死ぬよりマシなゾンビズム 20
「こ……わ……」
少女は歯の根が合わないままに震え、少しでも恐怖を抑えるために自らの顔に触れて、必死に発狂を抑えている。弱い物虐めをしているようで、心の攻撃性が萎えそうになる。静夜は自分で思っているほど非情には成れない。だが、幸な事にブレーキをするという意思さえ持たなければ、体は自動的に敵を始末してくれる。
大きな塊と化した掌を切り裂いたタイミングで体は呼吸を整える様に佇む。当然隙など無く、静夜の意思がどうであろうと近づく殺気を逃したりはしないだろう。
その確信があるから意識は散漫に周囲を見るし、当然再び紐も見る。
紐の周りに落ちているのは――指だ。二本の指。指と指が絡んで落ちている。その一対の指は一本が切断されて二つになっており、もう一本は深く切り裂かれて千切れる寸前といった様子である。どちらも動く気配がなく、転がる指に対する表現としては適切ではないかもしれないが既に二本とも死んでいるようだった。
「……ああ。なるほど?」
指の足りない掌の怪物ども。
傷をつけたと思ったら治った紐と、切った覚えのない指。
赤い紐。
指切りは約束で、契約。
ならば指は契約の象徴だ。
おおよそ理解したので鼻で笑う。あの紐は非常に良くないものであり、少女と掌のモンスターとの繋がりである事は間違いない。
あの紐を切るか。
少女を殺すか。
どっちかをすればおそらく掌は止まるだろう。
だが、紐を切った所で止まるのはおそらく一瞬だ。駄目になった部分を切り捨てて、紐は再び結ばれる。ならば、もっと大本を壊すしか静夜には選択肢がないだろう。
邪魔者の掌共を止めて、ダンジョンコアを見つけ出す。その目標は変わっていないのだ。
「古御堂ァ間に合わねぇか」
希望の思考は過るが、それを待ち続けるのは際限がない話だ。ここは不可思議跋扈するダンジョンだ。下手をすれば永遠に階段を彷徨い、二度とここにやってこないかもしれないのだ。間に合う間に合わないの話ではないかも知れない。
それに、静夜の体の主導権は日本屈指の妖刀にある。
この刃に任せるからには、きっとタイムリミットは短い。
――静夜が集めに集めたマジックアイテムが変質した呪物の中でも飛び切りの一つ。
異世界の精神体が乗り移ってもいないにもかかわらず、強力に静夜に憑りつく危険呪物だ。
こんな呪いがいくつもあったら身が持たないと、仕事に制限を設けるほどの意志を持っていた武器がこの刃だ。
今までずっと、体だけを乗っ取り続けてきた刃だが、ふとした時に明確な知性を感じる事があるのだ。
きっと明確な意志を持つ日が来る。そして、それが今日であっても驚かない。
うっかりすれば、他の転生者の魂を出し抜き、この刃に心まで乗っ取られるだろう。そうなったら今みたいに制御はできず、手加減抜きに切り裂いていくだろう。手に入れた体の慣らし運転として、あの子供は試し切りされるのが目に見えている。
そんな危険な物を、全力で使い続けなければならないのが、あの少女と掌の群という敵であった。
そして、もっと力を借りなければ、この場は乗り切れないのも解っている。
古御堂が来ないのであるならば、否応なしにだ。
動かなくなった静夜を襲おうと再び掌共が集まり、集団になりかけたタイミングで身体が駆ける。
自分たちの攻撃が静夜を動かすと理解していないのだろう。
静夜が本当に本気で暴れれば無駄死にしていくのだと理解していないのだろう。
もう静夜が紐か少女を切り裂く事を決めた事を掌共は考えないのだろう。
今までよりも身体の速度が増している。
移動に際して起きている負傷の痛みが鋭敏だが気にならなくなってきた。体感時間が妙に長く感じるようになるし、嗅覚は鋭敏になり、耳に入る音は遠いのに明瞭である。刃に体が随分侵食されている証拠だった。今までの経験からして時間稼ぎもそろそろ限界だろう。
痛みは鋭く、世界はスローモーションであり、鼓動と這いまわる掌は同じ距離で聞き分けられる。
痛みに比例した圧倒的万能感に飲み込まれて、中核となる静夜の心だけが俯瞰していた。
ゆっくりしているのに、それでも自分の速度だけは意識が追い付かず、通り過ぎた傍から掌が潰れていく。飛びかかってきた掌は両断されて地面に転がる。
少女の目の前に自分が迫る。その紫の目に映る静夜は世にも恐ろしい怪物だとしてとらえているのが、静夜からも分かった。
少女の震える口が動く。
「来ないで。くるな。なんで……きゃあっ!」
「……ままならねぇ」
