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五分前仮説のブランニューワールド  作者: 幾楽あくた


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死ぬよりマシなゾンビズム 22


 パソコンの本体が砕けて数秒後、ダンジョンの外で絶叫が轟いた。

 今まで外音など紛れ込む事もなかったというのに、今はやたら明瞭にその音は静夜達の耳に届いた。


 ガラスの割れる音。重たい物が地面に落ちる音。絶叫と、嗚咽と、落下する音。耳には届かない筈の首括りの縄の揺れる音。


 やがて静かになるそれらの音。

 静寂が再び訪れると無音は際立ち、どこか不用意に発言できない空気が流れた。本来ならこの音を聞いた人間は、きっと何が起きたのかと不安に駆られ、恐怖を心の底から呼び起こされて挙動不審に周囲に目配せをし、安心を求めるだろう。だが、ここにいる二人はどうやらそれをあまり気にしない質であるらしい。


「思い込んだらそれが世の中に与える影響が激しすぎるぜ。詐欺師だけにゃ騙されないでおくれよ?」

「相変わらず何を言っているかが解らん。そもそもどうやって生き返った?」


 枯れ葉の様に、天井や壁に残って張り付いていた掌が、まるで煤の様に小さな屑となってハラハラとフロアに落ちる。


「あれくらいじゃ死ねないんだよ。世界の修復力ってなぁそれだけイカレているって事だ」


 答えてやると古御堂は肩をすくめてみせる。どうやら追及を諦めたようである。


 古御堂が静夜の死を意識しなくなる瞬間が訪れなかったら、いまだ静夜は復活していないだろうと想像すると、古御堂の特殊能力はこの世界に拮抗するほどなのだと逆説的に言えるので恐ろしいのだが。


「よくダンジョンコア見つけられたな」

「偶然だが……まぁそれほど難しい探し物じゃなかったな」

「お前さん、また何かやっちゃいました? とか言ってねぇだろうな?」

「おいおい、俺はそんな口調じゃないぜ」

「そこを論点にゃしてねぇよ」


 古御堂が壊したのはダンジョンコアだ。それは間違いない。古御堂の足の裏の形に陥没してスクラップになったデスクトップパソコンはその姿を保てずに紙切れになっていた。


 そう言う仕様だとは思わなかったが、そういう事なのだろう。


 その証拠に恐ろしく広かった部屋は小さくもなく、大きくもなく、外観通りのそれなりのフィス程の広さになり、蹂躙されつくされた部屋には十個ほどのスチール机以外はなくなった。もっとも、机はどれもこれも倒され、拉げて、再利用は不可能だろうが。


 床でもはや動かなくなった掌の残骸を踏みつけて歩き始める。


 目指すのは……。


「なんであいつら消えてねぇの?」

「俺に聞くなよ。お前に解らん事は俺にも解からん」

 

