25:叱責(1)
すべてがルネの策略だったと明らかになってから三日が過ぎた。
この三日間、私は食事が喉を通らず、鏡を見るたびに頬が少しずつこけていった。
屋敷の空気も沈み、すれ違うメイドたちは皆、私と目を合わせない。
別に、本邸で起きたことを別邸のメイドたちに話したわけではないが、噂はどこからともなく流れ込むものらしい。
きっと、次は自分たちが裁かれる番だと思っているのだろう。彼女たちもまた、直接的ではないにせよ、私に嫌がらせをしていたのだから。
先輩は「全員解雇してもいい」と言ってくれた。いずれはそうするべきなのかもしれない。
けれど今の私には、そんなことを考える余裕すらなかった。どうでもいい人たちのことを思い出す余裕なんてないほど、私の心にはぽっかりと穴が空いていた。
「ここがルネの部屋……」
私は今日、目覚めてから初めて、ルネの部屋を訪れた。
扉を開けると、目の前には殺風景な部屋が広がっていた。
最低限の家具と最低限の荷物。生活の痕跡が薄く、まるで最初から誰も住んでいなかったかのようだ。
きっとルネは、どんな結末になろうと、この部屋を出ていく未来を覚悟していたのだろう。
残されていたのは、必要最低限の持ち物だけだった。
「これ……何だろう?」
私は残された荷物の中で、ひときわ目を引く小さな木箱を見つけた。
そっと蓋を開けると中には、私がルネの誕生日に贈った魔石のブレスレットが入っていた。
それだけじゃない。毎年プレゼントと一緒に渡していた手紙や、プレゼントの箱の包装紙についていたリボンまで丁寧に結ばれて残されていた。
私は木箱を抱きしめるように握りしめた。
「……ルネは、どうなるんでしょうか」
問いかけると、背後にいた先輩は言葉を探すように沈黙した。
きっと、私を傷つけない答えを探しているのだろう。
けれど、そんな答えはどこにも存在しない。それは、私だってわかっている。
ルネのしたことは、重罪だ。
魔塔から禁止薬物を盗んだ罪。禁忌の魔法を行使した罪。許可なく精神干渉魔法を使った罪。
どれか一つだけなら、身体刑や長期拘束で済んだかもしれない。
だが、禁忌の魔法を使い、魔塔という国家機関から薬物を持ち出し、しかもライセンスなしで他者……、それもモンフォール公爵家の人間に精神干渉魔法をかけたとなれば、話はまったく違ってくる。
動機がどうであれ、彼女の行為は秩序そのものへの反逆と見なされてもおかしくない。
おそらく、極刑は免れないだろう。
「私は、ルネを不幸にしたんでしょうか」
声に出した瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
どうしてルネがあんなにも私を思ってくれていたのか、今でもわからない。
だけど、もし私が手紙を送らなければ、ルネはこんなことをしなかったのではないか。
そんな考えが、何度も何度も頭をよぎる。
考えてもしょうがない、たらればの話が、頭の中を支配する。
私は木箱を抱きしめたまま、唇を噛み締めた。
先輩はそんな私を後ろから抱き寄せ、静かに首を横に振った。
「いや……俺のせいだ。俺が、ルネの言葉をちゃんと受け止めていれば……。いや、そもそも俺がもっとエチカを見ていれば、彼女はこんなことをしなかった」
先輩の声は震えていた。
彼も同じ事を考えているらしい。
「……そろそろ、時間ですね」
私は木箱を机の上にそっと置き、深く息を吸った。
胸の奥に残る痛みは消えない。それでも、立ち止まっているわけにはいかない。
「……行きましょうか。本邸へ」
「ああ」
私は先輩と並んで廊下に出た。
扉が静かに閉まる音が、ひどく遠くに聞こえた。
今日、私たちは先輩の父、アドルフ・ド・モンフォール公爵に呼ばれている。
どうやら私の転落事故の件、そしてルネの処遇について話し合いがあるという。
重い空気をまとったまま、私たちは本邸へ向かって歩き出した。
* * *
本邸の食堂に通された私と先輩を待っていたのは、お義父様とシルヴァン様、そしてこちらをものすごい形相で睨みつけるコレット様だった。
広い食堂の空気は、私たちが入った瞬間にぴんと張りつめたように感じられた。
私たちはシルヴァン様とコレット様と向かい合うようにして座った。椅子の脚が床を擦る音が、やけに大きく響く。
「久しぶりだな、エチカ」
お義父様は私の顔を見て、穏やかに微笑んだ。
先輩の話を聞く限り、もっと厳格で近寄りがたい人だと思っていたから、その表情は意外だった。
「お、お久しぶり……です」
今の私にとっては『初めまして』であるせいか、ぎこちなさが声に出てしまい、私は思わず視線を落とした。
すると、お義父様はフッと柔らかく笑った。
「そうか、今の君には『初めまして』と言うべきだったか」
