貰ったのでしょう。膨らみで分かります」
エレアの視線に促され、アルスは礼装の内ポケットにそっと手を差し入れた。今朝、孤児院を出る間際に小さな手から押し付けられた、不揃いな麻布の包み。拙い針仕事で『かならずかえってきてね』と赤い糸で縫い付けられた、木剣の小守りだ。子どもたちの指の匂いと、朝に飲んだかぼちゃスープの微かな温もりの記憶が、粗い布地を通して掌に伝わってくる。
「テレサ先生が、木剣の稽古の約束を破ったら承知しないとおっしゃっていました。無事に帰ってきたら、畑のかぼちゃで大鍋いっぱいのスープを煮て待っているそうです」
「……ああ。必ず、全員で生きて帰らないとね」
掌の小守りを強く握りしめたアルスの声には、張り詰めた決意が滲んでいた。
その硬い表情を見つめ、エレアは小さく息をこぼすと、ふっと目元を和らげた。
「そんなに気負わないでください。どれほど立派な隊長さまになられても、わたしにとっては、いつまでもあの泣き虫のアルスなのですから」
「エレア、僕だって十五から兵士をやって、士官学校だって首席で出たんだ。もう昔の泣き虫じゃないよ」
「あら。二年前の前線警備で毒草の棘を踏んだ時、医務天幕に飛び込んできて『エレア、足が痺れて動かない……』って涙目になっていたのはどなたでしたかしら」
「う……あれは、敵の毒矢の可能性があったからで……」
「ふふ、事実を申し上げただけです」
傍らで大戦斧を担ぎ直したガウェインが、豪快に笑った。
「ついに隊長様か、坊主。いや、もう坊主とは呼べねえな」
太い指がアルスの肩を軽く小突く。
「レグルス隊長の下で先陣を切って走り回ってた俺が、まさかその息子の号令で動くことになるとはな。長生きはするもんだ」
「父の下に……そうか。ガウェインは、父を知っているんだったね」
「知ってるも何も。俺の命は、あの人に二度は拾われてる」
ガウェインは目を細めた。
「お前さんの太刀筋、レグルス隊長にそっくりだ。まっすぐで、危なっかしい」
「昔な、まだお前がよちよち歩きだった頃だ。野営で、レグルス隊長が剣の素振りを見せてくれたことがある。『振り下ろすより、止めるほうが難しい』――そう言って、何度も何度も、寸止めの稽古を繰り返してた。あの人の剣は、最後まで、人を斬るためだけの剣じゃなかったよ」
アルスは、その話を初めて聞いた。胸元のペンダントを、無意識に握り込む。
「……ありがとう。でも、正直に言うと、まだ実感がないんだ」
アルスは、受け取ったばかりの長剣に目を落とした。
「一兵卒として前線で剣を振るうのと、こうして小隊長として人の命を預かる立場になるのとでは、まるで違う。士官学校で戦術教本を叩き込まれたって……本当に僕なんかに部隊の指揮が執れるのか。……怖い、というのが、たぶん今の本音だ」
「執れるさ」
ガウェインが即答した。
「怖いうちは、まだまともだ。自分は大丈夫だと思い込んだ隊長ほど、部下を無駄に死なせる」
「ガウェイン」エレアがたしなめる。
「本当のことだろうが。……なあ、アルス。前衛はこの鉄壁の大盾が引き受ける。エレアの光もある。お前は後ろで、遠慮なく俺たちを使え。それが隊長の仕事だ」
大笑いするガウェインの肩越しに、大聖堂の列柱が落とす長い影の奥で、アルスはふと視線を感じた。
朝靄の漂う回廊の隅、太い石柱の陰に、漆黒の外套を纏った長身が音もなく佇んでいた。銀の仮面に覆われた顔の奥、暗がりに沈んだ双眸が、若者たちの交わす他愛ない笑い声を、遠くからじっと見つめている。アルスが視線を留めた刹那、その長身が影の中からゆっくりと歩み出し、石畳を踏みしめて近づいてきた。