耳がとらえた音はそれだけではない。どこか怒りをにじませる足音。アドレナリンの臭い。筋肉だけで出来た様な大男が掌の群れを踏みにじり、相手にしないで階段を上る音。それを聞いてしまった瞬間、静夜の意識が浮上した。だから、動きが急速に鈍る。速い事に違いはないが、それでも速度はがくんと落ちた。
振り下ろされる刃毀れだらけの刃が、少女を守るようにはだかった掌共に遮られる。重なり合わせた五体の掌が串刺しになり、少女の鎖骨の一ミリ手前で静夜の腕を止める。
「弓代ぉっ! 壁しかないぞ。机だけだ。そもそも隠せる場所なんぞどこにも――なんだ。これは……」
古御堂が怒鳴りながら部屋の入口までやってきて、内部を見て唖然と漏らす。
それはそうだろう。
整然と机が並んでいたフロアは静夜の蹂躙によって今や更地状態。崩れた天井やスチール机、椅子はバラバラになって平に床に散らばっている。天井すら配電線と蛍光灯がぶら下がり、床に散らばるディスプレイがぼんやり明るいだけになっていたのだ。その上で蠢く掌に包まれた白髪少女と、それに肉薄する静夜の構図。少女は頭を抱えて蹲り、掌は甲斐甲斐しく慰めているようにも見える。静夜は血塗れで薄ら笑いを浮かべ、寒気がするほど整った顔に血をこびり付かせて串刺しの掌を持っているのだ。
この状況を一瞬で飲み込めるのは何も考えていないか、よほど深刻なサイコパスだ。
状況説明をする時間は流石になく、上手く伝える言葉も今は思いつかない。
それどころかではないし、更に、事態は動き続けている。
古御堂に気を取られたのも良くなかった。わずかな時間にも敵は動いている。例えば静夜の足に掌が掴みかかったり、服の袖を掴んで離さなかったり。
串刺しの手を押し切り、そのまま追撃しようとした静夜だが、貫かれた掌共はそれでもまだ生きていて、根元に近い掌は静夜の手を掴み、残り四体は拳を作る事によって刃を握った。
――これは流石に動かない。初速が足りない。抜けもせず、押し込みもできない。
一瞬静夜の力に拮抗した掌が作り出した絶望的な時間。
足に、胴体に掌が地獄の亡者の様に縋りつくように這い登る。
「やべっ」
なんて声が静夜の口からこぼれて、次の瞬間。
古御堂の巨体を引き摺ったあの掌の群れが、再び奔流となり静夜に牙をむく。
古御堂の目から見れば、逃げ遅れた静夜の上半身を、青黒い塊が通り過ぎたように見えただろう。
塊が通り過ぎた後には何もなく、逆光が妙に白い窓が見えるばかりだ。
一拍おいて、そこに噴水が吹きあがる。へそより下だけになった静夜の体から血液が吹きあがったのだ。
下半身がゆっくり倒れ、噴水も倒れる。
「ゆみ……しろ」
間抜けな声が古御堂の口から洩れる。
確信しただろう。死んだと。首が折れても、心臓を刺しても死ななかった男だが、上半身が失われて生き残ると言うのは生物としてあり得ない。
確信してしまっただろう。古御堂の中にある常識が、生物として死んでしまう条件を満たしたのだから。
ついさっきまであれほどまでに生意気な態度をとって不敵に敵を圧倒していた弓代静夜は、間違いなく死んだ。
部屋に舞い戻ったばかりの古御堂に向かって、静夜をもぎ取った掌の奔流が矛先を向けた。
残りの掌は指を組み、ブロンドの少女を取り囲み、殻を作るかの様にすっぽりと包み込んだ。静夜が少女を殺すと決めた事により殺気を感じ取った掌共が警戒した結果である。
その周りを補強するように掌が握手をしながらとりついて、少女姿はもう紫の瞳しか見えないようになった。
首のない蛇の様に形を作る掌と、卵の様な形を作る掌。やがて蛇は卵に巻き付き、鎌首をもたげて古御堂と対峙する。
古御堂と言えども引きずられ最下層まで追いやられた腕の群体。静夜の首を今もって内包し、時折手や首を古御堂に見せつけるのが不気味極まりない。
【現場判断優先継続】
床に散らばって多数のパソコンが機能を停止した。それでもそれなりの台数のパソコンは生きていて、明滅を繰り返してメッセージを繰り出している。
【侵入者も殺す】
そんなメッセージを古御堂は見ていない。だが、掌共がただならない殺気を向けている事に古御堂は気付いていた。
これを自分が倒すとなると、骨が折れるなと古御堂はため息を吐いた。
「弔いは、後回しだな……」
ぼきぼきぼき。古御堂が指の骨を鳴らし、角を露に低く唸った。
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