世界、変革。1
グラファイトとのやり取りから、もう数日が経とうとしていた。
あれからも相変わらず、ヴァーグは不満そうなままだ。
付き纏うのも何時殺されるのも了承してるって言うのに、なんとも失礼な話だ。
「なぁ、ヴァーグ?」
「何ぞ」
「焦げる」
むぅ、と今しがた気付いた様に、焚き火に近づきすぎていた外套を離す。
一つ一つの動作が緩慢というのか……何だか酷く考え込んでいる様である。
流石に笑えはしないが、一度は洵からも落ち掛けたことだし、いよいよ一度聞いて置くべきなのかもしれない。
聞いた所でお前に話す事等無い、といわれてしまえばそれまでだが。
「なぁ、ヴァーグ?」
「今度は何ぞ!」
「怒るなよ、聞いただけだろ」
「……何ぞ」
あくまでも不機嫌そうな声を崩そうとしない。
崩さなくていいか、無理矢理に聞いてしまえば。
「何で怒ってるんだ?」
「……別に怒ってなど居らぬ」
「じゃあ何でそんなに不機嫌なんだ?」
「不機嫌でもないわ、無礼な」
「……」
取り付く島も無いが、取り付く島も無いところがまさに怒っていて不機嫌絶頂、なんだと思うが。
まぁ、本人がそういう以上余り突っ込むのも気が引ける。
あと一つで最後にしよう。
「それなら、どうして悩んでるんだ?」
「……」
ぐぅ、と黙りこむヴァーグ。
一番有り得なさそうだったから最後にしたのに、どうやら当たりっぽいぞ……?
ヴァーグは嘘を吐く、ということをしない。
少なくとも俺には、という限定つきだけれど、それでも嘘は言ったことが無い。
つまり、黙り込むのはほぼ肯定と見てよかった。
え、っていうか、ここで肯定するってことは、悩んでるのか? こいつが? 自分が満足なら何をしてもいいだろうってくらい考えてて、こっちが必死に止めないと自由気ままに行動する、悩みとは無縁の、こいつが?!
「……悩んで居るとして、それがお前に何の関係があろう?」
「関係なくても気になるもんなんだよ。第一話しかけても上の空だし、見てて危なっかしい魔属なんてちょっと情けないぞ」
「喧しいわ」
思い当たる節が無いでもないのだろう、憮然とした表情で答える。
更に答えた事で肯定してしまい、彼の不機嫌度は秒刻みで鰻上りだ。
「俺じゃあ確かに魔属の相談相手には相応しくないんだろうけど、話すだけはタダだぜ」
「……相談?」
何だそれは、みたいな目で見られた。
失礼な話だ。
こっちが心配したらいけないのか、と言いたくなりながらも、若干そればかりのニュアンスでもないな、と思う。
そんなことをしてもいいのか、という新たな選択肢を出された様な。
結構長い時間を二人で行動してきたからだろう。
俺を物凄く馬鹿にしてるみたいな目だったが、それ以外の雰囲気を感じ取れるようになっていた。
「……ヴァーグ、お前、グラファイトに何か言われたのか?」
「別に鐡は関係無いわ、馬鹿め」
「馬鹿って……失礼だな」
心配してやったら馬鹿呼ばわりか。
ふん、と小さく拗ねると、ヴァーグが漸く観念したらしく言葉を紡いだ。
何処か小さく。
「相談……というても、それが何なのかよくわからぬが……」
迷いながらの言葉に、俺は大人しく続きを待つ。
そもそも相談を良く判ってないというなら、その分時間がかかるのだろう。
暫くの沈黙が落ちた。
「何故逃げなかった、弥栄?」
「はぁ?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
今更そんな話題か!?