低く響く声に、先輩が驚いたように顔を上げる。
お義父様は私をじっと見つめたあと、先輩へと視線を移し、呆れたように肩をすくめた。
「なんだ、エリック。その情けない顔は。スタンリーから報告は受けているから当然知っているぞ?」
その言葉に、先輩の肩がぴくりと揺れた。
「俺は口外するなと……!」
「お前に命じられて聞くわけないだろう。スタンリーは私が雇ったモンフォール家の医者だ。やつには家族の体調について私に報告する義務を課している。お前が何を言おうと、私には伝わる。それが気に食わないのなら、自分で医者を雇えばいい」
自分で医者を雇うことすらせず、一丁前に文句だけ言うな。言外にそう言われた先輩は悔しげに唇を噛み、視線を落とす。
お義父様はそこで一度息を整え、私の方へ向き直った。
「さて、エチカ。此度の件、シルヴァンから報告を受けた。……まず初めに、私の屋敷でこのような事態を招いてしまったこと、深く謝罪する。本当に申し訳なかった」
お義父様は私に深々と頭を下げた。
その姿に、私は慌てて首を横に振った。
「や、やめてください!公爵であるお義父様が、私なんかに頭を下げるなんて……!」
「いいや、この屋敷の中で起こった事のすべては私の責任だ。私の監督不行届きで君を傷つけた。謝るのは当然だ。そこに、身分など関係ない」
「お義父様……」
私は驚いて目を見開いた。意外だ。もっと、『お前のせいでこんな事態になった』とか言われると思っていたのに。
「すでにエリックから聞いているかもしれないが、ルネ・ド・ゴーシェの身柄については今夜にも王都の治安維持部隊に引き渡すつもりだ。彼女の処遇については国の司法に一任するつもりでいる。……エチカ、問題はないか?」
問題……。問題はないけれど……
「……あの、ルネはどうなるのでしょう?」
尋ねる声が震えた。私の心情を察したのか、お義父様の声は少し優しくなった。
「そうだな。禁止薬物の使用、窃盗、禁術の行使、精神干渉魔法の悪用……、これらの罪は軽くはない。極刑は免れないだろう」
「……やはり、そうですよね」
わかっていた答えなのに、胸が痛む。ああ、いやだな。
「だが、君が望むのなら罪を一つ、無かったことにはしてやれる」
「え……?」
私は思わず顔を上げた。
すると、お義父様は小さくため息をつき、ゆっくりと先輩へと視線を向けた。
先輩はお義父様の視線を受け、わずかに肩を強ばらせる。
「エリックに対する精神干渉魔法の行使についてはこちらで握りつぶしてやってもいい」
「父上、それはどういう……」
「元々、ルネがかけた魔法は技術的には高度だったが、魔法としては軽いものだ。エリックの精神が強ければかかっていない。魔法により感情をコントロールされたのはエリックの未熟さゆえだ」
「……」
「エリック、私はお前に責任がないとは言えないと思っている」
お義父様の鋭い視線が先輩に突き刺さる。
その一瞬、食堂の空気がぴたりと止まったように感じた。
先輩はぎゅっと拳を握りしめ、悔しさと自責の入り混じった表情で視線を落とす。
「はい、父上の仰る通りです。すべては俺の未熟さが招いたこと……」
「では、この件について私は報告しないこととする。……まあ、それでも他の罪の重さを考えれば、刑が軽くなる事はないだろうが。エチカ、君はルネの減刑を求めるか?」
突然向けられた問いに、胸がきゅっと縮む。
お義父様の声は淡々としているのに、その一言が私の心を深く揺らした。
「……ルネの暴走は私にも原因がありますから」
「そうか……」
お義父様は短く息を吐き、静かに頷いた。
「わかった。君がそれでいいと言うのなら、私の方で何とかしよう。国外追放くらいにはできるかもしれん」
「……いいんですか?」
「詫びのつもりだ。気にするな」
「あ、ありがとうございます!」
何度も頭を下げると、お義父様はフッと微笑み、軽く手を上げてメイドを呼んだ。
そしてなぜか、私の前にだけ、お茶とケーキがそっと置かれた。
「えっと……、これは?」
「エチカ、君はしばらくゆっくりしていなさい。私は他の三人に別の話がある」
「は、はい……」
どういうことだろう。私は首をかしげた。
沈黙の落ちた静かな食堂で、紅茶のよい香りと、ケーキの甘い香りがふわりと漂う。
妙な空気だ。
そんな中、お義父様は先輩とシルヴァン様、コレット様に厳しい視線を向けた。そしてコホンと咳払いをした。
それはまるで号令のように響き、空気が一気に張りつめた。
「さて、本題はここからだ」
「本題?」
「父上、本題とは……?」
さっきの話が本題では無かったのか。シルヴァン様も先輩も首をかしげた。
「シルヴァン」
名を呼ばれたシルヴァン様は、反射的に姿勢を正した。その表情にはわずかな緊張が走る。
「お前には、コレットとの離婚を命じる」




