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五分前仮説のブランニューワールド  作者: 幾楽あくた


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22/52

死ぬよりマシなゾンビズム 21

【現場判断優先】


 掌の群体から吐き出されて、静夜の胸から腕に掛けた左半身が床に転がる。古御堂の表情が露骨に曇るが、だからと言って動きの精彩が欠かれる訳ではない。襲い掛かってくる群れを一つの個体と捉え、その直撃を避ける事に注意を注ぐ。群れからはぐれた掌の一つや二つ程度では、どれほど力強く掴んできたとしても古御堂の皮膚を傷つけるには至らない。


 躱しては、手刀で横から抉り取り、躱しては床の瓦礫を投擲して貫通させる。しかしそれは決定打にならない。核となっているであろう少女に一切ダメージが通っていないのだから当然だ。


 古御堂だってあの少女がこの現象の核になっているのは解っている。


 少女の身体は球体の中。襲ってきているのは塊となった掌の群れ。襲ってくるそれを叩いた所で決定打にはなりえないだろう。

 それでも古御堂はこの期に及んで少女を殺してしまおうという思考には至っていなかった。

 それというも古御堂の思考は少女を飲み込んだ掌と少女を別物として捉えているからだ。

 頭の中で描いたのは襲ってくる方の掌をいなし、叩き潰し、間合いを詰める。詰めたらあの指組で作られた球体を剛力によって引き裂き、中の少女を引きずり出すという物だ。


 その思考は甘く、弓代静夜という恩人の死を無駄にしている可能性があるとは理解している。


 そして弓代静夜の言っていた様に危険で手に負えない存在の可能性があるという言葉も理解はしているが、古御堂にしてみれば、掌が少女をとらえて寄生しているように見えていた。

 紐に縛られ、掌に無理矢理押さえつけられ、閉じ込められている。そう考えてしまう。


 弓代静夜は強かった。少なくとも、あの禍々しい刃物を握った時ならば、古御堂に比肩する程に強かった。


 だとするならば、古御堂の感覚で言うならば、攻撃性こそ高いがさっきまでの少女は隙だらけだった。ならば殺そうと思えばいつでも殺せた。なのに殺さなかったのには理由がある筈だ。少女の見た目をしたものを殺したくないと我儘を言う古御堂にチャンスをくれたのかもしれないし、古御堂と同じ様に囚われている存在に見えたのかもしれない。

 どちらにしたところで弓代静夜の遺志を想像したとき、まずはできる限り自分のわがままを貫く事が取るべき選択なのだと判断したのだった。


 必要最低限の動きで掌の奔流を躱しては殴る。

 そうする事を繰り返しても少女にはダメージはいかず、襲い掛かってくる掌共を確実に少しずつ削り取っていく。随分掌を叩き潰したというのにどこからから無限に湧き出てきているかのように数が減らない。


 こうなれば本来はじわじわと決め手に欠ける古御堂の方が弱っていく事になるのだが、古御堂に蓄積されるダメージは殆どない状態である。結果は千日手。しかしまだ余裕があると判断した古御堂の目は打開の策を探し続けている。


 なので必然、古御堂だって気にし始めるのだ。掌と少女以外の異物。赤い紐を。

 その紐を引き千切ればどうなるか、想像はつかなくとも試してみようと思う事はできる。


 再び地面をえぐるような突撃を紙一重で躱すと、古御堂の動きが少し変わった。拳を繰り出す事自体は変わらないのだが、掌の群れの中に突っ込まれた手は引き抜かれる事はない。突っ込まれた腕はあっという間に掌共に掴まれ、縦にも横にも引っ張られる。軟弱な肉体なら引きちぎられる様な膂力なのだが、古御堂は鋼の肉体を持つ鬼である。手探りで中身をかき混ぜ、紐に指を引っ掛けるくらいの時間の猶予はあった。顔にまで掌が張り付いたタイミングで、古御堂は握りしめた右手を引き抜いた。

 

