第3章 その9
このまま守田屋に戻っても良かった。けど、せっかくのレインとの時間を終わらせたくなくて、アタシたちはその場で飲み続けた。ナミには悪いけど、今夜は戻ってもまた変に気を遣わせちゃうし。
「主催のバンドって、アタシが知ってるバンド?」
「どうかな。でも、すっげー熱いバンドだよ。」
「ひょっとしてニー・ストライク?」
「あー、違う。」
そう言ってレインはバンド名を教えてくれた。よく名前を聞くけど、不思議と聴いてこなかった有名バンドだ。
「でもニー・ストライクと全く関係なくはないな。」
レインはレミー(ジャック・ダニエルのロックにコーラをほんの少し)を飲んでいた。アタシはピーニャ・コラダをお代わりした。
「どういうこと?」
「ニー・ストライクのギターとそのバンドのヴォーカルが付き合ってるんだ。界隈じゃ有名なカップルだよ。」
「へー、それじゃ女性ヴォーカルなんだ。」
「うん。めちゃくちゃカッコいいよ。歌すげー上手いし、見た目も超パンクで熱い子で、女でも惚れちゃうと思うよ。」
「ひょっとして、レインもその子が好きだったりして。」
我ながらあざとい質問だ。まともな男なら、彼氏がいる女性に惚れたりはしないから。まず的を外れない質問から、さりげなくアタシが聞きたい本題に話を持っていく。
「はは。人間としては大好きだけどね。」
「じゃあ、どんな子が好きなのよ。ていうか、そういえばカノジョとか、いないの?」
聞いちゃった!聞いちゃった!
どきどき!
お願い神様、「いない」って言わせて。
いたら、その女をこの世から消し去って下さい。
レインは沈黙した。ちょっと何かを考えている。
下っ腹がグリグリ言う感じがした。
「いるの?」
「…いや、いない。」
良かったーっ!神様、ありがとう!
「そうなんだ。前はいたんでしょ?」
「うん。まあ、別れたというかさ。」
レインはまた黙り込んだ。いつもと違う、何だか歯切れが悪い。
彼はしばらく考えてから“言ってしまえ”という風に口を開いた。
「離婚したんだよね。」
今度は、アタシが言葉を失う番だった。
目の前にいる、少年のような風貌をした小柄な男。
彼はアタシと同い年で、今では気軽に話ができる仲。
そんな彼がこの瞬間は、とてつもなく大人でアタシの知らない世界をくぐり抜けてきた男に見える。
アタシは慌ててフォローした。
「ごめん、変なこと聞いて。」
「いや、いいよ。大丈夫だから。何でも聞いていいよ。」
「…いつ、離婚したの?」
「1年前かな。まあ結婚自体も2年弱しか続かなかったんだけど。」
ということは22歳の時。アタシたちが大学を卒業したころ、彼は既に一家の主だった。
家庭をもって子供を作って。そんな人生設計をしてたのかな。
「お子さんとかは?」
「いや、いないよ。」
「…まだ、引きずってるの?」
「んー、ある意味では。まあ気持ちが離れたから離婚したんだけど、前後にちょっといろいろあり過ぎてさ。」
「そっか。」
ということは、少なくとも元・奥さんに未練があるわけじゃないんだ。アタシは少し気を取り直した。
ええい、この雰囲気なら、ついでに言っちゃえ。
「まあ、寂しい時はアタシに言いなよ。いつでも相手してあげるからさ。」
「はは、ありがとね。」
「どうしてもアタシが良ければ、まあ考えてあげるしね。」
冗談めかした口調。心臓はバクバクだ!声から本気が伝わって欲しいような欲しくないような、我ながら中途半端な精いっぱい。
お願い、察して。
「あはは。同業者とは付き合わないことにしてるんだよね。でも、そう言ってもらえるのは嬉しいよ。」
彼のサラリとした答えに、アタシは気持ちが沈み込んでいくのを感じた。この回答は正直、キツかった。聞きたくなかった答え。
でも、ここで泣くわけにはいかない。泣いたら全てが終わっちゃうもん。
「冗談だよ、冗談。」
アタシは精いっぱいの笑顔を作ってその場を取り繕った。
そう、まだ終わったわけじゃない。
レインのポリシーは分かったし、それ以前にアタシはまだ一人の女性としてレインに見られてない。
でも、今夜レインはDJとしてのアタシを認めてくれた。
今夜の失敗したセットじゃなくて、日ごろの姿勢やDJにかける気持ちを感じ取ってアタシを相棒に選んでくれた。
それは、レインが人のことを、アタシのことをちゃんと見ている証拠。
だから。
アタシは明るくレインに言った。
「今夜はとことん飲もうよ。レイン、付き合って。」
「いいよ。」
「終電で帰れると思うなよ、覚悟しろ雨宮。」
「雨宮言うなって。」
降ってわいたレインとの共演。
その日に向けて、アタシはがんばる。
アタシというDJの先にある、アタシ自身の姿をレインに見てもらえるように。
下北沢の高架下は蒸し暑かった。夜はまだまだこれからだ。




