第1話:悪女(笑)に就職いたしました
「本日も遅くまで残業、本当にお疲れ様でしたー」
深夜二時。誰もいなくなったオフィスのフロアに、機械的な清掃ロボットの稼働音だけが虚しく響いていた。
水里由衣、二十七歳。中堅IT企業のシステムインテグレーターで働く、筋金入りの社畜OLである。
「……はぁ。また終電逃したか。タクシー代、落ちるかなぁ……」
画面から発せられるブルーライトで乾ききった目を擦りながら、由衣はキーボードから手を離した。連日の徹夜作業と、仕様変更を繰り返すクライアントからの無茶振りに耐え続けた彼女の身体は、すでに限界を迎えている。
デスクの上の缶コーヒー(ブラック)をあおり、最後の一滴を飲み干したその時だった。
猛烈な眩暈が視界を襲った。
「あれ……? なんか、視界がフラつ……」
心臓が不気味な不協和音を奏で、胸の奥がギュッと締め付けられる。デスクに手をつこうとしたが、力が入らない。そのまま意識は急速に遠のき、由衣の体は冷たいオフィスの絨毯へと崩れ落ちていった。
(あー……私、死ぬのかな。まあいっか……明日の朝礼の資料作成、まだ途中だけど……もう、知らん……)
それが、水里由衣の「前世」における最後の記憶だった。
◇ ◇ ◇
「――起きなさい! この愚かな女め!」
甲高い、いかにも高圧的な男の声が耳孔を突いた。
由衣はゆっくりと瞼を開く。眩しい日差しと、やけに豪華絢爛な天井が視界に飛び込んできた。
(あれ? ここ、どこ? 救急病院……にしては、シャンデリアとか飾ってあるけど)
「聞いているのか、メロン・フォン・パフ!」
「……はい?」
名前を呼ばれ、由衣は体を起こした。
すると、自分の体が普段着慣れた地味なスーツではなく、胸元が大胆に開いた派手派手しいフリルのドレスに包まれていることに気づく。視線を下げれば、細くしなやかな指先には煌びやかな指輪がいくつも嵌められていた。
そして何より、周囲の光景が尋常ではない。
大理石の床に、豪華な意匠が施された大ホール。
その中央で、金髪をなびかせた白皙のイケメンが、軽蔑の色を隠そうともせずに自分を見下ろしている。その脇には、儚げな表情で男の腕にしがみつく、可憐なピンク髪の少女。
(待って。このシチュエーション、デジャヴがある……。ていうか「メロン・フォン・パフ」って何??)
脳内で急速に記憶のインデックスが参照される。
仕事の合間、現実逃避のために読み漁っていたweb小説。その中に、確かにそんなふざけた名前のキャラクターが登場する作品があった。
タイトルは確か――『聖なる乙女は愛を紡ぐ』。
内容は典型的な逆ハーレム乙女ゲーム系ファンタジー小説。
そして「メロン・フォン・パフ」とは――
第一話の冒頭わずか数ページで、ヒロインを階段から突き落とした冤罪(一部本当)を理由に婚約破棄され、速攻で『裏通りの娼館』へと追放される、物語開始五分で退場する出オチ担当の咬ませ犬悪役令嬢であった。
(マジで……? 私、転生したの? しかも、よりによって第一話で退場する悪女(笑)に!?)
「貴様のような心根の腐りきった女が、我がガルディア帝国の第一皇子であるこのアラン・フォン・ガルディアの婚約者など、片腹痛い! 貴様がマリアになした悪行の数々、もはや弁明の余地なし!」
目の前の金髪イケメン――アラン皇子が、バシッと指を突きつけて叫ぶ。
その横で、ピンク髪の少女――マリアが、「ひどいですわ、メロン様……どうして私をそんなに憎むのですか……っ」と、これ見よがしに涙を浮かべて見せた。
(うわぁ……生で見るとすっごい演技臭い。マリアって小説のヒロインだけど、裏で攻略対象たちをたらし込んでライバルを蹴落としまくってたビッチヒロインじゃん。で、アラン皇子も自分の浮気を棚に上げてマリアにデレデレの勘違いヒーローだし)
周囲を見渡せば、集まった貴族たちがヒソヒソと「何て恐ろしい女だ」「娼館へ追放されるのも当然だ」と囁き合っている。
完全に詰みである。第一話のクライマックス、悪役追放シーンの真っ只中だ。
(まあ、でも……)
由衣は、胸の中でそっと溜め息をついた。
(別にいっか)
前世の自分は、過労死寸前まで働かされていた社畜である。
毎日朝八時から翌朝二時まで働き、残業代は固定残業代という名の基本給込み、上司からの理不尽な叱責とクライアントからの無理難題に追い詰められる日々。
それに比べたら、第一話で退場して物語のメインストリームから外れるなんて、最高のご褒美ではないか?