「えっ? あっ、がっ。ぎゃぁあああああああっ!」


 絶叫が響く。

 その叫びに思わずぎょっとする古御堂。

 この叫びはむろん古御堂の物ではない。紐を引き千切った結果、今までに感じた事もない凄絶な苦痛に少女が声を上げたのだ。耳を劈く様な悲鳴に古御堂は柄にもなく驚き、少女を必要以上に傷つけてしまったかと手を離す。が、既に紐は引きちぎれた後である。紐には血が通っていたのか血液らしきものが巻き散らされ、持ち手がいないホースさながらのたうつ。


 殺してしまったなら、先程まで弓代静夜が命がけで手加減していた事が全て無駄になる。もともと殺したくないと思っていたのが古御堂なのに自分が先に裏切ったかもしれない。そこも含めて表情には狼狽すら浮かんだ。 

 固唾をのんで少女の悲鳴に傾注していると、もがき苦しむ様の中、一部の掌の群れが不穏な動きを見せた。のたうつ中で黒い塊が、ニキビから膿をひりだす様に現れたのだ。それにばかり気を取られるわけにも行かないのだが、視界に入った黒い塊は掌に掴まれ、振りかぶられ、勢いよく古御堂に向かって投げつけられた。


「くそっ!」


 悪態が漏れて、躱す事を躊躇う。黒い塊の正体に気が付き、ぞんざいに避ける事をしてはいけないと思ってしまったのだ。結局ボーリングの玉程の大きさの黒い塊を、古御堂は胸に直撃する直前で受け止める。右手にざらリと毛が絡まり、さすがに勢いを殺せずに押し切られ、手の甲が肋骨を軋ませる程に押し込まれるが、肉体よりも心に来るダメージの方がこればかりはきつかった。


 それは、ぞっとするほど美しい顔をした弓代静夜の生首だった。

 首だけになっても色男とはなんと嫌味ったらしく、不愉快な男なのだ。などと現実感のない不満を抱いた。


『誰が好き好んでこんな面になるってんだ』そんな声が聞こえそうな気がしたが気のせいで、だから死体に起こる現象の一環なのか、閉じられていた瞳が半分開いたような気がしたのも気のせいだろう。


 そもそも、今はそんな幻聴と幻視に構っている状況ではない筈だ。古御堂が生首に気を取られたのは実際の所ほんの瞬きの様な時間であったが、それは先程弓代静夜が古御堂に気を取られたのと同程度の時間であった。

 注意を向けた時には迫りくる掌の群れは既に回避不可能な距離だった。


「なるほど……」


 躱せない。諦めに近い納得の呟き。直撃を受けると覚悟が決まれば後は妙に達観した気分になる物だ。

 先ほどの弓代静夜のつぶやきもこんな感覚だったのだろう。そんなことを思った。


 人間の体を引き千切り、毟り取りながら圧倒的速度で通り過ぎていく奔流に古御堂は飲み込まれる。が、しかし鬼の体は引きちぎれない。先程古御堂を追い出した時とは質の異なる明確な攻撃。体中に痣や皮膚の表面を引きちぎられた痕を残しながらも、四肢も意識も失わずに古御堂は立っていた。


 踏ん張る為に床を突き破って突き刺さった右足が、古御堂の不動を守った。

 顔は何度も殴られ、頬はひっかき傷があるし、右腕の筋肉は指でつねった部分がちぎれっている。打撲も相当な数であり、古御堂でなければ本当に死んでいただろう。しかし古御堂は古御堂である。鬼の中でも鍛え上げられた身体を持ち、銃で撃たれても、猛スピードのダンプカーにはねられても死なない頑強な肉体を持っているのだ。今の直撃を受けても動くのに支障はなく戦闘の継続は可能だった。


「ぷっ!」


 口の中も少し切れて血の味がする。赤く泡立つ唾を鋭く吐き捨てる。

 手洟をかんで鼻血も捨てつつ、向きを再び古御堂に向けた掌の群れを鋭くにらむ。

 問題があるとすれば、想定以上の出血と、身を守るためにかざした腕に掴まれていた弓代の首が、完全に引き千切れ皮膚の一部を残して失われていたという事であった。


 他人の皮膚の肌触りとは、ごわついてて、それでいてぬるりとしていて、全く持って気分の良いものではない。短い期間ではあったが妙に厚かましいあの男の物なると、気分の悪さはいっそう増す。