というか、それなら前にちゃんと言っただろう。
もしかしたら忘れているのかもしれないと、仕方なくもう一回言う。
――素っ頓狂な声を出したら睨まれた事だし。
「信じたかったからだよ」
「何を」
「お前を」
また、沈黙が落ちる。
開き直っている俺にはもう恥ずかしいとかそういう感情は無いので、遠慮なく言い切った。
今度は何度か迷う素振りを見せ、それでもまたヴァーグは口を開く。
十重の言うことも判ったし、今逃げないと不味いんだろうと言うことも判ったけど、その上でも信じたいと思った。
意地になっているのか、と聞かれたら否定しきることも出来ないだろう。
俺だって一応男だから、一度信じた相手を易々と信じない、なんて出来なかったのだ。
迷いない俺の言葉に、ヴァーグは瞠目する。
言いたいことはいくつかあるようだが、それをどれから話していいか判らない、と言うような。
「何故、我を信じる?」
「お前たちを知らないからだよ」
「知らねば信じられぬだろう」
「かもな」
相手が只の人間だったら、良く知らないなら信じない。
けれど、人間とは全く違う相手なのだ。
此方の常識を当てはめてはいけない相手に対して、人間と同じ様に対応したりしない気がする。
「俺はお前たちって言っただろ、魔属を知らないから、良く実感がわかないってのも、ある」
「実感?」
「俺が最終的にお前に殺されるっていう実感」
「……」
あっさりとした言葉に、ヴァーグが黙った。
自分の中ではもう答えの出た言葉だったから迷わなかったんだが、どうやらこの言葉は俺の想像以上にヴァーグにダメージを与えたらしい。
沈黙がしんと積もる。
「……何故、そう死にたがる?」
「死にたがってる訳じゃない。お前だから信じてるんだ」
「……」
「他の魔属が俺を殺すって言うなら、それは十重の言葉を信じる」
「己の命を軽くしておる事には変わりがなかろう!」
珍しくヴァーグの語尾が荒れた。
それではまるで、俺を心配してるみたいじゃないか。
十重に聞いた魔属憑きの話とは、全く違って。
「だから、お前だからだってば」
「我だからと言うて……!」
まだ何か言いたそうに口篭るヴァーグ。
―――ん?
今、自分の思考回路に不思議な部分を見つけたぞ?
何で俺は、こいつだとそんなに信用できてるんだ?
何で、迷いもなく十重たちの忠告を無視できた――更に遡るなら、姿の見えない誰かの警告も、無視できたんだ?
何で……?
思わず自分の思考の迷路に閉じこもってしまった俺に、ヴァーグがぽつりと零すのが聞こえた。
「問う」
「……ん? ああ」
「あの時、夕刻までにあのままお前が逃げて、鉄を始末できたなら、その次は弥栄、お前で有ってもか」
「……その疑問は前提が間違ってるだろ」
「良い。我とて判って居るわ。兎も角答えよ」
「じゃあ、逃げない」
「殺しに来たので有ってもか」
「そうだな、先に約束を破ったのは俺だし」
夕方までは待っていなかったら、彼との約束を破ったことになる。
――夕方まで待っても戻ってこなかったら、俺はきっとヴァーグを探しに先に進む気がしたけれど。
魔属との約束は命がけだと言うことくらい、俺でも何となく判る。
何しろ相手は、命を命と思っていない相手なのだから。
でも、そう判っていながらどうして、俺はヴァーグを信じていられるんだろう……?
血塗れの時に、他の魔属を消滅させていたとするなら、かなりの頻度でその手を汚していたのに?
初対面で、子供を殺そうとしていた、明らかに俺のことだって、いつでも簡単に殺せる相手を?
どくん、と心臓がひとつ、大きな音を立てた。
まるで、気付いてはいけない事に気付いてしまった様に。
―――いや、実際気付いてはいけなかったのだろう。
そんな気がする。
俺がこんなにも無条件に相手を信じられる理由は、一つしか思い当たる節が無かった。
騙されてるんだ、と言われてもどうしても信じられなかった、彼女への想いと、今現在ヴァーグへ向ける思いと。
どこが違う、と聞かれたら答えられないから。
俺はノーマルだぞ、と些か慌てた脳内が言い訳する。
しかし虹彩は男しか居ないんだから良いじゃないか、と別の俺が開き直る。
この通りヴァーグは非常に見目だけは麗しいわけだし、と何の比較にも参考にもならない声もする。
まぁ今の頭の中を総じて名前をつけるなら。
俺は、ヴァーグを愛してる、のかもしれない。
気付いた瞬間に逃げ出したくなって、けれど逃げ場など残っていない気がして、俺はただヴァーグを伺った。
何の問題もなかったのに、いきなり問題提起されてしまった頭の中は、総出でそれを否定にかかる。
こういう時どうすればいいのか前例がない。
いや、たった一つある前例が、参考にならないにもほどがあるのだ。
何しろ初恋で初めて付き合った女性は、俺じゃなくて俺の友達に近付く為の手段として俺を利用した訳だし。
しまった、殆どそういう知識がない状態で気付いてしまった。
せめて十重に話を聞いてからにすれば―――いやその時には気付いてなかった、俺の馬鹿。
「お前は―――ほんに烏滸でないのか」
「……いや、今まさにそうなんじゃないかと思ってるから対応に困る」
「……はぁ?」
何を言っているのか、という目で見られてしまった。
うんまぁ、それを責められない俺の馬鹿。
多分ヴァーグはさっきの会話の続きとして言ったのだろうが、自分の恋心―――しかも生まれて初めての男への―――に気付いてしまった俺には、その前の会話自体がもう何処かにぶっ飛んでしまっている。
人間に聡いんだったらこっちの困惑位察知してくれたらいいのに! など、酷く無責任な考えまで浮かんだ。
……勿論口にはしないだけ、まだ冷静な部分が残っているらしい。




