陰陽師1
陰陽師
aoto
ここは現代京の町。
徳田カケルは寺の中に籠り、座禅を組んでいた。自ら進んで組もうと思ったわけではなかった。不注意から起こした粗相によって、懲罰を与えられていたのである。
隣には兄のノボルがカケルと同じように座禅を組んでいる。自分の兄ながら、物好きなやつだ、とカケルは思う。
肩まで伸びた白銀の長髪を一つに縛り、眼を閉じる。目元に凛と際立つまつ毛も優雅に白い。
それが涼しげだと女の子から引く手があったが、ノボルが特定の誰かの手を取ることはなかった。産まれた時からすでに寄り添うべき相手が決まっていたからである。
「たかだかそんなこと、所詮親の都合で決めたことだ」
親の気遣いというものはどの時代でも勝手なもので、自ら強いた掟ながら、忠実に順守するノボルに父は小言を吐いた。
「男児たる者の気概が感じられん」
女の一人や二人、泣かせてやるのが勲章だ、くらいに考えている父は、敷かれたレールの上をひたすらずれてしまわないようなぞるノボルを頼りなく思っていたのだろう。
齢が二十を超えたとき、父はノボルを密かに花魁に連れ込み、遊びを教えようとしたが、ノボルは頑なにそれを拒んだ。一途といえば一途であるが、その頑なさは堅物すぎるともいえる。物好きな兄だった。
「参詣が来る前に済ませてしまおう」
座禅もノボルに背中を押され、しぶしぶ行うことに決めた。しかしながら、まさか一緒になって座禅を組むとは、カケルは露にも思わなかった。
細目で微笑むノボルの顔はいつでも涼しい。
夏の陽射しが軒の鉄飾りの匂いを拡散させている。そこへ吹き込む一陣の風は溜まり淀んだ空気を飛ばしていく。
「あら、ノボルさん、お兄さんやねえ」
母が麦茶を兄弟の間に置いた。
「ありがとうございます」
父から評価の低い兄ではあったが、母からは大変贔屓にされていた。
「あんな男のいうことなんて、耳をかさん方がええんよ」
微笑みを最後に残し、ツンと去る母の背は恐ろしい。
例えば掛け合いになったときは、父の小言をその場でいなすなんてことはしない。人目がなくなったときにコソリと告げるのである。ノボルもノボルで、どちらの言うことにも頷いておきながら、特別自身の思いを足し加えるようなことはしない。
人の言いなりになるような男だ、と父は言うが、カケルはノボルこそ誰の言葉にも耳を貸さない頑固な男だと思っている。
カケルは透明なお椀に入った麦茶を飲み干す。熱気のたまった喉が冷やされていく。
ノボルは手を付けない。座禅が終わるまでは何があっても動かないのである。
本来なら、昼下がりのこの時間、カケルは式神の姿を考えているはずだった。
式神とは術者の命令を果たす、仮初の生を与えられた生きものである。霊験あらたかとされる紙に梵字を書付け、念を込めることで命が芽吹く。術者が存在しなければ式神は生を留めることができず、また果たすべき使命がなくなれば独りでに元の紙に戻ってしまう。
できる技は限られているものの、カケルも式神使いの端くれであった。
式神は術者の想像に従って形を変える。術者として強い念を込めることができなくても、せめて、姿だけは見劣りしないよう、スケッチブックにせっせと妄想を描き写して居るのである。
古来より陰陽師の流れを汲む徳田家には、魔力をもって産まれる子が現れる。
陰陽道というものは空を見、暦と気候を照らし合わせて天候を伺う天気予報士としての側面を強く持っていた。
大陸から持ち込んだ希少な本によって知識を蓄え、諸事に通じる見識の高さゆえ、未来を見通したり、悪しきことから身を守ってきた。その人並み外れた能力ゆえ、噂に尾ひれがついて魔術師のように語られることとなった。けれども、その実、陰陽師の誰しもが不思議な力を宿しているわけではない。
書物の知識だけを頼りに、ゲンを担いで風水を整えるしか能のない男も多いのである。