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腰に佩いているのは、見慣れぬ双極の魔剣だ。歩幅の取り方も、肩の落とし方も、数えきれない戦場を渡ってきた者のそれだった。
「客員指南役の、ヴェルだ」
男は短くそれだけ名乗った。名字も、素顔も、これまでの経歴も口にしない。
「王命でこの小隊に付く。しばらく、あんたたちの戦い方を後ろから見せてもらう」
「指南役……?」
アルスは戸惑った。
「僕たちに教官が付くとは、司令部からは何も聞いていません」
「異例なのは承知している」
ヴェルの声は低く、抑揚が薄い。
「気に入らなければ、そう言え。無理に従えとは言わない。ただ、私がいて邪魔になることは、たぶんない」
ガウェインが大戦斧の柄をわずかに握り直し、仮面の男を値踏みするように見た。素性の知れない剣士を初陣の隊に加えることへの、古強者らしい警戒だった。
だがアルスは、ヴェルの立ち姿から目を離せずにいた。仮面の奥の双眸が、アルスから、エレアへ、ガウェインへと、順にゆっくり移っていく。談笑していた若者たちを追うその眼差しには、初対面の相手に向けるにはあまりに近しく、どこか惜しむような色があった。遠い昔に失くしたものを、もう一度だけ見ているような。
「……こちらこそ、よろしくお願いします、ヴェル殿」
アルスが頭を下げると、ガウェインは小さく息を吐いたが、それ以上は何も言わなかった。
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出立は翌朝と決まった。
その夜、王城騎士団東詰所の中庭で、アルスはかがり火のそばに羊皮紙の軍用地図を広げていた。目指すのは、南北を分かつ【境界峡谷】。比高三十メートルの断崖絶壁が左右にそそり立ち、谷底には幅わずか数メートルの一本道が貫くだけの、天然の要害だ。
エルシオン王国とシルヴァニア帝国——光の国と影の国が、この大陸で血を流し合って二百年になる。【光影戦争】と呼ばれるその争いの最前線が、いまアルスの指先が触れている、この峡谷だった。
「初陣の任務は、あの峡谷の啓開だ。谷に潜む伏兵を排除して、後続の本隊と補給部隊が通れる道を確保する」
地図を覗き込むアルスの肩越しに、ヴェルが片手を伸ばし、谷のある一点を指先で軽く叩いた。
「この左右の岩棚だ。上空から見れば丸見えだが、谷底の進軍路からは完全な死角になる。敵はここに伏兵を潜ませ、地脈の魔力で霧を焚いて、こちらの視界と呼吸を奪ってくる」
「……地図を一目見ただけで、そこまで読めるものですか」
「景色に頼るな」
ヴェルは地図から顔を上げなかった。
「耳を澄ませ。風の向きと、魔力の揺らぎを肌で拾え。仲間の呼吸が乱れた方向——それが、どんな斥候の報告よりも早い危険の報せだ」
的確すぎる助言に、アルスは思わず息を呑んだ。この低い声。言葉の選び方。地図の一点をトントンと指先で叩く、その癖のような動き。
——幼い日、同じように地図を広げて戦の話をしてくれた、父の広い背中。
気づけば、胸元のペンダントに指が伸びかけていた。アルスは慌ててその手を握り込み、地図の上へ視線を戻した。
「ヴェル殿。手合わせを一つ、お願いできますか。あなたの太刀筋を、先に見ておきたい」
ヴェルは少しの間、黙っていた。それから、壁に立てかけられた稽古用の木剣を手に取り、静かに歩み出た。
かがり火の明かりの中、木剣が二合、三合と噛み合う。アルスの打ち込みは速く、鋭い。だがヴェルの剣は、そのことごとくを紙一重で受け、受け流し、ついに一度も打ち返してこなかった。攻めの一手がない。相手に傷を負わせないためだけに組み上げられた、守りの太刀筋。