(娼館に追放? え、じゃあ貴族としての面倒な義務も、この大げさなドレスを着る必要も、マナー講師の説教を聞く必要もないってことよね? 裏通りの適当な宿屋にでも居座って、毎日昼まで寝て過ごせばいいんじゃないの?)
由衣の中で「放棄」という二文字が巨大なフォントで躍った。
よし、面倒だしこのまま「はいはい私が悪かったです〜」って言って追放されよう。社畜時代に培った『とりあえず謝って嵐が過ぎ去るのを待つスキル』が火を噴く時だ。
由衣が口を開き、「分かりました、謹んで――」と言いかけたその時。
――ピコンッ!
突如として、由衣の頭の中に甲高い機械音が響き渡った。
『思考パターン検知:諦避・放棄・ニート願望を検出。強制介入を行います。プレイヤー「水里由衣」、システムアカウントの認証が完了しました』
(えっ……何これ!?)
視界の端に、青く光る半透明のホログラムウィンドウが浮かび上がった。周りの人間には見えていないらしく、アラン皇子は由衣が黙り込んだのを「ショックで絶句している」と勘違いしてドヤ顔を決めている。
『初めまして、プレイヤー。私は本世界を管理・進行する【物語正常化システム】です。これよりミッションを開始してください。目標:悪役令嬢として惨めかつ盛大に没落し、主人公たちの愛を深める糧となること』
(……は?)
『提示された拒否権はありません。もしミッションを破棄、あるいは物語の進行を著しく妨害した場合、ペナルティとしてプレイヤーの魂は元の世界へと送還されます』
(元の世界へ?送還?)
『左様です。元の世界に戻れば、あなたは再びあのオフィスで、朝礼用資料の作成と終わらないバグ修復の残業に連戻されることになります』
システムは自信満々に告げてきた。
これまでの転生者なら、「そんなの嫌だ! 悪役として生き残らなきゃ!」と焦り出すところだろう。
だが。
由衣の反応は、システムの予測を遥かに斜め上を行くものだった。
「えっ……待って? 拒否したら、元の世界に戻されちゃうの?」
『はい。過酷な労働環境であった貴女の前世の世界へと送還――』
「ヤバい!!! 脱社畜できるじゃん!!!」
『……はい?』
「やったあぁぁぁ! 帰りたくない! 絶対に帰りたくない! あんな午前二時退勤が当たり前のブラック企業、誰が戻るかぁぁぁ!!」
由衣は心の中で小躍りした。
システムは脅しのつもりだったのだろうが、由衣にとっては「元の世界に戻る=死ぬまで残業」と同義である。この世界で追放されて無職ニート生活を送る方が、億万倍マシなのだ。
『ちょ、ちょっと待ってください! 喜んでるんですか!? 元の世界に戻されたら、貴女の身体は過労で衰弱しきってるんですよ!?』
「知るか! どっちにしろ戻ったら地獄なんだから、この世界で悠々自適に暮らすわ! さようならシステム、私は今から娼館(という名のフリータスクゾーン)に行ってぐうたら過ごします!」
『えっ、待って、困ります! 貴女が第一話でやる気をなくして雑に追放されたら、この小説の閲覧数が激減するんです! 「何だこのあっさりした展開は」って読者にブラウザバックされちゃうんです!』
(知らんがな! 読者満足度より私のQOLだよ!)
