第3章 その7
木曜の夜、守田屋は今夜も盛況。気心の知れた仲間たちに囲まれて、ナミもアタシもゴキゲンだ。
もうすぐ守田屋の5周年。盛大なイヴェントが企画されている。当日は大勢のDJが参加し、夜通し盛り上がる予定。有名なDJも何人か登場することが決まっている。
スペシャルなゲストも全て守やんの人徳の賜物。
それでも守やんは「大物だから」といって特別扱いはしないし、レギュラーにも一見さんにも同じように接してくれる。だからこそアタシはDJになれたんだし。
そんな守やんに恩義を感じているのはアタシだけじゃない。みんな、守田屋の5周年を心からお祝いする気持ちでいっぱいだ。
ともかく、それはそれとして今夜は気楽なイヴェントだ。なんたってオーガナイザーがナミなんだから。
何でもありのオープンなDJイヴェント、その名も「NAMI会」。“飲み会”に引っ掛けてるのは言うまでもない。
ナミは何気に広い人脈を持っている。今夜のゲストDJはマッキー・ラモーンさん。横浜界隈のパンクDJの第一人者。今はテレヴィジョンの“マーキー・ムーン”でフロアをゆったりと退廃的な空気にさせている。
一本気な性格で一見とっつきにくいけど、芯が通って面白い人だしDJとしても人間としても信頼に値する人物。それに彼の作るケータリングのカレーは絶品!
外はだいぶ暑くなってきた。今夜のアタシは2分袖の黒いカッティングワンピースでシンプルにキメている。勝負服みたいな超ミニではないけど、大きめのブーツと合わせるとボーイッシュでもありガーリーでもあり。
手にはラバーの細いリストバンド、お気に入りのバンドから買ったもの。ベースボールキャップを後ろ向きにかぶるのは、ひょっとしたらレインからの影響かも。髪はまた少し伸びてきていた。
アタシの出番は次だ。マッキーさんの後で何を回そうか少しプレッシャーだけど、今夜は気楽なパーティ。好きに楽しんじゃえ。
お気に入りの7インチがどうしても見つからない。アタシはボックス席でレコードバッグを引っ掻き回していた。確かこの辺に…。
ふと気づいた。何かが変だ。
さっきまでマシンガンのように喋りまくっていたナミの言葉が止まっている。
目を上げると、そこにはレインが立っていた。
アタシは呆気に取られて、ただ彼を見つめていた。
仕事帰りなんだろう。彼はこの前と同じ細身のスーツを、今日はちゃんと着込んでいる。ビジネススーツなんだけど、モッズスーツ(50~60年代のモッズファッションで流行した細身のスーツ、ガレージ系のバンドマン等に人気がある)みたいに造りがタイトになってる。たぶんオーダーで作ってるんだろうな。
ネイビーブルーのネクタイはやっぱりタイト。
会社員の隠れたオシャレ。不良書店員の自己主張。
「レイン。」
アタシはやっとの思いで声をしぼり出した。
今夜、彼が来てくれるなんて予想もしてなかった。それどころか、レインがクラブに足を踏み入れることなんてないと決めつけていた。
だって彼は、クラブでは回さない生粋のライヴDJ。
アタシのDJになんか、来てくれるわけないと思ってた。
「サニィ。遊びに来たよ。」
レインはニコッと笑うと、隣で突っ立っていたナミにも会釈をした。彼女も呆気に取られていたけど、オーガナイザーの役割を思い出し、持ち前の好奇心も全開となってすぐにいつもの彼女に戻った。
「ようこそ“NAMI会”へ!オーガナイザーのナミです。サニィとは親友、心の友です!」
「初めまして、レインと言います。」
「お話は以前から聞いてます、そりゃもういろいろと!」
そう言ってナミはレインには見えないようにアタシの方を向いてニヤッと笑った。ナミ、余計なことを言うなよ。
「レイン。急にどうしたの?」
さっきまで考えていたこと全てが、どこかへ飛んでいってしまった。いま頭にあるのは一つだけ。
レインが今夜、初めてアタシのDJを聴く。
「いや。サニィに毎回毎回、ライヴに来てもらっててさ。なのに俺、一回もサニィのDJを聴いたことないから。」
「まあ、そうだけど…。」
「前から来よう、来ようとは思ってたんだけど…ここんとこ平日もなかなか忙しくて。やっと来られたよ、今ごろになってごめんね。」
「そんな、別に…ありがとね。」
嬉しくないわけじゃない。もちろん嬉しい。
アタシは女の子としてだけでなく、DJとしてもレインに振り向いてもらいたい。これだけ彼と親しくなっても、その気持ちにブレはなかった。
初めて、DJとして彼の前に立てる。
ただ、どうして今夜なの?
