愛華のお願い
義父母の家を出て、
タクシーに乗り込んでしばらくすると——
愛華はもうワクワクが抑えきれない様子だった。
「ねぇねぇ!今日ね、ナオさんと一緒に寝れるんでしょ!」
ナオは飲みかけの水を危うく吹き出しそうになった。
「えっ……あ、いや……その……」
そう。亮介さんの実家の最寄り駅の近くにあるビジネスホテルを予約しようとした所、誰かのコンサートの日程と被ったらしく、ホテルが満室。
探しに探し、温泉旅館が1部屋だけ空いていて、何とか予約したのだった。
私は慌てて愛華の肩を軽く押さえた。
「ちょ、ちょっと愛華……ナオさん困ってるでしょ」
「えー?だってさぁ、みんなで寝たら楽しいじゃん!」
ナオは耳まで真っ赤になって、窓の外を見ながら小さく咳払いした。
「えっと……愛華ちゃん、
ぼくは……その……
廊下とかでも全然……」
「やだ!一緒がいい!」
即答。
タクシーの運転手さんがバックミラー越しにニヤッと笑ったのを私は見逃さなかった。
(……やめて……恥ずかしい……)
ナオは完全に固まっている。
(……かわいい……)
思わず笑いそうになった。
小さな温泉宿。
木の香りがふわっと漂う、落ち着いた雰囲気の宿だった。
「わぁ〜〜〜!!」
愛華はロビーに入った瞬間からテンションMAX。
「おふろある?おふろある?ナオさんと入っていい?」
ナオはまた固まった。
「えっ……いや……それは……」
私は慌てて止めた。
「愛華、それはダメ。ナオさん困るから」
「えぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
宿中に響きそうな声で不満を叫ぶ。
ナオは苦笑しながら頭をかいた。
「愛華ちゃん……
ぼくはね……あの……
男湯だから……」
「じゃあママと三人で入る!」
「いやいやいやいやいや……
それは、もっと困る……
‥‥というか‥‥」
そう言いながら、ふとナオと目が合う。
(‥‥‥‥!)
思わず、私も赤くなるのが分かる。
「愛華、それは‥‥その…無理よ。」
「じゃあ、いいや~!」
切り替え早っ。
愛華に翻弄される大人二人。
私は思わず吹き出しそうになった。
部屋は広めの和室で、布団が三つ並べられていた。
愛華はそれを見た瞬間、目をキラキラさせて叫んだ。
「やったぁぁぁぁぁぁ!!ナオさんの隣で寝るーーー!!」
ナオはまた固まった。
「えっ……あ……その……」
私は笑いをこらえながら言った。
「愛華、順番に決めようね。今日はママの隣で寝て、
明日はナオさんの隣……とか」
そこまで言って、ふと気付いた。
愛華が端が良いと言い出して、私の隣で寝たら、ナオと私が隣同士になる事を。
「やだ!今日がいい!」
「そうね。愛華が真ん中で寝れば大丈夫よ。」
(‥‥危ない。誤魔化せた…)
一方、ナオは完全にパニック。
「えっ……あ……その……
香織さん……どうしましょう……」
私は思わず吹き出した。
「ナオさん、そんなに困らなくても……
愛華、ただ一緒に寝たいだけですから」
「そ、そうなんですけど……
いや、その……
緊張というか……」
ナオの耳が真っ赤。
愛華はそんな大人の事情なんてお構いなしで、布団の上でぴょんぴょん跳ねている。
「ねぇねぇ!早く寝よ!
ナオさんの隣で寝よ!」
ナオは私に助けを求めるように目を向けた。
(……かわいすぎる……)
私は笑いながら言った。
「ナオさん、覚悟決めてください」
ナオは天井を見上げて小さく呟いた。
「……はい……」
美味しいご飯を食べて、温泉に浸かって…
いよいよ、愛華がお待ちかねの時間がやってきた。
あれだけ楽しみにしていた愛華は、ナオの腕にしがみついて、
すぐに寝息を立てた。
ナオは固まったまま、
小声で私に言った。
「香織さん……
これ……どうしたら……」
私は笑いをこらえながら囁いた。
「そのままでいいですよ。
愛華、安心してるんです」
ナオは少しだけ表情を緩めた。
「……そうですね」
私は布団の中でそっと微笑んだ。
(……あなた……
この人、本当に優しいよ)
夜の静けさの中、三人の寝息が重なっていく。
温かくて、
少しおかしくて、
でも幸せな夜だった。
————
朝の光が障子越しに差し込んで、部屋の空気がほんのり温かくなっていた。
私はゆっくり目を開けた。
(……あぁ、ここ宿か……)
隣を見ると——
愛華がナオの胸の上に乗っていた。
しかも、両手でナオのほっぺをむにむにしながら、
「ナオさん、起きてー!」
ナオは完全に寝ぼけていて、目を閉じたまま小さく呟いた。
「……かおり……?」
(……えっ……)
一瞬で目が覚めた。
愛華は大喜び。
「ママの名前呼んだー!!」
ナオは一気に目を覚まし、真っ赤になって跳ね起きた。
「ち、ちがっ……!
いまのは……その……!」
私は笑いをこらえきれず、布団の中で肩を震わせた。
「ナオさん……
寝ぼけてたんですね」
「ね、寝ぼけてました……!」
ナオの耳まで真っ赤。
愛華はケラケラ笑っている。
「ナオさん、ママのこと好きなんだ〜!」
「ちょ、ちょっと愛華……!」
今度は私が赤くなる。
ナオは完全に固まった。
(……かわいすぎる……)
朝から幸せすぎる光景だった。
食堂に向かうと、湯気の立つ味噌汁と焼き魚の匂いが広がっていた。
「おはようございます〜」
宿の女将さんが笑顔で迎えてくれる。
愛華はすでにテンションMAX。
「ナオさん、昨日、おばあちゃんすっごく嬉しそうだったね!」
愛華ちゃんが嬉しそうに話す。
ナオは、私を見て言った。
「そうだね……
亮介さんのお母さん……とても優しい方だったな」
私は静かに微笑んだ。
「うん……昨日は、本当に……よかった」
ナオは私の言葉を聞いて、少しだけ表情を緩めた。
「香織が……
あんなふうに笑ってるの、
ぼくも嬉しかった」
胸がじんわり熱くなる。
愛華は焼き魚をほぐしながら言った。
「また行こうね!パパも喜んでたよ!」
ナオは優しく頷いた。
「うん。また行こうね、愛華ちゃん」
その声が、朝の光みたいに柔らかかった。
部屋に戻って荷物をまとめていると、愛華が布団の上でくるくる回りながら言った。
「ねぇねぇ!
またここ来ようね!
ナオさんと一緒に寝るの楽しかった!」
ナオはまた固まった。
「えっ……あ……その……愛華ちゃん……」
私は笑いながら言った。
「また来ようね。今度は……もっとゆっくり」
ナオは私の言葉に、ふっと優しく笑った。
「うん。また三人で来よう」
ナオのその笑顔が、胸の奥に静かに広がった。