「阿部晴明は本物だよ」
阿部晴明はカケルが一番尊敬している陰陽師だ。平安時代、最も権力を手中に収めた藤原道長に仕え、道長の覇業に尽力した人物である。
図書を用意したノボルは涼しげにカケルと声を揃える。
「晴明だけが人の命を生き返らせる方法を知っていたんだ」
阿部晴明の本を読み漁り、カケルは遠い過去の時代に生きたその人を思う。
「ライバルである道魔法師に殺されたときは、大陸の陰陽師が蘇生術を施して生き返ったとも言われている」
普通の家ならばそんなおとぎ話、と一蹴されることだけれども、徳田家にはおとぎ話を絵に描くことのできる人物が存在する。
カケルとノボルが父より学んだのは三つ。
式神を誕生させること、結界術式を貼ること、それから易である。
ノボルは特別易に関して抜群の才能を発揮した。
カケルはノボルの易のカラクリを見抜くことはできなかった。ノボルは本当に未来を見ているかのように、これから起きることを予言し、的中させることができた。
「あの柿木の葉が落ちるころ、隣のじいさまの盆栽が割れる」
ノボルが初めて予言した未来だ。
柿の実を取ろうと木に登ったじいさまの孫が滑り落ち、盆栽棚をひっくり返したのである。
それ以来ノボルの易は当たると評判になった。本人は気乗りしない様子ではあったが、人相をみて、悩みを聞いてあげるくらいのことは引き受けた。
結界術においてもノボルに劣るカケルは式神を使うことに執着した。式神を自在に操ってこそ、物語に登場する陰陽師である。
「獏、麒麟、鬼」
カケルは思い思いの絵を描く。
「獏はのっそりしてて、麒麟は早い。鬼は力が強い」
カケルは絵心だけは兄に勝っていた。新たに猩々、鵺、八咫烏などの生き物を描く。なかなか思うように書けないと感じると、くしゃくしゃに丸めて捨てる。すると、母の家事用式神がカケルの捨てた絵を拾ってゴミ箱へもっていく。
父より母の方が式神使いとしてはレベルが高い。一度に五つもの式神を繰り出し、家事労働の補助をさせている。
「人にお見せするようなものではありませんよ」
そういって、母は式神に特別な姿を与えず、のっぺらぼうでシンプルな人型を象った。口では言うものの、一人一人に与える和服のデザインには凝っており、色違いの紐で裾を結んでやるなど、細かい装飾まで違わせていた。
「それぞれ見分けられるようにしておきたい、いうだけのことです」
照れた様子で弁解しながらも、母の本棚に和服のカタログが置いてあることをカケルは知っている。
「座禅にはどんな効果があるのです?」
「心を落ち着けることができるよ」
「無理に心を落ち着けようしてもなあ」
「感情の赴くままにするのは、それは場合によっては勢いがあるけれど、抑えなければいけないときに抑えられないのなら、余計に重荷を背負うことになると思う」
ノボルの表情からは何も読み取ることができなかった。懲罰の座禅は三時間だと告げられていた。
カケルは蔵に入ったのだ。徳田家が代々引き継いできたと思われる骨董品の数々がそこには収められていた。
カケルは物珍しさから一度禁術の書を見てみたかった。蔵には父の結界が施されていて、破って入ることはできなかった。
結界破りを父が察知したらしく、大目玉をくらった後で、懲罰を言い渡された。
「そんなに読みたかったのか?」
父はカケルに問うた。カケルは頷いた。父がそれほど怒ってはいないのだということに気が付いたのはその時だった。
「交換条件がある」
交換条件を持ち出すのは、父がよく使う常套手段だ。父の耳打ちを聞くと、カケルは座禅を快く承諾した。座禅を終えたなら、すぐにでも父の出した「交換条件」の準備にとりかかろうと思っていたのだが、余禄時間を半分残し、父から懲罰の任を解くよう言づけられた。
「これから宵山に向かう」
父の面持ちはいつになく真剣だった。
(2013/12/12)