第五十八話
「お粥、今日は学校お休みしてるの?美術教師がいなくてみんな困ってるよ」
「みーちゃんだあ♡♡あははっ、助けてよぉ。俺さあ、今ムショで軟禁されちゃったあ」
受話器の向こう側から聞こえてくるいつも通りの軽はずみな声、とは裏腹に刑務所で軟禁という驚愕な、事実かどうか分からないことを伝えられた。
「ああ、やっとか」
とりあえず軽率にその冗談に付き合おうとしたら、
「あは、あいも変わらず酷いね」
という現実に引き戻されるような、明るさが静まった薄暗い声がしたので、これは本当に苦しい状況下に置かれていることを察した。軽はずみなトーンの告白と真剣なトーンの冗談。これらの区別が未だにつかないが、自分でも受け入れ難いほど困難な問題に直面してしまった時に、誰かに軽はずみに言って少しでも冗談っぽく、問題の重大性を消してしまいたい気持ちはよくわかった。
「ごめん、どうやったら助けられるのか、俺にはよくわかんなくて……」
「あー、あはは、そうだよね!俺だってわかんないのに、みーちゃんにわかるわけないや。ごめんね」
お粥が最後に言った「ごめんね」の台詞が、俺の中の罪悪感の巣窟を刺激して、蛆虫が湧いて出てくるように、違和感と気持ち悪さが体全体に広がっていく。
「待って、お粥。もっと話を聞かせて。何か、手助けできること、あるかもしれないから」
「ごめんね、みーちゃん。本当にもうないんだよ。何もやりようがない残酷な現実を見させられたみたいに。あはは、夢から覚めちゃったあ」
能天気を装って痛いフリをしないフリ。痛いって、助けてって、本気で言えない環境で過ごしてきた、それが美徳だと教えこまれてきたような気がして、こっちまでつらくなってきた。
「お粥、俺がどうにか何とかするから、何かお願いごとはある?」
「……犯人がすぐに罪を認めて、クマが無傷にまで回復する」
「犯人って??」
「轢き逃げされた。クマが俺のこと庇って怪我した」
「そうだったんだ……お粥は取り調べ??」
「そうだよ、俺はちゃーんと犯人の顔も車も覚えてたから早めに終わるかと思ったんだけど、黙秘を貫かれてる」
「そっか、クマくんは?」
「……知らない、意識不明だって」
強がった様子で誰かから聞いたふうに素っ気なく答えられた。きっとその事実を自分から遠くに置いておきたいんだ。受け入れられないから。
「お粥、今何処いる??」
「いーよ、みーちゃん仕事でしょ??」
「午前で終わる、それとも俺に慰めてもらいたくない??」
「あははっ、慰めてくれるんだあ。嬉しい」
という元気のない声で呟かれた。
「お砂糖ちゃーん、見てよコレ!」
と夏休み明け早々飴がスマホ画面を見せてきた。バズってるって。僕の落書きが。
「バレてないかな?僕達だって」
「バレててもいいじゃん!こんなにバズってるんだし!!」
僕達は終業式の日にカラオケに行った。いつも通り盛り上がって、ワイワイしてたけど、ザキが諦めきれなかったように「海行かね??」って言ったのが始まりだった。場が盛り上がっていたこともあって、海に行って何すんの?という話の流れで、
「僕は壁にスプレー落書きしてみたい」
といつかやってみたかった理想を語ってしまった。「海じゃなくても良くない?」って飴に突っ込まれたけど、「雰囲気があるじゃん!!」って押し切った。
海に行ってから、ザキは花火をしたかったらしく花火を買ってきた。飴ちゃんはバレないようにと安い星型とハート型のグラサンを買ってきた。
花火禁止の看板を横目に花火に火をつけた。色とりどりの色彩が僕達を魅了して、わけも分からないまま楽しさに浸ってひたすらに笑っていた。その後は遊び疲れたように海のサウンドを聞きながら、将来どうなってるんだろうか、なんて夢に思いを馳せていた。