その剣の運びが、アルスにはなぜか、泣きたくなるほど懐かしかった。木剣を受ける手のひらに伝わる、力を殺した優しい衝撃。それをどこで知っているのか、うまく言葉にできない。喉まで出かかった問いを、アルスは呑み込んだ。訊いてはいけない気がした。
「もう一手、お願いします」
アルスが構え直す。ヴェルは応じ、今度はアルスの木剣を軽く搦め捕ると、その切っ先を静かに地面へ落とした。力ずくではなかった。角度と、呼吸の間だけで、アルスの体勢は崩されていた。
「……速さで押し切る癖がある。それは、後ろに守る相手がいない者の剣だ。お前はもう、そうじゃない」
「……もういいだろう」
ヴェルが木剣を下ろした。
「打ち込みは悪くない。だが、お前は斬った後のことを考えていない。剣を振り抜いた一瞬、お前の背中は誰にも守られていない。それを、明日は忘れるな」
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翌朝、第7小隊は王都を出立した。街道を駆け抜け、国境回廊を越えて、昼過ぎには境界峡谷の入口へと至った。
国境地帯には、かつて栄華を極めた古代文明の遺跡が巨大な石柱となって点在している。風が吹き抜けるたび、石柱は古の嘆きめいた低い唸りを大地に響かせた。垂れ込めた雲の切れ間から、二つの月が青白い燐光を投げかけている。魔力密度の高い土地だと、肌がひりつく感覚で分かった。
傾きかけた日が、断崖の影を谷底へと長く落としている。先行させたはずの斥候が、予定の刻限を過ぎても戻ってこない。
「……四半時、過ぎています」
エレアが聖木杖を握り直した。
「入るぞ」
アルスは太陽長剣の柄に手をかけた。指先が冷たい。
「隊形を保て。ヴェル殿の言葉どおり、目より先に耳を使え」
言いながら、アルスは一度だけ隊列を振り返った。エレアの白いローブ。ガウェインの大盾。そして、最後尾の黒い外套。この全員を、一人も欠けさせずに谷の向こうへ連れて行く——それが初陣の、本当の作戦目標なのだと、自分に言い聞かせた。
小隊が谷の暗がりへ足を踏み入れていく。その最後尾で、ヴェルだけが一度足を止め、切り立った岩肌の奥をじっと見据えた。
岩陰の奥で、紫黒の何かが、ほんの微かに蠢いている。
仮面の下で、男は誰にも聞こえない声を落とした。
「……今度こそ」
外套の襟を峡谷の風になびかせ、ヴェルは若者たちの背を追って、谷の底へと歩き出した。
「——守れ」
(第1話・完 / 次話へ続く)
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王都の聖鐘の音は、まだ耳の奥に残っていた。初めて両手で受け取った、父と同じ重さの剣。隣で軽口を叩く幼馴染と、父の下で戦った古強者。そして、名も素顔も明かさないまま、隊列の一番後ろに立つ銀の仮面の男。交わした言葉は、まだ驚くほど少ない。それでも、あの眼差しの奥にある何かから、アルスはどうしても目を離せずにいた。
誰かの背中を追いかけて、少年は最初の一歩を踏み出す。その背中が本当は誰のものなのか、まだ本人も知らないまま——傾いた日の差す、峡谷の底へ。
【第1話登場人物ステータス】
・アルス(20歳):Lv1/若き聖騎士(太陽剣・ソーラーブレード)
・ヴェル(40歳):Lv??/客員指南役(真・陽光一閃/極光氷結波・双極魔導)
・エレア(19歳):Lv1/白魔導士(フォース・シールド/治癒魔法)
・ガウェイン(32歳):Lv6/重斧騎士(アイアン・ガード/鉄壁の大盾)