今夜は完全に“遊ぶ”つもりで選曲をしてきた。レインに聴かせたい音源なんか、ほとんど持ってきていない。
どうしよう。
もちろんレインに非はない。彼は仕事の都合を見て、やっと来てくれたんだろう。でも、でも!
「どうしよう、緊張する。」
思わず口に出してしまった、激しく後悔。案の定、レインは優しくフォローしてくれた。
「サニィ、いつも通りやってよ。それを聴きに来たんだからさ。俺のこと、気にしないでよ。」
気にするってーの!
アタシは泣きたい気持ちで恨めしげにレコードバッグを見つめた。
今夜は、これでやるしかない。
マッキーさんの最後の曲が終わろうとしている。次はいよいよアタシの出番だ。
レインはカウンターのイスに腰かけて、ブースの方を見ながらビールを飲んでいた。誰とでも愛想よく話すが誰とも群れない。いつも通りのレイン。
守やんもそんなレインに特に構うことなく、ただ彼が居心地良く過ごせるようにさりげなく気配りをしていた。
一方のアタシはラムコークをがぶ飲み。こんな状況で、素面じゃ絶対にスピンできないよ。
レコードバッグを取り上げ、片手にグラスを持ってブースに向かう。ナミが心配そうに隣についてきた。きっとアタシの顔色は真っ青だったに違いない。
マッキーさんと握手して交代。先にナミがマイクを握った。好き勝手なことをべらべらと喋り、フロアから笑いを誘っている。その間にアタシは素早く選曲を組み立て直した。
心の友、ナイスフォロー。
選曲の組み方は人によってさまざま。その日に回す曲を、曲順も含め最初から最後まで決めてくるDJもいる(初心者に特に多い)。持ってきた音源で全く行き当たりばったりに回していくDJもいる。
アタシの場合は、あらかじめ雰囲気を頭の中で組み立てておいて、その時のノリや気分で適当に変更していく感じ。そういう人が多いんじゃないかな。
でも、今は全くのノープラン、真っ白。途方もなく心細い。
カウンターにチラッと目をやると、レインはマッキーさんと握手しながら笑顔で何か言葉を交わしていた。たぶん知り合いなんだろうな。
人の気も知らないで。
ナミがアタシの名前をコールした。
深呼吸をして、MCも入れず静かにプレイを始める。
柔らかいピアノの調べが、バカ騒ぎを期待していたフロアの空気をスカすように流れ出した。
トリプルHの“ダディーズ・シューズ”。企画もののアイドル音源だけど、曲は(メンバー公認の)ARBのカヴァー。AKBじゃないよ。
まずはレインへのご挨拶。
またカウンターに目をやると、レインは一人になっていた。こっちを向いているけど、その表情はうかがい知れない。
オーディエンスは静かな立ち上がりにどう反応していいか分からず、静かに聴いている。クスクスと笑い声も聞こえる。
次の曲へ。アタシは一気にカットインした。
鋭いギターのカッティング音が空気を切り裂く。デッド・ボーイズの“エイント・ナッシン・トゥ・ドゥ”。レインの“ソニック・リデューサー”へのアンサー。これを待っていたパンク好きの客が暴れ出し、フロアは動き出した。
まずは出だし成功かな。
しかし曲を重ねるにつれ、徐々にボロが見え始めた。
何せ、アタシは今夜“おふざけ”の選曲をメインに用意してきた。こんな時に限って、MP3も何も用意していない。
乏しいレコードとCDの中から知恵を振り絞って、アタシは本気の選曲を続けた。
自分・フロア・レインのバランスを取らなきゃならない。それは分かっているんだけど。
どうしても、レインの比重が重くなってしまう。
それも彼に伝わっているのかどうか。
フロアの空気は完全に緩んでしまった。暴れていいのか聴き込んでいいのか、ヤジっていいのか定まらない。
席に戻ってお喋りを始めた客もいた。
いわゆる“とっ散らかったセット”まさにそのもの。
焦りばかりが積み重なっていく。冷汗が止まらない。
アタシ、なにやってんだ。
こんなことなら最初から好きにやれば良かったよ。
レインが言ったとおりに。
それでもアタシは彼に向けて、DJというラブコールを送り続けた。