もうとっくに真夜中になっていた。シューという音と共に僕が思う海を壁に描いていく。もはや車通りもなくなったトンネルの中で、思い思いに色を重ねてストリート文字やら、ちっぽけな僕を描いた。ザキも飴も絵を描いていて、お互いに「下手くそ」なんて罵りあっていたけど、僕からすると二人らしい良い絵に見えた。
「やっぱ、馨は絵が上手いな」
とザキが言ってくれた。誇らしい気分になって、鼻を鳴らした僕はスプレー缶を持ちながら真っ青に染まった手を笑顔で見せつけた。
その後は何処も行くあてがなくなって、狭いネカフェで男三人ぎゅうぎゅうになって夜を明かした。
という夏休みゼロ日目を過ごしたのだが、壁に落書きって普通に犯罪だと知って青ざめたのはまた後の祭り。
「バズってても犯罪は犯罪だよ」
「でも馨ちゃんは人殺しても絶対に捕まんなさそー」
「毎回それ言うよね、本気でやってあげようか?」
と揶揄って言うと、あからさまに身震いして「やめておきます」って丁重に断るんだから、飴って面白い奴。
「コレ、新しい観光名所とかにならないかなあ??」
スマホでその写真を拡大させながらまじまじと見つめている。短時間で描いた奴だから拡大されると粗さが目立つ。
「そしたら鑑賞料でも取り上げる??」
「あははっ、冴えてんね〜っ!」
「なあなあ、次の授業、文化祭の出し物決めだってよ」
担任の碧ちゃんがやってくるだけでこのざわつきよう。高校生活最後マンはひと味違うな。と思った瞬間、ちょっと面白いことを思い付いた。ザキに高校生活最後の文化祭だって言わせるゲーム。
「へえそうなんだ、興味ないしどうでもいいしそっちで頑張って」
と素っ気ないを通り越して煽ってるように聞こえる台詞を言って、ザキにあの台詞を言わせようとした。如何にこの文化祭が重要で貴重なものかをプレゼンしてくると踏んだから。
「はあ、また馨はそうやって……」
「何?」
悪びれも見せない微笑みで煽る。こい、こい。
「そうやって、集団に流されない俺かっけえとか思ってんのか??」
盛大な勘違いがきてしまった……。
「ぷふっ、あはははっ、やめて、片腹痛い……」
僕が虚無に浸っている間、飴はずっと笑っていた。ザキは何がおかしいのか分からずにその様子をただ見つめていた。カオス!!!
「ふふっ、何?俺かっけえって?」
「馨は一匹狼に憧れるタイプだろ?だから文化祭や体育祭ってゆう学校行事とか、みんなで協力しないといけない時に非協力的な態度を取ってるんだって」
非協力的ではなくて、非積極的なだけである。与えられた仕事はやるし、体育祭だって文化祭だって何だかんだ今まで付き合ってきた。
「は?違うけど。僕そんなに馴染めてなかったかな?こんな時期まで」
哀れみを誘い、誘導尋問してる気分になってきた。高校生活最後の文化祭、そのフレーズを聞かせてくれ。
「いや、そーゆーことを言ってるんじゃなくて」
「まあ、いいや。もう卒業だしね」
「馨」
怒気を含んだ声で僕の名前を呼ぶ。
「何?このクラスに思い入れないって言ったら怒るの?」
その様子をせせら笑う。いきなりの質問に戸惑って、どれを言おうか悩んでる顔だ。
「ザキぃ、青春の押し売りはダメだって。クーリングオフされちゃうよお」
そこに飴ちゃんが冗談交じりの指摘を添えた。
「だって、高校生活最後の文化祭じゃん!!もっと熱狂的に楽しみたいじゃん!!」
「……あ」
「あ?」
今のは、飴の勝ち??勝手に主催しておいて勝手に負けてる。ださ。
「いや、何でもない。僕は僕なりに頑張るよ」
今年の文化祭の催し物は、コーヒーカップだって。……馬鹿みたい。
「お粥、来たよ」
「みーちゃん、あんがと」