 古御堂は体に負った傷以上に精彩を欠く動きで、ぎこちなくもギリギリで再び攻撃を躱す行動に戻る。単調になりながらも、それでも先ほどの様な油断さえしなければ古御堂が危機に陥る事はまずないだろう。


 ――首を持っていれば、まだあの弓代なら生き返ったのではないか。ふとそんなことを思ってしまう。


 自らの腹を突き刺して見せ、それでも死ななかった男だ。世界の修復力とやらによって不健康になる事が許されないと嘯いていたのだ。普通なら死んでしまう様な状態でも、古御堂であっても死ぬ状態であっても死んでいなかったかもしれない。


 ならば先ほどの幻聴は生き返る予兆だったのではないか。

 そんな気のせい。


 先ほど目を開こうとしたのまだ生きていたからではないだろうか。

 そんな願望。


 何故か思ってしまうのだ。上半身が吹き飛んだ位で『死なない』と嘯く男が、果たして死んでしまうのかと。


 乗っ取られるのが嫌だと言っていた。死んだら火葬してしまえば体など残らない筈だ。それなのに、殺してくれと言うのはどういう事だったのだろう。

 希望の様な事をつらつらと、思ってはみるが何かが起きる気配は今のところなかった。

 それはそうだ。死んだ人間が生き返るかもしれないと思うのは、誰でも抱く喪失に対する逃避感情に過ぎなのだから。

 割り切る事を意識し、弓代静夜が死んだことすら古御堂の思考から排除する事を決める。


【緊急判断により再接続保留】


 点滅。


【童の口を塞げ】


 点滅。


【童の目隠しを実行】


 点滅。


【侵入者を確実に殺害する】


 誰にも認識される事なく、どこかで意思の統率がされていく。


 古御堂が認識したのは自分が感じられる変化だけだった。

 気が付けば少女を取り囲む掌の数が減り、姿の八割ほどが視認できる状態になっていた。しかしそれは異様さを際立たせる様な引き算だった。彼女の目の周りを掌が包み、口と耳も塞いでいる。見る事も聞く事もいう事も許されず、その場に体育座りのように蹲る姿は結局囚われたままに映ってしまう。


 古御堂は一瞬悩む。どういう訳か少女への守りが薄くなったのだ。今なら直接彼女をとらえる事も容易いかもしれない。

 そんな事を思ったのだ。だが少女を包んでいた大量の掌は一体どこに行ったのかと考えが至る。見渡した時の認識では劇的に増えた訳ではない。ならば視界にない場所。つまり――天井である。

 予想通り。予想以上に。びっしりと。幼い頃に石をどかしたら想像以上の虫が蠢いていた光景に似ているほど隙間なく掌はいた。


 気付いた事に気が付かれた。直感的に理解する。


「邪魔を――」


 一斉に襲い掛かってくる様子を目の当たりにし、右足で床を強く踏みつけた。

 凄まじい衝撃が空気を揺らし、床にひびが入り、砕ける。その衝撃と飛び散る瓦礫は掌の落下の幕一部に穴をあける。が、さすがにそれだけでは掌の群れの勢いが削がれる事はない。


 だから、古御堂はそれだけはない事をする。

 踏みしめと同時に大口を開けると、凄まじい肺活量で怒声をあげた。


「――するなっ!」

 

 鼓膜があれば残さずに破けるだろう。

 普通の窓ガラスであったなら粉々になっただろう。

 蛍光灯は古御堂を爆心地にして数メートルにわたり砕けてガラス片を巻き散らし、その範囲の掌は悉く墜落した。

 踏み込みによる振動と埒外の発声が共振し、掌共全てを叩きのめした結果である。古御堂に言わせれば音だって振動なのだからそれをぶつければダメージになる筈だとそれだけで片付けられてしまう現象であるが、果たして古御堂以外にこの現象を起こす事が出来る存在がいるだろうか。

 恐ろしい雄叫びの結果、多くの掌が全身打撲の様なダメージを負い、死を待つ虫の様な有様になっている。


 さて、こうなると少女に向かうのも一つなのだが、目も耳も口も全て塞がれた少女を見て考え直す。古御堂から離れた位置にいた掌は健在な物も多い。少女の周りにいるのはそう言った掌だ。それは構わないのだが、このまま無理矢理彼女のもとに行き、結局自分は何をするのだろう? と考えが過ってしまったのだ。


