不正調査のお仕事
明かりが眩しいコンビニから出てネクタイを緩めた。指にぶら下げたレジ袋から取り上げたあんぱんにかじりついて帰路についた。背負ったリュックの重みとあんこの甘みに息をつく。パクパクと食べ進め、アパートの階段で最後の一口を飲み込んだ。「潮井」の表札の前で鍵を出そうと鞄を手前に回したとき、部屋の中から物音が聞こえた。
え、と固まってドアに耳をくっつけてみる。確かに物音がした、もしかしたら隣の部屋かもしれないが。空き巣だったらどうしよう。スマホで時刻を見ると二十二時を過ぎていた。いつもより遅い時間なので今夜は留守だと思われたのだろうか。色々考えながら握ったスマホが目に入って通報が頭をよぎった。
いや、さすがに気が早い。試しにドアをゆっくり引いてみるとすぐ止まったので、鍵はかかっているようだ。次に思いついたのはチャイムを鳴らすことだった。誰か来たことを知らせて、なにも無ければ入ってみよう。自分の考えに疲れながら潮井は自宅のチャイムを鳴らした。
「は~い今開けるよ」
思わず手すりに当たるまで身を引いた。痛む腰をさする間にドアが開き、「遅いね」と出迎えてきたのは母だった。
「なんで居るん?」
中へ入りながら尋ねると母はメールを送ったと答えた。スマホのロックを解除してみると画面いっぱいの通知がやってきた。
「夜ご飯は? 食べた?」
「いやぁ、うん。食べた」
菓子パンの包装をさっさとゴミ箱に押し込んで、潮井は残ったゼリー飲料に口をつけた。
「それで食事のつもりなん? まぁ色々騒がしいやろうし、お腹に入れてるだけええねんけど」
「騒がしいって何」
潮井が聞くと、母はメールも見なければニュースも見ないと呆れた様子で「銀行員がお客のお金抜いてたって」と教えてくれた。
「へぇ」
「疲れてるね、早く寝なさい。お母さんソファでいいから」
おろしたリュックが座面に沈んだばかりだった。これから母を寝室に追い出し、持ち帰った書類を広げる予定を立てていた。
「いいって。ベッドで寝て、明日シーツ諸々洗ってってくれたらええから」
そう言うと、母は納得して寝室に向かってくれた。
翌朝、母を自宅に残して、潮井はビルが立ち並ぶ街中に来た。その中、犬山銀行本店へ社員証をかざして入って行った。エレベーターを四階で降り、人気の少ない廊下を進んで総務部の札が付いたエリアに踏み込んだ。
「おはようございます」
念のために声を出すと、奥の席から頭頂部がのぞいた。近づいて顔を確認して「おはようございます部長」と繰り返した。
「おはようございます。早速で悪いけど、荷物片づけたら会議室に」
そう言い残して部長は別室に歩いていった。取り出したファイルを机に積み上げ、幾らか軽くなった鞄をロッカーにしまって潮井も会議室の扉を開けた。
「優秀だよね潮井くんは」
唐突な言葉に「頼み事でしょうか」と潮井が返す。
「察しもいいよね」
はい、と部長は何枚かの紙を渡してきた。目を通すと社内の不正調査をするようにといった内容だった。近頃の報道を受けて早急に行いたいため、本来この仕事を行うはずの監査部だけでは人数が足りないんだ、と部長の説明が付け加えられた。
「私にお話が頂けたのは早起きだったからですか?」
そんなことはないだろうと軽く笑って尋ねた。部長はそれを否定して理由を話した。
「こっちから指名しないといけなくてね~、一番清廉そうだったんだよね。事実、事前調査で何も出てこなかったんだし」
「事前調査?」
「すまんね」
謝られながら手渡された紙には調査報告と題して、本名潮井九からはじまり文字に起こされると眉間にしわが寄るような情報が載せられていた。末尾には興信所の住所と連絡先があって、ここが発行したものだと分かる。
「だから、ごめんね」
「飲み込めない……ほどではないですが」
文句とため息は吐かせてもらいたかった。渡されたものを不意に見られないようファイルに挟んで会議室を出ると、ほとんどのデスクに人がいた。挨拶をしながら席へ戻り、自分で積んだ仕事をいくつか分ける。手一杯になってしまって、と言って同僚に渡した。最後に残った二つは部下に頭を下げた。
「頭上げてくださいよ! いつもお世話になってますから、私。全然回してください」
笑って受け取ってくれた住吉は入社時から指導を担当している。やり方を知っている分、最終確認が早く済みそうだ。一番最初に頼めば良かったかもしれない。
「部長から新しい仕事、投げられたんですか」
「そうだね」
「潮井さん、また何かあれば言ってください!」
前のめりな住吉に礼を言って、潮井は不正調査の資料を抱え廊下に出た。社員証をかざして重みのある扉を押し開ける。資料保管庫には天井近くまで伸びた棚と奥にデスクトップパソコンがあった。電源を入れて調査対象の店舗名を入力すると、一画面に収まりきらない数のデータファイルが現れた。
すべてに目を通して不自然な箇所が無いか確認して、それをあと十二店舗近く。考えるのはやめて上から順にファイルを開き、昼まで目を動かすことにした。時々眉間を揉みながらマウスを動かしていると、入り口から音がして部長が入室してきた。
「びっくりしたあ。誰かと思いました」
「フォローに来たんだよ。何か困ったことない? 進め方とか戸惑ってない?」
正直、すべてに戸惑っていた。
「これ、私では力不足なのでは? 調査なんて素人ですし、私を調べたところに頼むのが確実な気がしてしまいますが……」
「全部外部に頼むとほら、経費がね。あくまで事前調査だから、肩ひじ張らずに」
潮井が「わかりました」と返事をすると、部長は去っていった。だが、十二時まで仕事をして一店舗分の十分の一しか進まなかったので、潮井は昼に部長の元へ向かった。
人の集まるカフェスペースを避け、二人は部長のデスクで昼食をとることになった。潮井はパンを手に持ったまま、ひとつ提案をした。
「興信所に一店舗分の調査を依頼して、着眼点など参考に出来ないかと思うんです。私の報告書も方法や経緯含めてかなり詳細だったので」
「やり方としては悪くないと思うよ? ただね、経費を出してくれるかどうか」
「では、一度見積もりをもらってきます。社内調査については私の調査依頼の段階で先方もご存じですよね」
そこまで言うと、部長もわかったと頷いた。さらに、午後の外回りで興信所を訪ねていいと許可も下りた。念のためにレンタカーに乗って潮井は報告書を出した興信所へやってきた。ビルの入り口はガラス扉二枚で壁面に広告も出ている。明るい館内をすすんで二階へ行くと、興信所の看板の横でドアが開け放たれていた。