 顰めっ面で古御堂が答える。


 静夜が見たのは五人ほどの男の影。手がなくて、足がなくて、目が縫い付けられていて。つまり静夜と古御堂が道すがらで蹴散らした雑魚どもと同じものである。


 その幽霊モドキたちは葦の様に棒立ちで、風船の様に揺らめいる。


 静夜が向かおうとしている先を防ごうとしているのかのように、動かず棒立ちだ。


 歯を食いしばっているかの様に閉じられた唇。動かないと言う強い意志を、読み取れとでもいうのだろうか。


「ぶっ殺されたくなきゃ退けよ。……まぁ、どかねぇよなぁ?」


 もうお終いだろう。


 ボスは倒したのだ。これ以上の戦いは気分が悪くなるだけだ。もとよりよくない気分の静夜は刃を揺らして苛立つ。


「なぁ弓代……戦う必要があるのか?」

「あー……たぶんあいつ等、居るだけで苦しいんだぜ? 楽にしてやらねぇと」


 適当な返事。それでも案外嘘ではないのはないだろうかと言いながら思う。


 掌とは違う化け物ではあるが、掌と同じダンジョンの化け物だ。


 掌が死んで黒い煤となって消えてならば、同じように死んでしまうのが道理だろう。その道理に抗ってそこにいるのだ。苦しくない訳はないだろう。


 元よりそれほど強い訳ではなかった男たちだ。本当なら消えている筈なのに辛うじてここに立っているのだろう。


 だから、そんなところを汲み取ってやるほど静夜は甘くないのだ。


 本当に、静夜が始末してやった方が男たちの為なのではないかとも思いながら、刃を再び自らの肉に食い込ませようとした所で――


「……悪いようにはしない。退きな」


 何を思ったか古御堂が呼びかける。静夜を追い越して一歩前へ。それはどちらかと言えば男たちを守る行為である。


「言葉が通じるような奴等にゃ……お? 退くのかい。信用して後ろからブスリってのは気をつけろよ」

「どんな意味であっても問題ないさ」


 まさか、古御堂の呼びかけに応じるとは思わなかった。静夜が退けと言っても退かなかったくせにと少し釈然としないが、化け物からも怪物扱いされる静夜なのだから仕方がないと、自分を納得させる。


 何はともあれ、五人は古御堂に応じて左右に分かれ道を譲った。古御堂は当然の様に受け入れ、静夜は内心おっかなびっくり間をすり抜ける。


 障害となるものはなくなり、静夜達は蹲るだけになった少女の前に立つ。


 掌がずるりと少女の頬から滑り落ちる。


 煤となってほろほろと解けるように崩れていく。


 絶望を湛えた紫色の瞳が静夜を憎むように見る。


「皆死んじゃうよ……」

「そりゃなんでだい?」

「オジサンたちが、殺しちゃうから」

「ああ、そう見えるよな。だったら確かにそうだな」

「あたし、沢山我慢したのに……」

「知ったこっちゃねぇよ――って、痛てぇじゃねぇか」


 話を途切れさせて古御堂を睨む。


「すまんな。お前の我慢を俺たちは考えてやれなかった」

「そうだよ。なんで来たの? 皆が、死んじゃうのに。死んじゃうって言ったのに」

「頑張ったんだな。だがな……そこの男は、自分が自分でなくなるのが嫌だと言ったんだ。俺にもその気持ちは少し解かった」

「意味、解らない」

「死んだ奴の身体ぁ動かしているだけじゃ、そりゃ救った事にゃならねぇんだよ。死体を飼っているだけだ」

「死んでないもん」

「違う奴になっちまったら、もう死んでいるんだよ」

「解らない。死にたかった人たち。みんな苦しかったんだもん。幸せじゃなかったもん」

「人間はな。どんなに辛くてもどっかの誰かになっちゃいけねぇんだよ」

「そうしないと死んじゃうのに?」

「それが人生ってもんだ」

「そんなの解らないもん」

「ガキにゃ難しいか」

「ガキ……大人なのに誰も救わないのに……」

「死体が動いてんのは救いじゃねぇんだよ」

「おい、言い方があるだろう」

「もう直ぐ居なくなっちまう奴に嘘教えたら可哀想だろ?」

「……いなくなるだと? 何を言っているんだ?」


 訝し気に聞き返す古御堂。少女の体が少しずつ色を失い、生物ではありえない、灰が崩れるような綻び方をしているのをどう理解しているのか。


「うん。あたし消えるよ。意味、なくなったから」


 古御堂に応えるのは少女。ダンジョンコアはなくなった。自分が死ぬ事を、当たり前の様に受け入れているようだった。


 受け入れていないのは、古御堂ただ一人である。


「俺はダンジョンコアを壊したぞ」

「そうだな。お陰で化け物共は全部死んじまった。こいつも死んじまうみたいだ」

「騙したのか?」

「いや……いや、ああ、結果はそうなっちまうか」


 ごまかしても仕方がない。


 古御堂の力が本物であり、なおかつ、本当に静夜の予想通りなら、ダンジョンコアを壊したからと言って、それを引き金にダンジョンマスターが死ぬという『お決まり』に抗う事も出来るのではないか、そんな期待をしていたのだが。


 静夜は特別な存在じゃない。主人公じゃない。そんなご都合主義の展開はないのだ。世の中、静夜の思う通りに事は進まないのだ。


 殴られるか、失望されるか、それとももっと、予想しないような後味の悪い事になるか、静夜は少しだけ自嘲する。


「そうか」

 