焦ったシステムの声が、頭の中でどんどんテンパっていくのが分かった。
物語を盛り上げたいシステムにとって、開き直った社畜OLほど扱いづらい存在はない。
『お、お願いです! 物語を盛り上げてください! 悪役令嬢としての義務を果たしてください!』
「嫌よ。私、今世では絶対に働かないって決めたの。爵位も金も高貴な身分もないなら、その辺でぐうたら過ごすわ」
『ぐっ……! な、なら条件を出します! もし貴女が物語を盛り上げ、無事に完結(あるいは規定のポイント獲得)まで導いてくれたら……!』
「ん?」
『元の世界に戻る際、この世界で取得した【空間魔法】の中身を、そのまま現実世界に持ち帰れるようにリバースエンジニアリングしてあげます!!』
「……何だって?」
由衣の目がキランと光った。
『アイテムボックスの中身を、です! つまり、この世界の金貨や宝石、あるいは万能薬などを箱詰めにして持ち帰れば、元の世界に戻ったとしても一獲千金! 働かずに遊んで暮らせる不労所得ライフが確定します!』
(……ほう?)
一獲千金。不労所得。一生遊んで暮らせる金。
社畜の脳内に、甘美なワードが駆け巡る。
(でも待って。もし元の世界に戻るのが前提なら、この世界で苦労するのは嫌なんだけど)
「妥協案を出すわ。私、この世界でも極力苦労したくないの。悪役令嬢として惨めに惨殺されるとか、悲惨な拷問を受けるとか、そういうのはNGね」
『うぅ……わかりました! 妥協します! 目標を変更しましょう! 【悪役ポイント】を集めていただくことにします!』
「悪役ポイント?」
『はい! 貴女が「悪役」として周囲を扇動したり、スカッとする展開を作ったり、物語のドラマ性を高める行動をとると【悪役ポイント】が加算されます! ポイントを貯めれば専用ショップが開設され、現代の便宜グッズや魔法能力、さらには贅沢品まで購入可能になります!』
「ふーん……ちなみに、そのポイントを集めるとシステム側にはどんなメリットがあるの?」
『え……あ、いや、それは……』
「言いなさい。言わないなら今すぐ諦めて無職になるわ」
『ひえっ! 言います言います! 悪役が主人公側の不条理な行動を暴いてポイントを稼ぎ、物語の評価が上がれば……私のシステム階級が【試用版】から【上級管理AI】に昇級できるんです……!』
(やっぱりな。結局自分が昇進したいだけじゃん。どこの世界の上司もやってることは同じだな)
由衣は呆れ半分、親近感半分で深く溜め息をついた。出世のために下種な手段を使う気持ちだけは、社畜として理解できなくもない。
「いいわ。交渉成立よ。ただし、条件が一つある」
『何でしょうか!?』
「私がやることに文句を言わないこと。私が『悪役ポイント』をどう稼ごうが、私のやり方に口出ししないで。指示出しばかりして現場を混乱させるクソ上司みたいな真似をしたら、即座にストライキを起こすから」
『……くっ、承知いたしました! 「プレイヤーの自主的行動に関する一切の干渉を放棄する」という契約を結びます!』
――ピコン! 【条件協定が完了しました】
「よし、商談成立ね」
ここまでの思考と会話、わずか三秒。
現実世界の時間では、ほんの一瞬の出来事である。
現実の大ホールでは、アラン皇子が未だにイキり顔で「どうしたメロン! 恐ろしさのあまり声も出んか!」と叫んでいた。
由衣――いや、メロン・フォン・パフは、ふっと口元を歪めた。前世のブラック企業で数多の理不尽なモンスタークライアントを論破し、デスマーチを生き抜いてきた社畜の、極上の営業スマイルである。
(よし……勘違いヒーローとビッチヒロイン、まとめて分からせてやるか)
◇ ◇ ◇
「メロン! 聞いているのか! 貴様はマリアを害そうとした罪により、パフ公爵家から廃嫡! 本日をもって裏通りの娼館へ売却されることが決定した! これを拒否することは――」
「はい、承知いたしました〜」
「……は?」
アラン皇子の威勢の良い声が、拍子抜けしたようなメロンの軽い返事によって遮られた。
大ホールに集まっていた貴族たちが「えっ?」と顔を見合わせる。
「な、何だと……? 嫌がらせや命乞いをするのではないのか……!?」
「いいえ? 殿下がおっしゃるのですから、それが正義なのでしょう。どうぞどうぞ、廃嫡でも娼館追放でも好きにしてくださいませ」
