第1話 渋谷のギャル男は異世界に呼ばれる
神宮通りの歩道は、昼を過ぎても人の流れが途切れなかった。
信号が変わるたび、制服姿の学生や買い物袋を下げた若者たちが交差点を渡っていく。その脇で、ひとりの青年がカメラを向けられていた。
髪は無造作に束ねるように盛られ、日に焼けた肌には鋭い目つきがよく似合っていた。細身のタンクトップの上には、くすんだカーキ色のロングベストを羽織っている。
胸元には大きなペンダントを中心に、いくつものネックレスが重なっていた。
ゆったりとしたパンツの裾からは素足に近いサンダルがのぞき、立っているだけで、渋谷の空気とは少し違う野性味を漂わせている。
青年の名は、神崎ヒロ。
年齢は二十歳を少し過ぎた頃。本人に尋ねれば、たぶん「二十歳くらい」と答える。
ヒロはファッション誌『MEN'S BUCKLE』のストリートスナップ撮影を受けていた。
「もうちょっとだけ、顎を引いてもらえる?」
カメラマンがファインダーを覗きながら言った。
ヒロは言われた通りに顎を引いた。
「そうそう。目線はこっち。いいね」
シャッターが何度か切られる。
ヒロは黙って立っていた。撮影に慣れていないわけではない。声をかけられれば応じるし、必要ならポーズも取る。ただ、自分から場を盛り上げようとはしなかった。
「そのジャケット、どこの?」
カメラマンが尋ねる。
「古着」
「アクセ、結構つけてるね」
「ああ」
「重くない?」
「別に」
短い返事の間にも、カメラマンはシャッターを切っていた。
通りすがりの女子高生が、友人の袖を引いてヒロを見た。別の男がちらりと視線を向け、すぐに興味がないふりをして通り過ぎる。
ヒロは、そうした視線を気にしていなかった。見られるのは珍しいことではないし、見られない理由もないと思っている。
「じゃあ、最後に何枚かいこうか」
カメラマンが少し後ろへ下がった。
ヒロは歩道の中央に立つ。背後には渋谷の雑踏があり、遠くでは大型ビジョンの音が響いている。車のクラクション、店先から流れる音楽、誰かの笑い声。いつもの街の、いつもの午後だった。
「目線、少しだけ右」
ヒロが顔を動かした。
その瞬間、ヒロの足元で何かが光った。
最初は、誰かが落とした携帯電話の画面かと思った。だが、光は消えなかった。円形に広がり、歩道のタイルを覆っていく。
白い線が幾重にも重なり、見たことのない文字と図形を描き出していた。
けれど、周囲の誰もそれに気づいていない。
通行人たちはいつも通り歩き、店先からは音楽が流れ続けている。カメラマンも、何の異変も感じていない様子でファインダーを覗いていた。
「目線、少しだけ右」
カメラマンの声に促され、ヒロは顔を動かした。
足元には、誰にも見えていない光の円が広がっている。
「……?」
ヒロは、もう一度その場から動こうとした。
だが、足は動かなかった。
「いいね。そのまま」
カメラマンがシャッターを切る。
何も知らないまま、撮影は続いていた。
ヒロの周囲だけ、時間の流れから切り離されたように、白い光が強くなっていく。
それでも、光が見えているのはヒロだけだった。
白い景色の向こうで、渋谷の街が薄れていった。
大型ビジョンも、交差点も、人の声も遠ざかる。代わりに、低く響く詠唱のような声が聞こえた。
知らない言葉だった。
ヒロは目を細めた。
そして、ほんの少しだけ首を傾げた。
「……?」
次の瞬間、彼の姿は歩道から消えた。
光は、最初から何もなかったかのように消滅した。
風も止まった。
落ちたカメラだけが、タイルの上で小さく揺れている。
渋谷の雑踏は、数秒もしないうちに元へ戻っていった。
誰も、その場にいた青年がどこへ行ったのか知らなかった。
ただ一人、カメラマンだけが、ファインダーの中に残った最後の一枚を見ていた。
そこには、白い光を背負って立つヒロの姿が写っていた。
まるで、何かに呼ばれているような顔だった。