消毒用アルコールの香りがする病院をペタペタと音がするスリッパで歩いて、クマくんが寝ている病室まで来た。お粥の取り調べも午前中で終わったらしい。犯人の顔も車も記憶していて、事細かに似顔絵を描いたら警察官に引かれた挙句、疑われてムカついたって笑い話をしてくれた。お粥は案外冷静に考えるところがあるから、事故った瞬間目に焼き付けてたんだろう。
「これ、お見舞い」
「わざわざ良いのにぃ」
スーパーでパッと手に取ったさくらんぼ。少しは糖分取らないと、お粥が。きっと何も食べてない。そのさくらんぼは受け取ってすぐに机に置かれたけど。
「ちゃんと食べてる?」
「食欲無いじゃん、こーゆー時って」
「まあ、分かるけどさ。食べて」
と一緒に買ってきたおにぎりを渡そうとしても受け取ってくれない。無視されてばっか。
「……ああ、まじで慰謝料で一億ふんだくっても割に合わないわあ。そんな金あってもクマが戻って来なきゃただの紙屑になるだけだしぃ」
「大丈夫、戻ってくるよ」
と慰めようと背中を擦ると、少しそっぽを向いて距離を置かれた。これは何言ってもきっと信用しないな。
「みーちゃんに何が分かるの?」
それだけぼそっと言われて、お粥の背中を撫でるのを辞めた。俺もよく幼少期に生死の境目で迷子になってたっけ。
「他人の寿命。俺は悪魔に寿命を食わせてるから分かるの」
「笑えない冗談言わないで、イラつく」
「ごめん、本当なんだ。俺の寿命はあと半年くらいなんだけど、クマくんの寿命はあと五十年はあって、お粥のは……」
と言いかけたところで口を塞がれた。
「それ以上言わないで、聞きたくない」
「何で?」
「この窓から飛び降りたくなるじゃん」
「それ、俺もよくやったよ。でも死ねなかった」
「決定論ってやつなの?それ」
「んーーー、たぶん俺の血筋だけかな。いつ死ぬかが完璧に決まってるんだ」
「じゃあ、クマは??」
「寿命がはっきりと見えるからまだ死なない。不慮の事故で死ぬ人は寿命の数がぼやけるから」
「信じてるよ、みーちゃん」
「うん、信じていいよ」
小さい頃、病院内を駆け回ってみんなの寿命を教えたことがあった。そしたら不謹慎な子として、白い目を向けられた。だから、悪魔に尋ねた。「どうして寿命を教えると嫌がられるの?」「それは将来への希望が見られなくなるからだよ」と悪魔は優しく教えてくれた。そしてそれはそっくりそのまま俺のこととなって、希望なんて特にない生活をただ適当に生きてきた。みんなみんないずれ死ぬのに無意味に頑張って、無意味に悲しんでつらくなって、馬鹿みたいって。
文化祭の当日。いつもと変わり映えしない朝。みかちゃんとこのまま昼まで寝過ごしちゃおうか。なんて考えてたら、みかちゃんが今日は馨のクラス行くからねとギューって僕の腰に抱きついてきた。いや、もう動きたくない。
「はい馨、宣伝用のコスプレ衣装」
「は?」
「遅刻してきた奴に人権ねえから!!」
とクラスの奴らグルで僕にメイド服を着させようとしてくる。何故買ったし、何故女の子じゃなくて僕なんだよ。僕ちゃんと塗装して装飾まで頑張って作ったのに、何でこんな仕打ちを受けなきゃいけないの。
「ザキが着れば良いじゃん」
とうんざりしてそれをザキに返却しようとすると、超嫌がられた。自分が嫌がることを僕にやらせようとするなんて。
「ザキは馨ちゃんのメイド服姿が見たいんだって。見せてあげなよぉ」
「……変態趣味??」
「違うわっ!!!」
結局、クラス宣伝のために精神をすり減らして着た。片太ももに包帯してるメイドって何だよ。そこまでして着せたいか??それでザキと飴には、着る代わりにという条件出して声出しを頼んだ。いや本当は、これを発案した奴の喉潰したいんだけどね!!!
