第3章 その8
ラストは清志郎の“ジャンプ”で締めた。レインが前にポロッと「清志郎が好きだ」と言ってたのを聞きのがさなかったから、アタシのフェイバリットな曲を使ってみた。
アッパーでスケールの大きいナンバーにフロアは若干盛り返したけど、一度散漫になった空気は最後まで元に戻らない。
やってしまった。
アタシは唇を噛んでブースを後にした。次のDJが肩を叩いてくれたけど、何の慰めにもならない。
レインの方を見ることができなかった。
お腹の底から何かが込み上げる感覚が、アタシを押しつぶす。ボックス席に戻ってレインに背を向け、ドサッと倒れ込むように座った。
その瞬間に、目から涙があふれてきた。
アタシは下を向いてレコードバッグをチェックするふりをしながら、声を出さずに泣き続けた。
隣にナミが来てくれたのが気配で分かった。アタシの肩に手を回し、心配そうに何か話しかけてくれているけど、今のアタシには何も聞こえなかった。
フロアにはスペシャルズの“リトル・ビッチ”が流れている。
“いいかい 君はタチの悪いアバズレなのさ”
やめてやめて。その通りだからやめて。
やっちゃった。
DJは水物。万全に用意してきたつもりでもダメなこともあるし、何となく選曲した回がバシッとハマることもある。
アタシ自身、“とっ散らかったセット”は何回も経験している。反省はするけど、悩む必要はない。
だけど、今夜だけは何としてもキメたかった。
レインが初めて聴く、アタシのDJ。間違いなく正念場。
なのに、絶対に聴かせてはいけないセットを聴かせてしまった。
アタシはハンカチで鼻を押さえながら、つばを飲み込んで必死に嗚咽をこらえた。
もう、恥ずかしくてレインの前に立てない。
こんなのでDJだなんて、彼の前ではとても言えない。
ここ数カ月で築き上げてきた彼との関係。それが、一気に音を立てて崩れ去っていく。
長い時間が過ぎた気がした。実際にはほんの数分だったんだろう。曲は“リトル・ビッチ”からセレクターの“トゥ・マッチ・プレッシャー”に変わっていた。
たった2曲。永遠の2曲。
レインのスラックスとローファーが見えた。
彼が来た。
やめて、来ないで。
こんな状態で何を言われても、たとえそれが慰めの言葉でも、今のアタシには辛いだけ。
いつも完ぺきなプレイを見せるレイン。アタシはやっと聴かせることができた初めてのセットで、まさかの大ポカをかますようなダメDJ。
このまま放っておいて。お願いだから帰って。
レインが口を開いた。
アタシにではなく、ナミに向かってだった。
「ねえ。ちょっと、サニィを借りてっていいかな?」
「えっ?」
ナミは当惑していた。
通常、イヴェント中に参加DJがよそへ行ってしまうのはあまり良いことじゃない。用事があって早抜けとか仕事で遅刻とかは仕方ないけど、やはりイヴェントには最後まで参加するのが礼儀だと思う。
最近は出番が終わればイヴェントの途中でも平気で帰っちゃうDJをたまに見かけるけど、アタシには信じられない。
だから最初にレインに会いに行く時、守やんにもあれだけお詫びをしたんだ。
だけど。
さっきから誰もボックス席に近寄ってこない。明らかに気を遣われている。アタシが場を盛り下げている。
泣いている女がクラブ内にいるのは、確かにイヴェントに水を差すことになる。
だからレインはアタシを外へ連れ出そうとしている。
ここでもレインの判断は正しい。
ナミも同じことを考えたみたい。
「そうだね。レインに任せてもいい?」
「うん。ありがとね。」
そう言ってから、レインは改めてアタシに声をかけた。
「サニィ、それでいいかな?」
アタシは無言でうなずいた。泣きながら、もうその気になっていた。
レインがフォローしてくれたことが嬉しかったし、思いがけない形で彼とまた二人になれる。
アタシはうつむいたまま、レコードバッグを手に立ち上がった。レインはナミに向かって、後で連絡させるとか何とか言っている。
去り際に、アタシは小さい声でナミに言った。
「ごめんね。」
ナミはニッコリ笑って、アタシの肩をポンポンと叩いてくれた。
守田屋を出て行く時に流れていたのは、バッド・マナーズの“リップ・アップ・ファッティー”だった。
レインは明るい大通りを避けて細道を歩いた。たぶん意識してくれてるんだろう。アタシは帽子のつばを前に回し、深く引き下げて涙の跡を隠しながら後に続いた。お化粧、直してから出て来れば良かったな。
梅雨どきの夜風は心地よく、少し気分が落ち着いてきた。
レインが案内してくれたのは、井の頭線の高架下に最近オープンした野外バーだった。隣のビルの3階にライヴハウスがあって、そこの窓からこの店を見たことはあったけど、中に入るのは初めて。
照明が暗く、道路との境をフェンスで区切っただけの店内は広くてテーブルとテーブルの間がだいぶ離れている。