メロンは優雅にドレスの裾を摘み、完璧なカーテシー(淑女の礼)を披露した。
あまりにもあっさりした態度に、アランは肩すかしを喰らったような顔をしている。
『ちょ、ちょっとプレイヤー!? あっさり受け入れすぎです! 悪役ポイントが稼げませんよ!?』
(黙ってなさいシステム。前振りよ、前振り)
メロンはすっと顔を上げ、儚げな表情で涙を浮かべているヒロイン・マリアへと視線を向けた。
「ただ……最後のお別れに、一つだけ確認させていただいてもよろしいかしら、マリア様?」
「え……? あ、はい……何でしょうか、メロン様……」
マリアは身を縮こまらせ、アランの陰に隠れるようにして上目遣いでメロンを見た。いかにも「庇護欲をそそる可憐なヒロイン」の仕草だ。
「私が貴女を階段から突き落としたとされる、先週の火曜日の午後三時……。貴女は『メロン様に呼び出されて第三校舎の階段に向かった』とおっしゃいましたわね?」
「ええ……そうですわ。メロン様に『話がある』とお手紙をいただいて……」
「なるほど。では、その時のお手紙はお持ちかしら?」
「えっ……い、いえ! 恐怖のあまり、破り捨ててしまいましたわ!」
「まあ、それは残念。ですがおかしいですわね?」
メロンはくすりと微笑み、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「先週の火曜日、午後三時といえば……私はアラン殿下の命により、帝国騎士団の会計監査資料三百ページを取りまとめていた最中ですの。その証明として、監査を担当された副騎士団長様のサインとタイムスタンプが、こちらの書類にしっかりと残っておりますのよ?」
メロンが羊皮紙をスッと掲げると、ホールにいた騎士団の関係者たちがざわついた。
「な……なに!? 副騎士団長のサイン……!?」
「確かに、先週の火曜日はメロン様が一日中、会計室に籠りっきりで計算をしておられたぞ!」
「そもそも、あの膨大な書類を午後三時に提出されたのは事実だ……! 階段まで行く時間などあるはずがない!」
貴族たちの囁き声が、一転して不穏なものへと変わっていく。
『ピコン! 【周囲の疑惑を深めた】:悪役ポイント+100pt!』
(よし、入った)
メロンは心の中でガッツポーズをした。
前世の社畜時代、無茶振りされた仕様書のログやメールの履歴は絶対に保存しておくのがメロン(由衣)の鉄則だった。「言った言わない」の水掛け論になった時、証拠こそが最強の武器になるのだ。この世界のメロンも、理不尽な仕事を押し付けられた記録をしっかりと残していたのである。
「くっ……! た、たまたま代筆させたのかもしれないだろう!」
アラン皇子が顔を赤くして反論する。
「まあ、殿下。代筆だなんて、私の筆跡鑑定を行いますか? それに……マリア様、もう一つ質問がございますの」
メロンは一歩、マリアへと歩み寄った。マリアがビクッと体を震わせる。
「貴女が『突き落とされて全治一ヶ月の大怪我を負った』とされるそのお体……。大変申し訳ないのですが、なぜ今、ヒールの高い靴を履いて、アラン殿下にしっかりと体重をかけて立っていらっしゃいますの?」
「え……っ、あ、それは……!」
「全治一ヶ月の重傷を負ったのが三日前。魔法治癒を施したとしても、骨折や捻挫の痕跡は数日間残るはず。ですが、貴女のその足首……実に健康的で美しく引き締まっておられますわね。どのような神聖魔法をお使いになられたのか、ぜひ教えを乞いたいものですわ」
「うぐっ……あ、頭が……急に痛くなってきましたわ、アラン様ぁ……っ!」
追い詰められたマリアは、古典的すぎる「頭痛ポーズ」でアランの胸に倒れ込んだ。
「ま、マリア! しっかりしろ! 酷いぞメロン! 罪を逃れるためにマリアを精神的に追い詰めるとは!」
アランがマリアを抱きかかえ、メロンを睨みつける。
(うわぁ……エビデンスを出されて反論できなくなったら情に訴えるパターンだ。会社の老害役員と同じムーブじゃん)
メロンは心底呆れたが、顔には優雅な笑みを絶やさなかった。
「ふふっ、申し訳ございません。これ以上、可憐なマリア様を追い詰めるつもりはございませんわ。……ええ、私が悪かったのです」
「な……なんだと?」