 少女を捕まえ、外に出る。それも一つなのかもしれないが、何も解決していない。このダンジョンはそのままであるし、弓代静夜に言わせれば少女もまたモンスターであるからには、このダンジョンから離れても結局舞い戻ってしまうかもしれないのだ。ダンジョンにはモンスターが湧き、モンスターが外に出る事は一部の例外を除いてありえない。それくらいは小学生でも知りうる一般教養である。


 それならば、連れ出すにしても、諦めるにしても、あの男が言っていた事を実行してからでないと自分は暴れまわっただけの間抜けな鬼になってしまう。

 すなわちダンジョンコアを破壊し、ここをダンジョンではなくする事が古御堂のするべき事なのだ。


「間抜けな鬼はごめんだな……」


 すると欲しいのはヒントだ。今のところ何の目途も立たずにここにいるのだが――いや、一つあった。

 ちらりと見る。

 あの血の通った紐。あれを引き千切った結果少女は叫び、掌は狂暴性を増した。その後は掌は暴れ、少女の身体は不自由になった。


 紐はおそらく少女の体の一部だったのだろう。それ故に痛がった。少女を守る掌は、少女が痛めつけられて怒り狂った。古御堂はそう認識した。実際はどういう物なのか、古御堂はそれ以上の考察をしなかったので他の可能性は想定されない。


 ダメージを負った少女がなぜ拘束されて目隠しされているかは判明する事無く、ただ古御堂の注目は千切れた紐の繋がる先だった。少女の一部だった紐である。片方は少女とつながっている。ではもう一つはどこに繋がっていたのか。当然気になるし、予測だってする。


「……ん? どうなって――いや、そうだな」


 ぼやき声に近く言って、独りで納得する。紐の千切れた先端があるべき場所には血だまりがあり、その血だまりには芋虫の様なものがのたうっている。しかし紐はなかった。予測が確信に近づく。やはり、あの紐には血が通っていて、引き千切った結果少女は痛みを覚え、そしてもう片方も生きていた。だからダメージを負ったら逃げる。どこに逃げるかと言えば繋がっている先に逃げるだろう。


 素早く逃げただろう血痕はかすれ気味に途切れるが、この部屋の部屋から逃げ出している様子はない。


 古御堂の瞳は最早血の跡しか追っていない。その様子に気が付いたのか、掌の動きが変わる。古御堂の視界を隠すような動きで回り込み、視線の先に進ませないという意思を感じさせる様な挙動である。


 だとしても、もう遅い。


 古御堂は既に見つけている。紐でつづられた血の跡が、どこに繋がっていたのか。


 お誂え向きに認識した先には行く手を阻む掌の群れ。

 ふと思い立ち少女に視線を向けるが、それでも群れは回り込まない。少女を守ろうともしないのだから、よほど古御堂に向かってほしくないのだろう。

 答え合わせを見せつけるの様にそちらにはいかないでくれと一致団結しているのだから確信を得る。


 少女を守るのをやめた掌。

 つまり、この奇妙な掌どもに遠慮はいらない。丁度、鬱陶しいと思っていたところだ。

 視線を再び血の跡の続く方へと向けて、歩を進めると、群れとなって再び古御堂に突っ込んでくる掌。

 小型トラックが突っ込んでくるようなそんな圧があるが、角が生えきった古御堂にしてみればそれはそれほどの脅威ではない。


 ダメージを受ける事はあるだろう。油断をすれば命に係わる様な事態にも陥るかもしれない。先ほどのように掌の群体に飲み込まれ続ければ確かに危ない。だから、そうならない立ち回りを考え、既に思いついているのだから、あとは実践すればそれでいい。


 床を強く踏み込むと、その衝撃ですさまじい音が鳴り、床には亀裂が入る。それだけで群れは一瞬動きを止める。ここに怒声が響けば数分前の再現であるから、掌は自分たちが無事であった距離にとどまったのだ。正しく四メートルの距離。あと少しで古御堂の雄叫びが効果的に響く距離だった。その見極めが完璧な事は気に食わないが、今はそれでいい。取り囲まれている訳でもなく、掌の大多数は進行方向をふさいでいる。