「うっわ、あの子めっちゃ可愛い〜♡」「脚が細くて綺麗ぃ」「顔ちっちゃあ」「メイド服超似合ってる♡♡」
いいやあ、僕なんかよりみかちゃんのが絶ッッッ対に似合いましたあ。絶対に可愛いですぅ、天使なんで。
「すげぇ、地雷系じゃん!!」「怖っ!」「前髪絶対に崩れなさそう」……カツラですけど!??
「やばあのメイド、眼力で殺してくるんだけどぉ」
「ん?」
聞き馴染みのある声。
「やほやほぉ、馨ちゃーん♡♡」
お粥さんか、今一番会いたくなかったかも。向こうはそりゃあ上機嫌だよね、こんなからかいやすい状況。
「誰ですか??」
「酷いなあ、君のご主人様だけどお??」
なんて顎をつかまれて顔を寄せられる。いつもなら笑って見過ごせるけど、今はめっちゃ腹立つ。
「即刻、辞職したいですね」
とその腕を力を込めて掴んだ。
「あははっ、なんやかんやいっつもご奉仕してくれるくせにぃ」
誤解を招く言い方でこんな学校のロビーみたいなところで文化祭の人混みで、ああ、最悪。飴もザキも僕とお粥さんの仲を裂こうとしない。
「血塗れのオムライスをご提供致しましょうか」
「それは君の血かい?」
「貴方のですぅ!!」
もう行っていいですか?と諦めの悪いナンパに出会った気分で、腕で押しのけようとしているところ、
「あ、お粥!やっと見つけ……」
み、か、ちゃ、ん、、目が合ったまま開いた口が塞がらないと言った様子だ。そりゃそうだ、彼氏がメイド服だったら僕は抱きしめて空き教室に連れ込んで鍵をかける。
「みーちゃん!!見てよぉ、このメイドちゃん!!」
「ほら、宣伝の邪魔しちゃダメだよ。ごめんね」
とお粥さんを引き剥がしてくれた、僕の彼氏。動揺の色を見せたのは一瞬、すぐさま教師の顔になった。……もっと動揺して欲しかったなあ。
「馨ちゃん、可愛いってたくさん言ってもらえて良かったね」
「んー」
「馨ちゃん?」
「ん?」
「いや、なんかボーッとしてるから何かあったの?」
「ううん、なんでもないよ」
飴ちゃんに心配かけちゃったなあ。もう考えるのやめよう。整列させないとだし。
「馨、どうしたのこの格好は?」
いきなり両肩を掴まれた。
「え、母さん……何でここに?何の用?」
「何の用って貴方ね、息子の高校の文化祭くらい出席しちゃダメなのかしら?」
「いや、別に良いけど」
「それでこの格好は?まさか、あの悪趣味な男にやらされたの?」
「ぷふっ、そんなことないじゃん。クラスの宣伝用」
「馨、嫌なことは嫌ってちゃんと言わなきゃダメなのよ?去年だって馨がいじられてて……」
母さん、去年の僕が女装したやつも見てくれてたんだ。知らなかった。来なくていいって言ったのに。
「大丈夫だよ、母さんは本当に心配性なんだから」
「貴方が心配かけるようなことばかりするからでしょう?!」
「まあ、そうなんだけど。それで、母さんは今どんな感じなの?」
「それが……」
と母が躊躇っていると、後ろから母の名前を呼びながら手を振って駆け寄ってくる男性がいた。彼は母さんの職場のお医者さんで、ボーイフレンドだと言う。彼氏ってはっきり言えばいいのに。
「こんにちは、馨ちゃん……え、馨くん?」
大人びた雰囲気を纏う彼。初対面で僕の性別を間違えられた。名前の響きも相まって、さらにこんがらがっているだろう。でもそんな素振りは見せずにただ微笑んでいた。
「こんにちは、本日は我が校の文化祭にお越しいただきありがとうございます。僕のクラスでは出し物としてコーヒーカップを行っているので、ぜひ興味があればこちらにお並びください」
「初対面で営業スマイルやめなさい」
と母に小声で叱られたが、僕は自分の仕事を全うしているだけなので叱られる意味が分からなかった。
「馨くんはお母さんに似たのか美人だね」
