厄介事、気配。2
「止めておけ」
むぅ、と酷く嫌そうに、ヴァーグが言った。
……俺のする事なす事、全部が気に食わないんじゃないかとさえ思いたくなってくる。
「何でだよ?」
「ああいった雑踏には曲者も混じりやすかろうが。よもやまさか、我の言葉を忘れた訳でもあるまい」
「……覚えてるけど」
「ならば大人しく此処に隠っておる事だ。夜店でなくとも露天は開いておろう」
「……夜店がいいんじゃないか……」
小さく呟く。
そんな俺の反抗などどこ吹く風、といった風情で、ヴァーグはつい、と顔をそらした。
取り付く島も無い。
「いいだろ、1回くらい」
ヴァーグが言うことは毎回殆ど正論ばかりだが、それでもこうも一方的に禁止されれば反発もしたくなる。
確かに俺は異界流れで判ってないことも多いんだろう。
けれどだからといって、全部禁止されるなんて御免だ。
それ位なら、どこかの山奥に隠れ住んでいる方がいい。
「絶対、行くからな」
「行けるものなら行ってみよ。人の身で避けられぬ害を排してやろうと言うに、身の程知らずな」
「じゃあその害ってのは何だ? まさか人浚いだけじゃないだろうな」
確実性の薄い、そんな事?
ちょっと人より見目が良かったら、一人残らず浚われるとでも?
―――そんな訳が無い。
それだけが禁止する理由なら、余りにも力が無さすぎる。しかも、警戒さえ怠らなければ、人間自身にも避ける事は可能だ。
なら、その他は?
俺の言わんとするのを理解したのか、小さく舌打ちするのが聞こえた。
「良いか、弥栄」
「何だ」
「2度は言わぬ。故に我が己に出来る最大の譲歩と知れ」
「……」
譲歩を嫌う魔属。
つまり自分を曲げられる最大まで曲げて言うから覚悟しろ、と。
そう言うことだろうか。
「厄介者が今宵の出店には紛れ込んでおる」
「……魔属か?」
「まさか。同属であればもう少し明らかに告げようぞ」
吐き捨てる様なひびきだった。
魔属では無いにしても、どうやら彼は何かの厄介の種の存在を感じているらしい。
……ただ俺がしたいことを止めてるって訳じゃ、ないのか?
部屋に、暫く沈黙が落ちた。
ヴァーグの機嫌が悪い為に、酷く冷え冷えとした沈黙だ―――感情だけで気温まで変えられる様に。
「……じゃあ、明日なら良いのか?」
「何時、と確約は出来ぬ。だがそれさえ無くば反対もせぬ」
淡々とした口調。
「……判った。今夜は行かない」
「それが賢明であろうよ」
ふん、と小さく呟くヴァーグ。
相変わらず機嫌は斜め下の方で停滞している。
「ヴァーグ」
「何だ」
「有難う」
「礼を言われる筋合いも無かろう。我はただ、今厄介事が絡んでくるのが我慢ならぬのみ」
「でも、教えて貰えて助かったから。有難う」
「……ふん」
幽かに機嫌が浮上するのが判った。
扱いにくいし、何を考えているのかは判らない。
けれどこうして、今2人で行動している。何だか不思議だ。
ほんの暫く前までは、こんなところに来るとも、人外の存在と関わり合いになることも、全く想像もしていなかった。
家族に取り残された現実から逃げ出したいとは思っていたが、それが叶わない事を痛い程理解しても居た。
異世界に飛ばされ、その世界を変えると言われ。
―――理解の範疇外の存在に出逢った。
とてもではないが、俺の様な小市民には耐えられない事の連続。
それが、今ではこの状況を受け入れつつある。
ヴァーグとの約束は勿論守るつもりだ。
俺は虹彩を変えない。
もう、日本には帰れない。
その後の無さが、背中を後押ししているのだろうか。
確かに、少し無鉄砲になっている自覚も、ある。
ふ、とため息を零した。
諦めている感覚は無いのだが、もしかしたらこの抵抗感の無さはそれに起因しているのか、と思ったから。
目敏いヴァーグが、俺のため息に反応する。
「まだ諦めておらんのか」
「違うよ。今日は行かない―――ただ、懐かしい事を思い出しただけだ」
「懐かしい、の……」
訝しむ様な響き。
けれど嘘は言っていない。
もう帰れないだけの故郷は、ひたすらに懐かしいだけ。2度と見ることが叶わないなら、懐かしむ位は許される筈だ。
「虹彩は変えさせぬぞ」
「判ってるよ。判ってるから―――懐かしいんだ」
懐かしいという単語だけで、俺が何を思っているかを見抜いた彼の言葉に、緩く首を振って答えた。
懐かしむのは、忘れたくないから。
弱い俺の、小さな懺悔だ。
「―――変えさせぬ」
「判ってる」
何処か吐き出す様な言葉に、俺はしっかりと頷く。
変えたくて此処に来た訳じゃない、と、俺は自分にも言い訳して。
夜が明けて、眩しいばかりの陽光で目を覚ました。
ちょっ……大分太陽昇ってるんだけど!?