 動作が大きく、隙を見せてしまう攻撃が、思う存分出来るだけの距離が出来ていた。

 踏み込んだのは予備動作。この後古御堂は跳ね上がるように動くだろう。

 右手が床に倒れる大きなスチール机の脚を握りしめる。

 面積が広い分、こちらの方がいいだろうと即座に判断した古御堂は机の脚が拉げる程に力強く鷲掴みにすると、重さを感じさせない速度で持ち上げる。持ち上げ、掲げ、憂さ晴らしの意味も込めて、遠慮なくこれを振り下ろす。


 爆音に近い衝撃の音が鳴り響く。


 天板面が床に叩きつけられると体が少し浮く。床には亀裂が走る。勢いがついているから着地する際には前進している。再び力強く踏み込み全身のバネが十全に活かされてしなる。縦回転する様になりながら立て続けに机が弧を描く。


 一度目は机の先端が掌を潰すだけだった。だが二度目は机の天板全面が寄り集まっていた掌を磨り潰す。さらに古御堂の動きは胴廻し回転蹴りと呼ばれるような、独特な動きの蹴りに近い物だった。踵の通り道にいた掌は、その凄まじい速度によって悉く切り裂かれる。古御堂の通り道を遮る事の出来る存在など、ここには居なかった。


 掌の群れの一番厚い部分を勢いだけで通り抜けた古御堂は、半壊してしまったスチール机の脚をまだ放していない。腹筋がぎちりと固まり、猛烈な勢いで振り返る膂力を作り出す。

 机が大団扇の様に振り回され、三往復。最後は残った掌が一番密集している部分に向かって投げつける。

 

「これで少しは減ったな」


 実に視界に入った八割の掌を瞬く間に叩き潰した古御堂は、少し満足気に手をはたく。分散していないで一か所にまとまっているならこんなものである。


 古御堂を襲っていた大多数が失われて、掌は再び寄り集まるが、数が足りない。一匹ずつ飛びかかった所で、それでは全くダメージにならない事は解っているのだろう。餌を横取りされたハイエナの様に、古御堂を遠巻きにして掌は再び数がそろうのを待ち始める。


【生産量が不足中】


 そして一つのモニターの電源が落ちる。


【リポップ量の調整】


 今度は二つのモニターが消える。


【リソース不足。緊急措置を現場判断にて実行】


 一斉に十のモニターの電源が落ちる。 


【不足を補うため、雇用主の財産徴発の開始】


 ついにすべてのモニターが落ちた。


 古御堂は文字こそ読まなかったが流石に床に散らばっていたノートパソコン全ての明かりが消えた事は気付いていた。だから、どうやら掌共は追い詰められて、もはや古御堂を襲う気力が失われつつあると思う事になる。それは、慢心であり余裕であり、古御堂程の鬼であるならばそれでも油断とはなりえない物だった。


 頬についた血を親指で拭って古御堂は歩を進める。

 そうして漸く立ち止まるのは真っ二つに切り裂かれた書斎机の隣に落ちているデスクトップパソコンの前であった。

 弓代静夜が暴れたけ結果床に叩きつけられたであろうに傷ひとつない。他の全てのパソコンは電源を落とされたというのに、未だにモニターには明かりが灯り、それ故に目立つ。古御堂は気付かないが、画面にはメッセージは表示されていない。その代わりに画面には目玉の模様の様なスクリーンセイバーが蠢いていた。


 そもそも、デスクトップ型のパソコンであるにも関わらず、電気コードはちぎれ、動力になるようなものは見当たらないのが不思議だった。古御堂は別にパソコンに詳しくないが、テンプレートの様な機械音痴でもない。派手に倒されても壊れず、コードが切れても電源が入る、動力不明のパソコンが普通ではない事ぐらいは判る物だ。