「ありがとうございます」
僕の実父の方がみかちゃんの家系の血筋だから、うんぬんかんぬん。ストレートに美人って言えないから僕でワンクッション置いてるんだろうけど。
「それじゃあ、僕は仕事がありますので」
と逃げようとすると、記念に写真を撮ろうと言われた。「チェキ代は三万円からなので、悪しからず」なんて咄嗟に嘘をついたが、ぽっと三万円を財布から出すような金銭感覚の男だった。
「これで良いかな?」
「分かりました。ポーズは何に致しましょうか、ご主人様」
金の誘惑に負けた。三万円がこんな写真一枚で貰えるなら安いものだ。母には「金取るの?」と眉を顰められたが、労働にはそれ相応の対価が、それがたかが文化祭であろうと必要なのである。
「任せるよ」
と言われてしまったので、最高に媚びてやろうとメイドのイメージ的ににゃんこポーズをしといた。
「はい、ありがとうございます。またのお呼ばれをお待ちしております、ご主人様♡」
「はあ、先が思いやられるわ……」
と母が額に手をやった。金目当てで水商売でもするんじゃないかって不安がってそうだ。せっかく勉学に励んできたのにって。
「ただのお小遣いですよ。馨くん会えて嬉しかった、それじゃあ」
母は男の見る目がないと思う。あんなクズ男と結婚しておいて、馨琉さんと不倫して、僕は馨琉さんがどんな人かは知らないけれど不倫していたことは馨琉さんも知っていたと思うし、その上で僕を出産させてるし。この男だって金に物言わせる奴だ。大人びた雰囲気を醸し出して隠れ蓑にしているが、根は遊び人だろうな。言葉の端々からそれが感じられる、僕の偏見だろうか。なーんか、気に触る。
「あの、母を傷つけるようなことしたら、僕が許さないですから」
「ふふっ、いきなり何言って……」
母からは笑われるが、これが僕の精一杯の親孝行だと思った。母さんは今までつらいこと苦しいことも僕のために飲み込んできた。決していい母親とは言いきれないところもあるけれど、事実として僕を育ててくれたのは母さんだ。
「分かってる、大切にする。約束するよ」
と小指を差し出された。小指を数秒だけ絡めて「ふんっ」と悪態をついてその場から立ち去った。その後で、教室で案内役の子と仕事を交換してもらって引き続きどんな男なのか観察してみたが、嫌ってほど自分の良い面しか見せてこない。ああゆう外面だけが良い男は裏でストレスを近しい人にぶつけるに違いない。ってこれ、僕のことじゃん。
母があの男と楽しそうに話して笑ってる、きっとあれは母じゃなくて、僕に見せなかった女の姿。それをじっと見ていたら知りたくないことまで知ってしまいそうで僕は目を逸らした。
「この三万円、どうしよっかなあ」
立ち入り禁止の美術室、馨とお粥が見当たらないと思ったらこんなところにいた。
「馨ちゃーん、パンチラして〜♡♡」
と一眼レフを構えて要望、いや欲望を次々に出してくるお粥にそれに無頓着にも答えていく馨。腹立たしい。
「あ、みかちゃん」
「馨ちゃん、じゃあ俺にキスしてよ」
無言のまま近づいてって、馨の首に腕を回し顔を十分に近づけてから、そう煽るように言った。
「え……っと……」
少しお粥の方に目配せしてから恥じらいみせて唇に軽くされた。
「みーちゃん、そーゆーの今はなしぃ」
「恋人だから良いんですぅ」
「そんなん痛客だあ、こっちは馨ちゃんに何万つんだと思ってんの??」
「え……金貰ってんの?」
馨がぎこちなくそっぽを向いていく。まじか。
「……後で返しますからあ、そんな失望した目で僕を見ないでください」
沈黙がつらくなって馨が嘆き始める。この子の心の中はまだ不安定で、痛々しい。
「いや、まあ、俺も何とも言えないけど」