 古御堂は拍子抜けするほど平坦にそう言った。


 存外、静夜の内心を汲んでくれたのかもしれない。


「で、何とかするんだろ?」

「……あん?」


 そして予想外の無茶を言ってきた。


 たぶん内心なんて汲んでくれていない。


「弓代は世界の決まり事に逆らう事に掛けてはプロなんだろう」

「え。いや……」

「何とかできるんだろ?」

「出来ねぇ――」

「またまた。出来ないなんて言うのは、嘘吐きの言葉だって尊敬する鬼が言っていたぞ」


 すごい圧である。崩れる少女はただ無表情に呆れた様な目になって二人の様子を見ている。


 後ろの五人も、なんだかこちらのやり取りを見ている。目が縫い付けられているくせに、なんか見ている。


「いや、回収できなきゃぶっ壊せって指示だったんだろ」

「この子を殺せと言うのか?」


 言外に出来るわけないだろうと、そう言っている。


「助けちまったら、白紙社に持ってかれちまうだろ」

「妹の治療費は出してくれると言ったな?」

「今それを……」

「白紙社は抜ける。だから何とかしろ」

「なんとかできるもんなら――」

「出来るだろう?」


 何とかなる筈だ。上半身が吹き飛んでも生き返る様な無茶苦茶が通じるのだから、死にかけている子供の一人くらいどうにでも。


 そういう目をして古御堂は静夜に、何とかしろとしか言わない。


 たぶん、否定をさせる気がない。


「……嘘だろお前、なん……この……」

「時間がない。考えろ。所でお前、ああ。お嬢ちゃん。名前はあるのか?」


 言い返せなくなって、頭は何とかこの子供が死ななくていい方法がないかと模索する。思いつかないが考える。その間に、古御堂はもはや少女が生き残ると確信したかのように会話を始め、名前まで聞き始める始末だ。


「名前? ないよ」

「親が付けれてくれた物もか?」

「親ってなに?」

「……お父さんと、お母さんは?」

「いないよ? 人間の人たちの、大きい家族だよね」

「そうか。ああ、そうだ家族だ」


 家族という言葉は理解できるのか。古御堂が困っているのを尻目に、静夜はそんな様子を傍観する。やはり、指輪の一つを潰すのが一番か。なんでこんなに頭を使わなければいけないんだ。知るか、古御堂にもリスクを背負わせるしかないじゃないか。


「家族はいるのか?」

「家族? いないよ?」

「そうか……」


 しょんぼりする古御堂。


「ちょっぴりの友達なら、ちょっぴり」

 

 少女は五人の不気味で酷い見た目の五人を指す。


 古御堂は顔を晴らして、そしてすぐ暗い顔になる。ここに来るまでに五体程殺した。そして残った五人もこれから死ぬ。


「無理だからな。絶対無理だ。ガキ一匹でも俺ァ今ねぇ知恵絞って四苦八苦だ」

「……そうか」

「大丈夫だよ。みんな、名前も知らないもん」


 耳に言葉が届くたびに、実は静夜の方が堪えている。なんだこの不憫な子供は。だから知る前に殺すべきだったんだと、無茶苦茶なことまで静夜は考えていた。


「ねぇ、オジサンは?」

「んー? まだ自分じゃオジサンという程の年じゃないと思っているんだがな……」

「え。古御堂お前さん何歳だよ?」

「お名前は?」

「古御堂……鯨介だ」


 考えるのが面倒になってきて、静夜は思わず古御堂に突っ込みを入れたが無視されて、鯨介という下の名前を今初めて知った。


「じゃあ、そこの人たちの名前は?」

「名前……名前か」


 そこの人たちとは、つまり五人の事だった。この時点で静夜は仕方ないので赤字を覚悟する。後は古御堂に押し付ける事も決意する。なんでちょっぴりの友達の名前も知らないんだ。なんだこのガキ、どうしてそれを当たり前みたいに言えるんだ? これから全員消えてしまうのに、名前も知らない事実を嘆く事も出来ないなんてどうなっている。


 もしかしたら喜劇なのかもしれない悲劇に静夜が沈痛な面持ちになった所で――。


 ――ジリリリン……。ジリリリン……。


 黒電話が鳴り響いた。


 音源は、暴れまわった結果見事に散乱したスチールデスクから落ちた、コードが切れている黒電話であった。

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