 古御堂ですら異常だと気が付くその意味不明なパソコンからは、一本のコードが伸びていた。電源コードではない、平べったい青いコードだ。


 そのコードを視線で辿るとやがてそれは千切れた状態である事が判明し、その先端からは赤い液体が垂れ流されている事が解る。先程千切れて血の跡を作った延長線上に存在するのだから、このコードが先ほどの赤い紐の正体なのだろう。赤でも青でも構わないし、太かろうが細かろうが関係ない。なぜそんな風になっているかの理屈も知らない。判っている事は血の跡はそこに繋がり、パソコンの目の前に古御堂は立ったという事だ。


 戦闘や仕事に関して細かい事を気にしないようにして、訳の分からない事は全部棚上げにする。言われた仕事をこなせば金が入る。そうやって仕事をしてきたから、パソコンのコードから血が流れていても、ちぎれたら赤い紐の見た目が青いコードに変わっても、画面に映った目玉の様な模様が魔力をもって怪しく光っても、一切気にしない。意図的に悉くを無視する。


 だから出来るのだ。資料的価値があろうとも関係ないから壊せる。目についたものが危険そうなら、それに金銭的価値があろうとも念のために壊せる。目的が決まっているのだからほかの全ては切り捨てられる。古御堂鯨介は状況打開の為にこのダンジョンの要になっているかもしれないパソコンを叩き壊そうとしている。もしもダンジョンコアであったなら、ダンジョンが崩壊するかもしれない。すなわち、何百階段も上がってやってきた、外見からは想像も付かない広さの部屋が消えてなくなるかもしれないのだ。その結果がどうなろうとも、やはり古御堂は気にしない。


 古御堂の足が持ち上げられる。後は踵でこのモニターを叩き割れば。と言うその時、古御堂の背後には大きな球体が出来はじめていた。


 潰された掌の残骸と、生き残った掌と、新たに生み出された掌が古御堂の背後で集まり、一つの個として成り立ちつつある。


 今この瞬間、ダンジョンの全てを投げうって、掌共は古御堂の背後をに迫っていた。

 二メートルを超えそうな掌だけで組まれた球体。蠢く様子は悍ましく、なにかがそこから生まれてきそうな不穏さがあった。


 その存在に古御堂はまだ気が付いていない。

 その不穏な存在は、古御堂と言う常識外れの鬼を排除する為だけに集まっている。生半可な攻撃では傷つかない肉体を持ち、不可思議な暴力で点を殴って面を巻き込む怪物に対抗するために自らを圧縮し、組み換え、指の配線を変えていく。


 古御堂が液晶を割る頃には、鬼と言えども殺しきれる存在へと昇華するだろう。

 それはつまり、液晶に気を取られ、ターミナルの方に内蔵されている本体を見逃す可能性であり、その油断を狙うことまで掌は群像となり思考していた。

 

「――古御堂さんよぉ。お前さん、俺が死んだって確信しただろ?」


 声と同時に、掌で構成された巨大な球体が縦一線に切り裂かれる。


 切り裂かれた球体の傷口に銀色の杭が投げ込まれると、掌の球体が渦を巻きながら中心に向かって収縮していき、瞬く間にその存在がこの世から消えていった。だが古御堂はそれ自体には気が付かない。ただ、後ろにあの男がきて、何かの脅威を殺したのだと理解する。


 古御堂はパソコンを蹴り上げる。どうせ壊すなら手間も同じだからと、ディスプレイは近くにあったパソコン本体のタワーに向かって蹴り飛ばされ、タワーを巻き込み圧し折れる。こうしてパソコンはコンピュータとしての機能が完膚無きままに壊される事になった。古御堂は機械音痴ではない。デスクトップパソコンの本体がどっちであるかぐらい流石に知っていた。 


「……上半身がなくなったらな、人は死ぬんだぞ」

「常識は偏見のコレクションだって大統領は言っていたぜ?」

「それを言ったのは物理学者だ」

「きっと知り合いだったんだな。そんな訳で古御堂が俺の事を生き返れねぇなんて偏見のこもった勘違いをするもんだから、思いのほか時間食っちまったが、結果は上々だな」


 そんな軽い応酬をする相手。それは先ほどまで上半身を失っていた筈の色男。


 白かった七分袖は本当は破れて消えた筈なのに、血に染まって真っ赤になって元通り。それが妙に似合う赤い男。

 釘の様に太いピアスを拾い上げてポケットにしまう口調の荒い男――弓代静夜だった。

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