「私が無知だったのです。いくらエビデンス(証拠)を示そうと、狂った盲目な愛の前には正論など無力なのだと、今理解いたしましたの」
メロンは大袈裟に肩をすくめ、ホール全体に響き渡る声で言い放った。
「真実がどうであれ、アラン殿下が私を捨て、そちらの不貞な盗人に乗り換えたいとおっしゃるなら、私は潔く退場いたしますわ! どうぞお二人で、嘘と虚栄で塗り固められたお幸せな未来をお築きになってくださいませ!」
バサァッ!! と、メロンは豪華なドレスの裾を翻した。
その瞬間、ホールの空気が凍りついた。
貴族たちの視線が、アランとマリアへと突き刺さる。
「不貞な盗人……? 皇子殿下は、浮気のためにメロン様を冤罪で追放しようとしているのか……?」
「そういえば、最近アラン殿下とあの平民上がりの令嬢が密会しているという噂が……」
「メロン様は公爵家の優秀な令嬢だ。あの膨大な公務をすべて肩代わりしていたというのに……」
ヒソヒソという罵声に近い噂話が、アランの耳に届く。
アランの顔が赤から青、そして土気色へと変わっていった。
『ピコン! 【スカッと展開の生成】:悪役ポイント+500pt!』
『ピコン! 【ヒーローの威信を失墜させた】:悪役ポイント+1000pt!』
『ピコン! 【ビッチヒロインの本性を露出させた】:悪役ポイント+1500pt!』
(おおっ、一気に3千ポイントも溜まった!)
頭の中でファンファーレが鳴り響く。
システムが歓喜の悲鳴を上げた。
『ス、スゴいですプレイヤー! 完璧な「悪役令嬢による捨て台詞と没落」でありながら、読者満足度が爆上がりしています! 掲示板が「メロン様カッコいい!」「ザマァ展開きたー!」って大盛り上がりです!』
(ふん、当たり前でしょ。ロジハラ(ロジカルハラスメント)は社畜の嗜みよ)
「では殿下、皆様、ごきげんよう! 私は約束通り、娼館へ行ってまいりまーす!」
「ま、待て! メロン! 待つんだ!」
焦ったアランが手を伸ばすが、メロンは一切振り返らず、颯爽と大ホールの扉を開けて外へと飛び出した。
背後でアランの「追え! いや、待て、私を置いていくなマリア!」という情けない叫びと、貴族たちの冷ややかな視線が交錯する混沌とした気配を感じながら、メロンは晴れやかな笑顔で青空を見上げた。
◇ ◇ ◇
王都の裏通り。
「娼館」と聞いて、ドロドロとした陰惨な場所を想像していたメロンだったが、案内されたのは思いのほか綺麗で静かな三階建ての館だった。
「あら、あなたが新しい子のメロンちゃん? パフ公爵家から買い取ったっていうからどんな高慢ちきな令嬢かと思ったら……随分とすっきりした顔をしてるわね」
出迎えてくれたのは、煙管をくゆらせた妖艶な美女――娼館のオーナーであるローズだった。
「はじめまして、ローズ様。今日からこちらでお世話になります、メロンです。……ちなみに、私のお仕事はどのようなものでしょうか?」
「ふふ、そうねぇ。うちの店は高級店だから、無理な春を売らせるような真似はしないわ。貴女には客の話し相手や、お茶のお給仕をしてもらおうと思ってたんだけど……」
「お茶汲みと接客!!」
メロンの目が輝いた。
「それって……事務作業や深夜二時の仕様変更対応、休日の緊急コールは発生しますか!?」
「は? なに言ってるの、あるわけないでしょう。夜はしっかり寝てもらうし、シフト制よ」
「シフト制!!!(歓喜)」
メロンは感極まってローズの手を両手で握りしめた。
「採用ありがとうございます! 私、全力で『ニートのようにゆるく働く娼館店員』を目指します!」
「な、なにこの子……変わった子ね……」
ローズが引き気味になりながらも部屋へ案内してくれると、そこはふかふかのベッドと、日当たりの良い窓がついた綺麗な個室だった。
「ここがあなたの部屋よ。ま、ゆっくり休みなさい」
「はい! ありがとうございます!」
ローズが部屋を出ていくと、メロンは吸い寄せられるようにベッドへとダイブした。
もふっ。
「ふあぁぁぁぁぁ……! なにこの羽毛布団……! 柔らかい……最高……! オフィスでダンボール敷いて寝てた頃とは雲泥の差だわ……!」
ゴロゴロとベッドの上を転がるメロン。
前世では考えられなかった「平日の昼間にベッドで横になる」という贅沢に、全身の細胞が歓喜の声を上げている。
――ピコン!