これなら顔を誰かに見られる心配も無い。アタシはレインの配慮にまた感謝した。
彼はキャッシュ・オンのバー・カウンターから飲み物を2つ持って戻ってきた。やけにトロピカルな、フルーツが刺さったヨーグルト色のカクテル。
「これ、なに?」
「ピーニャ・コラダ。」
何だかバカバカしい響きだな。さっきまでの重い空気が和らいできた。アタシはクスッと笑った。
「どういうチョイス?アタシ、頼んでないよ。」
「いらない?」
「いる。」
アタシはストローでピーニャ・コラダをすすった。とっても甘い。でも悪くない、こんな夜には。
さっきまで、もう一生レインに合わせる顔がないと思っていた。それが、今はこうやって二人でカクテルを飲んでいる。レインは気分転換の天才。
でも、このあと何を話せばいいんだろう。
「ごめんね」は変だ。別に悪いことをしたんじゃないもん。
「アタシ、やっちゃった」と認めてしまおうかな?でも、せっかく明るくなった雰囲気をまた重くしちゃいそう。
言い訳するのもみっともない。
頭の中でぐるぐると考えを巡らせながら、アタシは黙ってピーニャ・コラダを飲んでいた。
レインも同じピーニャ・コラダを飲んでいる。男の人が飲むには可愛すぎるけど、レインにはよく似合っていた。
彼も、とっても可愛いから。
レインが口を開いた。
「あのさ。」
来た。アタシは心を防御態勢にして待ち構えた。
辛辣な批評が待っているのかな。
ううん、レインは厳しいことは決して言わないはず。それでも、優しい慰めの言葉なんか欲しくなかった。レインとアタシの“格の差”を思い知らされるだけだもん。
スーパーDJとダメダメDJ。
優しい男とバカな女。
「サニィさ。」
「うん。」
アタシはテーブルの下で拳をギュッと握りしめた。
「8月の終わりに、ミッションでデカいパンクのイヴェントがあるんだ。」
レインの話は、予想したのとは全く違っていた。
「はい?」
「俺の仲間のバンドが主催でさ。全国から身内のパンクバンドが集まって、昼から夜までライヴやるんだ。たぶん11か12バンドくらい出るんだけど。」
「…うん。」
この話がどこへ転がっていくのか、アタシには全く見えない。
「そこで、俺と一緒にDJやらない?」
「えっ?」
さっきとは違う意味で、頭が真っ白になった。
予想もしなかった話。
レイン、なに言ってるの?アタシのDJ、聴いてたでしょ?
「…何で?」
「いやさ、主催者から『転換DJ2人で』って言われてて。何人か候補はいたんだけど、今回は新しい血を入れたいなって考えて。それで、サニィが頭に浮かんでさ。」
「そうじゃなくて、だってアタシ…。」
「なに?」
「今夜のDJ、レインに初めて聴いてもらったのに…。」
「うん、そう。今夜のDJを聴いて決めたんだ。それまでは確信持てなかったけど、サニィなら間違いないよ。」
「なにが間違いないのよ!」
思わず大きな声が出た。レインはポカンとしていた。
「サニィ、何か気に触ること言った?」
「だって、だって!」
アタシは力なくうつむいた。
「…今夜のDJなんか、全然ダメだったよ。やりたいこと何にもまとまらないで、焦っちゃって。完全空回り。フロアだって見たでしょ?全然盛り上がらなかった。」
「ああ、ま、確かにとっ散らかってたね。」
レインは事もなげに言った。
「でもさ、聴いてて分かったよ。今夜、俺に向けてプレイしてくれたんでしょ?あ、違ってたらすげー自信過剰だね。」
そう言ってレインは微笑んだ。
アタシはコクンとうなずいた。
そんなに真正面から言われるとちょっと恥ずかしい。でも嬉しかった。レインはちゃんと分かってくれたんだ。
「正直クラブのことはよく知らないからさ。盛り上がってないといえば、そうだったのかも。でも、俺にはすげー伝わったよ。あと今日、パンクの音源とかあんまり持ってきてないでしょ。」
アタシはまたうなずいた。
「やっぱりね。サニィが前に見せてくれた音源とか好きなバンドの話とか、それを考えたら本当はもっとバリエーションがあったと思うんだ。でも、今回は少ない手持ちの音源の中でいろいろ考えてプレイしたんだろうなって。」
さっきまでのとは違う意味の涙が押し寄せてきそうで恐い。
途中で投げ出さないで良かった。ホントに良かった。
「そういう気持ちって、ライヴDJには一番必要なものだと俺は思ってるから。だから俺はサニィと一緒にやりたい。デビューにしてはデカいイヴェントでプレッシャーも大きいと思うけど、どうかな。」
ロックDJに一番必要なものは、気持ち。
アタシが常日頃、思い続けていること。
レインも一緒だった。
クラブでもライヴでも関係ない。
やっぱり、アタシとレインは同じなんだ。根っからのDJ。
幸福感に包まれながらも、アタシの気持ちはもう揺らぐことはなかった。
答えは決まっていた。
「よろしくお願いします。」
発した声は力強かった。