「ヴァーグ!」
「何ぞ?」
「流石に起こしてくれても良いだろ!!」
「起こせとは言われて居らぬし、その必要も感じぬ程寝ておったぞ?」
「だとしても駄目だろ、もう真昼過ぎじゃないか!」
「……人は小難しいの……」
辟易した風に嘆息を零すヴァーグ。
時間という概念の薄い彼には理解しがたい感覚なのかもしれない―――いや、やけに時間に細かい魔属も気持ち悪いか。
「今日は、えっとカンツァを買い込んで……他は一応傘とかも必要だし……」
慌ててメモを取り出し、口に出しながら必要なものを書き込んでいく。
「なぁ、マルダラって此処から遠いのか?」
「マルダラ―――? 王都か、それとも国土自体か?」
「んー……此処から一番近い距離で、一番近いマルダラの街」
「まぁ、微妙なところでは有ろうな。2、3の街を最短で通れば、2ヶ月と少し、と言った程度だろう」
「ふぅん……」
サンタラから此処まで来るのに大体約1ヶ月と言うことを考えると、少しばかり距離がある。
「……行く気か」
「どうしようか迷ってるとこ。何時までもハルパに居続ける訳にも行かないしな」
「止めておけ。別方向になり更に少し遠くはなるが、マルダラでは無くジュレインの方が幾分かマシぞ」
「……ヴァーグ?」
ふわりと首を傾げて、俺はヴァーグへと目を向けた。
何となく、いつもとは雰囲気の違う否定だった。
否定は否定だが、代替案を提案してくるのも珍しい。大概は俺の行動を咎めて終わりだと言うのに。
「まぁ―――どうしても行くと言うなら、我も考えるが」
「着いてくるのを?」
「愚か事を抜かすで無い。それとはまた別の問題よ……瑣末では有るがな」
「……気になる言い方だな……」
瑣末と言いながら、口調はかなり真剣味を帯びている。
それきり口を閉ざしたヴァーグを注意深く観察しつつ、俺も少し考え込んだ。
魔属の、“考える”。
考える、と言う事は、結果如何によっては行動が伴うだろう。……余り宜しい行動とは思えない。
おそらくヴァーグ個人の問題であるのだろうが、内容が掴めない以上、俺にも関わってくる可能性がある。
代替案さえ出して、彼はマルダラ行きを避けたいのだ。
第一昨日見た王族の一行に、ヴァーグは厄介事の気配を嗅ぎ付けた。
危ない橋を渡るべきじゃない、か?
「ジュレインはどれ位掛かる?」
「ざっと3ヶ月」
「……そんなにか」
ちょっと予想外だったぞ……?
だが、俺は安全を優先しよう。
どんな種類にしろ、厄介事であるに間違いないのに、そっちの方向に行くこともないだろう。
「ジュレインに行く」
「……そうか」
ふ、と、緩く笑う。
当たり前だ位に言われるかと思っていたが、静かな反応だ。まぁ、彼の反応がほしい訳では無いから―――気にはしないが。
「何か気を付ける事はあるか?」
「ジュレインはハルパ程呑気な国では無い。迂闊に異界流れが洩れると厄介ぞ」
「そっか……他は?」
「必要が有らばその時に言う。今全て思い出すなど出来ぬわ」
「……判った」
ひらひらと手を振って、出来ない事を伝えてくるヴァーグ。
それもそうか、と、それ以上の追求はしない。
言いたくなったら言い出してくるだろう。
「何処へゆく?」
扉に手をかけた俺に、のんびりとヴァーグが言った。昨日、買い物に行くとは伝えた筈だと思うが……?
「買い物。距離があるんだったら、その分色々必要だろ」
「ふぅん……?」
呟いて、すぅ、と、眇めた視線を寄越す。
不満なのか、思案なのか、今一読めないが、何となく嫌な予感。
「我もゆくぞ」
言って、さら、と髪の色が変わる。
いつもは此方から請求しないと変えないのに、自分からだ。
「……珍しいな」
「何ぞ異論でも有るか?」
「無い、けどさ」
無いさ、別に。
ただ、違和感があっただけで。
「じゃあ、行こうか」
俺の言葉には返事をせず、ふ、と鼻で笑ったヴァーグは無言で立ち上がった。
それを視界の端に認め、俺は小さくため息をつく。
―――ヴァーグが一緒で、昨日見た人混み。
……目立つだろうな。
もう半ば諦めたけれど。