『プレイヤー、お疲れ様でした。現在、悪役ポイントは合計3100ptとなっております。【ショップ機能】を解放しますか?』
「解放して、解放して〜」
メロンが半目を開けながら答えると、視界にオンラインショップのような画面が表示された。
【悪役ポイントショップ】
・フットマッサージャー(現代製):500pt
・極上安眠アロマオイルセット:300pt
・自動掃除魔法:1000pt
・空間魔法(初期容量:10t):2000pt
・コーヒーメーカー(豆補給無限):1500pt
「ちょっと待って、ラインナップが私好みすぎるんだけど!?」
『ふふん、プレイヤーの嗜好に合わせてショップの品揃えを最適化しました! これも上級管理AIを目指す私の気配りです!』
「やるじゃない、システム。じゃあとりあえず……【空間魔法】と【フットマッサージャー】、【極上安眠アロマオイルセット】を購入!」
――ピコン! 【ご購入ありがとうございます。残りポイント:300pt】
ベッドの脇に、最新型のフットマッサージャーとアロマディフューザーがポンッと出現した。
さらに、メロンの脳内に「空間魔法」の使用方法が直接インストールされる。
(すごーい! 本当に空間が繋がってる! これなら金銀財宝でも高級家具でも何でも溜め込めるわね!)
メロンはさっそくフットマッサージャーに足を突っ込み、スイッチを入れた。
「うあぁぁぁぁ……効くぅぅぅ……! 連日のヒール履きでバキバキだった足裏が癒やされていくぅ……!」
アロマの甘い香りが部屋に満ち、足元からは心地よい振動。
これぞ至高。これぞ極楽。
『あの……プレイヤー? 一つ報告があるのですが』
「ん〜? なに〜?」
『先ほどの大ホールでの一件により、アラン皇子とマリアの評判が急降下しております。さらに、メロン様が不在となったことで、皇太子府の膨大な書類仕事が完全にストップし、パンクしている模様です』
「ぶはっ!」
メロンは思わず吹き出した。
(やっぱりね! あの膨大な公務、全部私一人に押し付けてたんだから、私が抜ければそうなるに決まってるじゃない!)
『アラン皇子は「メロンを連れ戻せ!」と騒いでいるようですが、パフ公爵(メロンの父親)も「自分で追放しておいて何だ!」と大激怒し、皇室への資金援助を打ち切ると言い出しました』
「ウケる。完全な自業自得じゃない。残業の引き継ぎもなしに担当者をクビにしたらどうなるか、思い知ればいいわ」
『この勢いだと、第2話のタイトルが『崩壊する皇太子府と、途方に暮れる勘違いヒーロー』になりそうです。悪役ポイントの稼ぎ時ですよ!』
「いいわねぇ。でも今日はもう寝るわ。社畜の基本は『休める時に休む』だからね」
メロンはフットマッサージャーの心地よさに身を委ねながら、掛け布団を頭までかぶった。
「システム〜、明日から本格的に『悪役ポイント』を稼いであげるわ。勘違いヒーローとビッチヒロインを極限まで追い詰めて、盛大にザマァしてあげる。だから……」
『だから……?』
「明日の朝は、絶対にお昼まで起こさないでね」
『……了解いたしました、おやすみなさいませ、元社畜の悪役令嬢様』
静かな娼館の一室で、メロン・フォン・パフは今度こそ本当の「安らかな眠り」についたのだった。
こうして、現実世界への不労所得ゴールを目指す元社畜OLの、自由気ままな悪役令嬢生活(と、システム昇級のためのザマァ劇)が幕を開けたのである。




