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完璧なる悪役令嬢の箱庭 〜泥棒猫には地獄の引導を 〜  作者: tky
プロローグ:覚醒と冷徹なる胎動

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第一話:悪の華の目覚めと父への宣戦布告

毎日21時に更新します

意識が戻ったとき、視界に入ったのは見慣れた天蓋付きのベッドの天蓋だった。


淡いアイボリーのシルクに施された、精緻な百合の刺繍。


それが微かな風に揺れるのを眺めながら、私は自分の呼吸の音を聞いていた。


「……お嬢様……?」


枕元で、祈るような、あるいは絶望しているような気配がした。


視線をゆっくりと動かすと、そこには筆頭メイドのマリーが、幽霊でも見たかのような顔で立ち尽くしていた。


「マリー……。そんな顔をして、どうしたの。わたくし、少し長く眠っていたかしら」


「お嬢様……! ああ、神よ……! お嬢様がお目覚めになられました! マリーは、マリーはもう……!」


私の掠れた声に弾かれたように、マリーが枕元に膝をつき、大粒の涙をこぼして私の手に縋り付いてきた。


「いけませんお嬢様、まだ動かれては! 丸三日も高熱にうなされて、生死の境を彷徨っておられたのですよ!」


「ええ、分かっているわ。……ひどく喉が渇いたの。お水をいただけるかしら。……マリー、今日は何日?」


「……はい。聖アークライト暦九八五年の、五月十二日でございます。お嬢様が倒れられてから、ずっと雨が続いておりましたが……今日は嘘のように晴れ渡っておりますわ」


「五月十二日……そう。随分と長く夢を見ていた気がするわ」


マリーが慌てて銀の水差しを手に取ろうとしたその時、遠くの廊下から複数の、しかし規律の取れた騒がしい足音が近づいてくるのが聞こえた。


重厚なマホガニーの扉が、抑制されつつも力強い手つきで開け放たれる。


「セレフィナ! 私の天使、意識が戻ったというのは本当なの!」


最初に飛び込んできたのは、母であるエレノア・ド・ラ・マルク公爵夫人だった。


彼女は普段の社交界で見せる完璧な淑女の仮面をかなぐり捨て、青ざめた美しい顔を涙で濡らして私の元へ駆け寄った。


「お母様……。ご心配をおかけしました。わたくし、もう大丈夫ですわ」


「ああ、本当に……。貴女を失うかと思って、夜も眠れなかったわ……。神よ、感謝いたします」


母が私を壊れ物を扱うように抱きしめる背後から、静かに、しかし圧倒的な威圧感を伴って二人の男性が部屋に入ってきた。


一人は、私の父であるマルクス・ド・ラ・マルク公爵。


国王の右腕として国家の宰相を務める彼は、鉄の規律を具現化したような冷徹な男だが、今はその眉間に深い安堵の色を刻んでいた。


そしてもう一人は、私の五歳年上の兄、ヴィクトール・ド・ラ・マルク。


公爵家の次期当主として厳格に育てられている彼は、父譲りの鋭い美貌を歪め、妹の私を射抜くような、しかし潤んだ瞳で見つめている。


「……三日も目を覚まさぬとは、不届きな娘だ。このマルクス・ド・ラ・マルクに余計な心労をかけさせおって。……だが、よくぞ戻った」


父はあえて厳しい言葉を選んだが、その大きな手が私の頭を優しく、慈しむように撫でた。


「父上、そのような言い方はありません。セレフィナが一番苦しかったのですから。……セレフィナ、体調はどうだ。何か食べたいものはあるか? お前の好きな菓子職人を今すぐ呼び寄せよう」


兄のヴィクトールが、父を嗜めながら私の顔を覗き込んだ。


私、セレフィナは、このラ・マルク公爵家の長女だ。


有能な兄、権力者の父、美しい母。


私はこの完璧な家族の中で、蝶よ花よと慈しまれ、公爵家の権威を象徴する存在として育てられてきた。


「お父様、ヴィクトールお兄様。わたくしはもう大丈夫ですわ。……ですが、まだ少し頭が重いのです。皆様のお顔を拝見できて安心いたしましたから、少しだけ一人で休ませていただけませんか?」