「みーちゃんもそーゆーことしてたからね、むかしぃ」
お粥がニタニタしながら口を挟んでくる。
「ちょーっと黙ってもらってていいかなあ?……あのね、お粥にそーゆーことを簡単にしちゃうと泥沼化するから今すぐやめて。俺は浮気と看做すよ?」
「あははっ、こーゆーところはみーちゃん俺に信用ゼロだよね〜♡」
「みかちゃんもしてたんじゃないですか……何で僕にはやめろって言うんですか……」
「だからそれは」
「僕だってみかちゃんに何かしてあげたいんですよ。僕がどうなろうとみかちゃんの喜ぶ顔が見られればそれで良いんですよ、救われるんですよ」
「俺は馨が俺のせいで苦しんでたら素直に喜べないだろうけどね。何でそんなにお金が欲しいの?」
「それは……」
馨がまた黙り込んだ。
「それでお粥、お前は何か知ってて馨に甘言を弄したでしょ?」
「あははっ、人聞きの悪い。win-winの関係なんだから良いじゃーん!てゆーかさあ、明日の俺と馨くんのお笑いライブ、みーちゃんも見にきてくれるよね??」
「お笑いライブ?聞いてないけど」
何で教えてくれないの?って馨に問い詰めると、恥ずかしかったから、って小声で言われた。お笑いライブに出演する度胸はあるのに、俺に見られるのは恥ずかしいってどうゆう心情??頭ん中、ぐちゃぐちゃになってく。
「ごめん、まだ僕のこと好きでいてくれる?」
「……好きに決まってんじゃん」
馨が俺から何かを隠してたって、それは馨の自由で恋人だからって安易に干渉していいわけじゃない。鑑賞するのは馨が見せてくれるmasterpiecesで良い。馨が俺に話したくなる時で良い、君の中の俺が君の全てを受け入れた時で良い。それまでは君の近くで君の安心できる場所で俺はいようと思う。
「みーちゃん、打ち合わせするから立ち入り禁止ぃ」
「みかちゃん、いや、ご主人様。望みがあれば何なりとお申し付けください」
と自宅に帰ってきてからも馨は冷淡なメイドさんで、学校からそのまま帰ってきたと思うと面白かった。まあ、歩いてすぐだけど。
「馨それ、気に入ってるの?」
「……別に」
やば可愛い。
「俺のメイドさんになりたいの?」
「……はい、貴方のためにこの身を全て尽くしたいです」
まじで可愛すぎる。
「そんなこと言って、俺にエッチなお願いされても良いの?」
と酔った勢いで変態みを感じることを言ってしまって、なんかキャバ嬢の前のおじさんみたいだと自身で思ってしまった。下心丸出しで、美徳の欠片もない。
「ふふっ、じゃあ、してみてくださいよ」
敬語の馨は懐かしいなって、この瞬間になってから思った。今日はメイドさんになってからずっと敬語だったけど、そうじゃなくて、この瞬間になってやっと敬語の馨が戻ってきた感があった。
「あははっ、可愛すぎるね。それじゃあ、馨ちゃん!俺とキスしてくんない?」
「良いですよ」
穢れた俺を慈しむように君は優しく柔らかいキスをした。ごめんね、こんな大人で。こんな彼氏で。ごめん。
「とても優しいね、馨は」
「みかちゃん……どうしたんですか?」
突然涙が流れてしまった俺を心配した馨が、いてもたってもいられないあたふたした様子で、でもまた同じようにキスをされた。
「馨がいると心が浄化されるんだ。今まで俺の中で蓄積してた汚いのが、馨のおかげで涙とともに綺麗に流れていくんだよ」
馨とならば永遠だって運命だって希望だって俺は受け入れられる。愛してるの言葉も大好きも綺麗事も全部がそのままの形で受け入れられる。それくらい歪んでいた俺を治療して綺麗にしてくれたのは馨だ。
「ううん。僕のがもっと醜悪だから、自ずと相対評価でみかちゃんは綺麗なままでいられるんだよ。だってこれは、みかちゃんに襲われたくてやった、下心だもん」