私が七歳の子供らしからぬ落ち着きでそう告げると、三人は顔を見合わせ、安堵と困惑の混じった表情を浮かべた。


「……分かった。エレノア、今は彼女を休ませてやろう。医師を呼んで、再度診察させる。マリー、お前はここで控えていろ。異変があれば即座に報告しろ。いいな」


父の的確な指示により、名残惜しそうな母と兄が部屋から退出していく。


静寂が戻った部屋で、私は重い体を起こし、傍らの姿見を見つめた。


七歳。


公爵令嬢、セレフィナ・ド・ラ・マルク。


それが今の私の名前であり、立場だ。


「……ああ、そう。そういうことなのね」


誰もいなくなった部屋で、喉から漏れた声は自分でも驚くほど冷えていた。


高熱が引き、霧が晴れるように私の脳内に流れ込んできたのは、異世界――日本という国で生きた一人の女の記憶だった。


そして同時に理解した。


この世界が、前世で私がやり込んだ乙女ゲーム『王太子と路傍の薔薇』の世界であるということを。


私は、ヒロインを虐めた末に、卒業式の夜、王太子に断罪されて家を追われ、破滅する「悪役令嬢」だった。


鏡の中の自分を見つめ返す。


銀の髪に、氷のように冷たいアメジストの瞳。


幼いながらも、その姿には高慢なまでの気品と、どこか残酷な美しさが宿っていた。


しかし、ゲームのセレフィナは、ただの「馬鹿」だった。


恋に溺れ、ヒロインの純真さに嫉妬し、証拠の残る嫌がらせを繰り返し、最後には自滅する。


(……滑稽だわ。誰がそんな三流の脚本に乗ってあげるものですか)


私は、ゆっくりと口角を上げた。


破滅フラグを折って、誰からも愛される「聖女」になるという選択肢は、私の美学が許さない。


私はこの高貴な血筋を、公爵令嬢という絶対的な強者の立場を、心底愛しているのだ。


ならば、選ぶ道は一つしかない。


「完璧な、悪役令嬢を演じて差し上げましょう」


誰にも悟られず、誰からも賞賛され、それでいて対象を確実に地獄へ叩き落とす。


泥棒猫たちを合法的に排除しつつ、王太子の隣という「勝者の椅子」を完璧に守り抜く。


そのためには、ただ座して時を待つわけにはいかない。


それから三日が経過した五月十五日。


私は己の野望の第一歩を踏み出すため、父であるマルク公爵の執務室を訪れた。


「……許可なく入るとは珍しいな。話とはなんだ、セレフィナ」


執務机で膨大な書類の山に目を通していた父は、片眼鏡越しに私を見て、わずかに眉をひそめた。


壁一面の本棚と、黒曜石の装飾が施されたその部屋は、並の大人であれば足を踏み入れられただけで威圧感に押し潰されそうになる空間だ。


しかし、私は一歩も退かずに父の机の前まで進み、完璧なカーテシーを見せた。


「お父様。わたくしの家庭教師を、現在の二倍に増やしていただきたいのです」


その言葉に、父は書類に向かっていた手を止め、ゆっくりと顔を上げた。


「……二倍、だと? お前にはすでに、国内最高峰の教師をつけている。歴史、礼法、語学、音楽。七歳の子供がこれ以上何を学ぶというのだ。ヴィクトールでさえ、これほどの詰め込みはさせていない」


「圧倒的に足りません。わたくしが求めているのは、公爵令嬢としての一般的な教養ではないからですわ」


私は父の冷たく鋭い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「お父様。わたくしはいずれ、アルフレート王太子殿下の婚約者となります。……違いますか?」


「……いかにも。陛下との内諾は済んでいる。お前はいずれ、この国の国母となる存在だ。それは揺るぎない事実だ」


「ならば、わたくしは『お飾りの王妃』になるつもりはございません。殿下を支えるのではなく、殿下と共に……いえ、殿下を導けるほどの知識と権力、そして『牙』を身につける必要があります」


父の目の色が変わった。


娘の口から出た「牙」という単語に、国の宰相としての血が騒いだのだろう。


「帝王学、経済学、法学、隣国との外交史、そして裏の社交。これらを全て、十五歳の学園入学までに完全に掌握したいのです」


「……高熱で生死を彷徨ったと聞いたが、どうやら熱と共に、我が公爵家の『毒』が全身に回ったようだな」


父の唇の端が、微かに吊り上がった。


それは、娘に向ける父親の笑顔ではなく、有能な部下、あるいは政治的パートナーを見つけた権力者の笑みだった。


「よかろう。お前が望むだけの最高の頭脳を集めてやる。音を上げることは許さんぞ。お前がその小さな口で語った野望、見事証明してみせろ」


「ありがとうございます、お父様。……ご期待には、必ず応えてみせますわ」


私は静かに頭を下げた。


これで、完璧な「舞台」を作り上げるための第一関門は突破した。


私が完全無欠の悪役令嬢として完成するための、甘美なる地獄の始まりだった。

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